投稿者 あっしら 日時 2001 年 12 月 07 日 20:59:40:
ネタが古いと思っていたのに、最近、「流行語大賞」やらのイベントで大賞を受賞して再びちょっとだけ注目されている「米百俵」について。
5月?に初めて聞いた人たちが、その当時感じたことと。今感じていることがどう違っているのか、それとも同じ受け止めかたを続けているのかを知りたいという気持ちもある。
まず、私が理解している「米百俵」の話を簡単に。
● 幕府方についた長岡藩は、動乱のなかで年貢米の徴収もままならず、藩士たちが家族ともども飢えに近い苦しみのなかにあった
● それを知った縁続きの藩が、それは困っとるじゃろ、少ないが米をあげるのでしのいでくれと米を百俵くれた
● それを知った藩士は、これで家族の苦境も救えると喜び、その配分を求めた
● しかし、江戸の学問所で1,2を争う秀才といわれた重役がなかなか配分してくれない
● しつこく配分を迫ると、その重役は、「この米は配分しない。今食べてしまえばそれまでだが、これで学校を建てれば末代までこの長岡藩のために役立つ」といったようなことを説明し、配分をあきらめるよう説得した
● 藩士たちはなかなかあきらめきれなかったが、重役の趣旨もわかるのでしぶしぶ承諾した
ということを前提に、
日本のメディアは、「小泉改革そのもの話だ。今ここで我慢すれば近い将来明るい日本がやってくる」といった感じで、「米百俵」とその話を国会演説で使った小泉首相を持ち上げた。
国民も、なんとなく、「そうだ。2.3年は苦しくても我慢して小泉改革を実現してもらい、その先に期待しよう」と思った人がいるかもしれない。
しかし、この話は、そういった主張や受け止め方をするようなものなのだろうか。
● 縁続きの長岡藩が苦境に陥っているので、そこよりは少しはましな状況の我が藩の米を削って贈ってやろうとした藩は?
おいおい、こっちは、飢え死にしそうだってことで、なんとかやりくりして米百俵を贈ったんだぞ。それをなんだって、売っぱらって学校を建てたって。うちだって、整備しなければならない公共施設がいっぱいあるっていうのに。
● 米百俵の話を聞いたある国民のつぶやき
ふむふむ、なかなか泣かせる話じゃないか。昔の統治者は、自分たちが飢え死にしてでも、将来のことを考えて政策を決めていたんだ。こういう統治者のもとで生きたかった。
● 米百俵の話を聞いた別の国民の怒り
小泉首相やその与党は、飢え死にしてもとはいわないけれど、どういう我慢をしたというんだ。企業献金を禁止するから税金で政党活動を支援すると言っていたのに、両方ともやめようとしない。国会議員の数を大幅に減らすってことも全然やる気がないようだ。あの「米百俵」っていう話は、おいらたちだけが苦しんだり死んだりしても、我慢、我慢と言い逃れるための“洗脳”じゃないのか。ふざけんるじゃない!長岡藩の藩士といえば、今で言えば、公務員であり、国会議員であり、閣僚じゃねーか。「米百俵」の話って、あんたらが、身を削れってことだろ!
国民のつぶやきと怒りは“あっしら”だと思ってください。ただ、厖大な数の公務員すべてに身を削れとは言いません。
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