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回答先: オウム狩りの危険な熱:ニューズウィーク日本版1999年11月24日号 P.14 より 投稿者 たけしくん 日時 1999 年 11 月 22 日 09:41:54:
オウム新法は「魔女狩り」だ
法案は宗教による差別を認め、国民全体の自由を制約しかねない社会がなぜオウムを
生み出したのかを、まず分析するべきだ
秋田一恵(弁護士)
ニューズウィーク日本版 1999年11月24日号 P.18 より
4年前、地下鉄にサリンを散布したオウム真理教をめぐる状況が緊迫している。信者
を居住させないために近隣住民がバリケードを組んだり、信者の子供の就学拒否をし
ているが、住民に押されて各自治体も信者の住民票を受理せず、信者は行政サービス
を拒否されている状態となっている。
オウム信者はまさに流浪する民である。日本全国で、信者は放射能漏れを起こす原
子力発電所以上のアレルギー反応に対峙している。
今国会に提出されたいわゆるオウム新法は、一部ではそうしたアレルギーに対する
特効薬と考えられている。内容は、過去に無差別大量殺人を実行し、首謀者が今も影
響力を有するなどの要件を満たす団体に対しては、公安審査委員会が公安調査庁長官
に対して、構成員の氏名、住所、資産について3カ月ごとに報告させたり、施設へ立ち
入らせることができるうえ、土地や建物の取得や勧誘行為等も禁止できるというもの
である。
簡単にいえば、この法律を適用された団体は息の根をほぼ止められる。しかも、30
日以内に「処分」するか否かを決めるという「速効性」が売りである。
この法案は、隣人にオウム信者はごめんだという住民の要求にこたえるのか。仮に
こたえたとしても、反対に失うものはないのか。
人権は保障されるのか
結論からいえば、この法案はオウム信者の現存居住施設には速効性はない。さすが
に居住用施設から信者を追い出すことは明記していないし、もちろん信者の子供の就
学拒否も正当化されない。
むしろ、新たに土地や建物を取得できず、移転の自由が制約されれば、現存施設に
住み続ける以外にない。信者をたらい回しにすることは、かえってできなくなるだろ
う。しかも、この法案が他の団体に適用される可能性もある。
他方で、同法案によって失うものは大きい。基本的人権が制約されるからだ。オウ
ム新法と呼ばれることでもわかるが、この法案は宗教や信条による差別的取り扱いを
許容している疑いが強い。憲法が保障する集会や結社、表現の自由も制約される。
過去の犯罪行為を理由とした活動禁止は二重処罰に触れないか、正当な法の手続き
は保障されるのか、と疑問は百出する。何を信ずるかによって基本的人権が保障され
ないというのは、最も忌むべき事態である。法曹関係者には違憲の疑いありとの声も
あるが、この声は小さい。メディアも反対意見には及び腰である。
地下鉄サリン事件自体の風化が言われて久しい。麻原教祖の社会復帰の可能性は皆
無に近い。こんな状況でなぜ今、オウム新法なのか。住民の「不安」にこたえるとい
う「純粋さ」を疑う必要はないのだろうか。
この法案は、官公庁の盲腸ともいわれる公安調査庁に活躍の場を与える点に特徴が
ある。同庁には、破壊活動防止法でオウムを取り締まれなかった過去がある。教団の
実態や危険性に気づき、調査対象とするのも相当遅れた。そこで、よく似た新法で自
身の存在意義を見いだそうとしているようだ。今や調査庁にとって、オウムは生き延
びるための手段でもある。
教団は私たち社会の鏡
オウム真理教は公明党の支持母体である創価学会をライバル視し、池田大作名誉会
長の暗殺も考えたという(ただし事件とはなっていない)。小渕政権としては、公明
党の意向も無視できないと言われる。首切り、高齢化社会、荒れる学校と不安をかか
え、有効な政策を示せない現政権にとって、オウム排斥は国民の格好のルサンチマン
ではないだろうか。
メディアも政治家も、オウムに関する一般の過剰反応に責任がある。なぜなら、オ
ウムは今や社会共通の敵、「魔女」となっている。オウムをかばえば非難されるとい
う恐怖が、メディアを中心にある。「大衆の要望」に政治家は怯え、法案の内容も知
らずに賛成しているからである。
反オウム運動に参加している住民1人ひとりと話したことがあるが、本音では「オウ
ムの子供にはなんの罪もない。子供の就学は保障されるべきだ」と言っている。しか
し大勢が反オウムを唱えるなかで、「ちょっと待って、冷静に考えよう」とは言いだ
せない雰囲気になっている。
こうした理由以上に、私たちにはオウムを生み出した社会の分析を避け、異質なも
のは排除したくなる衝動があることを認めるべきだ。善悪を単純に2分化することや組
織に盲従すること、与えられた目標に疑問をいだかないことなど、オウムの思考は鏡
のように私たち社会の思考を映している。
むしろその共通性ゆえに、オウムは嫌悪されるのではないだろうか。この分析なく
して、第2のオウム事件は防げまい。オウム新法は特効薬とはならない。(筆者は地下
鉄サリン事件の刑事弁護人)
ニューズウィーク日本版
1999年11月24日号 P.18