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(回答先: 解釈の相違はあるとしても 投稿者 楽観派 日時 2002 年 6 月 04 日 09:35:13)
最初に、質問に答えておきます。(簡単すぎて申し訳ないと思っています)
江戸期の統治者が商人から借りたお金は、国債(公的債務)と考えることができます。
商人の富の源泉が何であるかや革命が起きたことはとりあえずおくとして、借金したお金を返済できなかったのは契約違反です。(敗戦後の公的債務切り捨ても同じ契約違反です)
アナーキーで自堕落なことを好む性格ですから、武士に限らず、支配者や統治者を好ましい存在とは思っていません。武士道も嫌いですし、敗戦という難局時に重要な統治者でありながら、職務を全うせず自死を選択した阿南陸相の振る舞いも批判的に見ています。
(統治や権力は必要悪だと考えているので、アナキストではありませんが)
幕藩体制が統治形態の範であるとか、武士が善意の統治者だとは思っていません。もちろん、近代国家の統治者も古代国家の統治者も善意の統治者だとは思っていません。
善意の人もいれば、他を犠牲にした欲の実現に走る人もいたはずです。
これは、被統治者にも同じように言えることです。
問題にしたかったのは、善意か悪意かということではなく、いい思いをしたいと考えている統治者や支配者が、それを実現するためにどういう判断と行動をするかということです。
短い生で終わる個人の欲を実現するためであれば予測不能の振る舞いが出てきますが、子孫や同類の欲も実現できるようにしたいと考えれば、統治者の振る舞いに経済社会的な規定が加わり、それなりに合理的なことが行われると思っています。
江戸期のような農業を基盤にした石高制であれば、農業を維持発展させることが統治者の利益を実現することになります。そして、農業が発展すれば余剰が生まれるので、商品作物・加工食品・工芸品も育成されていきます。
このような経済社会を支える条件は、経済を疲弊させる戦乱を抑え、農業従事者の没落を避けるという安定です。(倹約令が頻繁に出されたというのも、経済的余裕の反映であり、国民の経済的没落を避けるための措置だと考えています)
農業は自然的制約性が強い産業ですから、その問題を根本的に解消することはできませんが、農業従事者が棄農しなければならないような状況はできるだけ避けるという政策が採られます。
このように書くと江戸賛美義的に受け止められるかも知れませんが、産業構造が違っても同じことが言えると考えているので、あえて持ち出しています。
国民経済に占める工業や商業のウェイトが高くなっても、同じ考え方が適用できます。
さらに言えば、どんな経済社会でも、農業(食糧生産業)が基底の産業であるとは変わりません。ある経済社会が食糧を輸入に依存しているとしても論理的には同じことです。
(幸か不幸か、ここ数十年の日本は、そのような根本的な問題を顧みる必要がない経済状況にあったというだけです)
前に書いたように、そこそこの量の貨幣を手にできる人が増え、その貨幣で何でも手に入るという“貨幣の全能化”が、社会=人の生存基盤がどういうものであるかを見えにくくしていると思っています。
近代経済が生まれたのは、技術の進歩や思想=価値観の変化によるものではありません。
それらが、芽としては存在していたとしても、近代経済の原動力になったわけではなく、近代経済の発展のなかで育まれたものと言えます。
(西欧的価値観がアメリカ大陸での強奪を推し進める要因でもあったことは認めますが...)
具体的に言えば、産業革命発祥の地である英国は、北米大陸を後背地としインドを経済的に支配していたことで近代経済に移行することができたのです。
“囲い込み”や農民の都市流出は、そうなっても食糧が得られる条件がなければできないことです。英国の需要を上回る生産力を持つ機械制工業は、生産物を外で販売できる条件がなければ成り立ちません。
また、余剰労働力(失業者)の“脱出先”としての北米の役割も極めて大きなものがあります。
英国に北米(米国)がなかったときに、英国が18世紀から20世紀にかけて行った政策が採れたかどうか、英国にインドやその他の支配地域がなかったときに、英国が18世紀から20世紀にかけて行った政策が採れたかどうかを見直すことは、非常に大きな意義があると考えています。
わたしは、どちらか一方でも欠けていれば、英国の産業革命は、成功しなかったというより、成立さえしなかったと考えています。
現代の世界は、近代経済の歴史的収奪過程を経て、英国に北米やインドがなかったときに相当する条件が生まれているのに、あるという条件で成立し発展してきた経済システムを今なお継続しようとしています。
このような認識を持っているので、近代の一歩手前の歴史時代を捉え直すことに意味があると考えています。