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(回答先: 全ての資産は減損する 投稿者 楽観派 日時 2002 年 6 月 12 日 22:40:19)
楽観派さん、こんにちわ。
社会学的考察や哲学・神学的価値を問題にしているわけではなく、あくまでも経済的価値とりわけ通貨価値を問題にしているのです。
>国債のリスケジューリングではなく価値の減損なしに償還されるかどうかを問題にさ
>れているといわれますが、その場合例えば1990年の物価水準を100として比較
>することで図れるような単純なものでしょうか?
経済学的に合意されている通貨価値についてはそう言えます。
>1990年に発行された10年物国債が2000年に償還される時に価値が減損され
>たかどうかどうやって判断するのですか?
1990年に国債に投じたお金で購入できる物の量と、2000年に償還されたお金で購入できる物の量の比較です。
特定商品ではバイアスがかかりすぎるので、GDPデフレータを使うのが一般的です。
個人という立場で考えるときは、1990年に国債に投じたお金で何ヶ月間生活でき、2000年に償還されたお金で1990年と同等の生活をしようとしたとき何ヶ月間生活できるかということでいいと思います。
これらの比較方法で、ほぼ同じであれば利息分だけ得をし、2000年のほうが多ければ大きな得をし、利息分を足しても少なければ損をしたということになります。
「絶対的な価値基準」や「人々の価値観の変動」は、この問題に直接関係ありません。
>そこまでトヨタがメーンバンクに配慮するなら、UFJが国債を支えきれなくたなっ
>たとき、トヨタがそのキャシュフローと海外資産を活用して銀行を助けるというのも
>ありうる話だと思います。そして日本の企業と銀行は依然として株式の持合を続けて
>いるのです。なら金融資産+現物資産の裏づけが日本国債にはあると考えるべきで
>しょう。
「UFJが国債を支えきれなくたなったとき、トヨタがそのキャシュフローと海外資産を活用して銀行を助ける」という話は、“UFJが財務的に危機になったときに、トヨタが増資に応じるなどしてUFJを助ける”ということであれば、トヨタとUFJの相互扶助構造としてそれなりに理解できますが、「UFJが国債を支えきれなくなったとき」という前提であれば理解できません。
トヨタが保有キャッシュフローをどれだけUFJに預けているかは知りませんが、論理的にはその一部も国債の引き受けに使われているのです。
トヨタが、海外資産を売却したり債券化して現金を捻出して、そのお金をUFJに預ければ国債消化に貢献しますが、トヨタの資産内容や収益力は悪くなります。
(売却してしまえば、そこから得られていた収益が以後UFJから得る利息を上回っていたのならば、その分収益が減少します。債券化すれば、収益の一部が外部に流出することになります。売却や債券化で得られるお金がそれに投資したお金よりも上回っていれば、その分が利益にはなりますが...)
UFJが国債を支える義務も義理もありません。そこまでしなければならなくなったと判断したときは、愚かなことに、国債価値をさらに下落させることになる保有国債の売却に動くことさえしかねません。
自己保身を第一義にその次に銀行や大手企業を保護対象と考えている財務省や日銀は、このようなドタバタを放置しないだろうと考えるからこそ、実質的な日銀の国債直接引き受けという手段に動くと予測し、国民困窮のなかで叫ばれる政治的要求と相俟ってハイパーインフレへの道に進むと考えているのです。(現在の超金融緩和政策で、日銀が商業銀行に日銀券を貸し出し、商業銀行がその日銀券で国債を引き受けているのは、そういった状況の一つだと考えています)
最後に、トヨタが、日本国債の“一時的な”消化のために資産を切り売りしたり債券化するようなことを行うようになったら、それこそ日本経済はズタズタになってしまいます。
売ってしまった資産は、果実=利益を産まなくなり、次の国債消化の原資としてはもう利用できなくなります。
トヨタが50兆円の海外資産を保有しているとしても、1年半の国債消化にしか利用できません。その一方で、果実=利益を減らすことになるトヨタからの税収は長期的に減ることになります。
現物資産については、税収の基礎であり、保有企業の収益源であるとともに究極的な支えと考えたほうがいいんではないでしょうか。