“衰亡の風”に立ち向かうために 防衛政務次官辞任から249日 かく戦えり!

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投稿者 西村眞誤 日時 2000 年 8 月 25 日 14:11:35:

 【論文】

 “衰亡の風”に立ち向かうために

 防衛政務次官辞任から249日
 かく戦えり!


 衆議院議員 西村眞悟 

“ただの人”のときに何を志し、何をしたか

 議員にとって、選挙とは当落が決まる場である。私は、小選挙区
で落ち、比例区で当選した。議席は維持できたが、地上の戦いに敗
れた。現在に至るまで、この選挙から実に多くを学びつつある。こ
の学習の途上で、本誌においてこの選挙を述べる機会を与えられ
た。そこで、どこの選挙区でもある錯綜した特殊事情下の“人間
劇”を述べるよりも、この選挙の我が国の政治史における位置づけ
を試みたい。

 猿は木から落ちても猿であるが、政治家はただの人、という物言
いがある。しかし、政治とはただの人が担うものである。むしろ、
ただの人の時に何を志し、何をしたのかが重要なのだと思う。

 イギリスのチャーチルは、たびたび落選した。その落選中、イギ
リス史を研究して政治家としての背骨を作り、晩年の落選では『第
二次世界大戦回顧録』の執筆を始めた。フランスのドゴールも、た
だの人の時に『大戦回顧録』第一巻を世に出している。さらに、ア
メリカのデビー・クロケットは、落選してサンアントニオのアラモ
の砦に行ってそこで戦い死んだ。そして英雄になった。またニクソ
ンは、知事選にも落ちて誰もが政治生命を失ったと思ったときから
大統領選に照準を定める。そして、他の競争相手が「大統領になる
ため」に猛烈に活動しているときに、六ヶ月間それに目もくれず
「大統領として何をするか」を研究した。彼はこの六ヶ月の研究を
自分の人生のなかでの最大の政治的決断と評価している。

 ただの人の時に何もできないような政治家が、また何の志も持た
ないような政治家が議員になって突然何かができるようになるとは
思えない。したがって、あの物言いは、議員心理を言い当ててはい
るが、選ぶ方の国民とは無縁である。国民は何もしない議員に猿を
続けさせるために、議員心理につき合わされる必要はない。選挙と
は文字通り選ぶのであるから、国民は理念的にはその候補者が何を
志し、何をなさんとしているかを見定めたうえで、それに納得すれ
ば選べばよい。当然、候補者の責務は、国民が選ぶ対象を明示する
ことに尽きる。

 さて、次は本年四月の私の選挙区におけるある会合での会話であ
る。この会合では、私が発言する前に、参加者のなかで奨学金を得
てアメリカに留学した女性の留学報告が行われ、彼女は最後を次の
ように締めくくった。

「実は、以前から結婚している男性がいるが、別居していて籍は入
れていない。夫婦別姓の法律ができるのを待っていて、それまでは
入籍しないつもりだ」

 私は、次のように言った。

「私が議員でいる限りは、夫婦別姓法案は通らない。したがって、
不自然な生活をせずに、はやく正式に結婚することをおすすめす
る。結婚しても通称名で通すこともできる。ただし、近く選挙があ
るから、あなたはこの私を選ぶかどうか判断できる」

 その後、彼女や参加者から、韓国など儒教の伝統の強い国では何
故夫婦別姓なのか、などの質疑応答があった。私は、儒教の血縁主
義というものを説明し、父系の血縁に属さない妻に血縁を示す姓を
許さないから別姓なのだと説明すると共に、夫婦が最小の共同体と
して同じファミリーネームを持つということがどれほど大切なこと
だったかを述べた。ヨーロッパと日本が近代化に成功していったソ
フトも此処にあるとも言った。参加者は、夫婦別姓が「個人の尊
厳」から見て「進んでいる」とか「今風である」と言うような風潮
は、浅薄であるということは分かってくれたように思えた。

 また、五月の対話集会では、憲法改正が話題になった。ある人は
天皇制を持ち出した。そして、天皇制の是非を質問してきた。する
と他の参加者が、天皇のいない日本はもはや日本ではない、日本は
天皇がおられるから日本なのだと言った。私はこの意見に賛同し、
その理由を述べた。

 以上の二例が、私の選挙活動の特色を示すものである。私は、当
然ながら選挙活動も日本の政治的針路を示す「政治活動」であると
認識し、「就職活動」とは認識していなかった。私は、選挙のスロ
ーガンも具体的な政治課題、政治的決断を要する課題を選ぶことを
心がけた。そして何より、選挙の前に三冊目の自著である『海洋ア
ジアの日出づる国』(展転社)を出版した。この本は、昨年十月の
防衛政務次官就任前後を通じて校正に励み、本年初頭の出版にこぎ
つけたものである。私は、この本により自分の思想的バックボーン
及び政治家として何をなさんとするかを世に明示したのであり、こ
の思想基盤から自分の対話集会等の選挙活動を始めたのである。

 これが私という議員が候補者となるために準備した一つの大きな
選択の対象である。

 しかし、言うまでもなく、国政選挙とはマスコミの風潮を含む政
治状況という大きな流れが、戦後政治の惰性と欠落という空洞に交
差錯綜したなかで行われるものである。ビルの谷間には局所に方向
まちまちのビル風が吹くように、あるものは追い風を受 け、あるも
のは向かい風を受ける。結果は、その錯綜したベクトルの相互作用
のなかででる。したがって、私の姿勢とは別に、この度の選挙が戦
後政治のなかでどう位置づけられるべきかを述べておかねばならな
い。

 

具体的提言なき選挙が露呈した政治の不在

 この度の選挙は、我が国周辺はおろか、およそ国際情勢から目を
閉ざした選挙であった。そして、国の将来に対して具体的提言なき
選挙であった。連立与党はこのまま連立を続けさせてくれと言うだ
け、最大野党は「神の国」と言う森喜朗首相はけしからんという点
だけが攻撃的で、選挙終盤の有権者は寝ていてくれとのさらなる森
発言で助けられた。したがって、選挙が終わった今、この選挙で何
が選択されたのか答えられる者はいない。

 連立与党が国民の信任を受けたのか否か、最大野党の何が期待さ
れたのか、何も分からない。ただ選挙が終わっただけである。では
何の為の選挙だったのか。この域を越える選挙は戦後なかったと回
想するならば、「古き良き温室の時代」の最後の選挙と歴史家は位
置づけるかもしれない。

 さらに古代ギリシャとローマの興亡史を見て、ローマの興隆とギ
リシャの衰亡を両者の運営システムの相違にありとする観点からす
るならば、我が国の政治が衰亡のギリシャの轍に一歩足を踏み入れ
た選挙と理解することも可能であろう。

 まず、選挙に臨む政治の次元と知能程度から述べる。

 六月二日の衆議院解散直前に、与党から「戦争決別宣言」なるも
のが衆議院に上程されてきた。これは何かといえば、二十世紀は戦
争の惨禍を舐め尽くした世紀であった、よって戦争から決別する宣
言をしようというものである。これは先に野中広務自民党幹事長が
本会議の「代表質問」で、与党を代表したのかそれとも“私語”し
たのか分からないが、提案したことであった。その時も唖然とした
が、本当に与党から提案されてきたのである。

 病気の惨禍は人間を苦しめるから、「病気決別宣言」をすれば病
気は治り病院は要らなくなるのか。厚生行政も要らなくなるのか。
子供でもまじめに考えもしない。与党の幹事長は国民を子供以下と
思い、「平和攻勢」で自らの本質を覆い隠し、日本のマスコミをは
じめインテリ層の思考を麻痺させたかつてのコミンテルンの手法を
真似たのか。それとも与党がほんとうに子供以下なのか。

 ともあれこの与党が、核ミサイルの照準をお互いに照射しあって
いる先進主要国が集まる沖縄サミットにそのまま臨むのである。足
の裏を見せて金を払えば病気が治ると信じている者が、本物の医者
と病気治療に関して議論する以上の隔絶ではないか。

 また、五月中、私は衆議院法務委員会で少年法改正法案審議に携
わっていた。この改正案を成立させなければならないと思っていた
からだ。ところが、連立与党と自由党以外の野党は、廃案を暗黙の
前提にして審議していたのである。しかし、連休直後にこの法案を
議会に上程してきた森首相は、私の本会議での自由党代表質問に対
し、「一刻も早く成立をお願いする」と答弁しているのである。

 なぜ、このように表向きの答弁と本音が違うのか。それは、この
少年法改正案を衆議院で採決すれば、与党の連立も賛成と反対に分
裂し、民主党も賛成と反対に分裂するからである。共産・社民は
元々反対である。したがって、選挙をひかえて与野党共に分裂する
ような面倒なことは回避するとの合意が成り立ったのである。しか
し、連休中に発生した十七歳少年の刃物による凶悪犯罪を目の当た
りにして、なおも少年法改正案を審議しないでいれば国民の批判が
怖い。これは、廃案を与野党暗黙に合意した上で審議のまねごとを
しているところを見せておくに限る。

 結局、法務委員会は共産党から自民党まで賛成した「委員会決
議」なる法律でも何でもない文章を発表して終わった。自由党つま
り私はこの決議は立法という議員の職務を回避する偽善だと反対し
た。すると全会一致にしたいので、採決のときは便所に行っていて
くれないかと与党の理事から頼まれた。もちろん馬鹿らしくて便所
には行かなかった。

 以上が、解散直前の我が国衆議院つまり政治の姿である。私のよ
うな議員は、異端であった。しかし、どちらが異常なのか、どちら
が職務怠慢なのか、選挙の争点にはならないのだ。

 

国際政治の潮流に如何に対処するのか

 次に、我が国は貝のように周囲がどうであっても殻に閉じこもっ
ていれば安泰という国家ではない。国政は国際政治の潮流に如何に
対処するかが問われるのである。そうでなければ国家は存続できな
い。しかしながら、何故この度の選挙で与党も野党も、国際政治へ
の認識とそれに対処する方策を明示しなかったのか。朝鮮半島で
は、南北首脳会談が開かれ、また我が国の耳目が選挙に集中してい
るとき、中国海軍艦艇は津軽海峡を通過し、房総沖まで情報収集の
ために遊戈していたのである。

 言うまでもなく、国政は国家と国民の安泰を確保することを最大
の任務とする。南北首脳会談では既に在韓米軍撤退問題が語られて
いる。では我が国は、在韓米軍なき朝鮮半島の間近に位置して如何
に対 処するのか。朝鮮半島がミサイルを保有しながら統一している
とき、またミサイルを保有しながら混乱しているとき、我が国にと
ってこの両様のシミュレーションは不可欠である。特に在韓米軍撤
退を仕掛けているのが、東アジアの覇権を握ろうとする中国政府の
思惑であるとみるならば、南北首脳会談をセットしたのは、実は北
京であるとの見解は説得力を持つ。そうであるならば、中国海軍の
津軽海峡遊戈は背後に遠大な戦略的意図を有しているのではない
か。これはまるで朝鮮半島の覇権を確保するため、世界最大級の軍
艦定遠・鎮遠を長崎や東京湾に派遣して、我が国を強く牽制恫喝し
てきた百年前の日清戦争前の状況の再現ではないか。

 この東アジアの潮流に際し、日米安保体制の実効性を如何に確保
するのか。今までのように、アメリカは日本人を守るが、日本はア
メリカ人を助けないというような前提でいいのか否か。この状況認
識を示し、日米は対等な同盟国としてお互いに協力してアジアの安
定を確保すべきだというような演説をしている候補者が、三百の小
選挙区のどこにいたのか。私の大阪十七区を除いて。

 少なくとも、国政選挙に臨む政治は、外務大臣の朝鮮半島の南北
首脳会談は「歴史的で万々歳」というような発信だけではなく、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して(憲法前文)」、憲
法九条に従うだけで国家と国民の安全を確保できるのか否か、国民
に明示する責務があった。しかし、ここにも少年法改正法廃案と同
じ構造が議員の既得権として存在する。憲法九条を堅持する公明党
と曖昧な自民党の連立与党はもちろん、この点に関しても正反対の
意見を混在せしめる民主党に、この責務を果たせるはずもなかった
のだ。我が国の政治は、構造的に、国民に対して政治の責務を果た
し得ない、つまり国民に重要な選択肢を提起することができない。
結局、選挙をしても「選挙」になりえない次元に我が国政治は停滞
し続けているのである。そして、この現状の破壊と創造者として自
由党が存在しているが故に、苦難の道を歩いているのである。

 さらに、連立与党は、「戦争決別宣言」をして、二十世紀の惨害
は戦争によってもたらされたという。では、その戦争は如何にして
起こったのか。かつてのいずれの時代の人々も家族を愛し、今より
ももっと信心深い素朴な人々だったはずだ。なぜ、第二次世界大戦
(これが真の意味での世界大戦)が起こったのか。さらに二十世紀
の惨害とは戦争だけか。

 私は、失業こそ二十世紀の惨害の伏線と見ている。失業の悲惨か
ら一方では共産主義革命が起こり、他方ではブロック経済化による
資源獲得のための確執が武力行使に発展したのが第二次世界大戦で
はなかったか。そして、共産主義者による革命によって人知れず粛
清され、又は不自然死をとげた人々の数は、二度の世界大戦の犠牲
者の総数を超えている。この二つの惨害をもたらした失業という
人々から生き甲斐を奪う罪悪。この失業が、我が国では五パーセン
トに達していることに、なぜ我が国の政治は痛恨の思いを持たない
のか理解できない。特に、民主党が労働組合に支援されているのに
問題意識が希薄なのは何故なのか。民主党がただ単に組合の支援を
もらって議員になりたいだけの集団であることを示すことなのか。
民社党出身者として同志を思い憂慮にたえない。

 また、我が国の政治もマスコミも、二十世紀といえば世界大戦の
悲惨をその特徴として、我が国もその戦争の惨禍を生み出した一方
の主体であったことを指摘するばかりであるが、未だ二十世紀の共
産主義革命がもたらした戦争に勝る惨害を封印したままだ。これは
我が国が未だ自虐的な史観を強要するコミンテルン戦略とそのプロ
パガンダに屈したままであることを示している。

 以上が、二十世紀最後の我が国の国政選挙を生み出した政治の姿
である。新しい状況に対処する方策を国民に明示できるどころか、
自らその課題を見つめることができない政治なのである。国民は選
択肢の明示なき選挙に付き合わされたことになる。しかし、今こそ
憲法はこれでいいのか、教育はこれでいいのか、我が国のあり方を
如何に確立するか、国民に具体的に選択を問うべきときである。

 

ギリシャの衰退、ローマの興隆から学ぶべきもの

 次に、全体としての政治状況に含まれてはいるが、それを再生産
しているマスコミというものについて触れなければこの政治状況の
正体を把握したことにはならない。このマスコミは、実は発信者が
誰か分からない。ニュースではアナウンサーがしゃべるが、彼また
は彼女は原稿を読んでいるだけだ。ワイドショーでは主にタレント
や「知識人」がテレビ画面からお得意の感情移入を茶の間にしてく
るが、彼らもシナリオのもとにあるタレントなのであり、そのシナ
リオの実態もわからない。そして、その容易に分からない実態は明
確な意志に基づいて形成されていると言うより、個性なき細胞分裂
によって同質の遺伝子が分散してあらゆる分野で同方向の反応・反
射しかしない。そして、この細胞に包まれる政治は、この反応・反
射を予知して行動するのが「世渡り」となる。これが我が国に形成
された政治の牢固としたシステムである。

 では、 このシステムの全体としての作用はいかなるものであろう
か。

 先に触れたローマとギリシャの興亡史を以て、このシステムの行
き着く先を示したい。私は、塩野七生氏の『ローマ人の物語』とユ
リウス・カエサルの『ガリア戦記』を読んで強烈な示唆を受け、政
界に身を置いてきた。

 同時代のギリシャ人にとって、哲学的思考ではギリシャ人に格段
に劣り、商業の才ではカルタゴ人の敵にもなれず、土木工事ではエ
トルリア人にかなわないローマ人が何故それら総ての能力を取り込
んで興隆するのか。これが課題であった。鍵はシステムにあった。
ギリシャ人は自らのシステムを変えることができず衰退していっ
た。

 このギリシャ人が分かっていても変えることができなかった衰退
のシステムとは何か。それは「陶片追放」に象徴される追放のシス
テムである。ギリシャ人の政権の交代は追放によって行われたので
ある。そのために追放の票をいれる陶片の売買まで行われた。つま
り“ちくり”“密告”を金で買うのである。他方ローマはどうか。
ローマに「陶片追放」の制度はない。ローマ人は、卑怯者・臆病者
を排除した。しかし、失敗した者を排除しなかった。むしろ、失敗
した者はその失敗から最も多くの教訓を得た者として、再び用いる
ことを常とした。この人材確保のシステムによって、ローマ建国以
来最大の国難である第二次ポエニ戦役においてカルタゴの名将ハン
ニバルに勝利したのである。ギリシャでは、何かすることが追放の
原因となる。ローマでは、何もしないことが卑怯者・臆病者という
社会的抹殺の原因となる。

 そこで、我が日本の現在のシステムは、このローマとギリシャ
と、どちらに近いのか。明らかにギリシャである。日本にローマ的
システムが機能したのは、国家レベルでは日露戦争までだ。もちろ
ん民間レベルでは未だ優れた創業者のもとでそのシステムは活きて
いる。だから日本はこの政治の惨状のなかでも保っているのだ。

 現在の我が国の政治システムでは、まず頭と心を空っぽにするこ
とを心がけ、細胞分裂している同一の遺伝子は何かと突き止め、そ
れを体内に入れて、それの命ずるままに行動するのが肉体の生息期
間を長くする道である。マスコミ界も政界も官界もそうである。そ
こから出れば「陶片追放」される。政界であれ官界であれ、そこか
ら出身した識者が引退してからペラペラよくしゃべることがある。
しかし、現役のときに何故その考え通り働かなかったのかと、国民
は現役がいるシステムの不思議に目を向けなければならないのであ
る。何故なら、このシステムこそ、ギリシャのように我が国を衰亡
させるからである。

 ここで、私の実体験に入る。人は体験によって学ぶ。私も体験に
よってローマとギリシャのシステムにまで思いを馳せることができ
た。そして、「政」であれ「官」であれ、改革とは何を変えること
なのかを納得できた。

 

マスコミが加担する「陶片追放」

 昨年十月末、私は防衛政務次官を例の「問題発言」で辞任した。
このマスコミがいう問題発言は「核武装発言」と「強姦発言」とい
うようにレッテルを貼られ、投票日に至るまでマスコミはそのレッ
テルだけを使う。生理的な抗体反応が起こっているのである。これ
は教祖にポアせよと命じられたオウム真理教信者が「ポア」とは
「殺人」のことだと捜査官にいわれ、生理的にびっくりするような
反応と同じだと私は思う。何故なら、私はマスコミ自身が使う「核
のカサ」やユーゴスラビアの「民族浄化」とは何かを、実態を示し
て指摘しただけだからだ。最近のマスコミは、実態を隠しあたかも
それが倫理から離れた流行であるかのような言葉を作るのがうま
い。例えば「援助交際」、「ストーカー」である。

 しかし、一度このシステムのなかで抗体反応を起こした問題は、
この私のような反論で片づくはずはない。抗体反応は、私の責任で
はなくシステムが起こす現象である。私の手を放れた社会共有のレ
ッテルとなる。この度の選挙は、この現象に立ち向かう戦いでもあ
った。しかし、選挙区では、この現象の効果がどこに現れているの
か、どのような結果をもたらすのか不明にして私には分からなかっ
た。選挙を回顧できる今は、陶片追放的な厚いベールがあったこと
は実感できる。

 マスコミの記者が私の何に興味を持っていたかが分かれば、マス
コミによって大いに形成される世論の動向とその追い風で私を攻撃
して利を得ようとする対立政党の選挙術を把握する手がかりともな
る。次は、選挙前にA新聞社記者から執拗に受けた取材の再現であ
る。

 記者「森総理の神の国発言は、どう思うか」

 西村「言わんとする真意はわかる。したがって表現は神々の国と
すべきであった」

 記者「国民主権や民主主義に反しないか」

 西村「反しない。その証拠にもうすぐ選挙ではないか」

 記者「国体とは何か」

 西村「国のかたち、国柄である」

 記者「戦前に使われた言葉を今使うのに違和感を感じないか。戦
後世代として不思議だ」

 西村「戦前使っていた言葉が使えないなら、会話もできない。万
葉 集や古今集を読んだことがないのか。今も使っている言葉がある
ではないか。君の新聞も戦前の旗を未だに使い明治維新という言葉
を使い平成維新という言葉も使っているではないか」

 記者「強姦発言はいまだ維持するのか、撤回や謝罪をしないの
か」

 西村「強姦発言とは何だ。私はそういう発言をしたことはない。
国防が破綻した国では、バルカン半島のユーゴのようにそのような
犯罪が繰り返されて国民の悲惨さは目を覆うばかりだ。したがっ
て、我が国は国防体制を整え国民をそのような惨害から守る責務が
あると発言したのだ。未だにその内容を一切知らせずにレッテルだ
けを一人歩きさせるのは心外だ」

 記者「発言を取り消す気がないのは分かった。次に、日本は核武
装すべきか」

 西村「君は、日本に核がないという前提で聞いているのか、在る
という前提で聞いているのか。政府の非核三原則は真実を言ってい
るのかまやかしを言って国民を誤魔化しているのか。マスコミの人
間は政府の言う非核三原則が真実か否か報道する責務がある。君は
どう思っているんだ」

 記者「……」

 西村「現実的な前提無しに答えられる問題ではない。しかし、日
本は核に対しては全く白紙でゼロだと私は思っていない。日本には
核があり日本は核で守られている。アメリカ第七艦隊の空母や潜水
艦が、太平洋のどこかで核を下ろして日本に寄港しているとは私は
思っていない。その前提で、つまり日本に核があるという前提で、
日本独自でさらに核を保有する必要があるかどうかを聞きたいのな
ら、今直ちに核を保有する必要はないと答えておく。したがって、
日米安保体制は国防上大切なんだ」

 このような問答が記者との間で交わされているとき、またその以
前から、選挙区内の特にニュータウン地区では、「西村・強姦議員
追放」のビラが各戸に配られ、共産党のビラは私のことを「核武装
議員」と断定していた。同時に、韓国を真似た「落選議員リスト」
には常に私が「反人権的」という理由で登場していた。

 

現憲法がもたらす政治の空洞化

 この度の国政選挙の位置づけに加えて私の選挙区の特殊事情にも
触れた。私の力不足と準備不足の言い訳に使うためではない。実に
私こそ、実態から眼を逸らし言葉尻を捕らえて追放の道具とするマ
スコミと戦後政治の織りなす国を衰亡に導くシステムの矢面に立っ
ていた候補者であったからだ。その中にあって、私が何を訴えてき
たのかを記しておきたい。

 私は、政治とは具体的な課題を解決するものと思っている。「戦
争決別宣言」や共産党から自民党まで賛成する「少年犯罪に関する
決議」などは政治とは思っていない。領土を守る。国民を守る。こ
れは誰でも言う。それこそ共産党から自民党まで言っている。しか
し、如何にして守るのか、については戦後政治は言わないのだ。

 例えば、「国民の命と暮らしを守る」のスローガン。どこかで聞
いたことがある。では、そのスローガンを掲げた政党が、具体的に
北朝鮮に拉致された横田めぐみさんや数十名の日本人を如何にして
守るのか、具体的に述べたことがあるだろうか。尖閣諸島を如何に
して守るのか、具体的に述べたか。昨年三月、日本海に現れた不審
船をどうするのか。五年前の阪神大震災における政府の無作為を如
何にして繰り返さないようにするのか。

 言うまでもなく、これらはすべて国防という国家の体制に関わる
課題である。しかも福祉に関わる課題でもある。何故なら国民の命
と財産の確保なくして福祉は成り立たないからである。このように
戦後政治が語らない課題こそ、一旦ことが起これば深刻な惨害を国
民に蒙らせる領域なのである。しかも、この政治の空洞は現憲法に
よってもたらされている。よって、私の今までの政治活動の射程は
一貫してこの領域の改善に向けられていた。したがって、常に具体
的に課題を提起して活動してきた私が、選挙になったからといって
突然、「命と暮らしを守る」とかの抽象的なきれい事だけで済ませ
られるはずがないし、済ますのは不自然だ。

 そこで、私のスローガンの柱の一つは、「国防なくして福祉な
し」であった。

 このスローガンに対し、分かりにくいという批判もあった。なる
ほど、スローガンだけでは分かりにくい。しかし具体的に、国民が
拉致されているのを放置している国の政治が、福祉を語る資格があ
るのかと問題提起すれば、真意は理解されると思う。拉致された横
田めぐみさん、また有本恵子さんにとっての最大の福祉は、拉致を
防ぎ、救出を国家の責務として取り組む政治体制である。神戸の倒
壊した柱に挟まった人々にとっての最大の福祉は、その命を助ける
ことに尽きる。その救出の意思と能力のない政治を放置すること
は、仮にあなたの家族が拉致されても国は救わず、地震の時もあな
たは放置されるのだ。抽象的ではなく具体的でかつ公と私が一体と
なった国政の課題だと思う。

 

「祖国に対する愛」を教える意味

 さらに、教育問題も私の主張の柱であった。私は、国防を支える
精神は教育が教えねばならない人間愛という徳目の中心であると思
う。それ故、二千四 十四年前のローマの政治家であったキケロが語
った人間愛の構造と我が国の教育勅語の構造は見事に一致している
のである。キケロは言った。

「あらゆる人間愛のうちで最も重要で最も大きな喜びを与えてくれ
るのは祖国に対する愛である。父母への愛の大切さは言うをまたな
いくらい当然であり息子や娘達、親族兄弟そして友人達への愛も人
間にとって大切な愛であることは誰でも知っている。だがこれら総
ての愛ですらも、祖国に対する愛に含み込まれる。祖国が必要とす
るならば、祖国に一命を捧げることに迷う市民はいないであろう」

 私は、戦後の教育は「祖国に対する愛」を教えなかったが故に、
それに包み込まれる多くの人間愛も、結局、教えたことにならなか
ったのだと思っている。祖国を教えると言うことはその歴史と伝統
を教えることであり、そこから離れて個性ある文化が生まれるはず
がない。しかし、現行の教育基本法は、祖国と切り離された文化の
創造を目的とするのみである。

 ともあれ、私が選挙区各所で訴えたことを再現し、いつの間にか
選挙の細部に立ち入るのは本意ではない。ただ、選挙区内外の多く
の実に多くの同志といえる人々に支えられ有権者の評価を得たこの
選挙戦において、私の不明により満足な結果をもたらし得なかった
ことを深く恥じている。しかし、次は花を咲かせる。念ずれば花は
開くのだ。

 最後に、私が選挙中いつも繰り返していた次の言葉を記すことを
許されたい。

「常に喜べ、たえず祈れ、どんなことにも感謝せよ」

西村眞悟氏 昭和二十三年(一九四八年)大阪府生まれ。京都大学法
学部卒業後、弁護士を経て平成五年の衆議院選挙に民社党公認で初当
選。平成六年の民社党解党にともない新進党に入党。平成九年五月、
中国の尖閣諸島領有権主張に対し政府が弱腰を続けるなか、敢然とし
て同島に上陸・視察、国民に共感を呼び起こした。現在、自由党所
属。著書に『亡国か再生か』(展転社)、『誰か祖国を思わざる』
(クレスト社)など。




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