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(回答先: 解釈の相違はあるとしても 投稿者 楽観派 日時 2002 年 6 月 04 日 09:35:13)
さて私はどうして国債の債務不履行から発展した議論(スレッド)で江戸期を持ち出したかというと、日本においては資本の論理が常に政治家とむすびついた官僚により無視されつづけたと考えるからです。
もし江戸期に本当の資本論理があれば当然大坂の商人が日本の統治者となったでしょう。現在なら、銀行は冷血金融資本の代表として遠慮かしゃくなく債権を回収すればよいのです。
ところが現実には政治家と官僚が銀行に圧力をかけ、熊谷組への数千億の債権放棄を住銀に強制し、今日もまた誰かの圧力により再生の見込みのないダイエーにさらにお金をつぎ込むことが決まったようです。
これは異常です。資本の論理の長所がすべて官僚と政治家で骨抜きにされているのです。資本の論理の短所は全て銀行にかぶせ、長所を殺すことが自分たちの手柄だと考えている人たちは共産主義者です(それ自体は悪くないが、現代日本社会との整合性がとれない)。一応この意見を最後にこのトピックスは終了したいと考えます。長らくありがとうございました。