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回答先: 「日本の第二の敗戦」3 投稿者 大阪北摂住民 日時 2000 年 5 月 02 日 14:31:16:
平成11(1999)年10月19日(火曜日)
毎日新聞
真相20世紀
21世紀への伝言
記者たちのメモワール
「日本の第二の敗戦」
「どう生きるべきか、戦略がなかった。今もそれは変わらない。」
■ワシントン特派員として取材した森田 明彦さん(58)
*年表*
85年9月22日 プラザ合意
11月25日 1ドル=190円80銭
86年1月30日 公定歩合年4・5% に
3月10日 〃年4%に
4月7日 「前川レポート」発表
4月21日 公定歩合年3・5%に
5月4日 第12回東京サミット開催
11月1日 公定歩合年3%に
87年2月22日 ルーブル合意
2月23日 公定歩合年2・5%に
5月14日 「新前川レポート」発表
10月19日 ブラックマンデー
10月20日 中曽根首相、自民党総裁に竹下幹事長を指 名。
89年4月25日 竹下首相、予算成立 後の退陣を表明
5月31日 公定歩合年3・25%に上げ
*前川レポート*
86年2月に中曽根首相の私的諮問機関「国際協調のための経済構造調整研究会」が発表した報告書。座長の前川春雄
・元日銀総裁の名をとってこう呼ばれる。経常黒字の削減のため輸入大国、産業構造の転換などを打ち出し、86年の東京サミットでは、日本の経済政策の基本文書と位置づけられた。87年5月には前川氏が座長を務める経済審議会の経済構造調整特別部会が具体策に踏み込んだ「構造調整の指針」を発表、「新前川レポート」と呼ばれている。
*ルーブル合意*
G5は86年5月の東京サミットで、イタリアとカナダを加えた7カ国で開催されることになったが、87年2月にパリのルーブル宮殿で開かれたG 7は、イタリアが欠席したため6カ国で開かれた。会議では「これ以上のドル安は各国の経済成長を阻害する」として、「為替相場を当面の水準に安定させる」ことで合意、プラザ合意によるドル高修正局面にピリオドを打った。