アハメト・ラシッドが「夕リバン後」のイスラム世界とアメリカを語り始めた(『現代』)

 ★阿修羅♪

[ フォローアップ ] [ ★阿修羅♪ ] [ ★阿修羅♪ Ψ空耳の丘Ψ14 ]

投稿者 YM 日時 2001 年 11 月 08 日 00:30:25:

回答先: アハメト・ラシッド『ビンラ一ディンとタリバン「終わりなき戦い」』(『現代』) 投稿者 YM 日時 2001 年 10 月 20 日 23:10:11:

『現代』12月号
本誌独占・5万部突破ベストセラー『タリパン』の著者による連続寄稿
「夕リバン後」のイスラム世界とアメリカ
アハメト・ラシッド(在パキスタンジャーナリスト)

アメリカがアフガニスタンのタリバン政権に攻撃を開始してから約一ヵ月。戦局
は、アメリカ対タリバンという構図から、アメリカがタリバン政権崩壊後のアフ
ガン再建の道筋をどう立てるかという問題に移行しつつある。
10月8日未明に空爆を開始したアメリカ軍は、わずか三日間のうちにアフガン
国内の主な空港、通信施設、軍事拠点などを破壊し、タリバンから制空権を奪っ
た。だが、首都カブールの周辺と北アフガニスタンのタリパン軍事基地に対して
だけは、あえて空爆しなかった。タリバンはこの両地域に、合わせて約二〇〇台
の戦車と、何百砲という中・上クラスの大砲を備えている。アメリカがここを本
格的に攻撃すれば、タリバンの部隊はあっという問に四分五裂することが明白な
のに、みすみす放置したのである。
アメリカは、憎きオサマ・ビンラディンを保護下におく限り、タリバン政権を殲
滅させると宣言している。だがその一方で、タリバン政権と敵対する北部同盟に
は「占領軍」になってほしくないのである。
北部同盟というのは、タリバンが国土の大部分を支配するようになった96年以
降、北部のパンジシール渓谷などを本拠地にして、タリバンに対する抵抗を続け
る反タリバン勢力の総称である。ウズベク人部族、タジク人部族、ハザラ人部
族、ペルシャ人部族の四派に分かれており、打倒タリバンということでは一致し
ていても、それぞれ利害を異にしている。そしてロシア、イラン、トルコ、ウズ
ベキスタン、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンが、それぞれ利害を共
にする派に資金と武器を提供している。(一方のタリバン政権に肩入れしたの
は、パキスタンとサウジアラビアだった)。
この四派を統率していたのが、かつてソ連軍に「パンジシールの獅子」と恐れら
れたタジク人のアハマド・シャー・マスード最高司令官だった。1953年生ま
れで、カブールのフランス系名門リセ、イスナィクル校で学んだマスード司令官
は、反パキスタン感情の強い民族主義者だった。私は96年5月、タリバンが占
拠する直前のカブールで彼を取材したことがある。彼は二五年間の戦いに明け暮
れた日々を振り返り、「誰もが椅子に座りたがっている時は床に座れ」というア
フガンの古い諺を引き合いに出して、軍の最高司令官なのにラバニ政権の国防大
臣の職は固辞しているのだと語った。
その後、マスード司令官はタリバンとの長い戦いを経て、この4月に初めて訪欧
し、ストラスブールの欧州議会やブリュッセルのEU本部などを訪れてタリバン
政権打倒への支援を訴えた。また、この春以降、トルコに亡命していたウズベク
系のラシッド・ドストム将軍とイランに渡っていたイスマイル・カーン前ヘラー
ト州知事が帰還し、北部同盟はいよいよ、タリバン政権に奪われた国土の奪回に
乗り出そうとしていた。
こうした状況の中、オサマ・ビンラディンは、タリバン政権の最高実力者ム
ラー・モハメド・オマルに一計を授けた。そして自らのテロ組織アルカイーダを
隠密裡に動かしたのである。
アメリカであの同時多発テロ事件が起きる二日前の9月9日、「ベルギーのテレ
ビ局取材班」が北部同盟の本拠地に入った。ベルギーのパスポートを持ち、ブ
リュッセル、ロンドン、イスラマバードと経由してアフガン北部にやってきたモ
ロッコ系の若い「記者」二人組である。彼らは、マスード司令官のインタビュー
を始めるや、テレビカメラの中に潜ませていた手榴弾の引き金を引いた。アフガ
ン最大の英雄にしては、いともあっけない最期となった。
マスード最高司令官の死は、北部同盟の分裂の開始を意味した。イスマイル・
カーン司令官率いる一派はイランの後ろ盾を得て、西部の要衝ヘラートを落とそ
うとしているが、北部地域では別の派が別の動きをしている。このまま北部同盟
が首都カブールを陥落させれば、アフガンは主要都市ごとに分裂し、新たな内戦
に突入する可能性が高い。92年のナジブラ政権崩壊後と同様の混乱状態に陥る
わけだ。こうしたことから、アメリカはタリバンを攻撃しつつも、タリバンと敵
対する北部同盟とは一枚岩になれないのである。

パキスタンの「人質大統領」
(中略)
敵はタリバンではなくインド
(中略)

ムタワキル外相に期待するな
10月20日に米特殊部隊が上陸を開始したが、アメリカは今後しばらくは、タ
リバンの頑強な抵抗に遭うだろう。その後、アフガン全土を制圧したとしても、
「タリバン穏健派」やタリバン支配地区のパシュトゥン人勢力をどう扱うかにつ
いて、苦渋の選択を迫られるに違いない。
一言でタリパンと言っても、いまのタリバン勢力は、大きく分けて三種類から
成っている。
第一勢力は、最高実力者ムラー・モハメド・オマルと彼に絶対的忠誠を誓ってい
る「カンダハリ」と呼ばれる三〇人ほどの核心層である。彼らはオマル師と同じ
カンダハルか近郊のウロズガン出身のパシュトゥン人である。80年代の青春時
代はソ連との戦争に明け暮れ、ソ連撤退後の89年から92年まではナジブラ共
産政権と戦った。
過去七年間にわたってオマル師と生死をともにしてきた彼らは、会ってみると、
満身創痍という感じである。カンダハル州知事のムラー・ハッサン・レマー二は
片足と指一本を失っているし、カブール市長のアブドル・マジドは片足と指二本
がない。オマル師とムルディン・トラビ法相、モハメド・ガウス元外相は片目で
ある。彼らは、オマル師が議長を務めるシューラ(最高評議会)のメンバーの九
割方を占めており、最後までオマル師について対米戦争を戦い抜くつもりでい
る。
第二勢力は「穏健派」と呼ばれる人々で、村の一族の長や貿易業者などが多い。
彼らのほとんどは、タリバンが94年から96年にかけてアフガンを制圧してい
く過程で、「勝ち組」についたグループである。現在は、地方や軍などで「カン
ダハリ」に次ぐ重要なポストを占めている。
タリバン穏健派を束ねていた元カブール市長のモラー・モハメド・ラバニは、
「われわれは早く国家としての機構を整えるべきだ」というのが持論で、たびた
びオマル師と対立した。だが、ラバニ元市長は今年、癌にかかって他界した。こ
のため、穏健振はリーダー不在の状態に陥っている。
アメリカは、穏健派の新たなリーダーとして、99年以来タリバンの「表の顔」
であるアブドル・ワキル・ムタワキル外相に期待をかけているようだ。だが、ム
タワキル外相は、オマル師と同じマドラサ(イスラム学校)で学び、オマル師の
運転手、毒味役、通訳、秘書を経て外相になった人物である。私は彼を取材した
ことがあるが、オマル師に絶対忠誠を誓っており、アメリカが期待するのは筋違
いである。

国連主導の復興を目指せ
タリバンの第三勢力は、オサマ・ビンラディンを中心にしたアラブ人である。
96年5月にスーダンを出国したビンラディンは、アフガニスタン東部のジャラ
ラバードに移り住み、カブールを占拠したばかりのタリバン幹部と、9月に初め
て接触した。その時、対米テロのための安全な拠点を築きたいビンラディン、資
金不足に苦しむタリバン、それにカシミール戦線拡大にともなって東アフガンの
訓練キャンプを確保したいパキスタンの思惑が合致した。
ビンラディンはオマル師を、「純粋なイスラム国家を築いたイスラム教世界全体
の偉大な首長」とおだて上げた。そしてカンダハルで、オマル師のために防空壕
付き豪邸やモスクを建ててやり、訓練を積んだボディガードまで提供した。
さらに、カンダハル近郊の道路建設や無線通信の配備を行い、タリバン軍として
戦う三OOO人のアラブ人も連れてきた。そして純粋なタリバン兵士たちに、麻
薬や消費物資の密輸ビジネスの味を教え込んだ。
アラブ人たちが軍や宗教警察で発言権を持ち出すにつれて、ビンラディンの扱い
が、タリバン幹部たちの間で議論の的となった。タリバン幹部たちは、自分たち
の立場がアラブ人に脅かされることを嫌ったが、そうかといってビンラディンを
厚遇するオマル師に逆らうこともできなかった。
そんな中、ビンラディンは、外交政策などまったく持っていなかったタリバン
を、急進化させていった。アメリカに外交的承認を乞うていた田舎者の集団は、
「アメリカがテロ問題を終結させたいのなら、ただちにペルシャ湾から撤退し、
イスラエルベの肩入れをやめろ」(9月25日にオマル師が「ラジオ・シャリ
ア」で語った発言)と大言壮語するまでに変質を遂げた。オマル師の主張は、
「イスラム世界の規範となってアメリカに対する聖戦を行う」というビンラディ
ンの主張の受け売りである。
タリバン政権の幹部たちをよく知る部族長ハミッド・カルサイによれば、「ビン
ラディンはいまや、タリバン政権の国防大臣と化している」という。アメリカの
空爆に対処するため、幹部用の地下施設を各所に作ってやったばかりか、タリバ
ンの軍事戦略全般を指揮しているというのだ。いまの状況を見ていると、この二
人のリーダーは最後まで生死をともにするに違いない。
こうした状況の中、アメリカが「タリバン後」のカギを握る人物として白羽の矢
を立てたのが、ローマに亡命中のザヒール・シャー前国王だった。86歳の高齢
ながら、パシュトゥン人である前国王は、73年に亡命して以降、内戦の続くア
フガニスタンにおいて唯一正統性を持つ指導者というわけだ。アメリカの後押し
を受けた前国王は、10月に入ってローマで「アフガニスタン国家統一のための
最高評議会」の設立を宣言した。最高評議会は北部同盟代表を含む一二〇人のメ
ンバーで構成されるというが、この一二〇人を決めるために、今後ローマで延々
と議論が繰り返されることだろう。最高評議会が暫定政府を樹立するのはいった
いいつのことになるのか。
アメリカが今、活用すべきなのは国連である。アフガンを国連による委任統治に
して、92年にカンボジアで施行したような国連主導の復興を目指すべきであ
る。すでにコフィ・アナン国連事務総長は、10月3日に、豊富な外交経験を持
つラクダル・ブラヒミ元アルジェリア外相をアフガン担当事務総長特別代表に任
命した。ブラヒミ特別代表はただちに欧米を歴訪し、(1)国連主導の政権を樹立
し、アメリカ、ロシア、パキスタンなどの傀儡政権にはしない、(2)タリバンか
らの離脱者を含む諸派から成る政権とする、(3)国際社会が後押しするなどの同
意を得たもようだ。アメリカと国連の二人三脚こそが、アフガンに光明を見出す
唯一の方法である。
(翻訳・構成/足立恵子)

アハメト.ラシッド 1946年生まれ。アフガン取材二二年のパキスタン人ジャー
ナリスト。『タリバン』(講談社刊)が世界的ベストセラーになっている。


この全文は『現代』12月号に掲載されています。


フォローアップ:



  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。