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回答先: 石原ネタの記事2題 投稿者 転載 日時 2000 年 4 月 15 日 20:24:38:
私は石原慎太郎がこの種の発言をするのはむしろ当然だと思っています。
”躁鬱に悩まされ突発的な激情に駆られるボケ老人”
コイツは「言論界の長嶋茂雄」みたいなもんです。
ただ、それがだんだん笑い事ではなくなっているということです。
例えば例の「遺憾表明」によって石原にとっての「三国人」は「中国人・韓国人」から
より物言わぬ立場の「パキスタン人」や「移民」へとすり替えられました。
だが、これはオーストリアのハイダーがナチズム型民族排斥の矛先を当初標榜していた
「ユダヤ人」から「移民」へとシフトしていったのと酷似しています。
これを石原という日本という島国根性に凝り固まったパーソナリティを理解してはくれない
海外のメディアから見ればどうなるでしょう?
「ハイダーとどこが違うのか?」
またそれに対して反対どころか賛同すら示してしまう「日本発メディア」を通した
「日本人の姿」とは?
「分母」が少ないうちは誤魔化しでも「修正」でもなんでもできるでしょう
ところが分母が拡がっていけば「修正できる事実」などどこにも存在し得ないんです。
> 日本人の認識の浅さを示していると思った
日本のマスコミほとんど根拠のない「都庁への賛同六割」を連発して
さも石原が民衆の支持を得ているかのように事実を捏造しようとしています。
まるで「民衆の代弁者」であるかのように伝えている報道すらあるくらいです。
これが伝達される情報の少ない海外メディアから見れば
それが「日本人の総意」であるように見えるでしょ。
これはユーゴ空爆の時「CNNの報道」が「アメリカ人の総意」であるかのように
演出されたのと酷似しています。
つまりこの問題は日本人のパーソナリティそのものが問われているんです。
なのにマスコミは「外国人が抗議しているから」というレベルに貶めている。
結局、日本のマスコミっていうのは「身内」には限りなく甘い
”粗忽者集団”ってことです。
石原が言ったのと別の意味でね。
それがどこまで通用するのか?
この問題、我々が思っている以上にとんでもないことになりそうです。