投稿者 ★阿修羅♪ 日時 2001 年 10 月 12 日 17:30:52:
狂牛病犠牲者、その記録(『狂牛病パニック―脳が溶けていく』P31より)
四月二十九日付の「デイリー・エクスプレス」紙は次のように報じている。「アシ
ュフォードに住む双子の姉妹がCJDで倒れた。彼女たちは別々の酪農家で平凡な主
婦として生活していたにもかかわらず、同じCJDで死亡したのだ。双子は同じ遺伝
的待徽を持っているのだが、もし彼女肢たちが(CJDになーりやすいという)待徴
を持っていないとしたら(つまりCJDにかかったのは後天的理由によると考えられ
るため)、これはもっと深刻な問題となる。アシュフォードは.一九八六年に、イギ
リス初の狂牛病が発見された場所であることも、付け加えておこう」
同じく、、「タイムズ」紙でも「ガーディアン」紙でも、CJDで死亡した患者に
畜産業や食肉加工業の関係者が多いことを報じている。
その一例が、奴娠した主婦のミッシェル・ボウェンさん(二九)だ。彼女がが発病
したのは九五年四月、おなかに三人めの子供を宿していた、極度の欝病に突然襲われ
彼女の症状ははしだいに悪化、物忘れが激しくなり、体のパランスを崩してふらつく
ことことが多くなった。最後には、昨夜をわかたず街を徘徊したり、急に激しく怒り
出すような奇行が目立つようになる。一一月二○日、子供は無事産まれたものの、彼
女はやがて昏睡状態に陥り、植物入間のまま死亡している。彼女はマンチェスターの
精肉肉売り場で働いて洞いていた。
彼女の症状は従来のCJD患者と異なり、きわめて狂牛病に近いものだといわれて
いる。
ゲッティンゲン大学のハンス・クレッツシュマール教授は、以前に見られなかった
CJDの新しい症状を指摘する。
△以前のCJD患者は発病後、六カ月以内に死亡することが多かったが、彼らは死亡
まで平均一四ヵ月と長い。 △脳波が似ている。 △遣伝的な素質が認められない。
△以前のように徐々に精神錯乱の状態に陥るのではなく、急速に抑鬱状態になり、
狂牛病のように千鳥足でふらふらになる。 △以前のCJD患者はほとんどが六○歳
以上だったが、退去一年間の患者の平均年齢は二七歳となっている。
こうした、”状況証拠”から、狂牛病が入間に感染したのではないかといわれてい
るのだ。”狂牛病”ではないかとみられる患者の例を、さらにいくつか挙げてみると
──
ピーター・ホールさんはベジタリアンだった。(★阿修羅♪コメ:ただし、書籍「ピー
ターは死んだ」P.15には、こうある。母親へのインタービューにて、『たしかにここ
数年、あの子は環境問題に関心を持っていました。肉を食べるのをやめ、菜食中心の
食生活をはじめていました』)
にもかかわらず九四年、大学在学中にCJDを発病。 二年近い闘病生活の後、二○
歳で亡くなっている。ヘビーメタルバンドのメンバーで明るく元気だった彼が、突然
ふさが込むようになったのが最初の兆候だった。そのうち手の震えが止まらなくなり、
階段を降りる時は足元がふらふらし、まっすぐ歩けなくなった。 そして記憶力も目
に見えて衰えてきた。最初の兆候が現れ五ヵ月後には、車椅子を使わなければならな
いほど症状は悪化してしまう。亡くなる直前には、見る影もないほど痩せてしまい、
ほとんど痴呆状態になっていたという。
ジーン・ウエイクさんも、前述した患者とほぼ同様な経緯をたどり二八歳で亡くな
っている。彼女はパートタイムでミートパイの中味を詰める工場で働いていた。
北ウェールズのクルードで犬飼育場の職員をしていたビッキー・リマーさんが発病
したのは九四年、彼女が一六歳の時だった。最初手に震えを感じるようになった肢女
は、しだいに体のバランスを保てなくなっていく。昏睡状態に陥り、寝たきりこなっ
てしまったのは、それから間もなくのことだった。以来、今日までの三年間、彼女の
目が覚めたことはない。すでに外界に対する認誠力を失い、話すこともできないとい
う、残念ながら、現代の医学ではCJDに勝てないのだ。「娘はビーフバーガーのせ
いで病気になったに違いない」と、不幸な彼女の両親は言い続けているという。
狂牛病の疑いのあるCJD患者の中には、畜産業や食肉加工業に関係のあった人は
少なくない。とはいえ「だから。”狂牛病”になったのだ」ということはできない。
彼らがそこにいたからといって、一般人以上以に牛肉を食べたという理由にはならな
いからだ。
確かなことは、彼らのかかった新型のCJDは、前に述べたように、従来型のCJ
Dとは違うこと。そして、それは牛のかかる狂牛病に酷似している、ということであ
る。彼らの中に畜産業や食肉加工業に何らかの形でたずさわった者が多いとすれば、
単なる偶然なのか、あるいは食べること以外の方法で感染したと考えるしかない。だ
が、今のところ、牛肉を食べないで狂牛病にかかる可能性は指摘されていない。
CJDは.一九ニ○年、ドイツの科学者H・G・・クロイツフェルト博士と、翌年
同じくA・M・ヤコプ博士によって発見された、ヒトの海網状脳症である。この二人
の名前をとってクロイツフェルト・ヤコプ病と名づけられた。
これまで、CJDとDSE(狂牛病)は、脳がスポンジ状になる点では一致してい
たが、まったく別の病気と見られていた。ところが、最近のCJDの中に狂牛病に酷
似する症状がみられるようになり、それらの患者のほとんどがイギリスで発病してい
る。同じく狂牛病もイギリスに異常に多いため、関連づけて考えられるようになった。
CJDは全世界に分布しているが、いずれの国でも発生率が非常に低いことから、
さはど問題とはならなかった。しかし新型のCJDが狂キ病で、その病気の肉を食べ
て感染するということになれは話は別になる。いわば一種自然発生的に、しかもきわ
めて低い確率で発病するCJDと、狂牛病にかかった牛の肉を食べれば感染するとい
う人工発生的なものでは発生率が大きく違ってくる。
つまり、牛肉を食べれば誰もがかかる可能性があるということだ。しかも、牛肉は
今のところ、食生活に欠かすことのできない存在だ。
最後にに、最も典型的な新型CJD患者の軌跡を追って追っててみよう。
ブリストル近郊のデヴァイズは、狂牛病の多発していた町だった。この町で九四年
九月、学生だったステファン・チャーチルは操業中、体の変調に気づいた。最初は気
分が悪いだけだったが、突然健忘症にかかったようになり、子供のころのことは思い
出せるが咋日のことが思い出せなくなる。
ある日、父親の車をメチャクチャにするほどの大事故を起こすが、どうして事故を
起こしたのかすら、まったく思い出せなくなった。そのうち突然、ところかまわず支
離滅裂なことを早口で喋り出すような奇行が目立つようになる。
両親は精神病かと思い病院こ連れてゆくが、症状は悪化する一方。やがて幻覚症状
が起こり、日常生活に支障をきたすようになり始めた。自分でドアを開けることもで
きず、ゆで卵の殻をむくこともできなくなる。ついに歩くこともできなくなってしま
った。
呼吸困難に陥り亡くなった、発病してかふ半年後の九五年九月のこと。死ぬ前こは、
外部からの刺淑に対してもほとんど反応しなくなっていた。解剖されたステファンの
脳は異常に収縮し、スポンジのように穴だらけになっていたという。
ステファンの死を知った時、町の人々は「狂牛病だったのでは」と噂し合い、「次
は吠は自分の番かも……」という恐怖にとらわれたという。今のところ、この町から
人が、”狂牛病”にかかったという報告はない。
ステファン・チャーチルはなぜ病気にかかったのだろうか。また、それが、町の人
たちが噂するように、狂牛病にかかった牛をを食べたための”狂牛病”だったのだろ
うか。
今のところ誰も結論を出すことはできない。
狂牛病パニック―脳が溶けていく
石原 洸一郎 (著), 鹿野 司 (著) 単行本 (1996/06/01) 竹書房
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/glance/-/books/4812401690/qid=1002874519/ref=sr_sp_re_1_9/250-6626538-6009837
★狂牛病で死んでも、痴呆とか精神病とかその他の病気と判断されてしまう場合が非
常に多いらしい。それは医者が狂牛病の患者をほとんど診断したことがないからであ
り、また、病状の進行が非常に早く、見る見るうちに死んでしまうので、医者が問題
提起する前に患者が死んでしまうからでもある。
さらに、それに加えて、エイズの時と同じように、狂牛病患者を認めることで損害
を被る業界からの圧力により、政府が握りつぶすことも、イギリスではあった。。。
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