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【世界経済のゆくえ】経済支配層は70年代に何を考えたのか 投稿者 あっしら 日時 2002 年 6 月 19 日 18:00:47:

(回答先: 【世界経済のゆくえ】世界経済にとって70年代はどういう時代だったのか 投稿者 あっしら 日時 2002 年 6 月 19 日 17:58:24)

世界経済を支配し動かしている人たちは、私なぞ足元にも及ばない経済分析力と政策立案力を持ち、国際機関や各国の政府・中央銀行を通じてそれを現実の政策としていくパワーも持っていると考えている。
(国際機関や各国の政府・中央銀行のスタッフは、ご託宣に寄りかかっているだけでたいした思考活動はしていないようだ。思考することは止められないが、分析や政策を主体的に出すことを止められていれば、思考することも止めてしまうだろう)

「成長の限界」論や「脱工業化社会」論が出てきたのも70年代であり、近代の象徴である工業を推進力とした経済発展が頭打ちになったという認識を70年代までに支配層が持ったことを窺い知ることができる。

だからこそ、70年代に、経済成長が行き詰まったことを先進国の多くの人が考えたのであって、けっしてその逆ではない。

このような認識が広まっていったのは、「ドル兌換停止」により戦後世界の基礎であった金ドル為替本位制が瓦解し、高インフレ率でありながら実質経済成長率がマイナスになるというスタグフレーションの現出を目の当たりにしたからであろう。

及ばないことだが、経済支配層が70年代に何を考えたかを推し測ってみたい。


■ 金ドル為替本位制の崩壊

60年代後期から米国の貿易収支は赤字基調に転じ、「ベトナム戦争」の戦費増大により外国に流出するドルも増大した。
そして、フランスのドゴール政権は、保有外貨準備であるドルを金に兌換し続けた。
(戦後急速に外貨準備高を増やしたドイツも兌換を求め、68年には米国当局は、各国に兌換請求を控えるよう“強制”した)

兌換停止を行うことなく米国が金の流出を止めるためには国際収支を均衡させるしかないが、それは、米国市場に依存している世界経済全体に縮小均衡をもたらすものである。
この縮小均衡は、さらなる縮小均衡という循環につながっていく。
(米国が輸入を縮小することは、世界中の輸出を縮小させることになる。また、日本を含め外貨準備をそれなりの水準で保有している国は少なく、冷戦構造のなかで米国政府が支出するドルが発展途上国の輸入を支えていた)

変動相場制以外の選択肢としては、米国に限らず、戦前のある時期と同じようにどの国も金為替本位制を採るというものもある。これが採用されていたら、米国から大量の金が日本や西ドイツに流出していたか、戦前のように平価切り下げ競争と輸入障壁が横行し、資本規制も厳しくなり、世界経済は混乱のなかで停滞を続けていたであろう。(十中八九、後者であったはず。金為替本位制ではなく、固定相場制でも、似たような状況になり、変動相場制のような薄められた為替投機ではなく、集中的で激越な為替投機が行われただろう)

貿易収支は赤字であっても、米国の絶対的な経済力が揺らいでいるわけではないのだから、米国経済を基軸とした世界経済であることには変わりはない。(ソ連・中国という共産主義国家の存在が、最強の軍事力を誇る“守護神”米国への求心力を維持したことも重要な要因である)


このような認識に基づき、先進諸国は変動相場制に移行していったと推測できる。

世界は、国際交易でも価値基準を失い、通貨間の相対評価で国際交易品の価格調整が行われる体制に変容した。

為替理論から言えば、米国ドルは、貿易赤字の増大によって円やマルクなど貿易黒字国の通貨との関係で相対的な評価を下げ、貿易赤字の解消に向かったはずである。
しかし、米国の貿易収支は、品目別輸入量規制(日本の場合、繊維・鉄鋼・家電・自動車・半導体)を広範囲に実行し、1ドル=80円まで下がっても、赤字を拡大する方向へと動いた。
(これは、工業製品の国際交易という側面に限れば、1ドルが80円の価値もない通貨だということである。米国民が日本製品を1ドル=125円で購入できるということは、手持ちドルを日本円に対して56%も有利に使うことができるということであり、日本国民は自分たちが生産したものを、ドル保有者に56%も安い価格で売っているということである。日本では“伝統”的に「円高嫌い」の人が多いようだが、「円高」は、日本人の労働が高く評価されるということであり、日本人が日本円を有利に使えるということである)

それでも米国が最大の経済力と最強の軍事力を維持し続けられたのは、国際商品のドル建てと最大の製品輸入国家という基礎の上で、“米国債務本位制”とも言えるいびつな体制が出来上がったからである。
(71年までは各国の中央銀行がドルを保有していることは論理的には金を保有していることであったものが、71年以降は、ドルを米国政府に貸し付け、その借用証書を保有するかたちに変わった。米国政府の借用証書が外貨準備になったのである。それによって、過剰なドルを米国政府が吸い上げ、米国の分不相応の財政支出と消費が実現されてきた。そして、そのような米国の財政支出と消費が、各国の輸出や国民経済を支えてきた)

世界中が借金それも自転車操業によって経済を運営する“大借金経済構造世界”が生まれたのである。
ある国家の“借用証書”が信用の基礎となり世界経済を支えるという前代未聞の構造である。「米国経済社会の浪費が世界経済の信用の基礎」というまったくの“倒錯世界”が出来上がったのである。

米国政府の借用証書がFRBの直接引き受けによって積み上がっていれば、これまでのような世界経済を維持することはできなかったはずである。
米国に物やサービスを輸出したり、米国から利益や利息を得た経済主体が自国通貨に転換したドルを保有している中央銀行が、米国政府の借用証書を積み上げてきたからこそ信用が維持されてきたのである。

(FRBの直接引き受けは、米国のみならず国際商品の大インフレを引き起こし、ドルレートを大きく下落させ、“借用証書”の価値維持性も喪失させる)


※ 金為替本位制による国際金融資本の弱体化

戦前のある時期と同じように金為替本位制を採ることになっていたら、米国に拠点を移していた国際金融資本の力は大きく削がれていただろう。
それは、70年以降であれば、日本と西ドイツが「世界の工場」という地位を失う可能性は低く、ドル平価がずるずると切り下がっていった可能性が高いからである。

「1ドルは80円の価値もない通貨だということである。米国民が日本製品を1ドル=125円で購入できるということは、手持ちドルを日本円に対しては56%も有利に使うことができるということ」は、ドルを厖大に保有している国際金融資本についても同じように言える話である。
国際金融資本は、過大評価されているドルで、米国以外にある資産(株式・資源・不動産など)を“割安”で手に入れたのである。

金為替本位制であれば、米国政府は80年代前半のようなドル高政策や高金利政策も採れなかったし、85年の「プラザ合意」のレベルではない平価切り下げに追い込まれていたはずである。
(「プラザ合意」によるドルの対円レートでの40%にも及ぶ下落は、それまでの対外債務の切り捨て政策である。米国政府は、実質的には既にデフォルトを行っているのである)

金為替本位制が採られ、日本の金融資本が“理性的強欲者”によって経営されていれば、日本が金融大国になれる可能性もあっただろう。(外国の銀行や証券会社が日本でそこそこ自由な営業ができるようになったのは80年代後半である)


米国当局が“強いドル”を志向しているのも、国際金融資本の意向を汲んだものである。

変動相場制であれば、保有通貨(ドル)を状況に応じて他の通貨に転換することで、実質価値の維持を図ることができる。

このような意味からも、“ニクソンショック”後に、世界が金為替本位制に移行することはなかったと言える。


■ スタグフレーションという現実

ケインズ的経済政策論が否定されるきっかけとなったのは、高インフレ率のなかで実質経済成長率が下がってしまうというスタグフレーションを先進諸国が経験したことである。

73年に原油価格が4倍に跳ね上がり、異常とも言える物価高が世界中で現出した。
(第4次中東戦争を契機にOPECが決めたとされているが、「ホメイニ革命」ともども、それが実現できた背景や意図は不明−−−レスに期待−−−)

インフレは通貨価値が下落し一般商品価値が上昇するというものだから、物を購入し、それらを使って商品を生産し販売することを通じてより多くの通貨を得るかたちになっている農業や工業分野の経済主体が、生産活動に励む動機になる。

しかし、スタグフレーションは、締めてみれば、確かに手取り通貨は増えたが、その通貨は、元の生産手段を購入するに値するものではなかったというものである。
簡単に言うと、1万円のコスト(生産手段)で生産した商品を1万5千円で販売したが、1万5千円で元と同じ生産手段を購入することができないという現象である。儲けたように思えていたものが、実際に計算してみると儲けてはいなかったというものである。(個々の経済主体ではなく、国民経済全体でみればということだが)

日本の高度成長期は、赤字国債による財政支出の拡大という手法ではなく、中央銀行(日銀)から商業銀行への貸し出し量(通貨供給量)増大という手法でインフレを起こしながら、高い実質経済成長を達成していった。(借りた経済主体は返済義務を負うが、政府の借り入れとなる国債とは異なり、国民が返済義務を負わない拡大政策である。さらに、国民も、物価高に悩みながらも、やや遅れて実質所得を上昇させることができた)

経済拡大の牽引力であった日銀の貸し出し量を抑制する要因は国際収支であった。
経済活動が加熱し輸入が増大すると、外貨準備も乏しく円も国際通貨ではなかったことから、経済活動を抑制するしかなかった。(米国よりも高いインフレ率は実質的な円安を意味するから、インフレは輸出促進に貢献する。乏しい外貨は、政府保証で国際金融資本から借り入れしながらしのいだ)
高度成長期の日本では、輸出企業は事業拡張のためにどれだけ融資を受けられるかが、輸入企業はどれだけのドルを割り当ててもらえるかが勝負の分かれ道だったのである。

スタグフレーションは、手法が赤字国債による財政支出拡大によるものであろうが中央銀行による通貨供給量増大によるものであろうが、インフレをもたらす総需要拡大政策では、実質経済成長が遂げられないことを示した。

これが、フリードマン氏を中心とするシカゴ学派のマネタリズム理論台頭につながった。

[参考データ]

          年平均成長率
       60−70  71−82
========================================
米国      3.9    2.6
日本     11.2    4.6
西ドイツ    4.5    2.2
フランス    5.5    3.0
英国      2.9    1.3
スウェーデン  4.6    1.4
韓国      8.3    7.8
シンガポール  9.2    8.3

■ ローマクラブの「成長の限界」

73年に公表されたローマクラブの「成長の限界」は、人口過剰問題や環境問題を経済成長の制約条件としたものである。

これはマルサス主義と環境主義が結合した理論で、人口増加率に食糧増産率が追いつかないことや現在のペースで消費量が増えれば埋蔵原油は2000年頃には枯渇することを予測し、これまでのような経済発展を追求すれば、地球環境は破滅的なものになるとした。

いわゆる環境保護運動が世界的な広まりを見せ、多くの人からその活動が認められていることにも、ローマクラブの提言が大きく貢献している。

人々の生存環境が悪化したことは事実だが、食糧問題は絶対的なものではなく経済システム的要因による相対的な偏在であり、原油も近い将来に枯渇するとは考えられてはいない。

現存する生存条件を超える絶対的な過剰人口は、過剰分が死んだり人の再生産ができなくなることで否応なく調整されるものである。
食糧の偏在要因でもある労働に従事できないという相対的な過剰人口は、近代経済システムが根源的に抱える問題であり、そういう人たちの生存維持コストを誰が負担するかが問題になる。

物やサービスが思うように売れないという“過剰供給力”に悩み続けるのは近代経済システムの宿命だから、人口増大は、経済成長の制約条件ではなく、経済成長の十分条件ではないが必要条件である。(だからこそ、近代化のなかで国民国家(地域国家の統合)が急がれた)

ローマクラブの真意は、経済成長の見通しから、現在の人口増加率が相対的な過剰人口をさらに増やしていくと考え、経済成長に貢献しない人口が増えることで貢献している人たちの負担が増加することを憂慮したということだろう。

もちろん、有限な資源が枯渇する可能性は高いし、生存環境の悪化も不快なことである。
(いちばん酷い生存環境は、近代経済システムのなかでお金を稼がないと暮らしていけないことだが)

米国や欧州諸国が移民を定量的に入れているように、先進諸国の“自然成長率”を支えているのは、生産性向上と人口増加である。とくに、高齢化問題では、若年層移民の存在が大きく貢献している。(移民受け入れの負担が支配層にできるだけ及ばないよう、低中所得者間での“相互扶助”的税制が強化されている)

ローマクラブ的な考えが根強く存在し、“過剰人口”問題をなんらかのかたちで処理したいという政策に結びついていることは間違いないだろう。(戦争も、ウイルス問題も...)


■ 経済支配層がめざしたもの

世界経済の支配層は、金融資本を頂点としたピラミッド構造のトップである。
すなわち、世界の経済活動を結果はともかくある方向に導き、それを通じて最大の利益を手にする国際金融資本が、世界経済の支配層である。
産業資本などは、自身も利益を得るとはいえ、構造的には国際金融資本に利益を上納する存在である。

奴隷取引(対“新世界”向け)・一般商品取引(インド・中国からの輸入が中心)・麻薬取引(輸入の穴埋めが発端)を柱にした国際交易で利益を拡大していった国際金融資本は、一般商品取引での利益拡大をめざして近代産業を発展させていった。

奴隷の入手先であったアフリカも、換金作物や鉱物資源の入手先として植民地化の対象となり、中東を含むアジア諸地域も同じく植民地化の対象となった。インドや中国は、近代産業が生産する商品の販売市場として位置づけられ、それを確実なものとするために、植民地化されたり、主権制限を加えられることになった。

(そのような経済圏を広大に支配している国家と限定にしか支配していない国家の戦争として、第一次世界大戦と第二次世界大戦を定義することもできる)

70年代は、支配層に、一般には近代資本主義とイコールとして考えられている産業資本による利益拡大が行き詰まったことを明確に認識させた。

産業資本=工業を通じて利益の拡大を計る(経済成長する)ためには、付加価値の分配内容を変更するしかないことを認識したと思われる。わかりやすく言い換えると、国際金融資本や産業資本の利益を減らし、勤労者に渡す所得を増やさなければ工業的経済成長が続かないことを理解したと推測する。

利益拡大を至上のものとする経済支配層が、己の利益を減少させる政策を容認するはずがない。不幸なことに、それが長期的には己の利益増加(維持)につながるものだという論理的思考もできないようだ。

国際金融資本にとって、インフレは、同時に利益の拡大をもたらす実質経済成長がプラスである限り許容できるが、根源的には忌み嫌うべき経済現象である。インフレは、保有している貨幣の価値を減少させてしまうからである。
国際金融資本(金融資産家と考えて欲しい)は、産業資本と違って、デフレでありながら自己の利益が拡大していく状況こそがベストだと考える。


70年代は、利益拡大期=成育期から利益確保期=収穫期への一大転換期だったと考えている。

次回は、80年代以降に主流となった経済的価値観や経済政策が、利益確保期=収穫期のものとして的確であるかどうかを考えてみたい。


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