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病院などではやることがなく、一日中テレビを見続け
ている人が結構いる。 以前入院しているとき、そう
いう人たちを見ながら、
「今見ているものが『作られた』ものであるとどれだ
け意識しているのだろうか」
と思ったものである。
私は昔、いわゆる自主制作映画というのを8mmフィ
ルムで作っていたことがある。
そのときに初めて、テレビを含め映像というものは細
部にわたり意図して作られているということを実感し
た。
映画が登場した当初は、汽車がこちらに向かってきた
り、銃口を観客側(実際はカメラ側と言った方がいい
のだが)に向けられる場面などで、観客は自分たちに
飛んでくると思い、驚き逃げ回った。現在の人たちは
そのような昔話を聞いて笑う。「カメラが撮った『作
り物』映像にすぎない」と。しかしそこで笑っている
多くの人が映像の基本的なトリックにすら気づかずに
いる。
たとえばテレビドラマの2人の会話シーン。
AとBが向き合って話をしている。
A「君に言わなければならないことがあるんだ」
B「!?」戸惑いの表情「なに?」
A「でもこれを言ってしまうと・・・」ためらいの顔
B「言い出したならいってちょうだい!」少しいらだちを見せる。
よくあるちょっとしたドラマの山場場面であるが、
ここでのトリックとは何か。
それはこの場面がいかにも「一続きの撮影で一度に撮ら
れたもののように見える 」ということである。
じっさい上記の場面はどのように撮影されているのだ
ろうか。少し冗長になるが一例をざっと示してみよう。
Aが化粧を済ませてカメラの前に座る。照明係がライト
の当たり方調整する。今まで笑っていたAの顔が急に暗
い顔に変身。はいスタート!「君に言わなければならな
いことがあるんだ」はいカートッ!Aの顔がまたにこや
かになる。じゃあ次、続けていくよ。A、ためらい顔に
変身。はいスタート「でもこれを言ってしまうと・・・」
はいカートッ!はいごくろうさんでした。じゃまたあし
たよろしくね。
次の日
Bが他の仕事を終えて今日から撮影にとりかかれるように
なる。はいじゃあ頼むね。はいスタート!、B戸惑いの表
情「なに?」 はいカートッ!じゃあ次いくよ。はいスター
ト!。B「言い出したならいってちょうだい!」はいカー
トッ!はいどうもー。じゃあ、昼A君が来たら続きまた頼む
ね。
昼過ぎA到着。二日酔いが少しあったが化粧係がうまく隠し
た。AとBが向かい合って準備OK はいスタート!
はいカートッ!はいおしまいね。
昨日と今日のテープが編集室に送られてシナリオの順になる
ように入れ替え作業などが行われる。
と簡単に言えばこんな感じである。
これはまったく関係者からしてみればごく当たり前の風景であ
る。しかしそれを見せられる側はこのような行程によって1場
面1場面が作られているということはほとんど考えることがな
い。
他のトリックとしては画面に映るものがある。
なにげなく画面に写っているようなものでもほとんどが意図さ
れて配置されていると言ってもいいだろう。
たとえば茶の間のシーン。画面の多くの割合を占めるテーブル
は言うに及ばず、その上に載っている茶碗、みかん、紙切れ、
床に置いてある本、それら一つ一つが、「何を置こうか、何色
のにしようか、向きはどうしようか」といった検討が、一つ一
つに行われ配置されていく。「照明のあたりぐわいはいいか」
無駄なもの、意味のないものが無造作に置かれるといったこと
はまずない。
まあこれが凝ってくると作成者が示唆物を写すようになってく
る。そこまで来ると、映像解析を趣味とするような人でないと
その意味をとるのが難しいことすらある。以前、外国のキリス
ト教関係の映画があった。一番最後の場面で、外から入ってき
た太陽光により少し明るくなっている部屋が映し出された。は
じめ私は、これはなんなんだろう?と思っていた。その場面が
終わるころになってやっとわかった。外からの光が窓枠を照ら
し、その影が十字架をつくっていたのだ。普通の人はこれを単
なる影としか見ないかっただろう。いやその影があることにす
ら意識を払わなかっただろうとも思う。このように映像を作る
側は、その映像の中に(それを見る側の読解力の有無にかかわ
らず)いろいろとちりばめているものである。
話は変わるが、サブリミナル広告などの実例を挙げている「メデ
ィアセックス」という有名な本がある。サブリミナル効果の真偽
についてはそれぞれの人に判断してもらうとして、この内容につ
いて「そんなことまで考えて広告を作るわけないじゃないか」と
いう意見も多い。じっさい著者のキイ氏の解説はこじつけじみて
いるような感じがしないではない。しかし私は、広告主が技巧を
駆使している「可能性は十分ある」と思っている。何百、何千万
円もかけて広告を作るスポンサーが細部にわたって技巧、策略を
凝らすということは、映像制作をしていた身にはよく理解できる
のである。
(かなり長くなってしまったが)日頃接する誰かが作った映像
(に限らないが)にはこのようにいろいろと仕掛けがされている
可能性が十分ある。それを理解して接していないと、いろいろと
私たちは取り込まれてしまう可能性がある。
(★阿修羅♪を読んでいる方々には既知の内容だったかもしれま
せんね。中級以降は今のところ書く予定はありません)