投稿者 DC 日時 2001 年 8 月 22 日 23:42:17:
回答先: 靖国神社参拝 小泉首相の「失敗」を買う 投稿者 DC 日時 2001 年 8 月 17 日 21:37:05:
ごまめの歯ぎしり 8月14日号
ごまめの歯ぎしり メールマガジン版
衆議院議員 河野太郎の国会報告
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メールアドレスが変わりました。 konotaro@h5.dion.ne.jp です。
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総理の靖国神社参拝に関する議論に関して。
1972年の日中条約を締結するに当たり、日本側にも台湾との国交断交
に反対する意見がありましたが、中国側にもあえて日本と国交を結ぶ必要
があるのか、あるいは日本が中国を侵略した過去をどう考えるのか、とい
う声がかなりありました。
当時の毛沢東、周恩来といった中国の指導者は、中国の国民は戦争の被害
者だが、大多数の日本国民も戦争の被害者であり、戦争を引き起こした日
本の戦争責任者と日本国民を分けて考えるべきであるという説明を中国国
民に向けて行いました。そして、この考えをベースに賠償問題などが議論
され、日本と中国の政府が条約を締結しました。
78年のA級戦犯の合祀以後、総理が靖国神社に参拝するということは、
中国側から見ると、日本政府の代表者が、戦争を引き起こした責任者に頭
を下げることになり、日本国民と戦争の責任者を区別した考えにたった現
在の日中条約と整合がつかなくなります。これが、中国政府が、A級戦犯
を合祀した靖国神社に、政府の代表者である総理が参拝することに、反対
をする理由になっています。A級戦犯が合祀されていない靖国神社に総理
が参拝したり(かつての三木総理の参拝など)、政府の代表者でない人の靖
国神社参拝などについては、中国は問題として取り上げることはありませ
ん。
という中国側の理由を知った上で、この問題を議論することが必要だと思
います。これは日本の国内問題だから、中国の言い分など聞く必要はない
という意見が、国会議員の中でもありますが、私は、そうは言い切れない
と思います。
また、中国が日本と断交したければ勝手にしろ、などという国会議員の発
言もありましたが、おそらく本人は、極端に言ってみただけだと思います
が、現在の日中の関係は、経済面を見ても、中国はアメリカに次ぐ貿易相
手になり、毎年百万人の日本人が中国を訪れ、約二万社の日本企業が中国
国内で、何らかの操業をしているのが現実です。
私は、国立の墓苑なり、慰霊碑なりを建立し、そこで追悼を行い、また外
国の代表者にもそこを訪れていただくようなことを行うべきだと思います。
あなたはどうお考えになりますか。
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■編集:河野太郎
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#>私は、国立の墓苑なり、慰霊碑なりを建立し、そこで追悼を行い、また外
国の代表者にもそこを訪れていただくようなことを行うべきだと思います。
#やっぱこれしかないんだけど、左右の教条主義者はどちらも反対なんですよね。
http://www.1101.com/watch/index.html
<ほぼ日読者の皆様へ>
ほぼにちは。
先週はあいさつだけになってしまいました。
きょうは、靖国問題などで
テレビでご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。
その人の話です。
A級戦犯の孫に生まれて
小泉総理が靖国神社に参拝した日、
特別番組を組んで靖国から中継で放送した。
メディア各社のカメラがズラリと並び、
キャスターやリポーターがマイクを握る。
周りには参拝客や野次馬などがとり囲んで
その様子を見ていた。
夕方6時を回ったころだった。
そのなかのひとりが声を上げた。
「反国家的放送局はここから出て行け」
次第にその輪は広がり、あちこちから
「そうだ、そうだ」という声が挙がる。
そのうち「出て行け」の大合唱となった。
スピーカーを使って叫ぶ人もいた。
様々な立場の人がこの日、集まっていたということだ。
私は耳にあてたイヤホンを手で押さえる。
マイクに向かって話す声も知らぬ間に大きくなっていく。
もしかしたらこのまま放送を中断させられるかもしれない。
中継に出て本気でそう思ったのは初めてだった。
それほどこの日の靖国神社は騒然としていた。
小泉総理の前倒し参拝を
ひとりの女性が複雑な気持ちで見つめていた。
東條由布子(ゆうこ)だ。62歳になる彼女は、
総理が参拝すると聞いて体の力が抜けたという。
「小泉さんは15日の終戦記念日に参拝すると
明言していたのに、どうしてそれを翻すのでしょう」
彼女は、開戦時の総理でA級戦犯として
死刑となった東條英機の孫だ。
私は彼女と靖国神社を一緒に歩いて話を聞いた。
暑い日差しが肌を突き刺し、蝉の鳴き声が降り注ぐ。
太陽の光に緑が鮮やかにそよぎ、
石畳を歩く参拝客の足音が静かに響く。
ここが東京の真ん中であることを忘れてしまう。
東條英機の孫として生まれるとはどういうことなのか。
もちろん望んで生まれたわけではない。
だが彼女の人生には
東條英機の孫という視線が常につきまとう。
戦争が終わり家族は静岡県の伊東に逃れた。
兄が石を投げられて
「お前のおじいさんは泥棒よりも悪いことをしたんだ」
と子供たちからなじられる。彼女が6歳の時だった。
東條英機の長男だった父は職を追われ、
一家は住居を転々とする。そんな子供時代を送った。
だが東條家の人々が苦境を語ることはなかった。
戦争で亡くなった人々とその家族の悲しみ、
そして戦争指導者だった祖父の責任を考えると
言えなかったという。
時代は流れ彼女は語るときが来たと思った。
92年には本を出版し東條家の戦後を語った。
しかし親族の反応は冷ややかだった。
彼女は言う。
私は東條家を代表して語っているのではありません。
個人として話すのです。
小泉総理の靖国騒動で、再び彼女は
メディアの注目を集めることになった。
私が会った日も何社かの取材を受ける予定が入っていた。
「手を清めてよろしいですか」
彼女はそう言って大手水舎で手と口を清めた。
鳥居をくぐり拝殿に向かう。
彼女はバッグを賽銭箱のそばに置いて正面に立つ。
賽銭を投げて手を合わせた。
「何を思って手を合わせていたんですか」
階段を降りてきた彼女に私は訊ねた。
「ここに来て思うことはいつも同じです。
戦死した人たちに申し訳ない気持ちで一杯です」
「それは東條家の人間としてですか」
「いいえ、ひとりの人間としてです。
ここで祖父の顔が浮かんだことはありません」
彼女と雑司ヶ谷にある東條英機の墓も訪れた。
祖父の顔が浮かび語りかけるのは、墓だと彼女は言う。
靖国神社ではないのだ。
靖国神社の敷地内にある池のそばのベンチに座った。
彼女は穏やかな表情で池の鯉を眺めた。
「なぜ私は東條家に生まれたのだろうと
思ったことはないですか」私は訊ねた。
彼女は答えた。
「いいえ、それはありません。
それは宿命だと思っています」
彼女はNPO(非営利団体)を組織し、
南太平洋のパラオなどで日本兵の遺骨収集を行っている。
「東條家に生まれなければ遺骨収集をしていなかった?」
私は訊ねた。
「そうかもしれません。
でも兵士の骨が帰らない戦後などありません」
彼女は宙を見上げるようにして言った。
こんな思いもある。
祖父も生きていたら遺骨収集をしたのではないか。
これも宿命かもしれないと彼女は笑った。
靖国神社騒動について訊ねてみることにした。
「小泉さんが靖国神社を8月15日に参拝すると
言ったことに対して、
近隣諸国から反発が起きています。
その理由のひとつはA級戦犯が合祀されていることですが、
東條英機の孫としてどう思われますか」
彼女はしばらく考えてから言った。
「祖父さえ合祀されていなければ、と思うことはあります。
祖父が合祀されていることで
こんなに騒ぎが大きくなってしまって。
他の遺族の方々にも申し訳ない気持ちで一杯です」
合祀は1978年にひっそりと行われた。
しばらくは親族へもその事実は伏せられた。
その後靖国騒動が起きるたび、
彼女は複雑な思いに駆られることになった。
小泉総理が参拝した翌日にも、
靖国神社に彼女の姿があった。
終戦記念日の前日だけあって、
午前中から一般の参拝客でにぎわいを見せていた。
彼女が東條英機の孫だと気付く人はいない。
いつものように彼女は
わざわざバッグを横に置いてから静かに手を合わせた。
「これからも毎年こうした議論が続くことが
申し訳なくて。特に今年はそう思います」
この問題に対してはじつに様々な立場がある。
東條の思いもそのひとつだ。
彼女は拝殿に方向に深々とお辞儀をして
ゆっくりと靖国神社をあとにした。