Tweet |
回答先: 安田弁護士事件と中村法相発言 投稿者 郵政王子 日時 1999 年 1 月 05 日 23:48:56:
あまりに強引な安田弁護士事件は地下鉄サリン事件疑
惑隠蔽をますます強める。
ちょっと長いけど引用
http://members.xoom.com/teikim/
http://members.xoom.com/teikim/m0.heml
----
麻原弁護団・渡辺弁護団長の疑問
「麻原被告の弁護につくこと自体が、非難されたり中
傷されたりする恐れが非常に強かった。だが、そんな中
で弁護人がつかなかったとなると、法治主義自体が崩れ、
刑事司法そのものが成り立たなくなる。弁護人制度を守
るのは、結局一人ひとりの市民の権利と自由を守ること
だ。」
(週刊金曜日 1996.6.28 渡辺脩弁護士のコメント)
「だから有罪への予断によって証拠にもよらないで栽
いてしまうと言うことは、いちばん間違ったことだ。僕
らはこの公判をやっていて、いちばん感じるのは平等を
徹底しない限り権利保障にならないのだということです。
本当につくづく痛感します。
麻原被告だからということになったら、それはあなた
だからということになりかねない。だから彼の公判で徹
底的な権利保障をするというのは、僕ら自身の権利を守
ることでもある。」
(法学セミナー 1997.7 渡辺脩弁護士のコメント」
日本の刑事裁判は事実を証拠に基づいて認定しなけれ
ばならない。麻原裁判における裁判所や検察の動きはど
うも世論の圧倒的な予断と偏見に流され、雰囲気で押し
進めようとするような、おかしなものになりがちのよう
だ。それに対し、万人に平等であるべき司法制度を麻原
弁護団は長期的展望に立ち誠実に守ろうとしているよう
だ。
一時的な世論に流されず、後世の検証に充分耐えうる
訴訟内容になっているかどうかを裁判所は考えてほしい
ものである。
そして、1998年4月15日麻原弁護団の渡辺脩弁護士が和
多田進と共著で『麻原裁判の法廷から』という本を晩聲社
から出版した。
この本には、非常に重要な問題が出されている。
本の問題提起を紹介する前に警察が毒ガス発生源をどの
ように処理していくか、そのプロセスを簡単に紹介して
おく。『捜査書類基本書式例』警察庁刑事局編を参考に
しながら見てみよう。
@ 毒ガス発生源の押収は、まず遺留品を駅員や乗客が
警察に渡すことからはじまる。
A 警察は遺留品の形がどのようなものか、どこにあっ
たのか、どういう経緯で拾ったなどについて書類を作成
する(領置調書)。
領置調書(甲)の書式
所有者や所持者、保管者などから任意に
提出された証拠類を領置する場合などに用いる。
「事実をありのままに記載しなければなら
ない」(犯捜規五五条)と指導されている。
領置調書(乙)の書式
警察職員が遺留したものを領置するとき
に用いる。証拠となるべき物の証明力を
確保するために立会人を置くことの必要
性が書式解説では説かれている。
B 警察は、その遺留品を新聞紙、袋などに分ける作業を行う(仕分け)。
C その後、毒物が何かを調べるよう依頼する(鑑定嘱託)。
鑑定嘱託書の書式
D 毒物が何か調べる(鑑定)。
E そして鑑定書作成、という手順となる。
この本の中で、A遺留品の領置、B仕分け作業について疑問を投げかけている30頁から38頁の部分を紹介したい。なお、
5203「麻原裁判これだけの問題点」文芸春秋
でも渡辺弁護士はこの問題に触れている。
不自然な検察―1 検察側は領置調書を出さなかった
渡辺 検察側は、いちばん立証しやすくて関心を集め
ている事件ということで、たぶん地下鉄サリンから立証
をはじめたと思うんですけども、その立証の中身がそう
いう状況だから、検察側が描いている全体の筋立ての土
台が崩れることになるんじゃないかという気がします。
そういう程度のもので、しかも唯一の証拠とも合わな
い。そんな状態で「共謀」を主張しているんだったら、
検察側の言う「共謀」とはいったい何だということにも
なりますよね。
和多田 この場合、もうひとつ鑑定の問題があります
よね。
渡辺 あります。
和多田 捜査とか検察側に同情して言えば、私たちが
テレビで知ったああいう事態の中で証拠を正確にしっか
り残存させるということはなかなか大変な仕事だとは思
います。しかし、大変な仕事だけれどもそれをしっかり
やっておかないと裁判は維持できませんね。
渡辺 はい。
和多田 この冒頭陳述を読む限りでは、捜査がきちん
とやられているかどうかに疑問が生じます。かりに捜査
がきちんとやられているのだとしたら、その捜査を反映
した冒頭陳述にはなっていないと思うんです。読み手の
私たちは具体的なイメージがぜんぜん描けない。
渡辺 まったく、おっしゃるとおりだと思いますね。現
場の遺留品について言えば、千代田線霞ヶ関駅にまるま
る一袋のものが残されていました。二袋のうち一袋です
が
、これは非常に重要な証拠物になるんです。
地下鉄の駅の人から警察にそれが任意提出されて、警
察がその領置調書をつくりました。検察側が領置調書を
証拠として取調べるよう請求してきたから、弁護団はそ
れを不同意にした。
つまり、領置調書をすぐ証拠として取調べることに反
対して、それを作成した警察官の反対尋問を要求したの
です。それで検察側はその警察官の証人尋問をやり、私
がその反対尋問を担当しました。
ところで、その領置調書には、領置した遺留品につい
て「濡れた新聞紙様のもの」としか書いてないんです。
実際に領置したものは新聞紙に包まれた袋もあるわけで
す。
しかし、その袋のことが書いてない。「その袋の方は
領置しなかったのか」と僕が尋問したら、いや、領置は
していると言うんです。それで、記載と違うじゃないか
と言うとそれは認めているわけです。明らかに違うわけ
だから。
それは和多田さんがいま言われたように、現場でいろ
いろな混乱した状況があったのかもしれない。だけど、
かりにその時点で食い違いがあっても、手続き的にはち<
br>ゃんと穴埋めして補正するべきですよね。
それじゃないと現場から何が採取されたかわからない
わけだから。
領置調書(甲)の書式
所有者や所持者、保管者などから任意に
提出された証拠類を領置する場合などに用いる。
「事実をありのままに記載しなければなら
ない」(犯捜規五五条)と指導されている。
↑
検察が証拠調べを撤回してしまった「領置調書」
それで結局どうなったかというと、ぼくらはその領置
調書に対する不同意を撤回して証拠として法廷に出せと
いうことを言ったわけです。
そしたら、検察側が証拠調べ請求を撤回してしまった
んですよ。
だから、その現場の遺留品に関する領置調書というも
のは現在のところ法廷には出ていない。千代田線霞ヶ関
駅の現場の遺留品が五つの現場の中ではいちばん最初の
取調べでした。
しかも、現場としては最も重要な現場の一つです。そ
こで領置調書を出さなかったものだから、あとは出して
こないんです。
だから、現場の遺留品についてドキュメントが存在し
ていないというのは、はじめから何も記録が出ていない
ということなんです。
これ、普通の刑事裁判では、ちょっと考えられません
よね。
人の口で説明するだけでは、あとからいくらでも補充
ができたり変わったりする可能性があって、動かない証
拠と言うわけにはいかないんです。
だから、物的証拠として存在を特定できるようにする
必要があるからこそドキュメントが要求されるわけです。
そのドキュメントが法廷に提出されていないというこ
とは、証拠物に関する重要な物的証拠が存在していない
ということですから、これは非常に特異なケースです。
不自然な検察―2 仕分け作業の模様が記録に書いてない
渡辺 で、いま和多田さんが言われた問題との関連で
言えば、現場で物が押さえられて、それはその日のうち
に――二〇日のうちに自衛隊の化学学校に運ばれて仕分
けされているということになっています(一五一ページ
の表参照)。
(引用者注:一五一ページの表とは
6210チャート
のもとになった表のこと)
和多田 それはもうはっきりしているわけですか。
渡辺 これも、証言だけで、ドキュメントが一切あり
ません。仕分け作業はしたんでしょうね。
和多田 記録文書がないということですが、それが自衛
隊に運ばれたこともはっきりしていますか。
渡辺 警察側の証言だけは出ていますが、自衛隊側の
証言はありません。
それから仕分け作業をしている写真も何枚か写ってい
ます。その写真の場所が自衛隊の大宮化学学校であるか
どうか写真自体からは分かりません。その化学学校の中
のどこかも分かってないのです。
現場は大混乱しているんだから、細かいことを言った
って無理じゃないかという声は確かにあるんですが、仕
分け作業をするについて、どういうものを、誰が、いつ
、どういう手段で警視庁から自衛隊の化学学校に運んだ
のか、そして化学学校のどの部屋で、何時何分から誰が
仕分け作業を、どのようにはじめて、いつ終わったのか
という経過を記録する必要はあるだろうということなん
です。
もちろん、その仕分け作業の対象となっている現場遺
留品がどういうものであったかについての記録も必要で
す。
死体検案書なんかでも、死体の外形から色調・特徴な
どを全部、細かく記録するでしょう。それに相当する記
録が、この仕分け作業にも必要だったんだと思うんです。
遺留品というものは、新聞紙に包んだり、袋に入れたり、その袋も何重にもなっていたわけだから、そういう
ものの表側の一枚を剥いだら何が出てきたか、その下は
どうなっていたかについても次々に写真を撮ったりして
ドキュメントをつくる必要がある。
どんどん中を確かめていって仕分けするわけでしょう。
その種のドキュメントが仕分け作業の段階でないんです
よ。
和多田 ホウー、ほんとにないんですか。
渡辺 ほんとにない。いや、最後の段階では何が出て
くるかわからないけれど、いまは何もない。あれば、出
してくると思いますけどね。
警視庁の科学捜査研究所(略称・科捜研)の化学班の
責任者がサリンの鑑定書をつくったということになって
いるから、そこに到達するまでの全過程がドキュメント
で埋め尽くされないといけない。
とくにその責任者が仕分け作業をやったことになって
いるから、他人の責任にはできないわけです。
記録としては「写真があります」と証言で言うんだけ
れども、写真だけでは対象物の大きさも容量も、濡れて
いるのかどうかという状態も、何もわからないじゃない
か
とぼくは言うわけです。
「それはわかりませんね」と認めていますよ。
当り前の話ですがね。写真というのは補助資料ですから、どういう仕分け作業をしたのか作業過程に関する記
録をなぜきちんとつくらなかったかという質問をずうっ
としているんですけどね。
ドキュメントを「つくらなかった」ということだけははっきり認めています。
で、マスクをつけた人が、二人ぐらい仕分け作業をや
っているんです。
二人いるんだけど、「この二人は誰だ」と聞くと、
「誰かわからない」と言うんですよ。
和多田 ホウー。
渡辺 こうなってくると、この鑑定人は本当に仕分け
作業に立ち合っていたのかとか、その仕分け作業はほん
とうに警察官がやっているのかなどという疑問が当然湧
き上ってきますよ。
鑑定人も、自衛隊化学学校の人に助けてもらった、と
は言っていますけれどもね。科捜研としての仕分け作業
そのものにも疑問があるということにならざるを得ませ
ん。
とにかくその品物が警視庁に押収され、それが自衛隊
の化学学校に運ばれていろいろ仕分け作業をされ、その
仕分け作業をされたものがふたたび警視庁に戻って鑑定
に回され、そして「鑑定の結果、こうなりました」という、モノの特定と鑑定にいたる経路に関するドキュメン
トが一切ない。
だから、これは大問題だと思うんです。
けれ
ども、検察側がぼくの尋問に途中から異議を申し
立てて、その経過は鑑定書に書いてあると言うんですよ。
たしかにそれはごく大雑把なんだけれども記載があるに
はある。
しかし、鑑定書に書いてある経過が客観的な経過に符
号するかどうかをチェックする資料がないんです。その
ことをぼくらは問題にしているわけです。
鑑定書に書いてあるというだけでは話にならないわけ
ですよ。鑑定書自体がぜんぜん出鱈目なことを書いてい
る可能性もあるわけだから。
本来、現場に遺留されていたものと鑑定の対象がまっ
たく一致していて、ほかのものが混じり込んだり、ほか
のものとすり替えられる可能性がなかったということに
ついての不動の記録が必要なのですが、その記録もない。
証拠もない。
そうしたことぜんぶについては、検察側に証明する責
任があり、必要があるわけです。
領置したものと鑑定したものの同一性を証拠となるべ
き記録によって保証しなければいけませんよ。
そういう点で言うと、証拠物に関する鑑定としては、
こういうひどい例はちょっと見たことがないですね、ぼ
くは。
物に対する扱いがまったく出鱈目だ。だから、鑑定書
の成立が真性なものであったということが証人尋問によ
って証明されたとはとても言えないのです。
むしろ、必要な記録がいかになおざりにされていて、
必要なことは何もわからないというようなことがはっき
りしてきたと思っています。
鑑定書というのは、何年何月何日何時何分に着手して
いつ終わったか、どこで鑑定したかということを鑑定書
自体に書くんですね。
しかし、この事件の鑑定書にはそうした記載もないん
です。だから、いつ鑑定を開始したのかもわからない。
作業を開始したのはいつだと聞いたら、「わからない
」と言うんです。
和多田 サリンかどうか自衛隊で鑑定したわけじゃな
いんですか?
渡辺 その疑問と可能性を否定し切る証拠は何もあり
ません。鑑定人の証言には疑問が多く、実際はどこで鑑
定したか認定しにくく、わからないのです。
和多田 何ででしょうね。科捜研でやったほうがいい
と思うんですが。
渡辺 換気装置などの安全設備が警視庁では不十分
だったので、仕分け作業を自衛隊化学学校に頼んだと
いうことです。それはそれでわかるんです。
けどね、ほんとに仕分けしたものを警視庁に持ち帰
って、警視庁で鑑定したのかどうかはよくわかりませ
んけどね。
和多田 そういうことになってしまいますよね。そ
うなると、地下鉄で撒かれたものがサリンであったか
どうかということもクエスチョンマークということに
なりませんか。
渡辺 だから,「結果はサリンだ」と言われても、
それが現場に遺留されていたものであるかどうかをふ
くめて十分な証明がないということになるわけです。
* * *
対談で触れている重要な問題をまとめてみよう。
領置調書に「濡れた新聞紙様のもの」としか書いて
なかったということ、しかもその領置調書を証拠とし
て法廷に提出しなかったこと、
二つ目は、サリン発生源の仕分け作業の段階で記録
が作成されていないこと、である。
また、対談では触れていない問題だが、自衛隊に非常
に重要な領置物を持ち出してしまう警察のやり方に、
それが本当だとすればそれはそれで疑問を感じる。
自衛隊はあくまでも捜査機関ではなく警察とは別組織
なのだ。
不自然な検察―3 異例にして異常 証拠物が法廷に一切出てこない
もう一つ麻原弁護団が提出した97年4月24日付け「
更新意見書」にも重要な問題点が指摘されている。
6002麻原弁護団更新意見書97年4月24日
でも引用しているが、重要なのであらかじめ引用して
おくと、
本件事件の検察官立証は極めて異例にして異常であ
る。
それは、幾多あるべきはずの証拠物が一切請求されて
いないことである。
これは、検察官が証拠物に代えてこれを写真撮影した
ものを写真撮影報告書として証拠請求しているからにほ
かならない。いうまでもなく写真には自ずから限界がある。写真から、その形状、材質、質感を正確に把握する
ことは不可能であり、ましてや本件にあっては写真撮影
報
告書の原本ではなく、いずれもこれをカラーコピーした
ものが請求されているのであって、その色調、鮮明さは
元の写真に比べ大きく劣っている。
* * *
なぜ検察側が領置調書を法廷に提出しなかったのか。
なぜ毒ガス発生源の仕分け作業の正確な記録を出さな
いのか。
なぜ毒ガス発生源を含む証拠物の現物でなく、現物を
写真撮影したものでもなく、さらに写真をカラーコピー
したものしか法廷に出さなかったのか。
その謎を追及してみたいと思う。そのためには、現場
に舞い戻る必要がある。そこで先にあげたデータベース
が生きることになる。これからが本文である。
戻る 次へ