投稿者 スタバ 日時 2001 年 11 月 24 日 12:21:01:
政府が強引に推進している夫婦別姓を認める法改正だが、これに反対する林道義氏が自民党政調会に参考人として出席した時のレポートを以下に紹介します。
フェミニストども、公明党、自民党の一部がイルミナティの家族解体計画を躍起になって進めている様子がよく分かります。この法案を通してはならない!
この強引さ、不自然さを見て「陰謀論など妄想だ」なんて呑気なことを言ってる人たちは何も感じないのか?
こんな難問山積みの政局でほとんどの人が求めてない法案を力づくで通そうとしているんだぞ!
<時事評論20 自民党法務部会に出席して──別姓派の露骨な戦略を体験>
11月19日に自民党政調会法務部会に出席した。夫婦別姓問題について「参考人」として意見陳述を頼まれたからである。
自民党執行部の方針は固まっていること、「参考人」意見陳述などはどうせ儀式にすぎないことは分かっていたが、頼まれたからには国民の権利を行使しないといけないと思って、しぶしぶだが引き受けた。頭では分かっていたことを、じっさいに体験してみて、自民党の不可解さ、別姓問題の不可解さを痛感した。
以下はそのレポートである。
●中立でない佐藤剛男部会長
部会は冒頭から波乱ぶくみで、部会長の「今国会での法案提出を目指す」という方針に森岡正宏議員や太田誠一元総務庁長官などが「党内での議論はまだ尽くされていない」として結論を急ぐべきでないと発言し、保坂氏も「出席者も少ないし、拙速は慎むべきだ」と発言し、かなり激しいやりとりが見られた。
それに対して佐藤部会長は「政調会副会長から言われている」とか「自分は強い反対派だったが、賛成派になった」その理由とは、「子供の姓を決めるのを婚姻時でなく出生時にしたことと、子供の姓を同一にしたこと」と発言した。
そんな小手先の手直しで、反対から賛成に変わるとは、見識のなさを白状したようなもの。もともと反対だった理由が「きょうだいのあいだで姓が異なるのはいけない」という程度の理由だったことになる。語るに落ちたとはこのことである。
どうやらすでに自民党執行部のあいだで結論が出ており、別姓法案を通すという方針が決まっているのであろう。幹事長、政調会長、官房長官(男女共同参画室長)、法務大臣と、関係の長が軒並み賛成を表明しているのである。ここまで自民党の執行部がまとまった、本当の理由は何なのか。
佐藤部会長は法案を通すという役目を与えられているだけ、言葉は悪いが「使いっ走り」の役であろう。だから理由にもならない理由で、自分の変身を説明してみせた。多少は良心の呵責がある証拠とも言える。
●「アンケート調査については議論しないと決めた」!
内閣府の世論調査に対する疑問も表明されたが、部会長は「前回の会でアンケート調査については議論しないことに決めた」と一蹴してしまった。どうやら前回のときに、世論調査の読み方について紛糾したらしい。あの調査のウソが明らかになってくると、もうそれは「議論しないことにした」と言う。
ウソが通用しているうちは大いに利用しておいて、バレると封印してしまう。
ウソを言って宣伝した者の責任はうやむやにされてしまう。都合が悪くなると「臭いものには蓋」というわけか。
●たった五分で意見を言え ?
さて、参考人は賛成派から3人、反対派から3人、計6人だという。
最初10分というので、それならかなりのことが言えるかと思って引き受けたが、その後「5分」と言われた。「5分」では何も言えないのでお断りしたいと言ったが、どうしてもというので、出かけることにした。
誰が考えても、こんな大問題について5分で意見を言えというのは、失礼を通りこしてバカにしているとしか思えない。
しかも議事が参考人陳述に入るころには、多くの議員が退席してしまった。
●賛成派は通称案批判に終始
──攻防の要点は通称案でよいかどうかになっている
まず賛成派の3人の女性が意見を述べた。私は「なぜ別姓が必要か」について意見を述べるのかと思っていたら、なんとそういう発言は皆無で、通称使用案の批判に終始したのである。これには私も驚いた。本末転倒とはこのことである。
別姓賛成派は、「通称になると手続きが面倒で余計不便になる」「一個人一氏名を原則とすべきで、一個人一氏名でないと混乱する」と主張。通称派の高市早苗議員らは「通称をカッコが示せば問題ない」と主張。
問題はいまや技術的な議論になっている。推進派はやっきになって通称使用を攻撃している。
技術的問題はいくらでも工夫をすればよいこと。本質的な反対の理由にはならないはずのことである。別姓賛成派が通称使用案に執拗に反対するのは、通称使用で事が済むことを怖れているからである。それは通称使用で十分であることを自ら白状しているようなものである。
●提出した資料に書いてある ?
次に反対派が意見を述べた。最初は私。
私の発言の内容は「時事評論 19」と同じ趣旨である。
ところが発言半ばにして、部会長が「その内容は提出された資料に書いてあるから、もう必要がない」として発言を止められてしまった。
「提出した資料に書いてある」という理由で発言を止めるのなら、どうして呼んで意見を聞くのか。資料を読めば済むことではないか。だいいち、そのときの私の発言内容は提出した資料には書かれていないことである。私としてもまったく新しい論点について述べようとしていた。(それは「時事評論 19」の内容であるから、今まで発表したことはない。)佐藤部会長は資料をきちんと読んでいなかったか、私の発言をきちんと聞いていなかったかの、どちらかであろう。
●笹川副幹事長の「総括」
意見聴取が終わると、笹川堯氏が発言した。氏は別姓問題プロジェクトチームの幹部だそうである。
しかし奇妙なことに、話の内容は個人的な話ばかり。「自分は小池という姓だったが、母が笹川良一と結婚したので、姓が変わった。姓が変わっても別に問題はなかった」等々と個人的な話を長々と話すのを部会長はまったく止めないで、終わると「これは総括だ」「結論が出た」と言っておわり。
笹川氏の発言には出てこなかったが、同じ個人的発想から離婚という話題に反発する人がいるので、ついでに指摘しておきたい。
私が離婚は望ましくないと言っているのは、個人的な問題として言っているのではない。つまり離婚した人がみな悪い人だとか、子供がみなおかしくなると言っているのではない。社会的統計的に見て、望ましくない結果が出ていると言っているのである。
片親の子供の犯罪率が高いとか、別姓が離婚を増やすという問題は、統計的な事実として言っているのであり、個人的なレベルで離婚者の子供に問題があるとかないとかいう話ではない。社会的・統計的な事実について言っていることに対して、個人的体験や感情的レベルの話をして反論した気になっている人がいるが、的はずれもはなはだしい。
●外国のことを言っても仕方ない ?
さらに笹川氏は、「外国のことなど言っても仕方ない」と述べた。「事情が違うから」というのがその理由らしい。
何を言っているのか。さんざん外国や過去の日本の例を引き合いに出してきたのは別姓推進派のほうではないか。やれスウェーデンは別姓だ、韓国は別姓だの、昔の日本は別姓だったのと。
さんざんスウェーデンの例を利用しておいて、じつはスウェーデンという国は破綻しているという事実を示されると、一転して「外国のことは関係ない」と言う。
これこそご都合主義の典型である。
要するに笹川氏の発言は、私の発言に対する批判を述べただけ。参考人は反論できない場で一方的に批判するのは卑怯というものである。
そのような党派的な発言を部会長は「総括」だと表現した。じつに偏った司会者ぶりであった。こんな党派的な討論で物事の是非を決められたのでは、国民はたまったものではない。
●屁理屈のオンパレード
野田議員の別姓必要論の最大の理由が「家名存続」にあったことは周知の事実である。ところが別姓制度によっては家名存続が保証できないと指摘されると、今度は「家名存続は私一代だけでもいい」と言い出しているそうである。
あなたは日本語を知っているのか、と聞きたいところである。「家名存続」とは、家名が代々ずっと続いていくことを意味している。一代だけで途絶えるのを「存続」とは言わない。
一つの屁理屈が論破されると、また次の屁理屈を考えだす。真面目に議論しているほうは、バカバカしくなってくる。
世論調査のウソがバレると、それについては議論しないと決める。外国の別姓制度の結果が悪いという事実をつきつけられると、「外国のことは議論しない」と言う。家名存続には役立たないと言われると、「一代だけでいい」と言う。「不便だから」という理由が「通称利用で十分不便でなくなる」と反論されると、「一人一氏名でなければならない」と言う。まさに「ああ言えばこう言う」の典型である。オウム真理教ではあるまいに、まともな政治家ならば、言うことがくるくる変わるのは恥と思ってもらいたい。
理由がくるくる変わること自体、もともと正当な理由がない証拠であろう。
●「事実婚をなくすため」が最新の理由
別姓必要の理由がくるくる変わってきたが、現在最新の理由は「事実婚をなくすため」になっている。
事実婚を増やさないようにしたければ、今までどおり事実婚を法律上不利にしておけばよいのである。そうすれば事実婚をする人間がそんなに増えるはずがない。
事実婚の夫婦であろうが、それを別姓夫婦として法律で正当化しようが、離婚しやすい状態であることに変わりない。子どもに対する心理的な悪影響も変わりないのだ。
だいいち、別姓法案が通ると、本当に事実婚が減るのかどうか、なんら根拠は示されていない。「いま別姓法案が通るのを待っている人たちがいる」と言うが、その数は全体から見たら微々たるものであろう。そのごく少数の人たちの間違った考えのために国の法律を変えてしまうことの重大性をどう考えているのだろうか。
それについて、部会長は「そういう人がたとえ3人でも5人でも10人でもいるかぎり、そういう人たちを我々は救うべきだ」と開き直った。「別姓にするために結婚を待っている、いつまで待たせるのか」という言い分のほうが間違っているのだ。誰も待っていてくれとは頼んでいない。別姓という間違った考えに立って勝手に待っているだけである。
「たとえ3人でも」救うために強引に法案を通すのが、どうして民主主義なのか、私は耳を疑った。
●フェミニストの言葉どおりを言う民事局長
「子供の姓が違うと子供に悪影響がある」という意見に対して、法務省の山崎潮民事局長は「養子になった子供は姓が違っているが、今まで子供に悪影響があったという話は聞いたことはない」と述べた。
しかし、養子になった子が他の兄弟と姓が違うことと、親の別姓で家族の姓が違うこととは、心理的な影響はまったく違うのだ。
「養子になった」という場合には理由がはっきりしているし、本人も兄弟たちもは納得しているなら問題ない。別姓夫婦の子供は本人が納得していないときに決められてしまう。問題の性質がまるで違うことを比較すること自体がおかしい。これも屁理屈の域を出ていない。
山崎潮氏は終わってからの個人的な雑談の中で、「日本は昔からずっと別姓だったんですよ」と決め付けるように言った。私が発言の中で「過去の別姓は封建制度かそれ以前に特有のもので、同姓は近代化の所産だ」と言っているのに、それを無視して「日本は昔は別姓だった」ということを錦の御旗にしている。フェミニストの言っていることを鵜呑みにして、そのまま鸚鵡がえしに言っているにすぎない。中立であるべき官僚がこれほどに党派的だとは驚いた。
●どうしてこんな筋書きができたのか
野田聖子氏は「急に出したのではない。10年来やってきたことだ」と発言した。急いでいるわけでも、どさくさまぎれに出しているのでもないということを強調したかったのであろう。しかし「テレビ朝日」以外の報道陣を閉め出して本年3月に行われた推進派の会の中では、主催者は「我々はこんな問題にいつまでもかかずらわっているわけにはいかない。次の課題に向かって進んでいかなければならないのだから」と発言した。彼女らのプログラムに従って急いでいることは隠しようもない事実である。
野田氏は「45名の署名を集めて幹事長のところへ持っていった」と言うが、高市早苗議員は通称法案に賛成の署名を60名以上集めたそうだ。
どうして党の執行部は数ではすくない別姓法案の方に固まっているのか。自民党の内部事情は私ら部外者には分からないが、不可思議なことである。
いずれにしても、70パーセントの支持率の小泉内閣だが、その人気を使って実現することが夫婦別姓であったということになると、歴史の中で将来どう評価されることになるか、というよりそれによって国が道徳的に荒廃していくことにでもなったとき、どう責任を取るというのであろうか。
●批判が噴出 今国会提出は困難に?
幸い自民党の中にも良識のある人もいて、部会でも森岡正宏議員や太田誠一元総務庁長官などが「党内での議論はまだ尽くされていない」「拙速は慎むべきだ」として結論を急ぐべきでないと発言し、かなり激しいやりとりが見られた。
翌20日の『産経新聞』は、部会長の「今国会での法案提出を目指す」という方針に反発が強まり、「今国会での法案提出は困難な情勢になった」と報じている。
また同紙は自民党執行部が法案提出を急ぐ理由について、慎重派の
「先の通常国会で法案を提出した公明党が自民党執行部に党内手続きを進めるように強く求めているためだ」
という見方を紹介している。
公明党はかねてより別姓に積極的だったので、圧力をかけているのは間違いのない事実であろう。外国人の参政権の問題といい、選挙区割の問題といい、公明党という党はどうして党利党略ばかりを前面に出すのであろうか。日本という国をどうするかという、大所高所に立った物の見方がどうしてできないのであろうか。
もし公明党の圧力のせいで自民党執行部が別姓推進に傾いているのだとすると、自民党執行部は夫婦別姓問題について公明党と取引をしている疑惑もある。つまりこの問題では譲り、他の何かで公明党に譲歩させているのかもしれない。もしそうだとすると、自民党執行部は別姓問題の重みをまったく理解していないということになる。それとも、女性に対する人気取りのつもりなのであろうか。女性はみな別姓主義者だとでも思っているのであろうか。
国の基盤とも言える家族の問題を政治運営の道具として使ってはならない。
私は小泉内閣の改革姿勢については基本的に支持している。しかし家族問題の重要性についての認識には大いに問題があると思う。
自民党が健全な保守政党であるならば、良いものをきちんと守るという姿勢を崩してはならない。自民党の議員の中に、社民党や共産党の女性議員たちと変わらない意見を述べる人がいるというのは、私にはとうてい理解できない現象である。
改革は必要だが、保守政党としての基本線までも崩してしまわないように、自民党執行部は正しい舵取りをしてもらいたい。
引用元URL
http://www09.u-page.so-net.ne.jp/ka2/rindou/jiji20.html