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◆ストレスは職場にあり
完全失業率の上昇とともに、中高年、特に男性の自殺者が増えている。出口の見えない長期不況を背景に、厳しいノルマ主義やリストラなどで雇用環境が悪化しているのが、最大の要因だ。構造改革による“痛み”がもたらす傷は深く、雇用政策とともに、自殺予防対策の確立が急務だ。(阿部 文彦)
「病気で苦しい時には、店の駐車場に止めた車の中で、ネクタイで首を絞めて死のうかとも思った」。千葉市のHさん(51)はこう振り返る。
家具販売店の店次長として、厳しいノルマと戦っていた4年前、職場で急に寒気を感じて倒れ、救急車で運ばれた。心電図、CTスキャン、血液検査などをしても異常はなく、知人の薦めで訪れた精神神経科の専門病院で「神経症」と診断された。
長時間の労働、家庭内の不和など思い当たることはたくさんあった。「不器用なくせに、責任感は強い方だと思う。当時の上司とうまくいかなかったのも一因かな」
昨秋、20年間勤めた会社を退社した。まだ症状が落ち着かず、抗うつ剤が欠かせない。不安発作が起きると、外出もできなくなるため、3日分の食料を常時蓄えている。「病気を治したい。欲しいのは、話し相手と仕事」と言う。
「職場で、慢性化した極度の緊張状態に耐えられずに、神経症になったり、うつ状態になる中高年が目立っている」と、Hさんを診療する日下医院の日下忠文院長は指摘する。同医院の精神科には毎月400人が受診するが、Hさんのように、「自殺を考えている」と訴える患者も少なくないという。
2万人台の前半にとどまっていたわが国の自殺者数が、3万人を超えるようになったのは、1998年以降。今年上半期の自殺者数も1万5000人を超えた。特に男性の自殺者数は人口10万人当たり35・2人(2000年)と90―97年(平均22・5人)の1・5倍以上に増えている。
自殺の要因は、うつ病などの精神病のほか、失業、受験の失敗、失恋などの挫折、過重労働によるストレスなど様々だ。だが、最近の自殺者の急増について、国立精神・神経センター精神保健研究所の清水新二・成人精神保健部長は、「社会経済的な要因が非常に強い」と指摘する。
とりわけ、完全失業率の上昇は、自殺率と関連性が高い。円高不況が吹き荒れた80年代前半、完全失業率は2・8%に上がり、自殺者数も急増した。その後、バブル景気で一息ついたものの、完全失業率が4%台に乗った98年には、自殺率も再び跳ね上がった(グラフ参照)。
過去20年間の、自殺率と失業率などとの相関関係をもとに、清水部長は「5・3%程度の失業率が続いた場合、自殺者数は過去最悪を1000人以上上回る3万3000人に達する恐れもある」と警告する。
「80年代以降、職場のストレスは徐々に強くなってきたが、ここ2年で、その傾向に拍車がかかっているようだ」。東京経済大経営学部の島悟教授(産業精神保健)はこう指摘する。
旧労働省の調査によると、職業生活でストレスを感じる人の割合は、82年には50・6%だったが、97年には62・8%に増えた。さらに、急速に強まるリストラ圧力や中間管理職をなくす組織改革、産業構造の急激な変化などが、サラリーマンのメンタルヘルスをむしばむ要因となっている。
「新しい人事制度として注目される成果主義は、常に前年比アップのノルマを求められるため、大きなストレスとなる。ノルマを数値化しにくい総務などの間接部門も資格の取得などを強いられ、心理的な圧迫感が強くなっている」と島教授は警鐘を鳴らす。
◆団塊の世代擦り切れる
自殺者を世代別に分析すると、さらに深刻な状況が浮かび上がってくる。戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代の自殺率が急上昇しているのだ。
1947年から49年に生まれた団塊の世代は、戦中世代に比べて、打たれ強いと言われてきた。戦後の自殺統計には、青年の自殺が目立った50年代、円高不況で町工場の経営者の自殺が急増した80年代の2つのピークがあるが、いずれも多数を占めたのは1925―40年の間に生まれた戦中世代。それが、1998年の年代別自殺率をみると、団塊の世代の自殺率は10万人当たり42人で、戦中世代を初めて上回った(グラフ参照)。特に、男性は60人台と、異常な高率になっている。
国立精神・神経センター精神保健研究所の吉川武彦名誉所長は、「団塊の世代も、組織で生き残るための戦いが“リーグ戦”から“トーナメント戦”に変わる年齢になり、戸惑いが広がっている」と分析する。20、30歳代はリーグ戦と同じで、1度負けても次のチャンスがあるが、40歳代後半からは負けたら後がないトーナメント戦になり、精神的に追い込まれやすくなる――というわけだ。
「しかも団塊の世代は、そのトーナメント戦を過去に例のない厳しい経済状況下で闘っており、心をすり減らしている」。吉川所長は、人生のステージに応じたメンタルヘルスケアの必要性を訴える。
自殺者の急激な増加に、政府もようやく重い腰を上げた。健康増進を目標にした「健康日本21」では、2010年度の自殺者を2万2000人以下とする目標値を盛り込んだ。今後、職場での自殺防止マニュアル作りや、「いのちの電話」の拡充を図るほか、有識者の懇談会も設置する。
うつ病対策の充実などを求める声は強いが、心の健康対策に取り組む事業所は3割以下で、20年前に比べてむしろ減少している。「会社に知られたくない」といった警戒心も強く、職域のメンタルヘルスケアには限界があるのも事実だ。
「診断結果は一切、企業に知らせません」。大阪府立こころの健康総合センターが94年から実施している「ストレスドック」にはこれまで、3000人以上が受診した。「第三者的な機関の方が、受診のハードルが低くなる」と、同センターの野田哲朗・ストレス対策課長(精神科医)は話す。当初は、個人での受診がほとんどだったが、今は9割近くを企業や自治体の紹介が占める。
ストレスドックでは、心理テスト、脳波検査、精神科医による面談などを行い、ストレスの度合いや、対処方法を指導。治療が必要と判明した場合は、受診者が通いやすい精神科を紹介する。頭痛、肩こりなどの身体症状を感じていても、うつ病との自覚のない人もいる。「内科医など一般の診療所とも連携し、うつ病の患者を早期に見つけ出せば、自殺予防につながる」と野田課長は指摘する。
ただ、自殺者の増減は、経済的な環境や予防対策だけでは説明できない部分もある。世界有数の自殺国といわれたハンガリーでは東西冷戦の終結後、経済の混乱にもかかわらず自殺率が下がった。これについては、「共産主義体制の崩壊で、人々が将来に希望を抱いたからではないか」との分析もある。自殺防止の最良の処方せんは、日本の明るい将来像を描いてみせることなのかもしれない。
2001年11月27日 東京読売朝刊
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/ansin/an1b2701.htm