■尊厳死について思うこと。

 
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投稿者 ●方斬 日時 2000 年 5 月 25 日 21:04:26:

回答先: 台湾で「自然死法」成立(朝日) 投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2000 年 5 月 25 日 17:57:16:

●尊厳死について、思うこと。

人間が、残された老齢の時期をどう過ごすかという、それぞれの人生観が異なるために、
異論もあるだろうが、私の私見では、本当に必要なのは、
老人たちが、『安心して死を迎えられる施設』なのではないだろうか?

別にこれは自殺の施設を作れという事ではない。
しかし、治療や介護を、老人自身の意志で拒否が出来て、しかも、
静かに死を迎えられる施設が必要だという事だ。

私の祖母もそうだったが、老人は暗黙のうちに新薬の実験に使われる事もよくある。
また、必要もないような薬や、なんの役にも立たない薬、場合によっては、副作用で
病状が悪化するような薬まで、大量に老人に持たせて、病院は薬価差益で儲けるものだ。
しかし、人生とは、ただ元気で長生きすればいいというものではあるまい。
病気には「病気の中でこそ考えられる事」も多くある。

だから、老人に趣味や生きがいを持つ事を「無理強い」すべきでもない。
またボケを進行させないように、踊らせたり、歌わせたりすべきでもない。
「老人力」などという、実に馬鹿げた言葉を提唱する馬鹿者がいるが、
老人の本当の美しさとは、老人たちの人生経験や知恵ではなく、
その「無力な静けさ」にこそあるものだ。

ボケとは、介護士にとっては迷惑かもしれないが、
ボケてゆく老人にとっては、それはある種、自然なことであり、幸福な事でもあるのだ。
長い年月を、生きる緊張の中で過ごしてきた老人たちなのだから、
最後ぐらいは、「静かにボケてもいい」というものではないか?


●私の母の死

私の母は、いつも口癖のように、次の2つの事を言っていた。
ひとつは、「死ぬときには、ポックリと、一発で死にたい」
もうひとつは、「誰かに迷惑をかけてまで長生きなどしたくない」。

母は大病というものをした事はなかったが、足に外科的な病気があったために、
特に60歳を過ぎてからは、次第に歩くのが困難になってたいた。
70歳のころには、階段の上り下りが困難となり、買い物などは私が行っていた。
家の中では歩けていたので、家事には大きな問題はなかったが、それでも、
73歳のころには、夜中にトイレへ行くにも立って歩く事は出来なくなっていた。
歩くには歩けるのだが、足腰がある程度動くようになるまでに数分かかるのである。

足に病があると、とうぜん脊椎のゆがみから、腰が痛んだり、目に障害が出たりもする。
また、年を取れば、やはり小さな切り傷や、腫れ物でも治りがとても遅くなる。

そんなわけで、持病の足以外には内科的な病理はほとんどなく、
元来丈夫な人だったので、普通に元気に過ごしていた母だが、
死の1年ほど前からはさすがに、疲れが溜まる様子だった。
しかし、医者と薬が大嫌いな人だったので、市販の漢方薬一つ飲ませるにも、
私が説得するのは大変だった。
・・・・・・・・・
死の1年ほど前から、母の寝顔に、普通ではない静けさ、つまり死相が現れていたのを
覚えている。普通の寝顔ではない、非常に深い「静けさ」が母の寝顔に見え始めた。
それはかつて、祖母の葬儀の時に見た死に顔にそっくりだった。
だから、私もいずれ、いつか母が死を迎えるだろうと言うことは、覚悟をしていた。

ところで、その「寝顔」は、ある意味では最も本質的な意味での「瞑想的な顔」だった。
私が、祖母(母方の母)の「死に顔」を見た時の事は、今でも記憶している。

これほどまでに美しく静かな顔は、見たことがないという事が印象の全てだった。
生きている人間が、どれだけの座禅や瞑想をしても、このような静かな表情になる事は
ない。しかし、この死の表情こそが本当の瞑想の極致であると当時の私は強く感じた。

その後、私がそのような顔を、死人の中にではなく「生きた人間」の中に見た事は、
たったの2度しかなかった。
ひとつ、それはインドの「和尚」の講話ビデオの、あるワンシーンの中に見たもの。
そして、もう一人は私の師が、時折見せた異常に静かな顔だった。

全く思考のかけら一つもよぎらないような、あれほど「死の静寂に近い表情」、いや、
「死の寂静がまさにそこにある」という生きた人間の顔は、それ以来見たことはない。
・・・・・・・・・

さて、母の話だが、そんなふうに、母は、少しずつ、少しずつ弱っていった。
そして、ある朝、母は風呂場に倒れていた。
いつもなら私は寝ている時間なのに、なぜかその日に限っては、早めに起きたのだった。
風呂場の電気がついているのに、音がしないのを不審に思って急いで行ったところ、
母は倒れていた。出血や吐血はなく、また素人目には外傷もなかった。

まだ体が普通に暖かく、息もしていたので、私は急いで救急車を呼んだ。
そして、病院に運ばれ、意識を取り戻すことなく、その28時間後に母は他界した。

死因は、脳内出血と告げられた。特に高血圧という事もなかったはずなのだが、
何ぶんにも医者嫌いのため、30年以上も診断の記録がないのでいつから兆候があった
のかは分からないが、おそらく、少しずつ病は進行していたのだろう。
しかし、疲れやすくなったという以外には、日常生活には、ほとんど支障はなかった。

意識不明の母の容体に対して、私が医師に真っ先に聞いた事は、
「倒れた時に、苦痛があったかどうか?」という事だった。
私が、人間の死に際して、最も懸念するのは、
生きるか死ぬかの問題ではなく「苦しみ」の有無であるからだ。

医師から聞いた限りでは、
小規模の脳内出血の場合には、頭痛が続いたり、吐き気を感じたり、
まだ少し動く体を引きずって、なんとか歩こうとしたりする事もあるが、
これほどの大量の突然の脳内血管の破裂による出血だと、
出血とほとんど同時に意識を失うから、苦痛はほとんどなかっただろうという事だった。
これは私の推測にすぎないが、
多くの脳内出血の経験者(この場合には助かった人)の言葉から考えると、たぶん、
ガツンと後頭部を強く殴られたような痛みを一瞬感じた直後に、母は意識を失ったよう
である。

そういう点では、母が苦しまなかった事は、母にとっても、私にとっても何よりの救い
だった。また、母は意識不明のままで他界したが、これもある意味で幸福な事だった。

人によっては、死の時に身内に何か言い残したことがあったり、誰かに会いたいと思う
こともあるだろうし、死の瞬間をしっかりと意識して死にたい者もいるだろう。

しかし、母の場合は「他人様には絶対に迷惑をかけたくない」という思いが人一倍強い
人であったし、もしも意識があったら、かえって私や兄に対して、いろいろと余計な
心配をさせてしまったかもしれないと私は思う。基本的には、何 ごとにも楽天的な母
だったが、さすがに死の間際では、人はいろんな事を考えてしまうものだ。

意識がなかった事は、私や兄、そして駆けつけた親類の人達と話すことが出来なかった
という事では、悲しい事だったかもしれないが、母の几帳面な性格上を考慮すると、
むしろ非常に幸運な事だったと私は思っている。

日頃から、いつもいつも、「他人に迷惑をかけてまで生きたくない」
「死ぬときは、眠るように死にたい」と言っていた母は、まさに、その通りに、
死を迎えた。これはある意味で、非常に「幸福」な事だと私は思う。
なぜならば、人は、めったに「自分の死に方を選べるものではない」のだから。
ポックリ寺に100回お参りしたって、ポックリ死ねるわけではないのだから。

・・・・・・・・・

●結語●

■老人たちが、静かに死ねる施設■

無理やりに「長生き」させられて、「元気」でいさせられて、
「趣味」をもたされたり、そして、さんざんに手厚く介護されて、
薬で治療されて過ごす『介護生活』というものがある一方で、
私の母のように、ほんとうに「静かで、見事な散り方」をする死もある。

果たして、どちらが、幸福なのかは、人それぞれだが、「人それぞれ」であればこそ、
老人に、むやみやたらに、「生きる希望を焚き付ける」ような行為や、
老人たちを医療ビジネスや、介護ビジネスの対象にするような行為は止めて欲しい。

むろん、介護や治療を受けたい人は、好きに受ければいい。

しかし、治療や延命処置を拒否して、
「静かな死」を迎える事を選択する老人の為の道、
そして、その為の「静かな専用施設」もまた、
国が率先して作るべきであると私は考えている。

・・・・・・・・・
ただし、「現実的な問題」で、困難になりそうな事は、
入院時の、本人や家族と施設側の「契約形式」をどうするかという事と、
施設の設備内容の問題である。

というのも、ある老人は、病気治療は一切拒否するが、下の世話はして欲しい、という
場合もあり、ある老人の場合は、途中までは治療を続けて欲しいが、末期的になったら
治療をやめて欲しいという場合もある。
また、特に病状がなくとも、次第に弱って自然に死に至りたいということもある。

こうした多種多様の症状や本人の希望に合わせて、本人が希望する治療や世話の限度を
一人一人個別に契約した場合には、
そうした設備の施設は果たして「病院」としての認可を受けられるのかが問題になる。

今後、もしも日本では、尊厳死や治療を受ける事を拒否出来るような施設の具体化が、
「医療機関」という名目では実現ができないのであれば、
最悪の場合、それは『治療や延命処置に関する自己決定権を、個人の信仰の問題とする』
ような、ある種の宗教法人の形で成立させ、
そうした自由な晩年を過ごすための施設を、その組織が作るしかないのかもしれない。


1999  3/12  鈴木方斬


ちなみに、私の母の遺骨は、簡潔な葬儀ののち、散骨をして自然の中へと帰した。
詳しくはここにリンクした
『完全自然葬マニュアル』をご参照戴きたい。





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