(回答先: なぜこの時期に医療費が3割負担になるのか。 投稿者 ford 日時 2002 年 2 月 11 日 17:33:06)
医療保険三割負担へから保険制度と現代医療の見直しへ進むか
2002/02/12
来年の医療保険患者負担が三割アップということですが、どうもこれは患者
側に負担を増やしただけのことで本当の医療改革では無いという様な気がしま
した。改革は医療を受ける側に責任を押し付けた形であって、医療を行う側に
その責任を回さない様な気もします。が、こんな事でもないと国民はおめでた
い人が多いから、相変わらず現代医療に頼り切ってしまい、ここらで目を覚ま
させてやらないといけないナ・・・という小泉さんの隠された親心が・・・・
あったかどうかは知りません。
しかし、この事によって国民が今の医療とは随分とお金がかかるものだという
認識が少しは出来、危ない薬品や治療から少しでも遠ざかる事になり、まあま
あ今の健康保険制度内では仕方がないか、などと思う私でした。こんな冗談と
も毒舌とも思える話を書いてみたのは、実は現代医療保険制度そのものに疑問
を持つからです。そんなことをこれからミツクロッテ書いてみます。素人の作
文ですのでおかしな所は気にせず大意を読みとって頂ければと思っています。
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現代医療封建制度の見直しを
現在の国民医療保険はとても自由な国民の為の制度とは言えないでしょう。総
ての国民の健康と生命を守るため、国家は最大限度の援助をするものである。
とか有り難い方針も、なぜか私にはむなしいかけ声にしか聞こえない事があり
ます。これには国民の側にある条件が必要である。ーーーこんな隠された「但
し書き」が潜んでいるからでしょう。無条件ではないんだという「但し書き」
は明記されてはいませんが、現実は確かに存在しています。
たとえば、レントゲンが危険な被爆なのだから、拒否したい。胃カメラなどで
、有害な造影物質を飲みたくない。予防接種、ワクチンなどは有毒物質だから
したくない。等々、いろいろ医学の有害性に気づいた人は医師に注文を付けま
す。しかし、これらの診断を拒否した場合、いろんな制度に支障がでてきます。
すべての手続きは医師の診断が必要であり、この医師の総てが現代医学をおこ
なっているからです。現代医学を危険視するのはちょっと極論過ぎるのではな
いか、と思われる方ももう少し検討してみて欲しいものです。まず。薬ですが
、「薬とは毒物そのもの」だという認識が本当にあるのでしょうか。有効だか
ら毒性は無視できる、というような曖昧な考え方が底辺にあるから、いつまで
たっても薬害については無視されて来たのではないかと思います。つまり、「
薬効」という薬学で言えば「薬の主作用」という都合の良い面だけを見てしま
って、都合の悪い面、「薬の副作用」というのを意識的、あるいは無意識的に
見ないようにして来たと思います。だから、薬を奨めるにしてもその都合の良
い面だけを表に出して強調し、薬というものに必ず不随する裏側の面、つまり
副作用の方を無視してしまうのですから、いくらその事を主張しようとしても
、なかなか受け入れられないのが今までの医療の現実でした。
また、レントゲン撮影にしてもそうです。「病巣の発見」という大義名分に隠
されてしまって、その裏にはしっかりと「放射線被曝」という有害作用が付随
しているのですが、それも無視されようとしています。その証拠には、病院(
歯科医院でも)では、まずレントゲンを撮りましょう、と言うのです。それが
医療の一つの必要なプロセスとされているのですから、そのエックス線撮影を
拒否してしまうとしたら、当然医師は不機嫌になります。そうしないと診断で
きないとか手抜き処置になったりしそうです。(表面的には顔に出さないだろ
うが)そのレントゲン撮影が医療費という医療上の「売り上げ」に大きく貢献
しているのも原因でしょうし、またそれが医療の一つの儀式なのですから、患
者側に有害であろうとなかろうとあまり関係ないのが現実なのでしょう。
どちらにしても、主体は医療を行う側にあり、患者側にあるものとはとても考
えられないのが医療の現場です。まして、患者側から医療についての希望どこ
ろか、指示など出そうものならもってのほかでしょう。そんな事を言うならよ
その病院に行って下さい。と言われるか、医師には鼻を曲げられてどうぞお勝
手にとばかり、患者に対しての援助的な事にはもう協力しなくなるでしょう。
もっとうまい言い方は「大きな病院に行って下さい」でしょうか。そこには患
者の健康を守るという事に対して大きく配慮が欠けているとしか思えません。
誰の健康の為にそれを行おうとするのか、決して医師の技術や研究の為に医療
が行われるのではありません。もし、患者の為に医療が行われるのであったら
、患者側に有利な事を第一にするはずです。
私の家族の実体験ですが、まずレントゲン被爆を受けたくないというと、そこ
でほとんどの手続きがストップします。ある認定を受ける為の診断書作成など
には必ずレントゲン撮影の記録が義務化されています。だから、危険と分かっ
ている放射線を浴びないことにはいろんな社会的に用意されている保証や援助
システムは受けられないことになります。目の前に誰が見ても病気症状ははっ
きりしているのに、ただレントゲン撮影が嫌というだけの理由で認定されない
のです。たとえば、路上に倒れている人が目の前に居ても「ちゃんとした手続
き」がないという理由でうっちゃって置かれるのです。それが医療制度に則っ
た「正しいやり方」なのです。そして、レントゲンを撮りたくないというだけ
で医療費の自己負担は大幅に違うのです。保険の徴収は平等ですが。つまり、
保険料の徴収だけは強制的に平等にさせて、患者が有害だと思って拒否する診
断や治療はそれが根拠となって医療負担率を多くする。これが不平等保険制度
の実体です。
そして、当然それは障害認定などの年金制度にも適応されます。いくら年金を
掛けていても、いざ病気の時になって、「レントゲンを受けたくない」という
ことで、どんな重病にある人でも書類手続きが不備のため無視されます。こん
な事が常識になっているのが現実であり、それに従わない人は放り出されてし
まうのです。戦時中の戦闘を嫌う人は非国民だという扱いになるのと同じ様な
制度ですから、保険制度や年金制度は半野蛮的な不公平制度であると言っても
よいくらいです。(これは事実障害認定を受けない状態で三年も市からも国か
らも援助は受けられない事実とレントゲン撮影がないという理由で障害の認定
も却下された事実があります)
この様に、薬や放射能が有害であると分かっているのでそれを拒否すると、各
種の共済制度は受けられないのが実状なので、泣く泣く経済的理由でのみ妥協
して、今の医療体制下に身を任せるしかないのです。だから封建的は制度であ
り「医療封建制度」なのです。そこには患者が自ら守ろうとする生命と健康な
どという理想は無視されてしまうのです。では、なぜそこに封建制が含まれる
のでしょうか。そして、何の為に、誰の為に医療保険制度や救済制度や重病者
の為の年金保険制度はあるのでしょうか?とても患者側に主体性があるとは思
えません。その制度で利益を得るのは誰かと考えると理解しやすいのでしょう
か。分かり切っている答えは「患者のため」です。しかし、患者はお金を出す
側です。病気になっても何の得も無いのです。(ただし、別目的の仮病などは
論外ですが)それによって収入を得ている方は治すための医療を施す側にあり
ます。
そして、収入を得る方の側から保険制度が作られ、それを施行するのも、ほぼ
半強制的にそれは押し付けるのも医療を施す側です。患者は受け身に徹してき
ました。そのうえ、制度に従わないと「どうなっても知らないよ・・」とばか
り放り出されてしまいます。
つい近年までの予防接種などはまさに強制的でした。接種を受けない違反者に
は罰金制度まで作り、従わない者には処罰するという脅しまであったのです。
それによって、直接予防接種禍が起きたり、将来病原になるという情報や予防
接種無効論まで出るようになって、ようやく任意制度になったといいます。そ
してそれに対する保証などすべて国民の税金で支払われます。(これも簡単に
はいかない。国や厚生省などは裁判で徹底的に闘います、被害者の国民と)
と言うことは、その制度を作ったり押し進めたりした人たちはどこに潜んでい
るのか不明だというように、ほとんどが無責任で終わるのです。そんな医療制
度の中で薬害や医療事故でどれだけの方が裁判にも持ち込めないで蔭で泣いて
いた事か、表面に現れた医療裁判などはほんの氷山の一角でしかないでしょう
。
繰り返しますが、そんな制度からはずれた者は非国民的立場になってしまい、
村八分的状況が嫌な為に渋々と従う人が多いのです。そうなると個人の自由意
志が無視され曲げられてしまい、そこにはもう自由な診療や医療は無いのです
。
世の中のいっさい、この様な医療システムで動いています。そして、それはも
うガッチリと確率されてしまった強力なシステムなのです。この制度に逆らう
ということは、個人的にはとても苦労の多い体制です。会社に就職、各種学校
に入学、保険を受ける証明、ありとあらゆる事にこの現代医療のシステムは関
わって来ます。民間の生命保険にしても、いざ病気にかかった場合には必ず医
師にお世話にならなければならないのです。私は自然療法だからと言って、自
宅で療養していてはなんらの保険の御陰は戴けないのです。また入院しないと
保険の額も減額でしょうし、そうなると、薬害事故や放射線被曝も覚悟して命
を引き替えにしないと、いざというときの経済的援助は得られないのです。す
べてを医師の診断と治療が支配している世の中です。そして、医師や国家や制
度で堅く守られています。
そして、人の最終章である死にまでそれは管理されてしまいます。医師に診
断して貰わないと「死亡」という認定が得られなく、死んでも死にきれない状
態になり、どうしても最後は医師に、つまり現代西洋医学中心の医療のお世話
にならないといけない様な制度になっています。
自然療法や現代医学に頼りたくない患者といえども、最後には現代医療のま
な板にのらないと安眠出来ないのですから、まさに半強制的です。財産目当て
の理由で医師や病院に見せないという事件が時にはあるためだと言いますが、
本人希望や本人の意思があるのに同じ様な「犯罪的行為」だとして見るという
のはあまりにも人間の自由意志を無視しています。
一部の犯罪者の為に多くの自由意志を無視した強制行為でしょう。
最後の最後まで医者に係りたくない(有害な診断や治療についてであって、
無害だと思う診断などを拒否するものではないのだが)と言っていても、その
様な死亡認定が得られないと犯罪の様に調べられたり、死体解剖される、と聞
かされ結局は入院などと不本意ながらも同意する人もいるのです。また、最後
になって有毒物など入れたくないと言って、死んでから救急車を呼んでくれと
言う人や、それを実行させた人もいます。
それほど、現代医療(西洋医学)に逆らう自然療法派には死ぬ間際まで苦労
させられる制度なのです。
さらに、医師が認証しない療法というものがすべてニセ療法にされてしまう危
険性があります。現代西洋医学から見るとすべてがイカサマに見えてしまうの
でしょう。これも考えて見ると非常に統制がとれていて、国民を律しやすい制
度に見られます。巷にあふれる怪しい療法から国民を守る為の制度だとしてい
るのでしょうが、この医療保険制度下で正しいのは、西洋医学を中心とした、
化学薬品、手術、放射線などを主とする「対症治療」でしかありません。
したがって対症療法を嫌う自然療法派にはその体制内での立場に自由があり
ません。まさか、それによって逮捕される様な戦時中の非国民狩りが行われる
ことはないでしょうが、それにしても異端者扱いになりがちです。
今では、医学者の中にも自然療法を推奨する医師や、対症療法を非とする医
師も数少ないですが現れる様になってきましたが、彼らは医学界の中での立場
はきっと肩身のせまい境遇にあるのではないでしょうか。その様な医師達は極
めて少ないからです。そして現代医療を否定すると診療報酬は極単に少ないの
で、営業上も困難でしょうから行いにくいということです。
まして、素人と言われる一般の患者さんが今の現代医学の治療や診断方法に
異を唱えるとしたら、これはもうちょっと大変なことです。このことは実際に
あなたが医師の前でそれをやってみたらすぐ解ることでしょう。
それもこれも皆少数派であると言うことで異端視されるのです。つまり、今
の医学、医療の世界では悪貨が良貨を駆逐してしまった世界であると思います
。
そんな封建制度の中に居て自らの健康を守るには、同じ様な考えを持つ賛同
者を広めなくてはなりません。そのためには常に真実だと思われる情報発信を
心がけ、また情報を得ようとする強い意志を持つことです。するとそれは実現
してきます。
幸いな事にインターネットの世界がこれを可能にしつつあるようです。もち
ろん、怪しげな情報も含まれたり、現状の体制の利益(もちろん患者側でない
利益)を必死で守る方の情報やら、入り乱れての情報合戦となりましょうが。
しかし、真実の追求側には強い味方が存在しているということを決して忘れ
てはなりません。真実には「時」が味方するのですから。
世の中の総ては「時」ととも明らかになります。この「時」を止めることは
どこの誰であっても出来ないのですから、真に偉大なるものは「時」であり、
大自然に逆らうのは結局は大きな損なのですが、それが解らん人(チン)は未
だ懲りずに自己都合の体制を守ろうとか新たに規制する体制を作ろうなどと画
策しているのですから、もう大自然そのものを超えたチョー人なんでしょう。
しかし、大自然の厳しい審判は一人一人の行為の結果として誰でもないその
チョウ本人に出てくるだけのことですから、まあ、気の済む様に精一杯やって
みたらいいでしょう。
またまた変なくせが出てしまい、話がだいぶ飛んでしまいましたが、現状の
医療封建制度は、まず振り出しに戻る必要があります。だい一に、この保険
制度が出来るとき、この制度は医療を施す側に主体性があったというのですか
ら、振り出しどころか、もう一度新たに作り出すためにも、一度は解散しても
良いくらいです。
そして今度出来る健康共済制度には当然受ける治療や診断に「自由」が含ま
れており、そこには「安全な医療」が主体となっていて、しかもそれも極めて
「安価な医療」であって、「健康維持に永続性がある」ものとなるでしょう。
本物の医療とはお金がかかるものでは無く、永続性があり次第に医療そのもの
が簡素化してくるものです。言い換えると医療機関や制度などが段々と不必要
になるほど健康社会が自然と出来上がってしまうものなのです。
現代医療が作り上げたものが、耐性菌による感染症恐怖症であり、ガンなど
の悪質疾患ばかり増える病気氾濫時代だったのではないでしょうか。
真の医療はちょうどこれと反対の道を進むことになるでしょう。
今のままの医療では、これからも時と共に医療ミスとか医療事故とか院内感染
とかが増えることはあっても決して減ることはないでしょう。それが現代医療
の実体なのであり、当然起こるべき結果だと思えるからです。
しかも医療費増大という経済的な面でも患者の負担は増え続け制度そのもの
の破綻が待ちかまえています。
結論として。
以上の私の見解は極論過ぎるかも知れませんが、医療費の患者側負担のアッ
プには短見的には不満ですが、長期的には賛成となります。今回の患者負担は
当然医療費が年々増大し続けて来た結果であり、保険金徴収を増やすか(本当
はもうアップ済みである。介護保険料という分散しての小細工で)、直接医療
を受ける人が負担するというどちらかを選ぶしかなかったのでしょう。それほ
ど医療保険は財政危機にあるのです。三割アップくらいでは持ちこたえられな
いのが裏の現実かも知れませんが、今は段階的にしか出来ないし、起死回生の
案も浮かばないのでしょう。
でも医療費のアップは私的には反対、大局的には賛成です。
というのは、当面の個人の出費は痛く感情的には反対ですが、患者側が現状の
医療に対する不審を生み出すことのきっかけになることを考えると賛成という
ことです。まずは自分の財布から直接出費しないと解らないし知ろうとしない
のです。
これだけ大金を掛けて、さてどうなった?という心が必要なのです。その事か
ら本当に自分たちの健康の為になる医療と制度を考え、新しい医療共済制度を
創ろうと立ち上がる事でしょう。さらに、今の医学や医療そのものに対しての
矛盾や疑問も起こり始めるでしょう。そうならないことには、今の日本の医療
は変わりません。
医学側から変えようとして立ち上がっている医師も目立ってきましたが、強
固に出来上がったこの体制を崩すということは時間もかかりそうです。そんな
事を待っていても、何時になることか期待できないでしょう。
医師というのは現代医学の学問をしっかりと学んで吸収して来たのですから
、その学理に反する理論や医療などを簡単に切り替えて受け入れる事は出来な
いでしょう。もっとも現代医学に忠実だからこそ医師の資格を得られたのです
が。医師側からの改革というのは根本的に教育された土台を覆すような事にな
り、非常に難しい改革だと想像します。いったん受け入れた価値観がひっくり
返るのですから。
それを一般の大衆の側、患者になる者から声を上げる事で大きな流れが起き
ると期待できます。そのためのきっかけになるものとして今回の医療費負担ア
ップはもっと早く行われても良いのではないかと思うくらいです。
とにかく医療費をアップしようがダウンしようが、遅かれ早かれ日本の医療保
険制度はスタートからやり直す時期に来たのでしょうし、また経済的にみても
医療保険制度の自然崩壊も眼の前に来ているのに、それに気がつかないでいる
だけの事かも知れません。そして保険制度がいったん廃しされたときこそ、本
物の医療とは何かと言うことがひとりひとりが改めて検証できる絶好の機会に
なると思います。
それにしても・・・、何かこう、医療保険に限らず、「総ては一度に始まる」
というのか、世の中いろんな大変化が一度に起きてくる・・・
最近はそんな予感がしきりとするのですが。
http://member.nifty.ne.jp/himaari/newpage31.htm