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回答先: コールマン・ケビクツキー氏の爆弾文書 投稿者 SP' 日時 1999 年 5 月 23 日 09:14:12:
『UFOS & SPACE』No.47、1979年6月号より。 By Masahiro Tomikawa (New York)
1976年9月19日早朝、イランの首都テヘランの上空でUFOのレーダー・眼視事件が起こった。スクランブル発進したF4ジェット戦闘機が、ミサイルを発射しようとした途端に制御不能になるという、実にふしぎな接近遭遇が発生したのである(本誌1979年3月号参照)。
ところが、実はこのイラン事件と相前後して、イランの西方に位置するチュニジアとモロッコでも、同様のUFO目撃が相次いで起こり、当惑したチュニジアとモロッコの政府当局者が密かに米大使らにUFO情報を教えるよう要求するという事件が起こっていた。これは、CAUS/GSWが情報の自由化法に基づいて入手した米国務省の秘密文書で明らかにされたのである。
次に、それらの極秘報告書を紹介していこう。
1.1976年8月3日〜8日夜、チュニジア上空のUFO目撃報告極秘(Confidential)報告全文
『1.1976年8月9日午前11時、軍部保安長官の将軍(名前削除)が非常に心配して、米国の軍事連絡将校と大使館員に連絡してきた。将軍は1976年8月3日の夜以降、チュニジアの上空で発生しているUFO目撃に関して、自分で纏めた国防大臣への報告書の写しを連絡将校に渡した。
報告書を引用すると以下の通り。
<主題…空飛ぶ機械。説明不可能な空飛ぶ物体は以下のように出現した。
1976年8月3日から4日にかけての夜、23時25分、モナスチルからチュニスヘ飛行中のチュニス航空TU8953便のパイロットは、北から南へ向うUFOを高度1000〜1200mにて発見と報告。23時27分、赤と緑の位置灯をつけた5機のUFOがモナスチル上空を飛行するのが目撃され、レーダーで確認された。0時24分から4時0分にかけ、5つのレーダー反射波が追跡され、肉眼でも確認された。
8月4日から5日にかけての夜間に、モナスチルへ飛行中のエール・フランスのパイロットが、22時43分から22時52分にかけて、モナスチルヘの降下ポイントに接近中、1機の航空機に追跡されていると報告。8月5日から6日にかけての夜0時20分、ソウクラの警官は、4機のあかりをつけたヘリコプターのようなものを目撃したと報告。0時40分、2機が残っており、1時15分、1機が残って非常にゆっくり飛んでいた。全ての物体は1時45分までには飛び去った。この目撃はレーダーでは確認されていない。
8月7日から8日の夜23時48分、ジェルバ空港の管制塔は、空港の北西7kmの地点に未知の物体を目撃。これは、パリからジェルバへ飛行中のチュニス航空8321便のパイロットにより確認された。
ジェルバ空港へ接近中のチュニス航空717便のパイロットは、あかりを1つつけた飛行物体が、空港の近くにタッチ・ダウン(一時着陸)するように見えた後、その物体は南へターンして上昇し、24時12分に消滅と報告。
8月8日〜9日の夜間、19時50分に、レーダーは未知の物体がビラーテのSIDIアーメド空港の上空を飛行、東から西へ飛んだ後、基地の西37kmの地点で南方ヘターンし、消滅したのを捉えた>
2.チュニジア政府は、これらの目撃に非常に困惑しており、(米国の)
第6艦隊があの飛行物体は何であったか説明できるかどうかを知りたがっている。
将軍は、1976年8月4日夜のUFOの航跡をレーダー地図に示した。航跡は、全般的にいうと北東からチュニス湾を越えてきて、市の南方へ進んで、さらに東と西へターンして、レーダー・スクリーン上から姿を消している。
将軍は、もしさらに目撃があれば、米大使館員の自宅に電話すると約束した。8月9日〜10日の夜、目撃報告はなかった。
3.チュニジアの沿岸一帯で、もし何か異常な活動が探知されていたら連絡願いたい。
将軍は、赤と緑の位置灯が目撃されて、レーダーでも捉えられ、これはある場合にはお互いに関連しあうと報告している。
物体は、高速(350ノット)で飛行したり、あるいはゆっくり、時には滞空したりしたが、開き取れるような音は発していない。
これらの現象は、現在のところ完全に説明不可能である。当件に関する、どんな助言でも有難い。大使も同意見である』
この米国務省への極秘報告書のテレックスは、公式にはUFOに全く関心がないことになっているCIAやNSA、DIA、ホワイトハウスなどにも伝達されている。
2.1976年9月18日〜19日夜、モロッコ上空のUFO目撃極秘報告書
イラン上空でUFOの事件が起こった19日早朝と殆ど同じ時間に、モロッコの海岸線一帯でもUFO目撃が相次いでいた。
モロッコ駐在の米大使アンダーソン氏は、9月23日にモロッコ政府高官から、あの物体は一体何であったか、米政府が判っていたら教えてほしいとの要請を受けた。彼は、慌てて本国に情報を送るようにとの極秘テレックスを打電しているが、それに対して、何と当時のキッシンジャー国務長官名の返電が打たれている。
『1976年9月25日発
発信者…在ラバト、アンダーソン大使
宛 先…ワシントンD・C国務長官
主 題…UFOに関する情報要請』
以下、報告書の概略を述べてみる。
1976年9月23日、モロッコ政府高官(名前は全て削除されている)が、アンダーソン大使に面会を求め、9月18日〜19日夜のモロッコ上空で目撃されたUFOについて話し合いたいと申し出た。
その高官によると、次の通りである。
「憲兵隊がアガディール、マラケシ地域、カサブランカ、ラバト、ケニトラやその他の地方で、9月18日〜19日の夜、1時〜1時30分にUFO目撃があったと報告を受けている。これらの離れた地点からの報告は驚くほど似通っている。
即ち、物体は全般的にいって、南西から北東方向へのコースを飛び、銀色に発光する円型の物体で、断続的に明るい火花と破片の尾を引き、音は全くしなかった」
モロッコの高官は、翌24日にはもっと詳細を報告すると約束し、米国側もこの目撃に関して、何か情報を得たら知らせると約束した。
24日、モロッコ高官は再び大使と会い、米軍の連絡将校にも様々な目撃者(その高官自身も含む)によって描かれたUFOの図を見せた。
「UFO目撃は、9月19日の早朝1時から2時の間に起こっているが、大多数の目撃は1時から1時30分の間である。目撃は、アガディール、カラ・スラグナ、エサウィラ、カサブランカ、ラバト、ケニトラ、メクネス、そしてフェス地域などから報告されている。
UFOは、大体モロッコの大西洋岸に沿って南から北へのコース、推定高度約1000mを飛行した。UFOからは全く何の音も聞こえなかった。それらは大別すると、銀色に発光する円盤型の物体と、大きな発光する円筒状の物体との2種類に描写されている。目撃者たちは、その物体は断続的に明るい
火花を後部から出していたと報告している」
モロッコの高官は、このように語って、さらに彼自身、その日1時15分頃ケニトラ市からの帰路、UFOを目撃したと付け加えた。
アンダーソン大使は、以下のようにテレックスを打っている。
『彼は、その物体はまるで着陸準備態勢に入った飛行機のように、ゆっくりしたスピードで海岸に平行して飛んでいたと語った。それは、最初円盤型の物体に見えたが、近づくと発光する円筒状の物体に見えたと言っている』
さらに、次のように要請している。
『私は、この目撃された物体が何であるか、正直言って判らない。しかし、広く分散した地域からの報告内容が非常に似通っていることに興味を引かれた。
いずれにせよ私は(名前削除)氏からの情報の要請に速やかに答えたいと願っている。当件につき、貴殿が小生を助けるため、ご協力くだされば幸いと思う。アンダーソン。極秘』
このアンダーソン大使の要請に対して、1週間後の10月2日、キッシンジャー国務長官名で出された返電には、『来週には、貴下への答えを出せるものと希望している。敬具。キッシンジャー』
としか書かれていない。
殆ど同時期に、イラン上空で同様のUFO事件があったことには少しも触れられていないのである。そして、10月5日付のテレックスでキッシンジャー長官名の約2ページに亘る返電にも、チュニジアやイランでのUFO事件のことは全く触れられていない。ただ、UFOに関するコンドン報告の要旨を述べ、事件当時モロッコ上空を飛行した航空機の記録は米国側にはないので、隕石の可能性が強いとお茶を濁しているだけであった。
このような国務長官からの説明でアンダーソン大使やモロッコ政府の高官たちが納得したかどうかは不明であるが、大使からのこの極秘テレックスの写しが、UFOには全く関心がないと公式発表しているCIA、NSA、米空軍などに宛て、国務省から密かに配布されていたというのも興味深い。■