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(回答先: もう一度自由について考える 投稿者 楽観派 日時 2002 年 6 月 02 日 00:21:59)
質問の回答をいただきながら、レスもせず失礼しました。
自由に関する哲学的・神学的論議の深みに入るのは避けたいと思っていますので、雑感風なレスにとどめます。
「自由・平等・博愛」というスローガンにはほとんど魅力を感じませんが、それを好ましいものと考えているある割合の人たちが抱いているイメージについては共感できるものがあると思っています。
語句(ワード)については、抽象的なものであればあるほど、できるだけそれ自体に価値を付着させないよう務めています。その語句の概念説明を受けて自分なりに理解した後で、その語句の意味を考え、価値判断をしたいと考えています。
また、個々人の意識によって評価が異なる語句は、できるだけ具体化した表現で発したいと思っています。
そのような意味で、「幸福の経済学」とか「幸せの極大化」といった提示の仕方には躊躇してしまいます。(おかしな言い方ですが、現実の経済学に対するアンチテーゼとして気持ちはわかりますが)
本当かでっち上げかはわかりませんが、「構造改革」というスローガンと「数年間の痛みに耐える」・「不良債権処理」・「規制緩和」というサブスローガンを語るのみで具体的な政策をほとんど示さなかった小泉首相が80%以上の支持率を獲得した現実を目の当たりにしたことでそのような意識をより強く持つようになりました。
最近、意識から離れないのは「ハメルンの笛吹き男」の話です。
心地よく美しい音色(スローガン)につられて破滅への道を喜々として歩み続けている現実世界がそれにオーバーラップしてしまいます。
「人はパンのみに生きるにあらず」という言葉よりは、「衣食足りて礼節を知る」という言葉のほうが好きです。(礼節を重んじているわけではありませんが...価値の重層性を認識し、その序列の付け方が的を得ていると思えるので)
理念や論理は重要なものだと思っています。
理念がない論理は、受け止めた人もあまり魅力を感じず、論理が乏しい理念は、人を非合理的行動に誘い込みます。