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週刊宝石10/21
“ウラン投入量「16キロ」は本当か
JCO疑惑の隠蔽データ!”
技術評論家 桜井淳(元原子力研究所研究員)
安全対策に対する未熟さが、またもや露呈してしまった。日本の原子力は安全、
といった「標語」は虚構でしかない。もはや神話の領域だ。
今回の事故も、組織的な安全軽視が原因だとされている。小出しながらも、その
全貌の一端が徐々に明らかになりつつある。
しかし、かつて安全解析の仕事に従事していた私の経験から考えると、いまだ納
得しがたい点が存在するのだ。
最初の発表(9月30日)によれば、被曝したJOC作業員の被曝量は最大で8
シーベルトと発表された。私はこの数字を聞いて驚愕した。いかなる方法ではじ
き出したものかは知らないが、信じがたい数値なのである。そもそも8シーベル
トなる数値がとれほとのものであるのか、ご存じだろうか。これは原爆が投下さ
れたときの、広島・長崎の爆心地における被曝量に等しい数値なのだ。しかもそ
の後(10月2日)、放射線医学総合研究所では、被曝量を「約17シーベル
ト」であると訂正している。爆心地を超える被曝量ではないか。通常、考えられ
る数値ではない。
旧ソ連においては、過去に12件の臨界事故が記録されている。これらはほとん
ど、軍事用施設で発生したもので、5名の死者が確認されている。
しかし当時の記録を見ると、被曝量は多くても3シーベルト程度なのだ。この数
値と比較すると「約17シーベルト」なる数値がいかに常軌を逸した量である
か、理解できよう。私が知る限り、こんなにも多い被曝量は聞いたことがない。
では、仮に「約17シーベルト」が本当であるとすれば、その意味をさらに深く
考えなければならない。つまり被曝量から判断すると、今回の事故は我々が考え
ていた以上の「大事故」であった可能性が、否定できないのだ。
JCOの発表によれば「濃縮度18・8パーセントのウラン溶液を16キロ、沈
殿槽に投入した」ことが事故原因だとされた。作業効率を優先させるために大量
のウラン溶液を流し込んだとすれば、あまりにもお粗末な感覚だと言わざるをえ
ない。
しかし、私はその時点で即座に、「そんなはずはない」と確信した。16キロの
ウラン溶液といっても、18・8パーセントの濃縮度となると、核分裂を起こす
「ウラン235」の量は約3キロでしかない。それだけの量で核分裂が促進さ
れ、さらにあれだけの被曝量を記録することができるのか。非常に奇異に感じた
のである。
果たして、その可能性は強まっている。投入されたウラン溶液の量は16キロで
はなく、「実は24キロだった」とする説が、一部報道機関ではされているの
だ。
今後、JCOが溶液量を「上方修正」することは間違いなかろう。
しかし、新たに報道された「24キロ」にしても、いまだ私を納得させる数字で
はない。それでもまだ少ないと、感じているのだ。たとえば核爆弾であれば、濃
縮度が93パーセント以上の金属ウランを最低でも5キロは必要とする。しかし
今回は金属ではなく、水溶液である。金属と比較すれば、密度が非常に低いの
だ。
濃縮度18・8パーセント、しかも低密度のウラン溶液が臨界に達するには、相
当の量を必要とする。「16キロや「24キロ」で、本当に「約17シーベル
ト」もの被曝量を与えることが可能なものなのか、信じがたい。極端な話ではあ
るが、濃縮度18・8パーセントのウラン溶液を100キロ集めたとしても、そ
の形状によっては、臨界に達することはない。
他にも重大な情報が隠蔽される可能性
臨界に必要なのは、実はウランの量だけではないのだ。どのような形でウランが
存在するか。つまり、形状が問題なのである。
原爆はなぜ、球形なのか。それは球形が最も効率的に核分裂を起こす形であるか
らなのだ。原爆と同じ高濃度の金属ウランであっても、薄い煎餅のような形状で
あったら、どうなるか。これでは爆弾としての利用はできまい。この形状で核分
裂を起こすのは非常に困難なのである。
それでは、沈殿槽の形状を思い浮かぺていただきたい。直径約50センチの円筒
である。その沈殿槽の底に、密度の低いウラン溶液が沈殿した。濃縮度18・8
パーセントの溶液が仮に「24キロ」の量としても、核分裂に必要なウランは
4.5キロでしかない。薄い煎餅とは言わないまでも、たとえばパンケーキにも
似た形状である。この条件で臨界までいくものなのかを、私は疑うのだ。
また体質から考えて、JC0はまだほかにも重大な情報を隠しているのではない
かと疑っている。こうしたときに発表される情報は、鵜呑みにするぺきではな
い。徹底的に疑ってみる必要がある。正確な事実が出てこない限り、いかなる教
訓ともならないのだ。とことん疑い、納得できる真実のデータを引き出さない限
り、事故は繰り返される。JC0は一日も早く、すべてのデータを、何も隠すこ
となく公表すべきだ。
しかし、これはJC0だけに問題があったわけではなく、ましてや現場作業員だ
けの責任に帰せられる問題でもない。この10年間を振り返ってみてほしい。89
年(福島)、91年(美浜)、95年(もんじゅ)、97年(動燃再処理工場)と、ほ
ぼ2年に一度の割合で原子力関係の深刻な事故が発生しているのだ。しかも、事
故の危険度レベルはそのたびに上昇
している。
これは国民にとって許容しがたい不安要因ではないか。繰り返される事故は何を
意味するのか、行政は真剣に考えるべきだ。従来の安全政策がいかに未熟であっ
たかを、猛省すぺきなのだ。
私は10年前、国内外の原子力関連施設を訪ね歩いた。そのなかには、今回の事
故現場となったJCOも含まれている。普通の町工場であった、という以外の印
象はない。普通のコンクリート建築物であり、ガラス窓までついている。とても
臨界事故などを想定した構造にはなっていなかった。つまりJCOだけではな
く、このような構造の建築を許した国の安全審査も、臨界事故など少しも想定し
ていなかった証拠である。
人為的なミスで片づけてはいけない。人間はミスをするのだ。それを想定した安
全対策ができないようであれぱ、原子力行政への不信感は永久に消えることはな
いだろう。真実の公開と、根元的な対策こそ、急げ。