(回答先: Re: カネ余りの不思議 〔普通の人の経済学より〕 投稿者 PBS 日時 2002 年 4 月 22 日 22:55:07)
---------で区切られた2段目の内容と呼ぶが、そこには、人々の消費行動や企業の資金需要状況が述べられており、お金を持っている経済主体に関するものとしては正しい考察である。
そして、政府のみが借金をして支出を行っているという指摘も正しい。
しかし、重要な考察対象が抜けている。
それは、増大する失業者であり、一時的な借り入れをすれば維持できるかもしれない中小企業の存在である。
失業者は、それまでよりも少ない失業保険給付や預金を取り崩してしのぐことになる。
それらがなくなれば、できるのなら借金するだろうし、ダメなら生活保護を受けるか“別の道”を選ぶことになる。
中小企業も、半年や1年だけの運転資金があれば立ち直ることができるかもしれないのに、借り入れができないために倒産したりする。これは、失業者を増やすことであると同時に、そこに商品を売っていた別の企業の経営を悪化させることである。
こういう経済主体は、“カネ余り”どころか“カネ不足”なのである。
“カネ不足”の経済主体はいつの時代にもいるが、“カネ不足”の経済主体がじりじりと増え続けていることが問題なのである。
“カネ不足”の経済主体が増えることで、さらに“カネ不足”の経済主体を増やすのである。
“カネが余っている人”と“カネが不足している人”のバランスで、“カネが不足している人”の増加に傾いていること、そして、“カネが余っている人”がカネの使い道を見いだせなくなっていることが最大の問題なのである。
>幸いにも日本には、政府の資金不足を賄っておつりがくるだけの資金余剰が個人や民
>間企業には存在している。一国を全体として見たときには、やっぱり日本には”お金
>が余っている”のだ。
>結果として日本には政府の債務を支えるのに十分な資金が残ることになった。だから
>こそ、これだけの政府債務でも、外国資金の日本からの逃避も極端な金利の上昇もな
>く、平穏無事に済んでいるのだ。
ここでも重要な視点が抜けている。
日本国債は、ほとんどが銀行や生命保険など大量に人のカネを預かっている経済主体によって引き受けられている。
お金の“本当の持ち主”は、自分のカネが国債に投入されているとは考えてはおらず、必要なときには払い戻しできると考えている。
国債に投入されているお金に対する払い戻し要求が増大すれば、国債を売らなければそれに応えられないという事態も起きるのである。
このような話は、銀行の貸し出しについても言えることである。
考えただけでぞっとすることだが、個人金融資産1,300兆円と言っても、国債がデフォルトになったり「不良債権」が増大すれば、個人金融資産もその分消え失せることになる。(ただじっと保管されている現金はほとんどないのである)
オリジナルの人も、「もしも仮に、今後日本経済の回復基調が確かなものになって、民間企業の投資が活発化したり、個人の消費行動が強まったり、あるいは、海外の方に有望な投資機会が見つかって資金が海外に流出したりすれば、その時には政府と資金を奪い合わなければならなくなるかもしれない」と指摘しているように、現状の経済状況で国債が消化できているからと言って、今後もそれが続くとは限らない。
毎年の財政赤字分よりも、利払いや借り換え分の国債発行のほうが多いという現実では、国債のデフォルトもあり得ないことではない。
政府が国債を順調に消化するために「デフレ不況」を長引かせているとは思わないが、財政担当者は、好況への転換も恐いとは思っているだろう。