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99.5.14
∽∽∽∽∽∽∽∽∽ MAIL MAGAZINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
マリード VOL.11 発行:寺園敦史 tera0815@ea.mbn.or.jp
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◆このメールマガジンは,今日の不合理で閉鎖的な同和行政の実態を少しでもオ
ープンにするため,情報公開条例などを使って調査した内容を公表するためのも
のです。当面の調査対象はおもに京都市の同和行政です。
◆マリードとはアラビア語で「病人」という意味です。
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〔今号のもくじ〕
▽前号記事の訂正
◎『「同和」中毒都市』書評
・「毎日」1999年5月7日付夕刊
◎「週刊金曜日」原稿不掲載について
・差別に苦しんでいる人びとへの配慮
・これが不掲載原稿
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▽前号記事の訂正
本誌10号(99/5/07)掲載〈その後の「同和中毒都市」第1回・貶められた住
民――奨学金〉中の「別表」に誤りがありました。
所得限度額 貸与月額 学力基準 返還期間
同和奨学金 1100万円*1 9万円*2 なし 20年
育英奨学金 980万円程度 5万円 高校2〜3年の成績3.5以上 14年
間違っていたのは,上記「同和奨学金」の「貸与月額」の金額です。前号の別
表では,19万円と記載していましたが,これは9万円の間違いです。初歩的な入
力ミス,校正ミスでした。訂正して,お詫びいたします。
▽▲▽
◎『「同和」中毒都市』書評
▼ほん 『「同和」中毒都市――だれも書かなかった「部落」2』 寺園敦史著
(「毎日」1999年5月7日付夕刊より採録)
かつて部落解放運動の先進地だった京都市が今日,同和行政で全国最悪の自治
体と呼ばれるようになったのがなぜなのかを丹念な取材で描いた『だれも書かな
かった「部落」』(1997年)の続編。今回は京都市の情報公開条例を活用し,公
開された公文書の内容や,公開・非公開を判断する行政の姿勢を分析すること
で,同和行政の実態に迫った。
例えば,実際には温泉旅行である運動団体の「研修」や「学習会」に市から補
助金が出され,運動団体に属する市職員が本来の職務を離れてそれに参加してい
る,といったことが指摘されている。
このように「同和」の名のもとに与えられている特権が行政と運動をむしば
み,同和問題の解決を阻んでいると著者は訴える。
(かもがわ出版・本体1800円)
▽▲▽
◎「週刊金曜日」原稿不掲載について
「週刊金曜日」という雑誌をご存じだろうか。落合恵子,佐高信,椎名誠,筑
紫哲也,本多勝一という,いずれ劣らぬ著名な作家,評論家,ジャーナリスト5
氏が編集委員をつとめている。また,発行財源を広告に求めず,読者の購読料に
依拠して発行している,日本ではきわめてユニークなメディアである。
「『週刊金曜日』にタブーはありません。/広告収入に依存しない雑誌なので,
/ 迎合しなければならない広告主もいません。/あらゆるタブーに挑戦し,/
自由な言論メディアとして,/「日本のいま」を語りつくします。」(同誌のホ
ームページより)という雑誌なのである。
その志しにはとても共感するし,本多,佐高両氏の著作からは,これまでにわ
たし自身,たくさんのことを学ばされてきた。
さきごろ,その「週刊金曜日」から執筆依頼を受けてわたしが書いた原稿が,
奇怪な理由で不掲載にされてしまう出来事があった。今日の部落問題を考える一
つの材料になると思うので,以下紹介したい。読者のみなさんはどう感じるでし
ょうか。
▼差別に苦しんでいる人びとへの配慮
今年の3月23日,わたしは「週刊金曜日」編集部(以下,編集部と略)から手
紙を受け取った。内容は同誌の「本の自己紹介:自薦」というコラムへの執筆の
依頼で,「これは本誌として推薦したい本を選び,各著者に自著の紹介をしてい
ただくものです。」(執筆依頼文より)というものだ。
ここでいう「自著」とは,この2月に刊行した『「同和」中毒都市』(かもが
わ出版)を指す。編集部宛てには,版元が刊行と同時に本と一緒に書評依頼状を
出していたので,それを受けての執筆依頼である。執筆文字数は450字という短
さだが,わたしにとって,光栄なことには変わりはない。
翌日,わたしは執筆受諾の返事を編集部にし,さらにその翌日には早々に原稿
を書き上げ,ファックスと電子メールで送稿した(その原稿は本文末に掲載)。
同月30日,編集部(担当編集部員)から電話があり,掲載は4月30日号の予定で
あるとの連絡を受けた。
ところが,4月5日になって,再度編集部(副編集長)から電話があり,わた
しが送った原稿を掲載することはできない旨告げられた。なぜか。
「『同和中毒都市』の中で触れられている問題がとても重要なことであること
は,弊誌も重々承知しております。ただ弊誌としては,逆差別の問題を問う前
に,あまりに理不尽な部落差別の歴史があり,いまだに差別に苦しんでいる方々
がたくさんいらっしゃることを読者に伝え,読者に考えていただきたいと思って
います。その上で,寺園さんが『同和中毒都市』でご指摘なされている問題に踏
み込んでいきたいと思っています。が,編集部の力量不足で,まだ十分な記事掲
載ができていません。/ですから,現時点でこの原稿を掲載することは,見合わ
させてください。」(後日送ってもらった副編集長の文書による説明より)
すでに編集部に送ってある本をみれば,わたしがどんな原稿を書いてくるか容
易に想像できたはずだ。なぜ今ごろになって,そんなことをいうのか,と電話口
で尋ねると,
編集部の返答は,
このコラムへの原稿依頼は,編集部全体で検討して決めているわけではなく,
物理的な制約もあり,事実上,担当者任せになっている。原稿が送られてきたあ
とになって編集部内で異議が出た,
ということだった。
なお,編集部は,代替え措置として,わたしの本を「金曜日の本箱」というコ
ーナーで,編集部原稿でごく短く紹介するつもりだという。掲載号は未定だが,
今年夏頃までには載るとのこと。
それにしても,まず厳しい差別の歴史と,今なお差別に苦しん
でいる人たちの
ことを伝えるのが先だとは,恐れ入った。いっそのこと,これは部落問題解決に
とって有害な本なので,本誌に掲載できない,と断じられるほうがすっきりす
る。編集部はいったい今日の部落問題をどうとらえているのだろうか。
常識と実態から遠くはずれ,市民の不信の的になっている同和行政,その行政
にいつまでもよりかかる部落解放運動,「差別」をダシにして利権にありつく許
しがたい面々――これらに対する批判が,なぜ後回しにされなくてはならないの
か,わたしには理解できない。
いずれにしても,誌上で「腐敗した同和行政と解放運動」といった特集を組む
のならともかく,たった450字の書評原稿に,こうまで緊張してしまうなんて,
報道機関にとって,部落問題がいかに扱いにくい問題か,改めて教えられた。残
念なことである。
思い起こせば,わたしは過去にも似たような事例を目の当たりにしてきた。
前著『だれも書かなかった「部落」』刊行のときは,地元紙への広告原稿が,
同紙広告局の要求により,ズタズタに書き換えられて掲載される憂き目にあった
し,日経新聞に掲載されるはずの広告は,やはり同紙広告局の判断により,版元
にも無断で削除されるという体験もした(日経は後日版元に謝罪,その見返りと
して,無料で1回分広告を掲載してくれた)。
明らかに人権侵害で,でたらめな内容の本を掲載するわけにはいかないだろう
が,かれらが右往左往しているのは,そういうことが理由ではないのだ。「部
落」住民と運動団体に対する過度のおびえ。おびえということばが不適切なら,
いたわるかのごとき配慮,とでもいおうか。
「部落」住民全体と運動団体はつねに「差別される側」に位置し,解放運動や
同和行政のマイナス現象を批判することは「差別する側」に立つことになる,と
いう決めつけから,いつになったら解き放たれるのだろうか。
▼これが不掲載原稿
〔本の自己紹介・自薦〕
『「同和」中毒都市』(かもがわ出版刊)
同和行政とそれによりかかる部落解放運動の腐敗・堕落ぶりが,マスコミによ
って取り上げられることはめったにない。日本におけるもっとも重厚な「タブ
ー」の一つだと思う。だが,強力な同和行政がいまだにおこなわれている自治体
で生活する多くの人にとって,それは周知の事実だ。
本書で報告しているのは,かつて行政・運動ともに全国の先進地と言われた京
都市の現実である。例――事実上運動団体が人事権を握り市職員を採用する制
度。年間延べ2000日,給料をカットされることなく解放同盟の組織活動に従事す
る市職員の存在。運動団体の全国有名温泉地への旅行などに年間数千万円支出さ
れる補助金。暴力団の金づると化した融資事業…。「タブー」をいいことに絵に
描いたような不正・不合理が今もくり返されている。
情報公開条例を使い,行政内部文書によってこれらを裏付けた。「部落」の実
態の変化とは無関係に継続する同和行政と解放運動が,巨額の公金浪費だけでな
く,行政全体と部落問題そのものも歪めている実情を知ってほしい。(了)
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◇本誌は,不定期配信です。非営利目的での転送・複製歓迎。みなさまからのご
意見ご感想,それに情報もお待ちしております。(寺園敦史)
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