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回答先: 解放交渉は今週がヤマ場 拉致事件、1カ月 投稿者 倉田佳典 日時 1999 年 9 月 22 日 18:59:32:
◎初期対応遅れ後手後手に 現地対策本部も疲労の色
【ビシケク22日共同】キルギスの日本人技師拉致(らち)事件
から23日で1カ月。解決への見通しが依然つかない中、ビシケク
の外務省など日本側の現地対策本部は、30人以上が情報の収集や
キルギス政府との折衝を続けているが、疲労の色も目立ち始めた。
日本の大使館がない国で起きた初の邦人人質事件。いち早く「立
ち入り自粛勧告」を出していた米国と違い、海外危険情報は事件後
になった。対策本部の要員派遣、事務所の設置なども全くのゼロか
らのスタートだった。
対策本部のある幹部は「初動の対応が遅れ、後手後手に回ってし
まったのは事実」と、危機管理面での問題、不備があった点を認め
ている。
事件発生を受け、外務省は取りあえず、隣の在カザフスタン大使
館から大使と職員1人を急きょ陸路でビシケクに向かわせ、キルギ
スのアカエフ大統領らと接触、人命最優先での事件早期解決を要請
した。
しかし職員の数が足りず「手足のない状態」(対策本部関係者)
の活動を強いられた。東京から邦人保護担当の参事官ら7人を送り
込む一方、モスクワ大使館からロシア語に堪能な職員4人を派遣し、
対策本部の最終的な陣容がようやく固まったのは9月2日だった。
勤務先の関係者の手で、拉致された4人の技師に医薬品や食料を
届ける試みも進められているが、人質がキルギス国外に連行された
可能性まで浮上、今は「いつ、どこで解放されるのか、キルギス政
府にも分からない」(対策本部幹部)が現状という。 (了)
[共同 9月22日] ( 1999-09-22-15:13 )