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回答先: 悪魔教=戦慄の儀式(『ムー』91年9月号) 投稿者 SP' 日時 2000 年 5 月 23 日 17:19:06:
文・写真=桐生 操
童話の主人公「青ひげ」には、モデルがいた。
倒錯した快楽を求め、数百人の美少年を、拷問したうえで惨殺した人物−−ジル・ド・レ男爵である。
だが、最近、新たな事実が明るみに出た。
“美少年惨殺は、悪魔への生け贄のためになされた”。
ならば、男爵は、美少年の命と引き換えに何を得ようとしたのか……。
少年の首を切り落とし、品評会を開く
フランスの童話作家シャルル・ペローが、1697年に出版した『昔の童話』に「青ひげ」という怖い話が収められている。娶った6人の花嫁を次々に惨殺する“青ひげ”公爵の話である。
実はこの「青ひげ」、根も葉もないお話ではない。モデルがいたのである。ジル・ド・レ男爵がその人だ。だが、男爵が殺したのは妻ではなく美少年たちであった。しかも、その数、数百人というからスゴイ。
話は15世紀のフランスに遡る。ナントとポワチエを結ぶ街道ぞいに、難攻不落を誇るティフォージュ城がそびえていた。大貴族、ジル・ド・レ男爵の居城である。
真夜中近くのいつもの時間、優雅な肢体をナイト・ガウンにつつんだジルが地下室に向かうべく階段を下りてきた。金髪、碧眼、端正な顔立ち。美男子である。しかし、その肌は荒れ、目の下にくまができている。生活が放恣に流れているのだ。
地下の部屋を照らすのは、獣の油をにじませた松明だけ。外を明るく照らす月の光が射し込む窓はない。
戸口を人影がふさぐ。2名の兵士が少年を引き立ててきたのである。少年は後ろ手に縛りあげられている。金髪、透き通るような薔薇色の肌。眼は怯えきって大きく見開かれている。
ジルの合図で、兵士が少年に猿ぐつわをかませ、壁に打ち込んだ鉄鉤に吊りさげる。
少年が、窒息しそうになって身をよじってもがき苦しむ。
ニヤッと笑ったジルは、少年を鉤から下ろし、膝の上に乗せ、優しく愛撫しはじめる。
「よしよし、泣くのはおやめ。なんて悪いやつらなんだ、あいつらは。もう心配はいらんぞ。私が助けてやる……」
少年の瞳から恐怖が去り、愛らしい笑顔がもどる。ジルは少年をかき抱き、頬ずりする。ジルの顔の筋肉が興奮でピリピリと細かく震える。優しく愛撫していたジルの手に力が加わり、少年の体を引っかきはじめた。ときに狂ったように噛みつく。
驚いた少年はジルの手から逃れようと手足をバタつかせる。ジルは少年を腕で締めつけ、動けないようにすると、隠し持っていたナイフをとりだし、恐怖の叫びを詰まらせ、膨らむだけ膨らんだ少年の細い首に一気に突き立てた。
すさまじい悲鳴があがる。同時に鮮血が天井まで吹き上がった。
ジルが無気味に笑う。
少年は苦痛にのたうちまわる。追いかけるようにジルのナイフが少年の胸や腹に突き立てられる。返り血で、ジルの顔やナイト・ガウンがみるみる真っ赤に染まる。
少年が力つきたところで、ジルは、少年の体の上にドッカと腰かけ、目をぎらつかせながら、断末魔の苦しみにゆがむ少年の顔を食い入るように見つめる。そうしながら、優しい手つきで、衣服を脱がせて裸にする。血に染まった少年の体を軽々と持ち上げ、部屋の隅のベッドの上に投げだす。
少年はピクリともしない。ジルはベッドに近づき、自らも裸になって少年の上におおいかぶさる。
腰を淫らに動かし、もてあそぶ。そして、快楽の叫び声をあげる。
快楽の迸りがすむと、今度は少年の腹の傷口に両手をかけて押し開き、片手を突っ込んで内臓をつかみだし、周囲にぶちまけた。ぶちまけ終わったところでオノを持ちだし、少年の首や手足をばらばらにしはじめる。少年の体がただの肉片になっていく。ゾッとする高笑いをあげ、ジルはオノを投げだした。
ジルの残酷ショーはそれで終わったわけではない。気が向くと、切り落とした少年たちの首の品評会を催したのだ。
「どれがいちばん美しいと思う。今日切り落とした首か? それとも昨日のか? 一昨日のか?」
列席者のひとりひとりに尋ね、一等になった首を両手で抱くと、優しく接吻するのだった。
ジャンヌの処刑にショックをうけるジル
ジル・ド・レは、1404年、ブルターニュからアンジューにかけて広大な領地を有する大貴族の家に生まれた。一流の家庭教師による教育のおかげか、文学や芸術に造詣が深く、絵もうまいし楽器も巧みに奏する。まさに、当代有数の教養人に成長した。
当時、フランスとイギリスは“百年戦争(1338〜1453年)”を戦っていた。戦況は激しくなるいっぽう。20歳で王太子シャルルに仕える軍人になったジルは、イギリス軍を向こうにまわし、戦場で思いきり残酷趣味を満足させていた。
ジルは、つねに先陣をきって敵陣に突入し、獲物を追いかける野獣のように、目星をつけた敵を追いつめ、槍で突き、剣で一刀のもとに切り捨てた。敵兵の絶叫が、ほとばしる血が、ジルをたとえようもなく酔わせた。
ジルの無鉄砲さを人は勇気と勘違いした。が、ジルは、ただ、自らの肉体の奥深くにふつふつと煮えたぎる妖しい血の欲求に従っただけなのである……。
ジルは幼いころ、スエトニウスの『十二皇帝列伝』を読んだ。ネロやカラカラなど、歴代のローマ皇帝が、あわれな生け贄を血みどろの拷問にかける恐ろしいシーンが、敵を切り刻むとき、奇妙な快感をともなってジルの頭にありありと甦るのだった。
“自分も彼らと同じように、生け贄を手あたりしだいに犯し、さいなみ、この手を彼らのドロドロした血や内臓に浸してみたい……”
15世紀になるとフランスは、イギリス側と手を結ぶブルゴーニュ公派と、王太子シャルル(のちのシャルル7世)を戴くアルマニャック派に分裂した。
それにつけ込んで、当時のイギリス国王ヘンリー5世がフランスに進攻、ノルマンディーを経てパリを占領した。
フランス王太子シャルルは、哀れにも廃嫡され、パリの南200キロのブールジュに封じ込められ、「ブールジュの王」と呼ばれることになった。本来フランス王であるべき者にとって、これは屈辱以外のなにものでもない。
いまや、フランスはピンチである。百年にわたる抗争の末、ついにイギリスの属国になるのか? フランスは滅びてしまうのか?
そんなとき、奇跡の「聖処女」ジャンヌ・ダルクがフランスに登場した。フランスを守るため戦地に赴くようにとの天使の声を聞いたジャンヌは、男の衣服と馬を手に入れ、イギリス軍に包囲されたオルレアンの町を救わんと、王太子シャルルのもとに駆けつけたのだ。
このときジャンヌに託された国王軍の指揮官に任命されたのが、ほかならぬジル・ド・レである。
かくて大規模な食料輸送部隊と1万余の兵士を含む攻撃部隊がオルレアンに向けて出発した。戦闘は4日間つづいた。ついにオルレアンの包囲は解かれ、ジャルジョーも、ボージャンシーも解放された。
王太子シャルルは、晴れてフランス国王に即位し、25歳のジル・ド・レは、フランス元帥に任命された。
このときから、彼はジャンヌの忠実な腹心になり、彼女を聖女のごとく崇拝し、「影が形に添うごとく」、つねに彼女のそばに付き従い、その身を護った。
ジルのジャンヌへの尊敬はほとんど信仰に近いものだった。だが、ジャンヌがイギリス軍に捕らえられ、処刑されたのは、その後間もなくである。ジルは、計り知れないショックをうけた。
莫大な財産を淫らな楽しみにつぎ込む
ジャンヌ処刑後、ジルは戦場から身を引き、ありあまる富とエネルギーをもてあましながら、領地の城に引き籠もった。
戦場で武勲を立てることが生きがいだった男が、これからは、何を目的に……。
虚しさが募る。
そんな1432年、祖父の死で、ただでさえ裕福なジルは、さらに広大な領地、多くの城を相続した。それだけではない、美術品、書籍、家具、綴れ織りなど、約10万フラン相当の財も引き継いだ。年収は現金だけで250万フラン、総資産460万フランという裕福ぶりである。
そんな莫大な財を、ジルは心に巣くった虚しさを晴らそうと、まさに古代ローマの皇帝が放蕩のかぎりをつくしたように、惜しげもなく散財していった。
専属の聖職者団と戦士団を創設し、どこへ行くにも連れて歩いた。先頭を行くのは金ぴかの衣装を着けた30人ほどの司祭、その後ろを軍馬にまたがってジル・ド・レが進む。ジルを護るように30人の騎士と200人の武装兵がつづく。彼らはみな、豪華な制服を着け、軍馬にまたがり、華麗な武器を携えていた。
だが、ジルの散財はそんな贅沢と酒色だけに留まってはいなかった。残虐な快楽を追い求めたのである。
ジルは、立派な聖堂を建立し、聖歌隊をつくって、全国から美しい声と容貌を持った少年をかき集めた。淫らな欲望を満足させるためだ。
ジルは聖歌隊から特に美しい少年たちを選びだし、全裸に近い格好をさせて宴会の席で客に酌をさせた。酒には、催淫剤が入っている。
酒で性欲をかきたてられた客たちが、少年を押し倒して襲いかかる。
自分のものである少年たちが、客に思いきりもてあそばれるのをジルは倒錯した気持ちで見守る。
そんなときだけ、一瞬だが、虚しさを忘れることができた。
だが、祖父から譲られた莫大な財産も、消費するとなると、あっという間である。今度はだれかれかまわず借金をする。それでも足りなければ、家宝や宝石を質に入れる。ついには町を売り、村を売り、城を売った。
ジルの浪費を気遣ったド・レ家の人たちは、国王シャルル7世に、破産だけは食い止めてほしいと嘆願した。
そこで国王は、「ジルの領地売買は禁じる。だれも彼と取り引きをしてはならない」との公文書を発行し、ジルの領地のあちこちに公布した。
しかし欲の皮の突っ張ったブルターニュ公は、その公文書を無視して、ジルと領地の売買契約を次々に結んでいった。
国王の禁治産令も、ジルの破産をくい止めることはできなかったのである。
美少年を愛し、美少年を惨殺
このころから、ジルの錬金術への熱中がはじまった。ある騎士に借りた錬金術の本に興味を引かれたジルが、騎士を訪ねていろいろ話を聞いたのが始まりだという。
ジルは、ティフォージュ城に実験室を造り、たくさんの錬金術師を招いて「卑金属を黄金に変える秘法」を教えてもらおうとした。
そんな中のひとりに、イタリアからやってきた美貌の僧侶プレラーティがいた。彼は錬金術と降魔術の大家だったが、いくら実験しても悪魔が現れない。
苛立ったジルをなだめるように、
「悪魔を呼びだすには、少年の生き血を捧げる必要がある」
と、プレラーティが囁いた。
そして、現れた悪魔に尋ねれば、必ず莫大な富と不朽の生命を与えてくれる「賢者の石」のありかを教えてくれるだろうし、錬金術の秘法も明かしてくれるにちがいないともつけくわえた。
このころからである、ジルの居城でおびただしい数の少年たちが殺されはじめたのは。
ジルの命をうけた部下たちが、生け贄を捜して、領地のあちこちをめぐり歩き、美しい少年を見つけると、親を訪ね、少年を小姓に差しだすよう勧めるのだった。
当時、庶民が貧乏から抜けだすには、ふたつの道しかなかった。教会に入って僧侶になるか、領主に目をかけられて小姓に雇われるか、である。
こうしてジルは少年を殺していく。少年が持つ、なんともいえない頼りなさとあどけなさが、ジルを引きつけるのだ。
少年が無垢で信じやすければ信じやすいほど、ジルの残酷趣味は煽り立てられた。
1432年から8年間、ブルターニュ、アンジュー、ポワトーなどで大がかりな少年狩りが行われ、またたく間に大勢の少年が行方不明になった。
たとえば、ジルの手先のひとり、老婆ペリーヌ・マルタンの少年誘拐の手口はこうだ。
赤ら顔の彼女は、黒いフードをかぶり、一見おとぎ話に出てくる老婆といった風情で村々をうろつき、羊の番をしている可愛い少年を見つけると、近づいて話しかけ、菓子を与え、屈強な男たちの待ち構える森の中に誘い込む。
少年は男たちにつかまり、袋の中に放り込まれ、連れ去られるのだ。
しだいに土地の農民たちは、ティフォージュの城を指さして、「あそこの連中は、人食いだ」と噂しはじめた。しかし、貧しく無力な彼らに、いったい何ができただろう? 封建領主の権力はあまりにも強大で、楯突くことなど不可能だ。
それをよいことに、ジルはさらってきた少年たちに拷問を加えた。ジルの拷問は、一種の舞台劇を装っていた。ストーリーがあり、舞台装置と観客がいた。少年が城に到着すると、まず風呂で体を洗い清め、髪をとかし、新しい服を着せた。少年は夢を見ているような気持ちで、召使いに連れられ、偉い領主さまの部屋に向かう。
ゲームが静かに始まる。
ジルが少年に優しく話しかける。少年の緊張がほぐれる。ジルは時間をかけるのが好きなのだ。少年の美しい顔や体や愛らしい声を十分に楽しむのだ。
少年がだんだん自分の幸運に慣れていくのを見るのは楽しいものだ。菓子を与え、愛撫すると、しだいにそれに慣れて自分はこれらを受けて当然なのだといわんばかりの顔をする。それを見るのは楽しい。
少年の表情が不安から、甘やかされている者特有の無邪気な傲慢へと変わっていくのを見つめながら、ジルは優しい声音で「君は可愛いね」と褒め、「こっちにおいで」と語りかけて、少年への愛撫をつづける。
はじめは少年の機嫌をとっているが、ジルの愛撫はだんだん荒々しいものに変わり、ついにはつねったり噛んだりしはじめる。興奮が募っていくのだ。
罪を悔い、涙を流しつつ刑場に立つ
恍惚の日々を送るジルだったが、1440年5月のある日、彼は取り返しのつかないミスを犯す。
いったんブルターニュ公に売った領地を武力で奪い返そうと、公の領地に乗り込み、公の徴税吏を牢に放り込んでしまったのだ。
激怒した公は、ジルに復讐しようと、ジルの少年虐殺の調査を始めた
。少年たちが行方不明になった村々に審議委員を派遣して親の証言を集めて回ったのである。
泣き寝入りしていた親たちも、被害を訴えた。ついに9月、正式にジルの逮捕命令が下り、すぐさまジルは逮捕された。
ジル逮捕後、検証のため、ジルの城のひとつであるマシュクール城に入った当局の者たちは、少年の死体をいっぱい詰め込んだ大樽を発見して、いまさらながら噂が本当であったことに愕然とした。
ジルはともに逮捕されたプレラーティや部下たちと一緒にナントに送られ、宗教裁判にかけられることになった。
法廷に立った検察官は、異端、妖術、同性愛、小児殺人などの罪でジルを告発した。
だが、ジルは、頑強に罪状を否認した。
検察官と判事は協議を重ね、ジルを拷問にかけることにした。
当時のごく一般的な拷問は「水責め」である。被告の口に漏斗をくわえさせ、水槽いっぱいの水をつづけざまに飲ませるのだ。いかなる強情者もすぐさま音をあげ、泥を吐いた(白状した)という、すさまじいものである。
それを聞いたとたん、ジルは急に後悔の涙を流し、犯した罪を白状しはじめたのである。
10月22日、悪逆非道のかぎりをつくした男に裁きが下るときがやってきた。
その様子を一目見ようと国中から人々が集まってきた。用意された傍聴席はすぐさま埋まってしまった。法廷内に入れなかった人々は、廊下に、内庭に、さらには脇の小道に列をなして群がり、人馬の往来を止めてしまったほどだった。
陪席判事や主任判事などが居並ぶなか、ジルはひざまずき、涙ぐみ、唇を震わせて犯した罪の数々を、こと細かに語りはじめた。
どうやって少年たちの肉体を犯し、その首を締め、胸や腹を切り裂き、血まみれの臓腑をつかみだしたかを。ジルを救い主と勘違いした少年たちが、どんなにいじらしくジルにしがみついて助けてくれと哀願したかを。
それをあやしながら、後ろからそっと首を切っていったときの少年たちの恐怖がどんなものだったかを。少年が見せた断末魔の苦悶を眺めながら、ジルやその部下たちが、どんなに楽しげに笑ったかを。
満員の傍聴席で、男たちは恐怖の叫び声をあげ、女たちは卒倒した。あらゆる大罪を裁いてきた裁判官たちまでもが、真っ青になってひざまずいて十字を切る始末だった。
告白を終えたジルは、民衆に向かって、心から許しを請い、自分の魂が救われるよう祈ってくれと哀願した。
奇妙なことに、ジルのそんな姿が民衆の心を打った。
司祭は地面に這いつくばったジルを助け起こし、哀れみのこもった声で囁きかけた。
「祈りなさい。恐ろしい神の怒りがしずまるように。泣きなさい。あなたの涙が汚れた肉体を清めるように」
その場にいあわせた人々も、ひざまずくと、恐るべき犯罪者のために祈りはじめたのである。
かくて、ジルの残虐行為の生け贄にされた少年の親たちが、ジルのために祈りを捧げ、聖歌を歌いながら、刑場まで彼につき従うという奇妙な出来事が起こったのである。
こうして1440年10月26日午前11時、固唾を飲んで見守る群衆の前で、ジルは処刑台の露と消えた。享年36歳。