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回答先: ●+×=▼ 投稿者 ■■■ 日時 2000 年 1 月 07 日 01:46:05:
以下の文章はお馴染み「カナリアの詩」に載っていた画像「信徒用決意」の
書き取りです。間違った個所があったら、ごめんなさい。
これだけ見ても、巧妙な●×▼すり替え仮想化論理が読みとれて興味深い。
各種、正確な資料をお持ちの方のご投稿も、期待しています。
¥¥¥
世の中で一般的に言われている善悪は、観念であって正しくない。
これは輪廻転生、魂の落下と上昇のプロセスを知らない無知な人間達が
作り上げた観念である。
よって観念を捨断するぞ。
観念にとらわれずに、魂の向上のために、利益になることを実践するぞ。
これまで培ってきた価値観に反しても、本当の魂の向上に役立つことを
迷わず実践するぞ。
ヒナーヤーナやマハーヤーナの見解を乗り越えたヴァジラヤーナの見解に立つぞ。
この世の中を法則の世界にするために、悪趣を高い世界へポアするぞ。
今の世の中は、三悪趣のデータに満ちている。
私の多くの縁深き人々が、この汚れた世の中に存在しているのだ。
このままでは、縁ある総ても魂が三悪趣に落ちてしまう。
彼らは地獄の苦しみを知らない。
身体が疲労し、刺され、焼かれ、つつかれ、ただれ
何度も何度も身体が崩れ落ちる苦しみを知らない。
その世界へは、どんなことがあっても行かせないぞ。
動物の世界は、強いものを恐怖しながら絶えず食べ物を探し求めなければならない。
そして、弱い物を殺生することによって、一度落ちた動物界から
なかなか抜け出すことはできない。
このような世界に、趣深き魂を行かせないぞ。
たえず食物、物質、異性を追い求め、得られたとしても
そのものが苦しみの原因となり、また新しいものを追い求め
苦しみ続けなければならない。
その低級霊域の世界へ趣深き魂を落とさないぞ。
縁深き魂を三悪趣から救済するぞ。
私と縁のある魂を救済するのは、私しかできない。
そして、それが今生きの私の使命である。
その人たちを救済するには、真理の法則によって降伏しなければならない。
彼らを救う方法は、真理を実践させる以外にはないのだ。
したがって、徹底的に導くぞ。
縁ある人々の現世的な観念とはいっさい妥協せず、真の哀れみを持って
縁ある衆生を救済するぞ。
周りのひとに自分がどう思われても気にしないぞ。
なぜならば、私の周りの人は迷妄によって真理を見失っているからである。
一日も速く、1人でも多くの人を真理に導き入れるため、全力でがんばるぞ。
それによって、いかなる苦しみがあったとしても
それは自己の悪業を落とすプロセスである。
したがって、私は忍辱の修行を喜ぶぞ。
ハードなカルマ落としを喜ぶぞ。
なぜなら、私は自分自身で、自分のカルマを落とすことができないからである。
いくら功徳を積んだとしても、私の悪業は落ちない。
したがって、周りから落とされるハードなカルマ落としを喜ぶぞ。
V−2
たとえ恨まれようと、憎まれようと、どんなことをしてでも、
真理に結び付け、救済することが真の慈愛である。
真の慈愛を持って、厳しく衆生を救済するぞ。
たとえ導きによって、かつて親しかった人が真理を理解せず
離れていったとしても、その人の徳の無さ、無智を哀れみ
いつか救済するんだと言う心を持って、その他の縁深き魂を救済するぞ。
私は救済者なんだ。
現世の縁によって私が生きるとするならば、私は彼らに引きずられ
私もまた悪趣に落ちてしまう。
したがって、たとえ導きによって、かつて親しかった人が真理を理解せず
離れていったとしても、悪縁が切れたことを喜ぶぞ。
大切なのは迷妄の人々を真理に結びつけることであり、真理を実践させることである。そのためには、いかなる手段でも用いて救済するぞ。
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ。
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ。
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ。
そして、まわりの縁ある人々を高い世界へポワするぞ。
まわりの縁ある人々を高い世界へポワするぞ。
まわりの縁ある人々を高い世界へポワするぞ。