投稿者 股痔瘻 日時 2001 年 10 月 07 日 09:04:50:
回答先: 小泉首相と広告代理店 投稿者 Foulier 日時 2001 年 10 月 07 日 05:56:46:
最近の雑誌や週刊誌では、もう右寄りまっしぐらですね。いままで抑えられていた「はらわた煮えくり返って夜も眠れん」思いが噴出しているかのようです。たぶんその伏線は数十年前に遡ると思われます。何が言いたいかというと、今現在の思いの総和が何十年後かに表に現れるということですね。世間の人々の思いの総和が空想だけに終わらず肉体にも具現化される具体的現象に実現するいうことです。ある種の傾向が人々の行動に影響し傾れをうってどこぞへ突っ走っているようにも見えます。いやはや人間の思いはおそろしい。思いと現実はそう乖離したものではない。総和となるならば力を持ってどこでも引っ張っていきます。いや始めに「〜したい」とか「〜なりたい」とか秘かに、しかも多くの人が思っていたことの総和が今の社会の有り様でしょう。この「〜したい」とか「〜なりたい」とかいうものは人が秘かに感知し感応し個人的に思い描くものですから、決して「一部の知識人がその思想や美学に死を賭けてさえ、経済的欲望をみなぎらせた大衆の前には一片の説得力も影響力もなかった」という具合のものですよ、きっと。たとえばむかし、出稼ぎ先の工場の食堂で三島由紀夫の自決のシーンをテレビの画面で見ていたその農民のおっちゃんたちは何の興味を示さず、お茶を飲んだりベンチで昼寝をしていたわけで、そもそも三島の名前を誰も知らなかった。彼らの関心は、年末にいくらの出稼ぎボーナスを得て故郷に帰るかだけであり、経済的向上の情熱だけをむき出しにしていた。時代は左翼も右翼もズッコケて、<政治>から<経済>に大きく移り変わろうとしていた大きな流れの前には正覚者がいくら叫べども時代に抗うことができなかった。まあ、それというのも戦後、国家と財界は日本<総工場>化をめざし、生産効率の悪い農村地帯を次々に潰し、緑の自然風土を破壊しまくっていた。極めて暴力的なスクラップ・アンド・ビルド方式で急成長して来たという「仕込み」があったわけで、その下に民衆が感応し欲望民主主義を肯定的にむき出しにしたという経緯があったのは確かであるにしろ結局、個々人が心の奥底で何を志向しているかが行く先を決める分岐点なのだがね。たぶん。
で、バブルはじけて不況になって戦乱の噂を聞きつつ名も知れない個々人たちは何を思い描いているのでしょうか。その総和は潜在意識にプールされ、この先具現化されるのを待っているという状況ではないでしょうかね?