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『情報社会のテロと祭祀』−−その悪の解析−−
倉前盛通 創拓社 1978年3月25日初版
P25
第三遊牧民のテロと祭祀 理性と本能の狭間を流れゆく祭祀とテロとは?
以前から電子化したかったもので、1999年の最後にあたって、資料として
アップさせていただきたいと思います。
(この本のなかのユダヤ関連の記述にはかなり納得できないところも
あるのですが、時代的制約からやむを得ないかと思います。しかし、それをのぞいても、
充分示唆に富む内容であると思います。)
地政学で有名な倉前盛通氏の著作で、私がまだ十代の頃に読んだのですが、非常な衝撃を受けたのを
覚えています。
★阿修羅♪空耳4に、11月末頃に、梟氏やedger_らの三島由紀夫関連の投稿がありましたので、
http://www.asyura.com/bd4/msg/526.html
それへのフォローの形で、転載します。
主な内容。
○狩猟採集社会から農業社会、工業社会、情報化社会へと人類が移行する中で、
農業になじめず、社会から追放され、怨念をもって「遊牧民」が発生した。
工業社会に移行する際にはそれは「都市遊牧民」の形でイデオロギー闘争を生み出した。
来るべき情報化社会においては、新しい「第三遊牧民」が発生するだろう。
○農業祭祀(天文暦法)から、工業祭祀(資本取引)、情報祭祀(??)へ。
○農業社会がそンゴルやトルコやサラセンの攻撃にさらされて、かえって強化
されたように、また、西欧や日本や米国なぞの工業社会が共産主義の挑戦をう
けて、かえって強化されたように、きたるべき情報社会、〈大脳化〉社会も第
三の遊牧民ともいうべきグループの攻撃にさらされてこそ、真に力強いものに
成長しうるであろう。
○日本人の中から「情報祭祀を否定し、コンピューター社会の打倒を宣言する
第三の予言者」が登場するとすれば、それは三島由紀夫が第一の候補者とい
えるだろう。コンピューター社会には、いい意味での「悪」が絶対に必要。
○昭和四十四年、『〈前頭葉〉国家論』(外交時報社刊)を世に問うた時、そ
の序文の中で筆者は次のように述べておいた。この序文は昭和四十四年五月十
五日付で書きしるしたもので、三島由紀夫氏の自決の約一年半前にあたる。と
ころが、不幸にして、この序文の中に三島由紀夫氏の自刃を予言したような箇
所があり、筆者は大変寝ざめの悪い思いをした。まして、三島氏と共に自刃し
た森田必勝君に、この序文の掲載された著書『〈前頭葉〉国家論』を進呈して
いたので、一層、心が傷んだものである。
また筆者は、経団連事件の裁判に証人(弁護側)として出廷を要請されて証言
したが、証人席に坐りながら、テロと祭祀の歴史を思いおこし、少なからぬ
感慨を覚えた次第であった。