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回答先: 外典エズラ書(エズラの黙示)その1 投稿者 倉田佳典 日時 1999 年 2 月 25 日 18:22:57:
外典エズラ書(エズラの黙示)その2
旧約外典偽典概説−付・クムラン写本概説−
レオンハルト・ロスト著 教文館1972年
荒井献・土岐健治共訳
原題
EINLEITUNG IN DIE ALTTESTAMENTLICHEN
APOKRYPHEN UND PSEUDEPIGRAPHEN
Einschiliebich der groben Qumran-Handschriften
von LEONHARD ROST
Quelle & Meyer,Heidelberg,1971
IIIパレスチナのパリサイ派に由来する文書
二 第四エズラ書
伝 承
本書は、ラテン語、シリア語、エチオピア語、アラビア語、アルメニア語、サヒド語、グルジア語訳として保 存されている。そしてこれらの翻訳本は、ギリシア教父諸文書に引用の形でしか保存されていない失われたギリシア語訳を越え、アラム語原典ではなく、やはりおそらくヘブライ語原典に遡るであろう(R・H・チャールズ)。ラテン語訳は実にウルガータの付録に伝えられているが、前に二章(第五エズラとも言われる)、後ろに二章(第六エズラとも言われる)が付加され、八二二年に記されたコーデックス・サンゲルマネンシスから一頁切 断されたために失われた、元来は七・三五と七・三六の間に挿入さるべき部分が含まれていない。ほとんどすぺてのラテン語写本は、この切断されたコーデックスに従っている。ただ六つの写本ーーーその中最も重要なものは 九世紀のコーデックス・アムビアネンシスであるがlのみが、シリア語写本に保存されているこの部分を持っている。シリア語本文は、ミラノの聖書写本アンブロシアーナ(六世紀)にのみ存在する。エチオピア語訳は多数の写本に存在する。二つの独立したアラビア語訳がオックスフォードとヴァティカンに完全な形で存在し、第 二のものの抜葦および断片がオックスフォードとパリにある。アルメニア語訳は非常に自由である。これは、M・ E・ストーンによれば、失われた、キリスト教的に改作された、ギリシア語本文に遡源される。サヒド語とグルジア語訳は断片のみが存在している。
表 題
ラテン語写本は、本書を第四エズラ書(Esdrae Liber IV)として提示しており、その際、キリスト教の時代になって付加された最初と最後の章(一、二、一五、一六)を区別して提供している(この部分は第五および第六エズラ書)。アレクサンドリアのクレメンスには、ギリシア語で次のような名称が見出されΕσδρασ ο προφητησ.〔預言者エズラ〕。アムブロシウスはこれを受け継いでいる。
内 容
ここでは、ユダヤ人の著者に由来する三―一四章のみが顧慮される。これらは七つの「幻」を含んでいる。しかし最初の三章は対話であり、最後の章は、五人の人々の助けによって九四冊の文書を口述筆記し、その中七〇冊を隠しておくようにという、天使を介して伝えられたエズラに対する委託を報告している。三・一−五・一九の最初の対話は、罪とこの世の艱難の起源に対する問を取り扱い、終末の接近に対する慰めに満ちた展望をもって終わる。五・二〇−六・三四の第二の対話は、何故神はその愛する民を異邦人の手に渡されたのか、という問題を探究し、神の秘かなる世界計画と、この計画を露わにする終末の接近を指示している。六・三五−九・二五の第三の対話は、先ず、何故にイスラエルは、約束されていたのであるから自己に属すべきはずのこの世を、現在いまだ所有していないのかという問題に集中してなされており、この世を通路とみなし、罪人の運命と世界審判について、中間状態の七重の苦痛と七重の喜びについて語り、審判における執り成しの可能性を否定し、神の憐みが罪人の滅びと如河にして結びつけられうるのかという問題に心を労したあげく、恵みに定められているエズラは、罪人の当然うくべき運命について思い煩うよりもむしろ自分G身の将来について考える方がよいという注意をこれに結びつけている。
次いで三つの幻がこれに続く。第一の−−−叙述全体としては第四の――幻(九・二六−一〇・六〇)は、一人の嘆き悲しんでいる女を示し、その不幸が語られる。彼女は輝きの都、つまり救いの時のエルサレムに姿を変える。次の、叙述全体としては第五の幻(一一・一―一二・五一)は、海からやってきた鷲とその肢体になぞらえて、本来の歴史を明示する。第六の幻は、人のようなものが海からたち現われ、天の雲と共に大きな山の頂に立って彼の敵たちと光の嵐を持って戦い、遂に彼らが煙と灰とに化する様を示す。第七の幻(一四・一−五〇)は、二四巻の正典の書物と七〇巻の隠された書物とを書き記すようにという、すでに上に言及した委託を与える。
批判的な問題
七つの「幻」に分けられている本書は、エズラとも呼ばれるサラティエルによって、都の滅亡後三〇年目にバビロンで著わされたと主張している。他方、〔正典〕エズラ記三・二その他から知られており、その時代も場所も確実なゼルバベルの父が、五世紀に属するエズラと混同されている。このことは、元来は別々であった素材が合成していることを示唆するであろう。例えば、ダニエルに向けられて、彼を遠く導くところの鷲の幻は、ここに組み込まれる前に、長い歴史を持っているのである。人の子の幻も、二匹巻の正典と七〇巻の隠された書を五人の人々の助けによって書き記すようにというエズラヘの委任を伴った最後の幻はなおさら、枠の外にはみ出している。しかし、R・H・チャールズと共に、最初の四つの幻の中にあるサラティエルの黙示を今挙げた部分と結び合わせた一人の編集者を想定しなければならないのか、それとも、古い素材の改作と合成を著者の手に帰するべきであるのか、という問題にはやはり後者の方により蓋然性があると答えざるをえないであろう。
著者及び著作年代
著者はサラティエルでもエズラでもなく、紀元後一世紀の終わり頃の一ユダヤ人である。彼はエルサレムの破壊の印象を今なお忘れえないでいる。この破壊は紀元前五八六年のものではありえず、おそらく紀元後七〇年の破局であろう。とすれば、三〇年目という表現は、おそらくエゼキエル書一・一に依って選ばれたものであろうが、しかしきりのよい数としてとられている可能性もあるであろう。というのは、鷲の幻は、もしもこれをやはりローマ帝国を指したものと解するならば―――おそらくそれが正当であろうと思われるのだが――存命中の皇帝ドミティアヌス(紀元後八一―九六年)の治政を思わせるからである。著者はエルサレムにいたのか、それともたぶんディアスポラのユダヤ人としてローマにいたのかは確言できない。エルサレム説を否定するものは何もないが、多くの事柄、特に普遍的な思想の広さは、ローマ説を支持している。エジプトのユダヤ教の影響は、クムランの影響と同様にほとんど示されていない。
意 味
本書は、過度に厳密な律法遵守と自己を義とする分離主義という古い理念が揺らぎ、今や自らを、神から捨てられた人類に対する、神に選ばれた
少数者と自覚し、それ故に今や神の義ではなく、神の憐みを間うているユダヤ教を知らしめる。これは、自己の破局を、もはや哀歌の詩人のように民族的な不幸としてだけとらえることなく、自己の窮状を、もはやヨブのように神の義に対する問いかけとして持ち出すこともない。このように自由な排他的・民族的な枠を超えて思考しているユダヤ教は、パレスチナとの密接な関係の中に探ねられないであろう。もちろん著者は、哀歌やヨブ記の著者と違って、来るべき救済の時に対する終末論的な希望を、解決さるべき問いとして持ってはいる。しかしここでも、自己の民に対する救済の時の到来ではなくて、全人類の待望への間いが彼を動かしている。このように本書は多くの点において特殊な立場をとっており、このような立場は、本書の思想が部分的にシリア語バルク黙示録によって採用されているということによっても、弱まることはない。