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回答先: スカリーの円盤物語とFBI 投稿者 SP' 日時 1999 年 6 月 04 日 20:20:44:
…社会的にも重要な地位にある1人の人物が、素姓も隠さず公然と墜落UFOに関する証言を行い、それまで懐疑的だったUFO研究者達も、今度ばかりは無視できなくなって、改めてUFO墜落の事実が大きくクローズアップされてきたのである。
情報提供者の名前はロバート・サーバチャー。アメリカ名士録『Who's Who』にも顔を出しており、ジョージア工科大学の学部長を務める程の輝かしい経歴を持つ人物である(1907〜1986年)。
1950年の当時、彼はペンタゴンの合同研究開発委員の科学顧問の任にあった。その彼のオフィスを、カナダ人の電気技師ウィルバート・スミスが訪れたのは1950年9月15日だった。今は亡きスミスが当時明かしたところによると、その時サーバチャーは、墜落したUFOの機体が回収されている事や、政府機関で働くトップレベルの科学者であるバニーバー・ブッシュが機体の調査を行っていると語ったというのである。
1985年6月、ワシントン工科大学部長だったサーバチャー博士は、その為に開かれた記者会見の席上で、何と「スミスの発言は事実だ」と認めたのである。
それによると当時、サーバチャーはオハイオ州デイトンにあるライトパターソン空軍基地に招かれた。その会合で政府の役人達は科学者達に、墜落UFOに関する情報や発見事項を報告する事になっていた。会合には前述のブッシュや著名な数学者ジョン・F・ノイマン等が出席し、ロバート・オッペンハイマー博士やフォン・ブラウン博士も同席しており、UFOは太陽系外の宇宙からやって来た恒星間宇宙船と思われる、という説明を受けたという。(『UFOはこうして飛んでいる!』p53-54)
1950年の12月2日には、C・P・エドワード司令官によってプロジェクト・マグネットが組織された。当時、彼は航空局の運輸政務次官であった。スミスはそのプロジェクトの担当エンジニアに任命された。
遠距離通信部の放送及び測定部門は、自由裁量権が与えられていて、必要とあれば国防研究委員会や国家研究評議会のような情報筋に応援を依頼する事もできた。
国防研究委員会議長O・M・ソーラント博士も、全面的に協力を申し出た。
それでもカナダ政府は、W・スミスやプロジェクト・マグネットの仕事を表面上軽くあしらってきた。(『トップシークレット』p70)
1952年6月25日、プロジェクト・マグネットの中間報告で、スミスは次のように述べている。
既にその証拠は明らかであるが、もし空飛ぶ円盤が他の文明からの使者であると仮定する。そして、磁石の原理で飛行するのが事実なら、私達が磁石の原理の中で見落としている事がある事になる。しかしそれは同時に、私達に何が欠けているか、目指すべき方向を示してくれている事でもある。故に、プロジェクト・マグネットの仕事は今後も継続し、これらの研究に関係する色々な分野に、専門家をつぎこむべきである。
1953年8月10日、スミスはプロジェクト・マグネットに関するもう1つの報告書を提出した。この中には、幾つか驚くべき結論が含まれている。
空飛ぶ円盤が地球外から飛来している可能性が極めて強い。もしそうであれば、こうした乗物は私達よりかなり進んだ科学技術を使っているに違いない。今私達は、このような科学技術を取得する為、鋭意研究に努めなければならない。必ずや、私達に大きな恩恵を与えてくれるであろう。
このスミスの結論に対し、カナダ政府は“官界”の意見を代表しているものではないと否定し、またスミス自身、この報告は公式のものではなく、あくまで彼と彼の属する小さな研究グループの考えであると述べた。
政府は、この事実を肯定も否定もしていないが、この事でスミスの名声は些かも影響を受ける事はない。スミスが誠実な人間である事は確かであり、彼はこの後数年間この部門の代表を務め、その後下院の放送委員会の代表になった。
1953年12月、オタワの外れ、シャーリーズ・ベイに、UFO観測ステーションが設けられた。この施設にはγ線、磁気計、ラジオ受信機、自記重力計等の記録装置が備わっている。
しかし、政府の科学者達は、この観測所の推し進めたプロジェクトに関わる事を酷く嫌った。というのもソーラント博士がこの観測所の報告は出鱈目であると発言し、物議を醸したからだ。実は、スミスがこの観測所を造る際、ソーラント博士が議長を務める国際研究会議から資金援助を受けていたのである。
1954年8月8日、観測ステーションの計器類に異常な乱れが生じた。だが、濃い霧の為、スミスや彼の仲間は上空に何も見る事はできなかった。その2日後、運輸省は観測ステーションを閉鎖すると発表した。恐らく、計器類の乱れと何らかの関係があるのだろう。
スミスはこのプロジェクト・マグネットを中止する理由として、国民に知られる事を恐れる政府にとって、目の上のたん瘤だからだろうと推測している。しかし、スミス自身に対しては、暇な時間に非公式にこのプロジェクトを続ける事を許可している。(p73-75)
次の会話は、スミスがサーバチャーにインタビューした後、手書きで記録したもので、日付は1950年9月15日となっている。
スカリーの書いた円盤についての本を読みました。その中でいわれている事は、どの程度真実なのでしょう。
あの本に書かれている事は全く正しい。
じゃあ、円盤は存在するのですか?
ええ、います。
スカリーが示唆しているように、磁気の原理で飛ぶのでしょうか?
それについては、まだ解っていません。
他の惑星から来るのでしょうか?
さあ、それはどうでしょう。地球のものでないとは思うのですが。
それについては、全て機密扱いであると聞いていますが。
そうです。水爆よりも2ポイント上に位置づけられています。事実、アメリカでは最重要機密です。
それは何故なのですか?
それにはお答えできません。(p219-220)
カナダでの調査が始まった2年後、ワシントン市で開催された国際会議に出席したスミス博士は、新聞社のインタビューでカナダの調査に言及し、「私は証拠物件の比重から見て、UFOは地球以外から来たものと確信する。この出現こそが米政府の宇宙計画及び人工衛星に対する関心を急激に深めたものと考える。米政府はUFOの推進力の秘密にも、切実な関心を寄せているといいたい」とコメントしている。
1950年11月21日付でスミス博士からオタワの運輸省へ出された覚え書きは、サーバチャー博士から示唆された事実の確認だった事を暗示しているが、以下は「トップシークレット」から「コンフィデンシャル」に格下げになった文書の該当部分の抜粋である。
電気通信長官宛の覚え書き。
「我々は今、新しいテクノロジーの幕開けとなる可能性を秘めたものを追っていると信じます。異質のテクノロジーの存在は、空飛ぶ円盤に関連して現在遂行されている調査が証明してくれます。我々の研
究もアメリカ側の秘密情報に助けられるところが大きいのではないか、と私には思われました。カナダ大使館の皆さんにお願いしたところ、以下の情報を入手してくれました。
a 当件は、合衆国政府内では最高機密に属する問題で、水爆より高くランクされている。
b 空飛ぶ円盤は実在する。
c その推進原理は未知だが、バニーバー・ブッシュ博士率いる小グループにより集中的努力が続けられている。
d この問題全体が、合衆国政府当局から、途方もない重要性を持つものと見なされている−」(『UFOはこうして飛んでいる!』p55-56)
サーバチャー博士がスタインマン氏の質問に答えた手紙には次のように記されている。日付は1983年11月29日。
手紙は、「どうも返事が遅れて申し訳ありません」という詫びの言葉から始まっている。
「…墜落したUFOについては、実は私自身は全く関わっていません。私が知る限りでは、ジョン・F・ノイマン博士、バニーバー・ブッシュ博士、ロバート・オッペンハイマー博士の3人は破片分析に確実に加わっていました。調査が行われたのはアイゼンハワー大統領の時代で、大統領の命令によりコンプトン博士の許、この研究調査委員会は設置されました。当時、私も参加するよう依頼されました。私が確実にいえる事は以上です。
ただ、委員会の公式報告書については、ペンタゴンにいた当時、私も目にしています。が、現在手元にはありません。ご存知のように、持ち出せる性質のものではないからです」(『MJ-12の秘密』p132-133)
…博士は分析に携わった科学者の仲間達からこう聞いたと書いている。
「私が彼らの話の中で覚えているのは、墜落した空飛ぶ円盤の破片は、非常に軽くて強靭だったという話です。これは米政府機関の研究所が、破片を慎重に分析した結果、出した結論との事でした。また、ペンタゴンに回ってきた報告書によると、操縦していたパイロットの体重も、機体も非常に軽量で、急加速、急減速に耐えられるつくりだったようです。
また、調査に関係した科学者によると、宇宙人は地球上の昆虫のような骨格をしていたと語っていた事を覚えています。急加速、急減速という動きによって生みだされる過重な重力に耐えられるよう、このような骨格をもっていたのではないかと彼らは堆測しているようでした」(p137-138)