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潮一〇月号読者欄
私のカンボジア報道について
もう二十余年も前の古い話で恐縮なのですが、本誌で随筆や評論などを連載していた
ころのこと、一九七五年十月号で「カンボジア革命の一側面」と題して一文を書いた
ことがあります。
かんたんに要約すれば、サイゴンで会った一人の若い中国人女性の体験の紹介が主た
る内容ですが、その背景としての解説も加えられています。この中国人女性は、当時
カンボジアから命からがらペトナムヘ脱出してきた一人で、ポル=ポトをリーダーと
する赤色クメール(カンボジア人民軍)によるひどい弾圧と虐殺政治の体験者でし
た。しかしサイゴン階落直後の当時、まだその実態が外部にほとんど漏れてきていま
せんから、読売新聞の永井清陽記者とともに聞いたその信じがたい内容には非常に驚
かされたものの、彼女が嘘を捏造しているとも思われず、ともかく聞き書きとしてあ
りのままを書いたわけです。
ただし、それに加えて書いた背景説明では、カンボジアのベトナム以上に「侵略され
つづけた歴史」に起因する極端な革命路線や「行きすぎ」とか、末端まで指導が徹底
していないための誤りの可能性などを指摘し、総じて「カンボジア革命」を擁護する
方向で書かれています。
最近、この記事を見たらしい読者から、この後者の部分(背景説明)がその後の収録
本から削除されているのはおかしいのではないか、という指摘のお便りをいただきま
した。本誌に掲載された一文をめぐる件ですので、この場を借りてご説明いたしま
しょう。
本誌のあの一文だけを読んだ人であれば、右のように思われる人もあるかもしれませ
んが、その後の活動を全くご存じないのだな、と改めて残念に思いました。と申しま
すのは、このあと最終稿としてまとめた本(たとえば著作集第16巻『カンボジア大
虐殺』とか文庫版『検証・カンボジア大虐殺』=いずれも朝日新聞社)までの間に、
取材を通じて私の認識が変化してゆく過程が、ルポや対談・インタビューなどのかた
ちですべて明らかにされているからです。
最初のそれは、「カンボジア革命の一側面」より三カ月前の本誌一九七五年七月号に
書いた「欧米人記者のアジア人を見る眼」で、これはプノンペン陥落直後の執筆にあ
たります。これが最も「カンボジア革命」を擁護する内容でしょう。ついで「…一側
面」(十月号)となり、問題が出はじめたわけですが、まだ擁護的解説がついていま
す。
このころは私に限らず、ベトナム戦争を現地取材してきた記者たちは、ほとんどがカ
ンボジアの解放勢力に「理解」を示していました。その最大の理由は、べトナムの解
放勢力と同一視していたことによります。ですからカンボジアの解放区取材に潜入し
た記者たちも、まさか殺されるとは思わずに次々と消えていきました。ところがカン
ボジアの赤色クメール(ポル=ポト派)は、ベトナムとは似ても似つかぬものである
ことが、少しずつわかってくるわけです。これを虐殺政権とみる人々と、それは誤解
であり、ベトナムでみられたような米軍側の捏造による宣伝とみる人々(いわゆる中
国派が多かった)とで論争する時代がかなりつづきました。
私はジャーナリストとして、とにかくまず事実を知ろうと努力しました。そして現場
取材による決定的検証ルポとなったのが『カンボジアの旅』(朝日新聞で一九八○年
秋に二六回連載…翌年に単行本)です。本誌の一九七五年七月号から五年かかったわ
けですが、この間における私の認識の過程は、前述のようにすぺて明らかにされてい
ます。一部は本誌(一九八一年四月号・一九八五年八月号)でも書きました。
したがって、これらの過程を知る読者であれば、最終的にまとめた前述の本の中で、
わざわざ本誌での当初の論評、のちに私自身のルポによって自ら訂正したものを掲載
するはずもないことを理解されましょう。右の「欧米人記者の…」も、収録していた
単行本『貧困なる精神・第3集』の重版からは削除してあります。また私のこの検証
ルポは、イギリスの大学院でカンボジア問題を研究しているある学者のお便りによれ
ぱ、世界で最も徹底して詳細な現地調査だとのことです。
ご参考までに、本誌一九七五年七月・十月両号以後の五年間に発表した私の記事やイン
タビュー・対談の類を左に列挙しておきます(ほかにも漏れがあるかもしれませんが)。
▽カンボジア国境紛争(朝日新聞』一九七七年九月十九日)▽カンボジア国境戦争を
考える(『朝日ジャーナル』一九七八年四月二十八日号)▽中国・ベトナム関係
(『朝日新聞』同五月十八日号)▽引き裂かれたインドシナ(『朝日ジャーナル』同
六月三十日号)▽カンボジアと馬渕直城氏(『朝日新聞』同八月二十一日)▽カンボ
ジア報道はどうなっているのか?──馬渕直城氏へのインタビュー(『マスコミひょ
うろん』同十月号)▽単行本『カンボジアはどうなっているのか?』(すずさわ書
店・同十二月)▽単行本『ベトナム・中国・カンボジアの関係と社会主義とを考え
る』(朝日新聞社・一九七九年一月)▽衝撃のカンボジア(『文化評論』同三月号)
▽ポル=ポト政権の大虐殺と報道(『赤旗』同二月四日)▽自著『カンボジアはどう
なっているのか』を語る(『50冊の本』同三月号)▽単行本『このインドシナ』
(井川一久編・連合出版一九八○年一月)で本多が司会▽単行本『虐殺と報道』(す
ずさわ書店・同十一月)▽事実には事実を(『朝日新聞』一九八一年一月二十七日)
▽単行本『カンボジアの旅』(朝日新聞社・同二月=前年末の新聞連載分)▽私の取
材方法と認識論(『社会科学研究年報5』合同出版・同年版)
──以上のうち、集大成として残したものが著作第第16巻『カンボジア大虐殺』に
収録された。(長野県下伊那郡・本多勝一・ジャーナリスト・67歳)