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回答先: 創価学会はオウムより危険 投稿者 ととかると 日時 2000 年 2 月 19 日 14:15:38:
創価学会の「F(友人のつて)票」
あれ今はどーなっているのだろう。
親しくもないのに選挙前になるとそのたびに急に尋ねて来たし、
親しくもないのに年賀状をよこして来たし、
しつこく何度も電話を掛けてきて、「まだ投票なさっていませんか」とか
何度もしらじらしい敬語で投票用紙に公明党と書け、と強制して来たし、
新聞の購読をしつこく言ってきたし、集会をしつこく誘って来たし、
カルトっぽい話題も種々発生した。
個人的にもいろいろな話が入って来た。
創価学会は、そういう激しい組織拡大運動のせいで
今ではすっかり有権者の嫌われ者になってしまった。
それが一転、政治権力側に移って現実の国政情報を得る立場となり、
いくら支持してくれなんて訴えても
従来のプロパガンダを多少おとなしくした程度では
テレビに公明党が映るたびに有権者は不愉快な記憶が蘇るだろうし、
支持しろ、なんて言われても偽善だと思って承知しないだろう。
感情面での世間の政治的信頼感失墜は当然かと思う。
だから。あの教祖自らが出てきて、はっきりと
「もうカルトはやめる。」
「学会信者を動員して有権者に投票を無理強いする、
従来のF票作戦のやり方はきっぱりやめる。」
とでも公の面前で宣言して創価学会全体で遵守する気概はないのだろうか。
だって、F票活動に携わったり、
何でもかんでも自分たち組織への宗教弾圧、絶対粉砕!なんて
すぐ思い込んでしまう創価学会末端信者の人格や知性そのものが
180度変わるわけではないのだから。
せめて目に見える形で示してほしい。
一般有権者のイメージに+を追う事が期待薄だとしても、
せめて不快感の−を積極的に減らす気は見られないのか。
感情に任せた自暴自棄の意志表示を有権者に促しているのと同じ効果だと思う。
政治権力闘争の本質は、表向きの政党組織名称自体とは何ら関係がないものだ。
ところで、かつてオウムは創価学会教祖の暗殺を試みたという。
その報道を最初に聞いた時、
「乗っ取るためのオウム側の手先がすでに送り込まれ、準備してあったのか」
と思ったものだった。
もっと不思議なことに、
当時オウムの優先攻撃対象とされておらず、
かつ今でもマスコミ報道の空白域となっている部分には、
一体どんな宇宙の暗黒物質が隠されているのか。
どんな巨悪が漂っているのだろうか。