Tweet |
回答先: 国連でのUFO演説ほか 投稿者 SP' 日時 1999 年 5 月 11 日 16:13:19:
『UFOS & SPACE』No.44、1979年3月号より。 (■UFO研究家、在ニューヨーク)冨川正弘
本誌(1978年12月号)で、既報の如く、ICUFONのコールマン・フォン・ケビクツキー氏は、世界151ヵ国の国連大使たちに、自費制作のメモランダム(覚え書き)を配布した。これは、第33回国連総会における、グレナダのゲーリー首相のUFO決議案を側面援助するため、UFOに関する米政府の元機密文書などを多数盛りこんだ「爆弾文書」とも呼ぶべきもので、87ページにも亘っている。
ケビクツキー氏が、このような動きをしたのには、次のような2つの理由がある。
1.UFO活動を軍事的観点から考えるべきだとする、ケビクツキー氏の考え方に反対のUFO研究家たち(ハイネック博士やリー・スピーゲル氏等)の強硬な意見により、ケビクツキー氏は1978年7月以降、グレナダ政府のUFO顧問団から除外された。このため、ケビクツキー氏としては、自己の長年の主張を国連で示すために、別の手段を選ぶ必要があったこと。
2.ゲーリー首相は、UFO決議案を国連で採択させることには熱心だが、カリブ海の小さな反共同家として、英米と政治的に険悪な関係になることは避けなければならない。だから米政府のUFOに関する元機密文書などを他国の国連代表たちに示すことはまずいという政治的背景がある。しかし、米国の市民権を得ているケビクツキー氏が「情報の自由化法」などに基づき合法的に入手した、米国の元機密文書を個人の資格で発表することは、何ら問題にはならないという利点があること。
このような経緯で配布された『覚え書き』には、長年の間、表向きにはUFO問題を軽視してきたかにみえる米政府や米空軍が、実際にはいかにこれを重視し、情報収集や研究に努めてきているかを示す多数の元機密文書が含まれている。
『覚え書き』は、まずケビクツキー氏の主張の要旨から始まり、ついで、
第1部−UFO問題は実在するか?
第2部−地球の安全は危険に晒されているか?
第3部−一般大衆への誤報の陰の真実
といった3部に分かれ、各々に興味深い資料のコピーが多数添付されている。
それでは、まずケビクツキー氏の主張の要旨を簡単に紹介し、各部ごとに興味ある文書を幾つかみてみよう。
ケビクツキー氏の主張
各国(特に米国)の安全保障を任務とする軍が、調査し、報告した文書(機密解除されたもの)からみても、UFOの実在は明らかである。UFOは、その速度、上昇、操縦性能からみて、地球の科学技術の産物ではなく、地球以外の文明から飛来してきたものと考えられる。
また、UFOの主要な活動地域が、発電所、工業地帯、通信施設、軍事施設、戦略的に重要な戦場、宇宙開発の場などであるところから判断して、その任務が、その時期、場所、理由、目的は不明だが、地球着陸のための戦略的偵察であることは明らかである。
UFOによる事故、災害、人命や財産の損失なども世界各地で起こっている。
このように、UFO問題は安全保障上及び科学的見地から、地球全体の問題であり、国連が取り上げるべき問題である。従って、国連にUFO専門機関を設置し、各国の軍、科学界、民間のUFO研究団体と協力して国際的規模でUFO研究調査を行い、宇宙戦争を引き起こしかねない各国軍隊によるUFOへの攻撃をやめさせなくてはならない。
また、UFO文明とのコミュニケーションを図ると共に、ユネスコや国連大学を通じて、宇宙時代に備えての研究や教育を行い、UFO情報、研究結果を各国政府や大衆に伝えるべきである。
ケビクツキー氏はこのように主張している。
第1部に収められた主な文書
日本軍の真珠湾攻撃から、約2ヵ月半後の1942年2月25日早朝(午前2時すぎ)、ロサンゼルス上空に、20〜25機の謎の飛行物体の編隊が出現した。またも日本軍の奇襲攻撃かと緊張した第37沿岸砲兵旅団は、約1時間に亘ってサーチライトに照らし出された編隊に高射砲を浴びせかけた。しかし、ふしぎなことに、編隊からは1発の爆弾も投下されず、撃墜された機は全く無かった。
ロサンゼルス・タイムズやニューヨーク・タイムズは、サーチライトに照らし出された編隊の写真と共に、「日本軍、ロサンゼルスを空襲!」と大々的に報じた。だが、これが通常の爆撃機や偵察機であったとは、到底考えられない。また、戦後、明らかにされた日本軍側の記録にも、ロサンゼルス空襲の報告はどこにも見当たらないのである。
ケビクツキー氏の『覚え書き』には、当時の参謀長ジョージ・マーシャル大将(後の米国務長官)からルーズベルト大統領に宛てた1942年2月26日付の秘密報告書(1974年4月9日、機密解除)そして、"Flying Discs"(空飛ぶ円盤)に関して報告したエア・マテリアル・コマンド(航空物資司令部)のトワイニング中将の1947年9月23日付けの手紙(1978年5月4日、機密解除)が、含まれている(『覚え書き』10〜15ページ)。
トワイニング中将の報告書には、「報告された現象は、実際に起こったもので、幻覚や作り話ではない」とあり、「円盤型をし、人間が作った航空機と同じくらいの大きさの物体が存在している」
と明記されている。そして、「この物体を研究するための秘密の暗号名を決め、米軍各機関が直ちに報告書を提出し、さらに研究を続けるべきだ」
と書かれている。
これらの文書にはいずれも"SECRET"というスタンプが押され、その上に機密解除を示す斜線が引かれている。(中略)
第2部に収められた主な文書
第2部には、次のような盛り沢山な内容がつまっている。
(A)超大国(米ソ)による国家及び国際安全保障のための対UFO防衛作戦(28〜50ページ)。
(B)地球人とUFO軍間の宣戦布告なき戦い(51〜75ページ)。
a.武器のテスト b.誘拐事件 c.UFOの戦略 d.地球人との対決 e.UFOによる負傷 f.人畜への被害
これらの第2部の多様な資料の中から、特に目につく文書を幾つかあげてみよう。
まず、米軍人が敵の飛行機やミサイル、それにUFOを目撃した際の報告の仕方を細かく規定した、1954年3月発行のCIRVIS(米陸海空統合参謀長会議発行のJANAP146(C))や、1959年7月発行のMERINT(米海軍発行)、及び1966年3月に、前記CIRVIS及びMERINTを統合し、米軍とカナダ軍が協力して、北米大陸に接近する未確認飛行物体を報告する方法を取り決めたJANAP146(E)(CIRVIS/MERINT)がある。
これらの文書には、敵性または未確認の航空機、ミサイル、潜水艦などと並んではっきりとUnidentified Flying Objectと記されている。MERINTにはわざわざ、UFOの挿絵までも描かれている。しかも、このUnidentified Flying Objectは単なる「未確認の」飛行
物体を意味する、曖昧な言葉ではなく、『その行動、航空力学的性能、異常な特徴からみて、航空機やミサイル、気球や天体、鳥など、現在知られているいかなるありきたりの飛行物体とも絶対にみなしえない飛行物体をいう』と定義づけられている(1954年8月12日発行の空軍規則AFR200-2)。
また、『覚え書き』の56〜58ページには、1976年9月19日未明、イランの首都テヘラン上空で起こった事件を報告した秘密テレックスの全文が載っている。これは、2機のF4ジェット戦闘機とUFOとの驚くべき遭遇事件を、イラン駐留の米空軍司令官が、ワシントンのホワイトハウス、CIA、NSA、その他に詳細に報告したものである(NICAPの要請で公表されたこのテレックスには、機密解除のスタンプが大きく押され、一部分は削除されたままになっている)。
このイランの事件は当時、イランの新聞には大きく報道されたが、どういうわけか、米国や他の国では、殆ど報道されずに終わった。しかし、このテレックスは、表面上はUFO問題に、全く無関心を装っている米軍が、実はいかに真剣にこれに取り組んでいるかを如実に示している。このテレックスを一部逐語訳、一部要約で紹介してみよう。
(要約)「市民からのUFO目撃の報告を受け、イラン空軍のF4ジェット戦闘機は、スクランブル発進した。物体に近づくと、機の全ての計器盤や通信装置が作動しなくなってしまう。物体から遠ざかると、再び作動し始める。このようなことが続き、第1機はやむなく基地に引き返した。
次に2機目が発進し、物体との間に、ある程度の距離をおくようにしたところ、物体は動き出した」
(逐語訳)「レーダー影像上の(UFOの)サイズは707型機ほどだが、肉眼による物体サイズの推定は、物体から発する強烈な輝きのために識別困難であった。物体からの光は、長方形に配列したストロボライトのようで、青、緑、赤、オレンジの光を交互に発していたが、色の変化が余りに速いため、全ての色を一度に見られるほどだった。
物体とF4戦闘機が、テヘラン市南方へと飛行していた時、物体の中から、見かけが月の2分の1から3分の1くらいの大ききで別の明るく輝く物体が出てきて、F4の方へ非常なスピードで接近してきた。パイロットがAIM-9ミサイルを発射しようとした途端、機の武器コントロールパネル、そして全ての通信装置(UHF及びインターフォン)も故障してしまった」
(要約)「そこで、パイロットがネガティブGダイブを行って機を引き返すと、その物体は暫くの間追いかけてきたが、やがて元の物体に戻り、合体した。すると、今度は元の物体から別の物体が出現し、猛スピードで急降下していった。F4の通信装置、武器コントロールパネルの機能は再び作動するようになった。
F4の搭乗員たちが、急降下した物体が地面に激突して大爆発をするのではないかと見守っていると、その物体はふんわりと地上に着陸し、周囲2〜3kmに渡って、非常に明るい光を投げかけた。F4は高度を下げ、物体が着陸した地点を確認してから、一旦基地に戻った。
その後、何度も物体の着陸地点を再確認するために基地から飛びたったが、その地域に近づく度に、通信装置に故障が起こり、捜索は困難を極めた。
丁度この頃、メヘラバード空港に接近中の民間旅客機も通信装置に故障を起こしている。
F4戦闘機が漸く着陸地点に接近しようとした時、両端に明るい光を灯し、中央部に閃光を点滅させている大きな円筒形の別の物体が飛んでいるのに気づいた。
管制塔で確認したところ、その時、その地域には、F4以外の航空機はいなかった。
物体がF4の上を飛び去ったのを管制塔からは目撃できなかった。しかし、その後パイロットからの連絡で、物体が山脈と石油精製施設の間辺りを飛んでいるのが目撃された。夜が明けてから、F4の搭乗員たちはヘリコプターに乗りこみ、物体が着陸したと思しき場所を捜したが、何も発見できなかった。しかし、その地域の西方を旋回中、ビービーという信号音をキャッチし、その音が最も強い場所に一軒の家が建っているのを発見した。
その家の近くに着陸して、そこの住人に、昨夜異常なことが起きなかったかと質問したところ、大きな音がし、稲妻のような強い光が走ったという。
そして、謎の物体が着陸したと思われる地域の放射能が検査された」
この後のテレックスの文章が2行半ほど削除されているため、放射能が検出されたかどうかは不明である。
第3部に収められた主な文書
第3部で、ケビクツキー氏は、悪名高いコンドン・レポートの一部や、米空軍、NASAなどからの手紙の写しを載せている。そこで、米政府がいかにUFO問題に対する一般大衆の関心をはぐらかすよう、策謀をめぐらしてきたかを書いている。
また、この中で、ケビクツキー氏はハイネック博士やジャック・バレー博士等に対しても非難の鋒先を向けている。
また、カーター大統領がジョージア州知事であった、1969年10月に、ジョージア州リアリーで目撃したUFOについて、NASAが子供騙しの説明で、事実をねじ曲げてしまったことも非難している。これは、NICAPへ提出した目撃報告書(ジミー・カーターの署名入り)の写しを載せ(『覚え書き』81〜83ページ)、元米海軍の優秀な潜水艦長で、原子物理学の専門家でもあったカーター大統領が、信頼のおけるライオンズ・クラブの人々と同時に目撃したと証言している物体を、NASAは「地平線上に輝いていた金星だったかもしれない」
と言い放った。
それと共に、1978年6月、米国務省の高官たちが、「地球人類は、他天体の人類にとって潜在的な脅成であり、他天体の人類は地球人類にとって、潜在的脅威であるから、我々はこれに備えなければならない」
と、発言したこと(『覚え書き』84ページ)を高く評価している。(後略)