投稿者 MASA 日時 2001 年 8 月 09 日 00:13:00:
回答先: ニュース・ステーションは何とエシュロン特集 投稿者 MASA 日時 2001 年 8 月 08 日 23:10:11:
今から見れば、1949年代から起こった共産党の暴力化(武力革命路線)とは謀略だったわけで、変わったのは共産党ではなくて、冷戦開始による連合国総司令部(GHQ)の占領政策だったわけで、超憲法的手段がとられた。
マッカーサー長官は自分が創った憲法さえも守らなかったわけだ。
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レッドパージ
1950年(昭和25)年6月6日、連合国総司令部(GHQ)長官マッカーサーが吉田茂首相あて書簡をもって共産党全中央委員24人の公職追放を指令したことを皮切りに、レッドパージが本格化する。吉田首相は同日、ただちに公職追放令(1947年勅令第1号、公職に関する就職禁止、退職等に関する件)にもとづき、徳田球一書記長をはじめ、野坂参三、宮本顕治ら共産党中央委員を政界から追放する手続きをおこなった。翌7日付の『朝日新聞』は「共産党全中央委員を追放」と、一面トップでこのニュースを報道し、社説で同新聞の見解をしめした。なおマッカーサー書簡中のスキャップ指令548号とは、政党、団体などの廃止に関する覚書で、これをもとに団体等規制令が制定された。同550号は公職追放に関する覚書で、公職追放令が制定された。なお、書簡には読点がついていないが、編集部で適宜ほどこした。
[出典]『朝日新聞』1950年(昭和25)6月7日
マ元帥書簡全文
総司令部特別発表
マックアーサ元帥は共産党幹部の公職追放に関し、六日朝吉田首相にあてて左の書簡を寄せた。
日本国民がポツダム宣言に基づいて負っている義務を果すよう日本国民を援助するのは占領軍の根本目的である。その日本国民の義務のうち最も重大なものは日本に平和と安全保障と正義の新しい秩序を建設することであって、右の基礎の上にはじめて平和を愛好する責任ある政府が確立されるのである。この目的のために日本政府はポツダム宣言中で特に『日本国民中の民主主義的傾向の強化をはばむすべての障害を除去すること』を要求されている。
この条件は極東委員会によって確定され指令された連合国政策の基本的目的として推進されて来たものであって、この必要条件を充(み)たすために日本政府の構造が改められ、民主的でない法律や諸制度が改変され、過去の閲歴からみて引続き影響力をもっていることは民主主義発展に有害だと考えられる人々はみな日本の公職から追放された。
いままで占領軍の指導原理は「処罰」ではなくして「保護」にあった。その目的として来ったもの、また実際に効果を挙げてきたところは日本を民主化せんとする連合国の政策の目的が反民主主義的分子の影響と圧力によって阻害されるようなことがあってはならないとの保障を提供するためのものであった。この措置が適用される範囲は主としてその地位と影響力とから見て、他民族の征服と搾取に日本を導いた全体主義的政策に対して責任を負うべき地位にある人々に限られてきた。
ところが最近にいたり日本の政治には新しく右に劣らず不吉な勢力が生れた。この勢力は代議政治による民主主義の線に沿って日本が著しい進歩を遂げているのを阻止し、日本国民の間に急速に成長しつつある民主主義的傾向を破壊するための手段として真理をゆがめることと大衆の暴力行為をたきつけることとによって、この平和で静穏な国土を無秩序と闘争の場に転化しようとしている。
彼らは一致して憲法にもとづく権威を無視し、法と秩序による行動を軽視し、虚偽や扇動その他の手段によって社会混乱を引起し、ついには日本の立憲政治を力によって転覆する段階をもち来らすような社会不安を生ぜしめようとしている。彼らの強制的な手段は過去の日本の軍国主義指導者が日本人民をだまし、その将来を誤らしめた方法と驚くほどよく似ている。そして彼らの目的がもしも達成されたならば日本をこんどの戦争よりもっと悪い災害に陥れることは間違いない。彼らの法律を無視する扇動をこのまま放置するということはいかに初期の段階にあるとはいえ、連合国の政策目的と意図を直接否定し、これによって遂には日本の民主的諸制度を抑圧する危険があり、日本の政治的独立に対する好機を失わしめ、日本民族の破滅を招く危険があるのである。従って私は日本政府が次にのべる日本共産党中央委員全員を公職から追放し、私が一九四六年一月四日付で公布した禁止、制限、責任に関する指令(スキャップ指令五四八号ならびに五五〇号)とその付帯条項を彼らに適用するために必要な行政措置をとることを指令す。
社説
重大転機に立つ共産党
マックアーサー元帥は、六日吉田首相あての書簡によって、日本共産党中央委員全員を公職から追放するよう指令した。その理由は右書簡の中に詳細に述べられているからことさら推測をつけ加える必要はあるまい。共産党はここに重大な局面に立つに至ったわけであるが、それはいわば共産党自身が過去の行動によって自ら招いた結果であることをまずもって猛省すべきである。
昨年の夏ごろからの、殊(こと)にこの一月コミンフォルムの批判をうけてからの日本共産党の動きには、黙過し難いものがあった。それはいわゆる人民電車事件や平(たいら)事件から、近くは五・三〇デモ事件などにあらわれた一連の常軌を逸した行動や無責任な宣伝活動を見れば自ら明かであろう。共産党は、口を開けば平和と民族の独立を叫ぶが、実際には、国内の平和を脅かし独立を困難ならしめる帰結を導くような行動を繰返して来た。それは五・三〇事件の暴行者や先走った一部学徒をトロツキストとなじることによって、責任を免れ得るような性質のものではなかった。共産党はこの機会に、まず民主主義国家、わけても平和国家における公党はいかにあるべきかを、学ばなければなるまい。
今回の措置が、いわゆる共産党非合法化に連(つらな)るものであるかどうかを、即断することはできない。吉田首相は去る四日の談話において、「共産党の非合法化を考慮せざるを得ない」と語っているが、ホイットニー総司令部民政局長は、「共産党そのものは非合法とされたものではなく共産党が望むならば新たに中央委員を選ぶことができる」と述べているのであるから、少くとも今回の措置が、いわゆる非合法化に直結するものと見るのは早計であろう。
世間には、共産党はすでに非合法化の場合を予想して準備を整えており、また現に今日表面にあらわれている共産党の組織や活動は、単にその全容のわずかの部分、いわば露頭にすぎないから、それは今でもほとんど非合法の場合とえらぶところがない、という説をなすものもある。しかし非合法化ということ自体は、そう手軽に片づけらるべき問題ではあるまい。そこにはまず、憲法の保障する結社や思想の自由という民主主義の根本原則とどう調和させるかという問題があろう。それは法的形式的な問題であるかも知れないが、この根本原則は安易に手心を加えらるべきものではない。もし共産党のうごめきに遭ってこの原則を貫き得ないとするならば、それはわが国における民主主義の弱さを、自ら告白することにほかならないであろう。
昨夏以来の共産党の盲動はもちろん軽視すべきではないが、といって徒(いたず)らにそれを過大評価するには当らないであろう。そのような動きは、一部の極端な狂信的分子を殉教者であるかのような陶酔にひたらせることはできても、反面においてそれは、国民大衆の痛烈な批判を誘発せずにはおかないからである。参議院選挙の結果などは、この事情を端的に物語っている。国民の批判精神の健全な成育には、もっと大きな信頼が寄せられてよいであろう。
共産党を非合法化することは、いわゆる露頭をさえ地下に潜入させることにほかならない。臭いものにフタをすることは、決して賢明な策ではない。臭いものの発生する余地をなくすること、それが政治であるはずだ。民主主義の徹底しているところ国民生活の安定しているところに、共産主義の繁栄した例はない。イギリスやスイスに共産党が公然と存在しながら、わずかに命脈を保つ存在でしかない事実を直視すべきである。大切なことは、共産主義の怪物におびえることではなく、それの出没する背景をきわめ、怪物そのものをあざ笑い得るような状態をつくることである。
日本があくまで国際社会における平和の緑地帯でなくてならぬことは多言を要しない。それは世界のいずこにも敵をつくらぬこと、すべての国際的確執の局外に立つことから出発する。現実の国際情勢において、共産党の非合法化は、日本のこの基本的方針に無影響にとどまり得るであろうか。これは軽視できない問題である。
共産党非合法化の問題が決して簡単に割切られ得る問題でないことを指摘するとともに、共産党自身が、いまや重大転機に立つことを省察し、その基本的態度を根本的に自己批判することによって自らを非合法に追込むような軽挙に陥らぬよう、強く要望しておきたいのである。
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