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「もししゃべったら、ナマリ弾をくらわせてやる」BULLETS ARE CHEEP!(月刊『ボーダーランド』97年9月号)
取材・文/草薙 健
取材協力/セントラルパーク・メディア
「20人もの武装した警備兵たちが、持ち場を離れて一斉に逃げ出してしまったんだ。しかも彼らは核兵器を格納した兵器庫を守る任務にあたっていた警備兵たちだ。それなのに何もしないで逃げたとは、いったいどういうことなんだ?」
「恐怖につかれた?」
「ちがう、ちがう、武器を持っていたんだ。武器がなければ怖くて逃亡するのもわかる。しかし兵士たちは自動小銃を構えていたんだ。そいつを射てばいいだろ? 武装した兵士たちが、恐怖に髪逆立てて、スタコラ逃げ出したとでもいうのかい? もしそんなことが可能なら、そいつはテロリストにもってこいの手段にはなるがね……」
1980年12月26日の未明から29日未明にかけて、英国サフォーク州のNATO軍基地付近でUFO着陸事件が発生した。昨年、アメリカでその事件を15年にわたって追跡した490ページにも及ぶ大書、『レフト・アット・イースト・ゲート』が発行された。著者は事件当時その現場に派遣された元空軍警備兵、ラリー・ウォーレンとUFO研究家のピーター・ロビンス。冒頭で彼らの質問に対して、いらだちを込めて語っているのは、元CNNの敏腕レポーター、チャック・デカロ。その豊富な軍事知識を買われて、現在は米軍のコンサルタントをしている人物である。
84年、CNNは、その事件の真相を究明するドキュメンタリー番組を制作した。責任者のデカロは、「UFO」という結論に飛びつくことを極力さけて、軍関係者や民間の目撃者たちにあたり、いったい何が起こったのか、事実をつきとめるためにあらゆる可能性をさぐった。新型兵器のテスト、核にまつわる事故の隠蔽工作……。
しかし、彼の豊富な軍事知識や旺盛なる取材力をもってしても、「なぜ、武装した兵士たちが武器を使わずに一斉に逃げ出したのか」、という疑問には、明快な解答が得られなかった。
ところが、事件をつぶさに目撃したと証言しているラリー・ウォーレンは、そのときの状況をこんなふうに描写している。
「私たちは、霧のように霞んだベールにつつまれた、黄緑色にボーッと光る謎の物体を遠巻きにしていた。それから、特殊訓練を受けた2人の兵士が、黄色いガイガー・カウンターを手に持って、恐る恐る、反時計まわりに近づいていったんだ。
そのときだれかの声が響いた。
「きた、きた、ヤツらがきたぞ!」
見上げると、ちょうど北海方面の空に、ぽつんと小さな赤い光があった。その光が、グングンと近づいてきたんだ。ものすごいスピードでね……。
その光の球は、私たちが取り囲んでいた発光体の真上6メートルほどの高さに静止した。バスケットボールくらいの大きさで、赤いような、見たこともない色だった。
よく見ておこうと、私が眼を凝らしたその瞬間、それは閃光を放って爆発し、光のかけらが霧の中に飛び散った。兵士たちは一目散に木立ちに逃れたが、私は一歩も動けなかった……」
爆発のあと、消滅した霧の中から、謎の機体が姿を現わした。
「目の前に、突然巨大なピラミッド型の物体が出現した。ピラミッドの頂点で、爆発した光の球と同じ赤い光が輝いていた。本体は虹色に光るパールホワイト。しかし、ねじれたりゆがんだりして、物体の形をはっきりとらえることができなかった。その物体の基底部には鮮明に光るコバルトブルーの光源が並び、その下に黒く見えたのは着陸装置のようだ。箱や、パイプや、奇妙なコードのようなものが、機体をびっしりと覆っていた……」
やはり、兵士たちは恐怖に支配されていたのかも知れない。そう、銃の引き金を引くことすら忘れさせるほど異様な物体の出現に……。
異変は80年12月25日、クリスマスの夜に始まった。ポルトガル北部からドイツ、そして英国南部に渡って、異常なスピードで飛行中の未確認飛行体が目撃されたのだ。同時に、ワットンにある英国空軍のレーダーも飛行体の動きを捉えていた。ところが、飛行体はサフォーク州のレンデルシャムの森付近にさしかかったところで、突然、レーダーの画面からふっつりと消えた。
ウォーレンが語る発光体着陸事件の隠された真相
その夜、英国南部一帯で謎の飛行体の目撃者が続出している。それは、明らかにレーダーが捕捉した謎の飛行体の出現と重なっていたが、27日付けのタイムズ紙は、次の空軍見解を発表しただけだった。
「木曜日(25日)の夜、数百名の人びとが英国各地で目撃した発光体は、流星であるとみてほぼ間違いないだろう」
一方、この事件に興味をもったUFO研究家たちは、基地の米兵たちを介して驚くべきウワサを耳にした。
「レンデルシャムの森にUFOが不時着、米兵が故障したUFOの修理を手伝った」
さらに、英国空軍がUFOの動きをレーダーで捉えていた、という情報をつかんだ彼らは、さっそく空軍に情報公開を迫ったが、何もない、という返事だった。
ところが、事件発生から2年ほどたった83年、事態を決定的に変えてしまう人物が登場したのだ。ベントウォーターズ基地の元空軍警備兵、アート・ウォーレス(ラリー・ウォーレンが当時使っていた偽名)と名乗る謎の男が登場し、事件の驚くべき全容を語り始めたのである。
「自分は40人からの兵士たちとともに、着陸したUFOを間近に目撃した。現場では、兵士たちによって写真や映画が撮影されていた……」
CNNによって否定された核搭載機の墜落事故説
彼の有力な証言に力を得たUFO研究家たちは、情報公開法をたてに、83年6月、ついに事件発生を裏付ける資料の一部公開に成功した。それこそが、軍の発表した事件の唯一の手がかりである、基地副司令官、チャールズ・ホルト中佐の報告書だった。
「80年12月27日の早朝。午前3時頃、パトロール中のアメリカ空軍警備兵二名がウッドブリッジ基地の裏門の外に異常な光をみとめた……」
そんな書きだしで始まるホルト報告書は、不完全ながらも、謎の飛行体が多くの兵士によって目撃された事実や、飛行体が着陸した形跡があることを物語っていた。
そして、83年10月2日。400万部以上の部数を誇る英国のゴシップ紙『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』が、UFO着陸事件をトップ記事に取り上げた。
「サフォーク州にUFO着陸! しかも正式に承認!」
そんな見出しとともに、目撃者アート・ウォーレス(ウォーレン)が描いたUFOの絵や、ホルト報告書、さらには当時の基地司令官ゴードン・ウィリアムスへのインタビューなどが一面で紹介された。
「ホルト中佐は報告書へのコメントをこんなふうに拒否した。『非常にデリケートな問題だ。もし報告書について何か発言したら、キミは将来を棒にふってしまうとはっきり言われた』。一方、ゴードン・ウィリアムス米空軍准将は語る。『ホルト中佐の報告書のことは覚えている。何が起こったのかは
っきりわからないが、すべて報告書にある通りだ。彼は国防省や空軍に嘘の報告をするような人間ではない』。」
この記事に、雑誌、ラジオ、テレビなどのメディアが追随し、当時の英国はUFO着陸事件の話題でもちきりになった。それに合わせて、唯一の証人として表に登場したウォーレンも脚光を浴び始める。ニュースの余波はアメリカや日本にまで及んだ。アメリカの科学誌『オムニ』は事件を特集し、その中で核搭載機の墜落説を強調した。しかしその後、先のCNNの特番は、いままでの核搭載機墜落事件とは経緯が明らかに異なっていることから、それを否定した。
そして84年には、ウォーレン自身がテレビ出演のために来日も果たしている。そのとき、ホルト報告書を前に、彼は次のように主張している。
「これは事実の一部しか伝えていない。もっと大きな事件が起こっていたのに、小さな事件としてすりかえようとしている」
そして、彼は、なんと現場で子供のように小さな生き物を3体目撃したことや、その生き物たちが、現場に急行した司令官、ゴードン・ウィリアムスと何か意思を通わせあったと証言したのである。
しかし、その真相は相変わらず謎につつまれたままだった。
ところが、事件発生から15年間の歳月を経て、ウォーレンとピーター・ロビンスがまとめた著書、『レフト・アット・イースト・ゲート』がアメリカで出版された。そこには、事件のあと、ウォーレンが体験した興味深い出来事が詳しく綴られている。
事件の直後、12月29日の朝。UFOを目撃した兵士たちに呼集がかかり、放射線被曝の有無を検査されたあと、一同は「奇妙な光をみた」とするだけの、偽りの証言書にサインさせられた。その後、当局はUFOと人類との接近遭遇の歴史をまとめたフィルムを上映したあと、それが軍事機密であることを強調。そして、スーツを着た情報機関のエージェントが2人紹介された。
彼らは、冷たく笑いながら、一同にむかってこう警告した。
「2、3人くらいは誰かにしゃべるだろうが、それはかまわない。しゃべるやつには、ナマリ弾をくらわせてやる」
しかし、ウォーレンは、その日の午後に基地内の公衆電話からアメリカの母親に電話をかけ、禁を破ってUFOを目撃した事実を告げてしまった。その話の途中、突然電話が切れ、トラブルが始まったのである。
午後3時前。呼び出されて証拠として母親との会話を録音テープで聞かされたあと、機密漏洩をたてに、除隊もしくは300ドルの罰金を払えと選択を迫られた。入隊したばかりで、まだ軍に残りたかったウォーレンは、そのとき罰金を支払うことを選んでいる。そんな彼は、事件を忘れようと試みたが、しかし、すでに軍はまったく別の顔をみせはじめていた。
まもなく、OSI(特別捜査局)のビル内でデスクワークに配置替えになり、だれかの監視の眼がたえず注がれるようになった。やがて軍への不信感をいだき、次第に反抗的になっていったウォーレンは、基地の地下にある秘密施設の存在を裏付けるファイルを読んでいるところを見つかった。こうして当局にすっかりマークされた彼に、ある日、友人が打ち明けた。
「気をつけろ。OSIのヤツらがお前をハメようとしてるぞ!」
OSIは、その友人に頼んでウォーレンの部屋に麻薬を隠し置き、麻薬不法所持罪でウォーレンを空軍から除籍しようとたくらんでいたというのだ。
徐々に真相を語り始めたホルト元基地副司令官
かくして当局の圧力を受け続けた彼は、軍の弁護士に除隊を勧められたこともあって、81年5月16日付けで名誉除隊となり、ついに空軍を去った。
除隊後、ウォーレンはアメリカに戻って職を転々としながら、生活のために再び軍に入隊しようと何度も試みている。しかし、そのたびに拒否された。地元の下院議員を通じて申し込んだがやはり拒否された。ところが、しばらくして軍から奇妙な手紙が届いたのである。
そこには、81年9月17日付で、彼が永久に入隊資格を失っていることや、その理由は、彼が「右腕を水平に伸ばせない」からであることが、はっきりと書かれていた。しかし、そんな事実は存在しない。何者かが、事実を捏造し、彼に圧力をかけていることは明らかだった。
その後、80年代半ばに事件の証人として頻繁にマスコミに登場したウォーレンは、87年にピーター・ロビンスと出会い、2人で事件に関する本を書く準備を本格的にはじめている。
その秋。アメリカのテレビ局が、大佐に昇進してベルギーの基地に配属されていたチャールズ・ホルト元基地副司令官のコメントをついに入手した。このとき、ホルトは、報告書に記述された事件の発生を認めたが、証拠物や記録の存在を否定し、さらに、ゴードン・ウィリアムス大佐が事件にかかわったことも強く否定している。
しかし、92年6月。ロビンスはすでに退役したホルトから電話で注目すべき発言を引き出すことに成功した。ホルトが「実に奇妙な出来事が起こったのさ」と、事件の発生を認めたのだ。しかしウォーレンの発言には否定的であった。
さらに8月26日には、今度はウォーレンも参加して、2度目の電話インタビューを行なったのだが、その時ホルトはこう謎めいた言葉を残した。
「断わっておくが、この会話はみんな傍聴されているよ……」
盗聴をきらったウォーレンらは翌93年2月16日、とうとうホルトとの直接会談を実現させた。
「実はね、事件の日誌が私の知っているある場所に保管されている」
そんなふうに打ち明けたホルトは、94年に、別のインタビューに答えて、ついにこんな爆弾発言までしているのだ。
「はじめはUFOなど信じていなかった。しかし、今では、自分たちはこの地球上のどこかの国が作ったのではない、われわれの想像をはるかに超えたものを見たのだと確信しているよ」
ついに元副司令官が真実を語り始めた! しかし、ホルトの態度が軟化するのとは裏腹に、国家はウォーレンへの圧力を強めていった。94年9月16日、彼は再び英国へ渡るために、パスポートを更新しようとしたのだが、なんとそれが国から認められなかったのだ。
米国、国家安全保障局がひた隠しにするその真実
彼は「外国で一般大衆にむかって国家防衛の機密にかかわることがらを語った」として、なんと1947年に成立した国家安全保障法違反を問われてしまったのである。
ここにきて、この特殊な法律を自由に利用できる組織、つまりNSA(米国国家安全保障局)の介入が明らかになったのだ。
当然ながら、それを不服とするウォーレンとロビンスは、一計を案じ、ケネディ時代に司法長官を歴任したラムゼイ・クラークに直訴。クラークの圧力によって、パスポートはただちに再発行されている。
さらにその頃、ウォーレンは退行催眠を受けているのだが、それによって、事件のあと彼は何者かに拉致され、地下の秘密基地とおぼしき場所に連行されていたことが判明した。そのとき彼を拉致したのも、やはりNSAのエージェントだったのだろうか? そ
れにしても彼らNSAとはいったい何者なのだろう?
52年11月4日に発足したNSAは、やがて国民や議会からほとんど独立し、「アメリカの安全保障のため」に隠然たる影響力をふるいはじめる。設立当初もマスコミや政府の公的資料に決して現われず、1万人とも言われる局員たちが密かに仕事を開始したらしい。その活動の実態は、徹底した秘密主義によって現在もベールに隠されたままだ。そのため、NSAとは、「No Such Agency」(ありもしない機関)の略だ、と皮肉るものもいる。
このNSAが、UFO着陸事件の証拠を隠滅させようと謀っていると見えるのはなぜだろうか? 彼らがそこまでUFOにこだわる理由は何だろう? 先ごろ、元英国国防省UFO担当室書記官長ニック・ポウプが本誌で語ったように、やはりアメリカはUFOを回収しているのではないか。
もし、その通りならば、「はるかに進んだ地球外のテクノロジーをアメリカが国家機密として独占し、機密が漏洩して世界に拡散した核の二の舞いになることを防ぎ、世界戦略を有利に展開する。そのためにUFOの出現するところには必ずNSAの影がある」、そんな説明が可能になる。
しかし、別の可能性もあるだろう。
たとえば、事件発生当時、折しもポーランド国境付近でソ連軍の動きが活発化し、警戒体制に入った基地は、異常な緊張につつまれていた。ひょっとすると、80年代にミグ戦闘機の亡命が話題を呼んだように、ソビエトからUFOのごとき新型の航空機が飛来して亡命をはかり、当時緊張関係にあった米ソ間で裏取り引きがなされたのかもしれない。いずれにせよ、事件は依然として謎に満ちている。