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以下『知られざるフリーメーソン』(スティーブン・ナイト著、岸本完司訳、中央公論社)より。原著は1983年発行。
「警察内部におけるフリーメーソンの影響力は、経験したものでないとわからない」
モンマスシャー警察CID(犯罪捜査部)の元部長、デイビッド・トーマスは一九六九年にこう発言している。彼の言葉は、すさまじい反響を呼び、ほぼ百年も前にさかのぼる論争に再び火を点じた。すなわち、メーソンの警察官と犯罪者の共謀がスコットランドヤードの旧刑事部を崩壊に導いた事件のことである。
メーソンによる警察内部の不正は、当時から非難の的になっている。一八八八年、ロンドンのイースト・エンドで起こった切り裂きジャックによる殺人は、メーソンの儀式に則って行なわれ、その後隠蔽工作が図られたが、それを指示したスコットランドヤードの総監、副総監はどちらもメーソンだった。
この他にも警察内部のメーソンによる様々な不正に疑惑の目が向けられている。メーソンの容疑者に対する告訴の取り下げ。能力を無視した不公平な昇進。非メーソン職員の排斥。生活の破壊。恐喝や暴力行為。フリーメーソンのシステムでは、警視正、警視長、場合によっては(地方警察の)警察次長、警察長クラスまでをも部下に服従させることが可能だが、それによって発生する規律の混乱。さらに最近では、ロッジの会合で警察官と犯罪者が共謀し、強盗や殺人を計画した疑いももたれている。
一九七〇年代には、カントリーマン作戦という英国警察史上最大の汚職摘発作戦が展開されている。この摘発のきっかけは、メーソンであるロンドン市警察本部長が、配下のメーソン警察官による不正を黙認していたためであることは、ほぼ疑いをいれない。
また一九七〇年代初めに行なわれたロンドン警視庁のパージでは、警視長クラスの警察官までが、メーソン犯罪者との不法な取引に関わっていることが明らかにされた。(p54-55)
切り裂きジャック事件の真相を隠蔽した責任者は、英国でも最も有力なフリーメーソンであり、当時の警視総監であったチャールズ・ウォーレン卿である。ウォーレン総監はことあるごとに捜査を妨害し、とてつもない混乱と遅延を招いたばかりか、ジャックが残した唯一の手掛かりすら自らの手で湮滅している。その証拠とは、第四の犯行現場に近い借家の壁に残されたチョークのなぐり書きである。なぐり書きの下には、血まみれの布きれが落ちていたが、それはたった今殺された犠牲者のエプロンの切れはしだった。なぐり書きの内容は、いち早く現場に駆けつけた職務熱心な警官によって注意深く記録されていたが−−私がそれに目を通すまで、この記録は九〇年近くもスコットランドヤードのファイルに埋もれていた−−それによれば、こうだ。
The Juwes are
The Men That
will not
be blamed
for nothing.
(ユーズがいわれなき非難を受ける筋合はない)
この報告を受けるやいなや、それまでイースト・エンドに近づこうともしなかったウォーレン総監は、あわてて現場に駆けつけた。そして写真に記録する前に、なぐり書きを拭き消してしまったのである。理由は一度も明かされたことがない。しかし真相はこうだ。一八六一年にロイヤル・アーチの位を授かっていたウォーレン総監は、そのなぐり書きがメーソンのメッセージであると承知していたのである。
メーソンの儀式はほとんどが殺人に関係している。第三位階、つまり親方メーソンへの加入儀式では、ソロモンの殿堂を築いた神秘的な建築家、ヒラム・アビフが犠牲者だ。儀式では、ヒラムが三人の弟子によって殺される象徴劇が行なわれ、その後ヒラムは復活する。三人の弟子の名はユベラ、ユベロ、ユベラムであり、この三人の総称がユーズ(Juwes)として知られている。メーソンの伝承によれば、ユーズは捕えられ処刑される。その方法は「胸を切り開き、心臓や他の内臓を取り出して、左肩越しに投げ捨てる」とされているが、これは切り裂きジャックが犠牲者の遺体を解剖した方法に酷似している。
メーソンの研究機関であるクエイター・コロナティ・ロッジの創立メンバーであり、ジャック事件の以前にすでに最高グランド・チャプターの役員を務めていたウォーレン総監は、壁に残されたメッセージの意味を明確に理解していた。「フリーメーソンがいわれなき非難を受ける筋合はない」というのが、その意味である。(p59-61)
多くのメーソンはそれに抵抗を示すものの、フリーメーソンをある種の自助組織であるとみなす考え方は、決して「不敬の徒」の空想の産物とはいえない。加入者は自らの名誉にかけて、「私利私欲や不純な動機には左右されない」と宣言するが、しかしビジネスマンの大多数は、ビジネスの助けになると信じてフリーメーソンに加入するし、それが実際に役立つケースも珍しくない。フリーメーソンの入会希望者に利己的な動機は一切ないという主張は意図的に述べられる虚偽なのである。数人のメーソンあるいは元メーソンと話せばわかるが、入会希望者には、「出世したい」という欲求が根強い。もちろん、純粋に友愛、道徳、慈善というメーソンの三原則を求めて入会する人々はたくさん存在するし、それを疑うつもりはない。
だが多くのフリーメーソンは、商談、就職や昇進が有利に運ぶようにという理由を認めた上で、「メーソンは一種の保険のようなものだ」と語った。病気にかかればロイヤル・メソニック病院を利用できるし、本人が死んでも、妻子は金銭的な面倒をみてもらえる。ケンブリッジの下町で肉屋、パン屋、コインランドリーを経営するある男は、メーソンの会費を、国民健康保険の保険料や労働組合の組合費のようなものと思っていると述べた。
事情を知らない部外者のほとんどは、それを英国ふうの習慣と思いこんでいるが、ビジネス界ではフリーメーソンの利用が横行している。それどころか、フリーメーソンの利用価値は、ビジネス界でその真価を発揮するといってもいい。地方レベルでの取引でも全国的な産業レベルの取引でも、契約の成立や昇進に同志会は様々な、そして時には重要な役割を演じているからである。
地方レベルでは経済界の他のグループ、例えば商工会議所、ライオンズ・クラブ、ロータリー・クラブなどとの交流が盛んだ。こうした団体の男性会員のほとんどはフリーメーソンである。また自営業者、例えば会計士、建築家、建築業者、不動産業者、レストラン経営者、タクシー会社経営、旅行エージェント、そしてあらゆる種類の商店主が、英国各地のロッジに加わっている。
外交セールスマンの多くは、全国のロッジを訪れ、メーソン殿堂や儀式後の食事など、独特の秘密性の中で顧客を開拓することを狙ってメーソンに加入する。「外交セールスマン・ロッジ」という名のロッジがダーリントン、ロンドンをはじめ、少なくとも五か所にある。
保険エージェントのロン・プライスは、ウスターシャー州のロッジの執事を務めた元親方メーソンだが、
彼はこう語っている。「フリーメーソン会員の立場は、実業界では相当活用されている。部外者には悟られない秘密の合図が役立つからだ。自分が『オン・ザ・スクエア』(つまりメーソン)なら、それを合図で伝えればいい。相手も『スクエア』であればそれに気づき、商談に結び付くこともあるし、職を求めている場合には、採用が決まったりする」
メーソンが同室の人間に自分がメーソンだと伝えるには、足を特定の位置に置くサインが使われる。この方法は、フリーメーソン第一位階の加入儀式に示されている。ロッジ・マスターは志願者にこう言う。「それゆえに、この位階の秘密、すなわち我々が世の一般の人々から互いを識別する合図をあなたに授ける……あなたは背筋をきちんと伸ばし、爪先を直角に広げて立たなければならない。こうすれば、あなたの身体は精神の象徴、そして足は公正な行動の象徴とみなされる」
これは同志会員が見知らぬ相手と対面した際に、自分の身分を伝える方法の一つである。相手と握手できるのなら、識別はもっと簡単である。日常の握手には三つの方法があり、これはメーソンの入門三位階にそれぞれ対応している。徒弟メーソンは、相手の人差し指の付け根に親指を押しつける。職人は相手の中指の付け根に、そして親方メーソンは、相手の中指と薬指の間に自分の親指を押しつける。
プライスは続けてこう語った。「私はフリーメーソンのおかげで、二人の人間との契約に成功した。こちらから頼んだわけではないし、特に売りこんだわけでもない。一度はロッジでの食事の後のことだ。隣の席の男が私の職業を訪ねたので、答えると、『少しお話しませんか』と言われた。私は彼に同行して話し合い、契約を成立させた。でも、私がフリーメーソンを辞めてからは、付き合おうとしなかった。もう一つのケースでは、別にメーソンであることを明かすつもりはなかったのだが、しかしごく自然に身についていたため、ついメーソン流の握手をしてしまった。その結果、相手は得意客になったが、私がメーソンを辞めると取引も終わった」
グリムズビーのレストラン・オーナーがフリーメーソンに加入した唯一の動機は、営業許可証の更新をスムーズにするためだという。メーソンに加わるまで、警察や商売敵の異議申し立てに悩まされていた。しかしいったん同志会に加入してしまうと、警察から異議をくらうことはなくなった。幹部警察官のほとんどは、同じロッジに所属していたからだ。また第三者から横やりを入れられても、当局者は無視するようになった。彼らもまたロッジの会員だったからだ。彼はこう言う。「私たちはお互いに助け合う。当然ではないか。それこそフリーメーソンの存在意義だ。お互いにもちつもたれつなんだ。みんなと違って、私だけがフリーメーソンを利用しないのなら、私はマゾヒストということになる。私たちはみんな人間なんだ」
クロイドンのエデン・パーク・ロッジNo.五三七九の元マスターだったある男は、テイラー・ウッドローという建設・住宅建築・不動産開発の企業グループのコンサルタントを長い間務めた。
「当時は深く考えたことはないが、今思うと間違っていたのだと思う。メーソン流の握手のおかげで契約にこぎつけたことはしょっちゅうだった。テイラー・ウッドローの取締役クラスは当時、全員メーソンだった。今は知らないが。
建築家の十人のうち九人まではメーソンだ。だから他に道はない。見積りを出し、その時建築家と握手する。すると相手が言う……ああ、あなたはメーソンですね。よろしい、契約しましょう。
今から考えれば、あまりにも功利的な行為だった。あれは多分過ちだった。しかしそれがメーソンの仕組みなんだ。建築家がメーソンならやはりメーソンの顧客と契約する可能性が高い」
ジョン・プルゾンは汚職事件の当事者として悪名の高い建築家で、地方自治体職員・地方議員・公務員・国有産業職員などを巻きこんだ買収工作は、「英国版ウォーター・ゲート事件」と評されたほどだ。そのプルゾンは熱心なメーソンだった。さして驚くべきではないのかもしれないが、彼は裏取引のルートにメーソンを利用していた。『ウェブ・オブ・コラプション』は、プルゾンと彼の手先のPRマン、T・ダン・スミスの行状を描いた本だが、著者は次のように述べている。
「プルゾンの生活には教会と同様、フリーメーソンが重要な位置を占めていた。彼のビジネスの多くは裏工作だったが、彼は当然、フリーメーソンという秘密結社に魅かれていった。フリーメーソンは道徳、慈善、遵法を実践しただけではなく、会員に莫大な政治的・家業的利益をもたらしたからである。中世ではフリーメーソンになるのは、大聖堂の建築家でなければならなかったが、プルゾンの住んでいたポンテフラクト市では本末が転倒し、一ブロックのアパートを設計するにもフリーメーソンでなければならなかった。プルゾンは、デ・レーシー(No.ポンテフラクト四六四三)およびティッシャル(No.七六四五)の二つのロッジに加入した。市のビジネスマン、職業人のほとんどはそのどちらかのロッジに加入していた」
この本によるとプルゾンは、「フリーメーソンの儀式、礼服、騎士道的な同胞関係が気に入っていた。彼は両ロッジのマスターを務め、ヨークシャー地区グランド・ロッジの執事に選ばれることによって、アンダーグラウンドの世界でも箔をつけた」。彼はフリーメーソンを徹底的に利用して利益を拡大し、可能性のあるあらゆる分野に人脈を獲得したのである。
金融界はビジネス分野におけるフリーメーソンの一方の拠点である。私は、小さな支店の銀行員から、全国規模のクリアリング・バンク(日本の都市銀行に相当する総合金融機関)の役員を含めて、あらゆる階層の銀行員に取材してきた。そこではおおまかにいって、非メーソンであっても昇進は全く不可能ではないし、メーソンの独占体制が崩れつつあるため、女性の進出も可能になっているといえる。それでもなお、若いうちにフリーメーソンに加わったほうが昇進の可能性が高いと一般に考えられている。特に支店長より上のクラスの人事にその傾向が顕著で、非メーソンや女性でそのクラスに到達する者は今日でも稀である。わが国の中央銀行であるイングランド銀行はメーソンの牙城であり、独自のロッジがそこに設けられているほどだ。
銀行内メーソンの人脈によって、本来秘密のはずの口座取引の内容を漏洩されたと証言した情報提供者もいる。銀行経営者や従業員に占めるメーソンの割合からすれば、こうした機密を入手するのはさして困難ではない。英国中のあらゆるロッジ・メンバーから情報が得られるからである。
ある男が、二十九歳になる自分の娘の二つの銀行口座の残高、小切手の振出し先を調べようとした。彼は娘の住いから三〇マイルほどの所にあるロッジを何か所か訪れ、銀行勤めの会員を探し出した。銀行員にしてみれば、公の銀行間照会システムを利用して、娘の取引銀行に電話すればいいのだから、ことはさして難しくない。入手した情報は、父親に伝えられた。メーソン仲間の依頼だったので、その銀行員は目的の正当性を信じて疑わなかった。もち
ろん父親自身も正しい目的だと信じていた。つまり、財産目当ての男が娘に目をつけていると思いこんでいたのである。娘にはたしかに長年の恋人がいた。四歳年下の男で、ロンドンで大学の博士課程に在学中だった。彼が博士号を取得した時に結婚する予定で、それまで娘が経済的に援助することにしていたのである。道徳律が今よりも厳格だった一九二〇年代に人生観を養った父親は、その約束を知って激怒した。彼は、銀行から不正に入手した小切手振出し先の情報を手掛かりに婚約者の住いをつきとめてその男と会い、娘は他の男の子を宿しており、こっそりと堕胎したのだと男に伝えて、二人の仲を裂いたのである。
産業界では、ホワイトカラーや経営陣のほうにフリーメーソンが浸透している。しかし工場労働者も職長クラスの地位に昇進すると、適当なロッジに加入したほうが通常は有利である。国営産業・公共事業でもフリーメーソンは勢力を誇っており、特にブリティッシュ・スティール(鉄鋼)、ナショナル・コール・ボード(鉱業)、ブリティッシュ・レール(鉄道)、郵便事業、公共ガス・電気部門、中央発電公社、原子力公団、ロンドン交通局などはその見本である。
ハンマースミス自治区のロイヤル・メソニック病院のレイモンド・B・モール理事長(元グランド・ロッジ祭司長補佐である)は、ジャーナリストのロバート・イーグルにこう語っている。
「ロンドン交通局の人間が昇進し、制服にちょっと金モールでも付くようになると、メーソンに加入しようと考えはじめる」
イーグルの調査は、医療分野に焦点を当てたものだが、一般開業医、ベテランの勤務医をはじめフリーメーソンはこの分野でも非常に盛んだ。病院ロッジは、医療スタッフや管理職の有用な集会所となっており、ロンドンの教育病院などほとんどの主要医療機関は独自のロッジを持っている。元王室顧問外科医のエドワード・タックウェル卿、アフリカ医療研究協会会長のポリッツ卿はともにフリーメーソンであり、どちらもロイヤル・メソニック病院の顧問だが、彼らによると、教育病院のロッジは病院の医療スタッフ、関係開業医をメンバーに集めているという。
医療に従事する人間の中でもフリーメーソンは、地位の高い者に多い。とりわけ英国内科医師会、外科医師会の主要メンバーはほとんどがフリーメーソンであり、また両医師会とも、医療研究のために同志会が集めた十万ポンドの信託基金の恩恵に浴している。フリーメーソンがこうした分野の人事に影響を及ぼしているのも事実らしい。タックウェル卿はイーグルに対して、「同志会員の地位は医師の立場とは無縁だ」と断言しているが、一方のポリッツ卿は熟考のあげく、「フリーメーソンの力に助けられた人がいるのは否定できない」と発言している。
大病院の経営管理部門はほとんどメーソンに占められているが、医療の最も重要な分野、少なくとも医療現場には、メーソン、非メーソンに関係なく、適材適所主義が貫かれているようである。これは同志会が経営する病院の職員構成を見ればよくわかる。ロイヤル・メソニック病院の顧問医師はほとんどがメーソンだが、勤務医やスタッフは必ずしもメーソンとは限らないからである。また代表者のレイモンド・モールも、フリーメーソンかどうかが人事の判断材料にはならないと述べている。唯一要求される資格は、顧問医師は教育病院の顧問でなければならないという程度だ。(中略)
フリーメーソンは教育界でも重要な役割を果たしているが、その力は以前に比べれば低下している。小学校・中等学校の校長や大学教師にも同志会員は多い。イングランド、ウェールズには一七〇もの同窓生ロッジがあるが、そのほとんどに現職の教師が加わっている。
救急・消防部門もメーソンの拠点である。また刑務所職員に占めるフリーメーソンの比率は、警察のそれよりも高い。しかし警察と異なり、同志会を通じての幹部と一般職員の交流はほとんど見られない。幹部職員と看守はそれぞれ別のロッジを持ち、両者が顔を合わせる機会はめったにないからである。
ビジネス界や様々な職業分野において同志会が果たしている役割について、ここでは概略を述べただけである。こうした主張を見る限り、いろいろな分野の人事、契約に与えるメーソンの影響は否定しがたい。また多くの人々がメーソンの共謀に疑いを抱いていることも事実である。(p138-146)
情報提供者の中には、古式公認儀礼の第三十一位階(大審問長官)にまで昇格しながら、信仰上の理由で一九六八年にメーソンを脱退した人物がいる。複雑きわまりないメーソン界の住人を追いかける場合もそうだが、何人もの人を介してようやく彼に接触することができた。心あるキリスト教徒ならばフリーメーソンに留まることはできないというのが彼の信念だが、第三者を通じて彼は、その問題についてインタビューを承諾すると伝えてきたのである。
実際に会ってみてわかったのだが、彼は判事であり、しかもひどく気難しい人物だった。名前は聞かされていたものの、人物についてまではほとんど知らなかったのである。
私たちはフリーメーソンと宗教についての問題を長い間話し合い、やがて古式公認儀礼による三十三位階に話題を移した。彼のような高位の人物で私のインタビューに応じたのは、彼で四人目に過ぎなかった。しかし彼はあわてて言った。「いや、それを話す気にはとてもなれない。もっと宗教の話を続けよう」
それはごく自然な反応だった。取材を続けた数か月の間に、私はこうした返答を何度も聞かされていた。だから彼の返事もしごく当り前に思えた。しかし、彼の言い方が気にかかった。大抵の人間は、「その話はしたくない」とか「しないほうがいい」と言う程度だったからだ。私はそれを指摘すると、彼は「公職にある者は慎重(cautious)でなければならない」と答えた。
「cautious という言葉はメーソンでは、認識を意味しますね」
「なるほどあなたはメーソンの儀式をよく調べているようだ。だが、私はごく普通の意味で言ったつもりだ」
「何に対して慎重でなければならないのでしょうか」
「ミスター・ナイト、その種の質問はありがたくない。私はイエスへの献身がメーソンの宗教と相容れない点について、一般的な話をするのを承諾したんだ。私のかつての約束に反するような話題に立ち入られるのは困る」
「約束とはメーソンの誓約のことですか」
「そうだ。しかし私は誓約よりも義務という言葉を使う。その二つは同義ではない」
その二つの言葉がどう違うのか私は興味を覚えた。機会があれば質問しようと考えていたが、結局その話題に戻ることはなかった。
「では、なぜ慎重でなければならないのですか」と私は聞いた。「あなたはすでにメーソンではない。私は第四位階から第三十三位階までの儀式書をすべて持っているが、先ほどの話が禁じられているとも思えないが」
「これは私の宗教的信条に関するインタビューではないはずだ」
「あなたの元メーソン仲間には、わが国の有力者も多い。秘密を洩らせば何か報復があるとでも?
」
「あなたが切り裂きジャックの本で書いたたぐいの報復ではない」彼は笑ったが、何か空々しい笑いだった。
「もちろん、私もまさか殺人だとは思ってもいない」私も笑った。「でも、別の形の報復があるとでも? もっと目立たないような何かが」
彼は苛立ったようだ。先ほどの発言はたしかに失言だったのだ。「それは単なる言葉の綾……ではなくて、冗談のつもりだった。質の悪い冗談だ」
「でもあなたは……」
「わかっているとも! しかし、あなたの本に書いてあるような事件が起きたとは露ほども思ったことがない」
おそらくは無意識なのだろうが、彼はかつての誓約にとらわれているようだった。つまり「話題をそらすことも時には必要である。敬うべき同志の名誉のために、慎重に切りぬけるべきである」という「メーソンの作法」に、である。もちろん私は話題をそらされまいとした。そこであくまでも先ほどのテーマにこだわり続けた。
「殺人の話は別にして……」そこで私はふと思いついた。「キリスト教徒としてのあなたにお伺いするが、フリーメーソンが自らの力を行使して、非メーソンやアンチ・メーソンに何らかの報復を働くのを見たことがありますか」
彼はそれまでの怒りを忘れたように、途端に肩の力を抜いた。
「キリスト教徒としては……」そこで彼は考えるように口をつぐんだ。そして黙りこんだまま、何回かまばたきを繰り返した。彼はゆっくり深呼吸してから言葉をついだ。
「キリスト教徒として申し上げなければならないのは、こういうことだ。これまでの人生で、メーソン集団や個人がグランド・ロッジや最高会議の認可を得て他人に害を加えるのは一度も見聞きした経験がない」
彼は話しながら、意味ありげに私の顔を見た。「そう答えれば、私は何ら義務に背いたことにならない」
私は言った。「しかし、メーソン・グループの組織的行動の結果、財政的、社会的に破綻した者がかなりいると、私は何度も聞かされている」
「その話は私も聞かされたことがある」彼は何か重要なことを伝えるように、私の顔に目を注いだままだった。「わたしもだよ、ミスター・ナイト」
「そうした事件を直接知っているのですか」
「フリーメーソンが公式に手を貸したケースは一つも知らない」
「では非公式なケースは? つまり、誰かがメーソン組織を悪用して制裁を加えた例は?」
「これまでの答で、私が何と答えるかはすでにおわかりだろう」
「メーソンを裏切ったために、刑務所に送られた者もいると聞いているが……」
彼は唇に指を立てて私の言葉を封じた。
「フリーメーソンのメンバーを裏切ったケースで私が知っているものをすべてお話ししたら、いかにあなたでも驚くことだろう。身の毛もよだつかもしれない。これ以上は申し上げられない」
そして彼はいかにもその場の思いつきのようにこう言った。「君の電話番号を教えてくれたまえ。いずれさる人物から電話があるだろう」
「誰からでしょう?」
彼は再び指を立てると、私のコートを取りに行った。
「神の祝福を」と言って、彼は私を送り出した。私は通りを走って、近くのサンドイッチ・バーに入り、急いでメモを整理した。
四日後、ニューステイツマン誌の広告を見たという人物から電話が入った。私はその雑誌に「フリーメーソンに関する情報提供者を求む」との広告を掲載していたのだ。電話の主は『切り裂きジャック−−最終結論』を読んでおり、ぜひ私に会いたいのだが、と言った。私はいつものように、ある程度具体的な内容を電話で知ろうとしたが、彼は自分がメーソンかどうかも明かそうとしなかった。これと同じような電話は十回以上かかってきた。有益な情報もあったが、雲をつかむような話もあった。しかし取材しているからには、どんなに漠然とした情報でも追求せざるをえない場合もある。電話の主はほとんど語ろうとしなかったが、そのせいもあって私は土曜日にカフェ・ロワイヤルの入口で会う約束を取り付けた。クリストファーと電話では名乗ったが、それが姓なのかクリスチャン・ネームなのかも告げようとしなかった。
私が約束の場所に着くと、彼は入口近くの暖炉の傍らで肘かけ椅子に座っていた。ホルダーにさした細い葉巻を吸いながらタイムズ誌を読んでいた。六フィート以上あるひょろっとした体格で、年の頃は五十歳ほど。健康保険で作った飾りけのない眼鏡を別にすれば、上から下まで裕福そうな身なりをしている。私は彼のクラブに案内されたが、身元を隠すために、クラブの名も伏せるよう要求された。話してみると、クリストファーは彼の三つのクリスチャン・ネームの一つ、身分は中央省庁の高級官僚であることがわかった。ニューステイツマン誌の広告は掲載当時から見ていたが、別にそれを見て連絡をくれたわけではなく、例の口の堅い判事の紹介で電話したのだと明かした。何を調べたいのかと、彼は私に質問した。ということはあなたをフリーメーソンだと理解していいのかと私は言った。彼はうなずいて、薄手のブリーフケースから書類を取り出した。
その書類に目を通してから、私は、もし何らかの理由で力を持つメーソン集団と対立するようなことがあれば、恐れるべき点は何だろうかと質問した。例えばビジネスの競争相手になったとか、フリーメーソンを利用した不正工作を発見した、あるいは、フリーメーソンの犠牲になって、しかも彼らの警告に背いた場合、報復されることがあるのだろうか?
「人を破滅に追いこむのは難しいことではない。よく使われる手をお教えしよう。グランド・ロッジの管轄下には、百万人の同志会員がいる。この二、三十年、会員の質は低下するばかりだ。あまりにも簡単に入れるし、品性の疑わしい人物ももぐりこむようになった。フリーメーソンの秘密性と権力がそうした人たちを引きつけ、そうなると今度は心ある人物が出て行く。五〇年代ならとても受け入れられなかったような人々が加入しているし、その種の会員がどんどん増えている。フリーメーソンを利己的な目的、あるいは不正な目的に利用する人間の割合が五%だとしても、その数は二万五千人になる。それが今では二〇%、三〇%にも上っている」(中略)
クリストファーは、あらゆる階層の全国組織であるフリーメーソンは、民間の情報ネットワークとしておよそ最も効率的なものだと説明した。警察、治安判事、事務弁護士、銀行経営者、郵便職員(手紙をコピーするには最適の職種である)、医師、公務員、民間企業、公共事業の経営者などをつなぐメーソンの人脈を利用すれば、いかなる個人情報であれ、迅速に入手できるからだ。私生活の重要な情報を入手すれば、人の弱味を握ることもできる。例えば金銭的に困っているかもしれない、不道徳な行為をしているかもしれない、例えば結婚しているのに愛人がいるとか、娼婦を買う癖があるとかである。前科があるのを隠しているかもしれない(その情報はメーソン警察官を利用すれば簡単に手に入る)。こうしたことに限らず、その人の弱点となる様々な個人情報が、六十万人から成る広範囲のネットワー
クを通じて、発見されるのである。
私はフリーメーソンの「報復行為」について、クリストファーに質問した。
「その種の仕事には事務弁護士が適任だ。格別に深刻な問題に限らずとも、何か法律上の問題にかかわったら、人は事務弁護士に相談する」
しかし事務弁護士は、何やかやと理由をつけて手続きを遅らせ、用もない書類を山ほど作り、依頼人の要求を無視し、莫大な金を使わせる。あげくのはて、依頼人が不利になるようミスリードするというのだ。
メーソンの警察官も役に立つという。理由もなく拘留したり、証拠を捏造できるからだ。クリストファーは言う。「狭い地域社会で働いているビジネスマンや公務員が、幼児ポルノや猥褻罪、麻薬売買で検挙されたなら身の破滅につながる。二度と職場に復帰できない。そんな目に合って自殺した人もいる」
クレジット会社や銀行を通じて、個人やビジネスの信用取引を停止することもできる、とクリストファーは説明する。銀行取引を停止することもできる。電話を仕事に使っている人には、通話を長期間不通にすればいい。公共事業のメーソン職員は、住宅の下水施設を検査して、重大な欠陥を報告する。その人は莫大な修理代を請求されるはめになる。修理担当者は、今度は別の場所に損傷を発見する(実際には自分で損傷を加える)という具合だ。
法律面に話を戻せば、金銭的にいつも困窮している人が救済を訴えても、公正な審理はとても期待できない。メーソンのネットワークを利用するグループと闘おうにも勝算はない。保険社会保障省や法曹界のメーソンが、司法扶助の申込みをいつまでも保留にできるからである。
「従業員はたとえ本人がメーソンでなくても、メーソンに敵対する人物の個人情報を入手することができる。最悪の場合、その情報が真実であれば、その人物は解雇されることもあるし、昇進の機会を奪われる」
クリストファーは続ける。「メーソンの医師を利用する方法もある。だが、どういうわけか医者は利用しづらい人種のようだ。私が知る限り、会社の属託医が虚偽の診断書を書いて就職を妨害したケースは二件しかない。他の手段にくらべればたいしたものではない」
クリストファーはさらに三十分ほど費やして、同志会の悪質なメンバーが敵対者を陥れる手口を挙げてくれた。そしてその合間にも彼は、こうした行為に加わるのは同志会のほんの一握りの連中であり、多くのメーソンはそれを許容するどころか、そうした事実を知ったら、動転するだろうと繰り返した。しかし入会基準が曖昧になっているだけではなく、そうした事件が起きるという事実が、同志会の凋落を物語っている。フリーメーソンの最高幹部も、そうした状況を知ってはいるものの、すでに諦めており、改善の手段を講じるより、見て見ぬふりをすることを選んでいる。
もし自分たちのグループがこうした問題を告発しなければ、汚染は進む一方であり、組織自体もいずれは消滅してしまうだろうと、クリストファーは述べている。彼はしかし、同志会の救済だけ考えているわけではない。フリーメーソンの悪用の犠牲になった人々も救済すべきだと考えているのだ。
「組織を敵に回したなら、それと闘うしか勝つ望みはない。しかし闘おうが闘うまいが、ほとんどの人が最後には負けてしまう。つまり、信頼できる人間がいなくなってしまうのだ。いくら訴えてみても、内容が妄想のように聞こえるから、誰にも助けてもらえない。この世がすべて自分への陰謀だと思い込むパラノイア患者だと思われるんだ。奇妙な現象だ。ほとんどの人には妄想としか思えないような状況を仕立て上げて、人の生活を破壊する。抵抗を諦めれば、被害者は破滅する。しかし抵抗したところで、破滅が少し先に延びるだけだ。闘ってみても、回りの人間が不幸に見舞われるから、家族にさえも背を向けられ、孤立してしまうこともある。家族には背を向けられる、回りには誰も協力者がいない……こういう状況になれば、それこそ連中の思う壺だ。新聞だって、目もくれようとしない。
何が起きているかは、加害者と被害者しか知らないんだ。そんな犯罪から身を守る手立てはない」(p147-156)
フリーメーソンとして五十年以上のキャリアを持つ元高等法院判事の一人が私にこう語った。
「同時代の人ならば、どの判事がフリーメーソンで、どの判事がそうでないか私にはわかる。私が話しているのは高等法院と控訴裁判所、それに法律貴族(上訴事件を取り扱うために常任上訴裁判官に任命される上院議員。一代貴族)のことだ。フリーメーソン裁判官のほとんどは今でも現役だ。ご承知のこととは思うが、名前をあげるわけにはいかない。名前を出す気があるなら、彼らが自分から名乗るだろうし……。私に限っていえば、それを気づかれないほうが不思議だ。フリーメーソンであることを隠そうとも思わない。私の時代には、フリーメーソンに所属するたくさんの裁判官がいた。これは話してもかまわない。おそらく十五年前には我々の六、七〇%がメーソンだった。今ではもっと少ない……多分五〇%以下だろう。それが必ずしもいいこととは思えない」
私は、フリーメーソンたることが判決に影響を与えるかどうか尋ねた。
「もちろんある。フリーメーソンであることが人に影響を与えないわけはない。善へのたいへん大きな感化力がある」
「悪影響は?」
「ごくまれにある」
「もう少しくわしく」
「フリーメーソンは人を愛せと教える……きれいごとだと思うかもしれんが、そうじゃない。それは多分、世界の何よりも貴重なものなんだ」
「そうした感化力は、キリスト教や仏教と同じようなものだと?」
「ああ。だが、その力はキリスト教より大きい。他のどんな宗教より大きい。フリーメーソンはすべての宗教を包含したものだから」
「まれには悪影響もあると言ったが……」
「判事は人間だ。フリーメーソンも人間だ。クリスチャンだとしても、キリストのような存在にはとてもなれない。問題は自分の宗教をどう理解するかにある。キリスト教も仏教もヒンズー教も、皆そうではないかね。フリーメーソンの教義を誤解するからだ、時々道義的な問題を引き起こすのは。しかし一般人にくらべて、判事は誤解することが少ない。判事の問題は、君もしばしば感じているように、彼が人間だという点だ。
長い弁護士稼業と判事生活の間で、フリーメーソンであるために判決に影響を受けたケースを二つ知っている……厳密にいえば決して左右されるべきではなかったのだが。心に留めておいてほしいのは、身振りや言葉でフリーメーソンだと伝えた人間を二、三十人見たことがあるが、今の二例は、ほんの例外だという点だ」
「そんなことが当時、よくあったのですか」
「もちろんあった。しかし我々は無視した」
「大抵のフリーメーソン判事は、そんなことは起きなかったといっているが」
「やっている者が現にいたから、そうは断言できないはずだ。しかし誰が責められる? メンバーがその地位を個人的利益のために利用することなどないという顔をフリーメーソンは
するが、それがフリーメーソンの問題点の一つだと思う。ばかげている。利用しようとしない人たちもたくさんいる。しかし、何千人もの人があらゆる分野で利用している」
「フリーメーソンの地位を利用しようと考える被告もいたわけですね」
「申し上げたとおりだ。何人かいたが、私の経験では多くはない」
「どうすれば一般の人にわからないようにメーソンだと伝えられるのですか」
「秘密を守る義務があるので、明かすわけにはいかない。特定の言葉や身振りがある。おおげさな身振りや奇妙な呪文などではない」(p162-164)
もちろんフリーメーソンを利用する目論見が予期せぬ首尾に終わることもある。例えばある判事は審理をふいに中断し、陪審に向き直ると、被告は今、自分がフリーメーソンであると伝えたと説明した。やはりフリーメーソンであるその判事は、担当を降りるのが適切だと判断し、事実そのとおりに行動したのである。
ウェスト・ミッドランド警察の幹部を務める情報提供者の一人はフリーメーソンだが、彼によれば「社会、フリーメーソンの双方に損害を与えている」のは、むしろ判事と警察官の結託であるという。「我々、つまり警察官と判事との馴れ合いはきわめて質が悪い。私は判事がフリーメーソンになるのに反対するわけではない。問題は、フリーメーソンによる秘密の結託なんだ」
「フリーメーソン組織のやり方は、本当は好きではない。特にフリーメーソン裁判官や大多数の治安判事との関係が問題だ。警察官が自分はメーソンだと判事にサインを送る光景を何度も目にしてきた。大抵、宣誓の文句をわざと言い間違えるという方法をとる。『偉大なる建築者……あ、失礼しました。全能なる神に誓って……』という具合に。そうすれば法廷のフリーメーソンには、彼が同志だとわかる」
警官はそれによって何を狙うのかと私は彼に尋ねた。
「担当している事件が非常にやっかいで警官がプレッシャーを感じている場合、判事にメーソンだと知らせても別にマイナスにはならない。例えば、捜査側への批判に少し手心を加えてくれるかもしれない。また警察官の主張を額面どおり受けとってくれるかもしれない。どちらもフリーメーソンでなければ、そんなことは期待できない」
「そんな場面を目撃したと言ったが……」
「ああ、最近ではこの木曜日にも」
「そんなことがしょっちゅうなのだろうか」
「最近の事情はよく知らない。いつも法廷に出るわけじゃないんで。しかし以前はよく目にした。バーミンガム刑事法院で傍聴していた時にも、そんなことがあった。私は内心ほくそえんだ。別に隠しごとじゃないんだから、かまわないんだがね。サインを送ったのはこぎれいな身なりの捜査警視だった。そんなことをやっても、別に君の考えるように御利益があるわけじゃない。しかし私が問題にしているのは、そんな環境でかの有名な裁判官の中立ってやつが保てるかどうかってことだ」(p181-182)
ロイヤル・アーチの加入儀式において明かされる宇宙の偉大なる建築者の名は、JAH=BUL=ONである。個々のフリーメーソンがいかようにも解釈できる非限定的な神の名前ではなく、特定の超自然的存在を意味する厳密な名称であり、三つの存在を一つに融合した統合的な神格である。シラブルのそれぞれが、「口に出してはならない御名」の三つの存在を表わしている。
JAH=ヤハウェまたはエホバ。ヘブライの全能の神をさす。
BUL=バール。古代カナンの豊穣神の名であり、放埒な儀式を行なう類感呪術にも関係がある。
ON=オシリス。古代エジプトの黄泉の国の神。
言うまでもなくバールとは、旧約聖書においてイスラエルの民を帰依させるためにエホバと争ったとされる「邪神」のことである。バールはその後、それもフリーメーソンの神が創造された時点からさほど遠からぬ十六世紀に、悪魔学者のジョン・ウェイアによって、悪魔だと断定されている。このグロテスクな悪の権化は、クモの身体に、人間、ヒキガエル、猫の三つの頭を持っている。デ・プランシーの『魔術辞典』に見えるバールの記述は、フリーメーソンの隠蔽的で欺瞞的な体質を考える場合、ひどく象徴的である。すなわち、バールはしゃがれ声で崇拝者たちに悪知恵と策略を授け、姿を不可視にする術を伝えるというのだ。
私はこれまでに少なくとも五十七人のロイヤル・アーチ・メーソンに取材したが、彼らは皆喜んで話に応じ、フリーメーソンに「公平な反論のチャンスを与えよう」という私の意図に協力してくれた。ほとんどの人はごく自然な態度で、ためらうことなく自分たちの考えを述べ、私が提出した批判や疑問にも応答した。しかし話がJAH=BUL=ONに及ぶと、四人を除いて全員が落ち着きを失った。ある者は、あらかじめロイヤル・アーチに加入していると打ち明けており、したがって当然、その名前を説明されているばかりか、JAH=BUL=ONに関する教義も研究し、儀式にも参加しているはずなのに、「そんな名前は聞いたことがない」と答えた。この件について質問すると、大半の取材協力者は大慌てで話を打ち切ろうとした。また頼りなげに笑い、「古臭い話さ」とことさら陽気に言って、話をはぐらかそうとした者もいる。そして途端に態度を硬化し、話題を変えようとするのだった。私がそれでもJAH=BUL=ONに固執すると、大抵の場合、インタビューはそこで終わりになった。名前は耳にしたことがあるが、その意味は知らないと答えた者もいる。彼らに言わせればそれは神をさしているとのことだが、それまでどんなテーマにも正確な知識で応じてくれた博識のメーソンでも、途端に言葉が曖昧になり、この核心的な問題については無知を決めこむのだった。またJAH=BUL=ONについては全く知らないと答えながら、なぜか、たいした問題ではないと一蹴する者もいた。
質問の後に重苦しい沈黙が続くことも珍しくないが、グランド・ロッジ、グランド・チャプターの双方で役員を務めるたいへん協力的なメーソンと話していた時もそうだった。私たちはフリーメーソンが宗教か否かをめぐって論議していた。私はフリーメーソンが用いる宗教関係の用語リストを繰りながら、つけ加えた。「フリーメーソンの神聖な教義、という言い方をした人がいる。ということはフリーメーソンは自らを宗教とみなしているのではないですか」
彼は答えた。「いいや、私はそういう言い方をしたことはない……神聖な教義だったかね」
「ええ」
「神聖な(セイクラド)とは、聖なる(ホリー)という意味だ」
「ええ。では、聖なる(ホリー)ロイヤル・アーチは?」
彼は押し黙った。しばらくして口を開いた時には、口調は前よりもゆっくりしていた。
「聖なるロイヤル・アーチ。こうした表現は……なるほど宗教的な意味を持っているが、メーソンにとっては違う。ことさら強調する気はないが、メーソン独自の宗教は存在しないし、忠誠を誓わねばならないメーソンの神とか、神格とか、そういった類のものはない。そんなものはない」
「ではJAH=BUL
=ONは?」
彼はどうやら油断していたらしい。ひどくうろたえた表情で、十秒近く口をつぐんでいた。やがて口を開いたが、まるでトゲだらけの茂みでも歩くような慎重な態度だった。
「それは……ヘブライの言葉だが……現代ではすでに消滅している。JAHは、ヘブライ語で神の意味だ。なるほど、また神か。どうしてもフリーメーソンの真の神は何かにこだわるつもりのようだな。だが今の言葉は、我々が神への忠誠を表わす表現だ」
「あなたがJAH=BUL=ONの最初のシラブルにだけ話を限った点が気になる。なるほど、今の説明は信仰心を持つ人間には受け入れやすい。しかし、残りの部分はどう考えるのか? それはバールとオシリスではないのか?」
彼は再び口をつぐんだ。「私にはわからない。それはフリーメーソンの高位の位階者の問題だ」
「それがロイヤル・アーチではないのですか?」
「私はロイヤル・アーチに参加していない。チャプターの仕事をしているが、ロイヤル・アーチではない」
これは彼がついた最初の嘘だった。私には彼が不愉快な気分でいるのがわかった。私は続けた。
「JAH=BUL=ONは神の名を合成したものだといわれている。つまりJAHは……」
「BUL=ONとは何だね」
「BULはバール。ONはオシリス、古代エジプトの死の神だ」
「なるほど」
「十九世紀のメーソン史家、アルバート・パイクは、その名前をみつけ、それがメーソンに関係したものであると知って、度を失った。もちろんその気持はわかる。彼は、異教の神や、二千年以上も悪魔だとされてきた神の名が混じった言葉を、神の名として受け入れることは絶対にできないと言っている」
「それはわかる。しかし私は……私は、それについて知らない。別に知りたくないということではない。全く知らないから、何もコメントできないんだ。誰か他の人に質問したほうがよかろう」
「何か困ることでも?」
「ある高位の位階では、イエス・キリストという言葉を使う」
「ええ。たしかにメーソンには、きわめてキリスト教的な制度が存在している。聖堂騎士団、古式公認儀礼、バラ十字団、マルタ騎士団もそうだ。しかしJAH=BUL=ONという名称に、何か困惑することでもあるのですか?」
「その種のキリスト教的な階級に賛成しないメーソンもたくさんいる」
言外にこめられた意味は明白である。非キリスト教徒にとって、キリストがフリーメーソンの容認しがたい一部というなら、悪魔もまたそうではないのか? ほとんどの入会者には容認しがたいにしても、やはり悪魔はある位置を占めているのである。(p211-216)
典型的な例を上げてみよう。徒弟、職人、親方メーソンの三位階においては、「宇宙の偉大なる建築者」がフリーメーソンの神であるとまず説明される。入会者は別に疑いもせず、自らの宗教観に従って、それはただエホバ、アラー、あるいは聖なる三位一体を別の形で表現したものだと思いこむ。仮にこの名称がメーソンの秘密扱いされている理由、またメーソンの文献ではGodと表記される代わりに「GAOTU」と記される理由について疑問を抱いたとしても、それはただ罪のない秘密趣味、あるいは(見当違いにも)「実務的」メーソン時代の名残を伝える風変りな習慣なのだと納得してしまう。
フリーメーソンの誓約や儀式、教義の神学的問題を研究したことのない普通のクリスチャンは、入社儀式に際してかなりの宗教的・道徳的抵抗を感じる。その儀式には何か気恥しいものを感じたと、多くの人が告白している。しかし、こうした儀式は地位も名誉もある人々が何世紀もの間経験してきたことであり、また伝統に支えられた儀式に親しませるためのメーソン流システムなのだと言い聞かせて、自らを納得させる。
前にも述べたように、GAOTUの真相がJAH=BUL=ONであると明かされるのは、親方メーソンがロイヤル・アーチに昇格する時、つまりロイヤル・アーチ・チャプターへの加入を認められる時だけである。しかしそうした人々ですら、組合メーソンの三位階を経験し、メーソンの儀式や象徴主義につきまとうアンビバレンツ、すなわち、不変の真理など存在しないというメーソン流のドグマにすっかり慣らされているせいで、ほとんどの場合、GAOTUは一神教の唯一神であると思いこんで、目をくらまされてしまうのである。ロイヤル・アーチ・メーソンのこうした誤解を解く者は誰もいない。JAH=BUL=ONの性格については、ただ個人的な見解が語られているだけで、それ以上の説明は求めても決して得られないからだ。(p218-219)
#絶対者の顕現には善=悪=中立(陽=陰=中間)の三角関係が必要かと。ちなみに、カトリックのエリファス・レヴィ著『魔術の歴史』では「オシリスは黒い神」…『エジプト死者の書』では元人間の善神で、古代エジプト霊界の統治者だが…足して割って中立?(爆)