投稿者 SP' 日時 2001 年 6 月 07 日 07:07:32:
回答先: UFOが私の機と編隊飛行を! 投稿者 SP' 日時 2001 年 6 月 07 日 07:04:56:
『空の上の超常現象』(M・ケイディン著、野田昌宏訳、PHP研究所)第7章より。
私はこの資料を、このまま埋もれ忘れられて欲しいと当局が願う公式の戦闘ファイルの中から発見した(ドイツのシュワインフルト上空を飛ぶB-17編隊の搭乗員が目撃した銀色の円盤の事を思い出して頂きたい。本書はそういった夥しい数の軍用機搭乗員が目撃した例を扱っている)。
あの銀色円盤の一件が戦闘詳報として残されているように、この信じられぬ出来事を貴方にお伝えしようと思うのである。この話はどう考えてもあり得ない出来事なのである。しかしそれを、そのとき現場に居あわせた数百人にも及ぶアメリカ陸軍、陸軍航空軍関係者が目撃しており、再三にわたる事実関係の確認が行われているのである。
私はこの一件を一九五〇年代末頃から追っていたのだが、第二次世界大戦の公式記録の中にある筈だと確信してきたのが、どうも勘違いではないかと思い始めていた。そしてひどい欲求不満にとりつかれた。なにしろこの出来事は、私がこうして本書に紹介するよりもっと詳しく紹介するに値するものだからである。私は第5航空軍の公式戦史編纂者(他にも幾つか)として日本でA-2(諜報)勤務の時代に、多数の飛行隊・航空群・航空団・航空軍の作戦記録のファイルを渉猟した。そこで私は、超常現象とは関係なしに、これまで公にされていなかった想像力を揺るがすような、とても信じられぬ出来事を次から次へと明らかにした。しかし、それらのすべては解明されていて、解明されぬまま残されている謎はなく、まぁ、戦史をいささか豊かにすることに貢献した。
しかし、この話は別である。
この話は貴方を混乱させ、戸惑わせ、呆然とさせるに違いない。しかし、まぎれもなくこれは現実に起きた事なのだ。それを本当に起きた事として受け入れようとして、いくら貴方がぞっとしようが、胃がおかしな事になろうが、そんな事とは関係なく、とにかく起きた事として受け入れるしかない!
実は、その記録は一時私の手元にあったのだ。第二次世界大戦における北アフリカでの作戦の記録を調べている時に私はその出来事を読んだ。それは冷静で、隙がなく、ショッキングではないまでも堂々と、第二次世界大戦の戦闘記録の中にきちんと書かれていた。そのころ、戦闘記録の大部分はまだ秘密文書扱いで一般には公開されていなかった。私は公式の調査が仕事だからそれを閲覧する事はもちろん許されていたが、その持ち出しは禁じられていた。それで何度もその文書庫に通ううちに、何ということだろう、その資料は突然どこかに行ってしまい、二度と私の眼に触れる事はなくなってしまったのである(少なくとも私には)。
そんな訳で、これから話す事は、それ以前の資料をもとにしている。
私が発見したその資料は、本当に眼を見張るような驚くべき内容であった。その一部始終がかたい公文書用語で細かく記されているのである。その日、北アフリカ戦線で起きた出来事はあまりにも不可解、あり得ない事なので、前線の指揮官は、それを目撃した全将校・全下士官に詳細な目撃証言を作成させ認識番号・官姓名・サイン付きで提出させているのだ。
それは、いつもと変わりのないある日の事であった。いつもと変わりなく地中海、その中に散在する島々、そして北アフリカ沿岸に展開する枢軸軍対連合国軍の食うか食われるかの凄絶な戦いが繰り返されていた。連合国軍の数百機の戦闘機、爆撃機の大編隊、そして敏捷な多数の偵察機は北アフリカと地中海の島嶼に展開しているドイツ・イタリア軍に対して攻勢をかけていた。随所で戦闘が行われ、輸送機は決死の補給を続けていた。いつもと変わりなく飛び、敵と闘い、運がよければ生き、運が悪ければ死ぬ……そんな男達の一日だった。
この日の作戦には、双発・双胴の重戦闘機ロッキードP-38ライトニングによる長距離強行偵察が含まれていた。ライトニングの編隊は北アフリカの海岸線沿いから地中海へ出て、ドイツ空軍の基地の偵察を強行した。この任務は楽なものではなかった。ドイツ側も本気でライトニングに応戦してきた。地中海上で壮烈な空戦が展開された。敵味方が入り乱れ壮烈な格闘戦が繰り返された。そしてやっと戦いが終り、アメリカ側が編隊を組み直したとき、一機のP-38が姿を消していた。パイロット達は無線で連絡を取り合い、そのP-38が海上に不時着したのではないか、パイロットは機体からパラシュートで脱出したのではないかと確認しあった。僚機によって不時着水か機外脱出のどちらかが目撃されていれば、救難隊の飛行艇か魚雷艇をすぐに手配する必要がある。
しかし手掛りはなかった。姿の見えぬそのP-38が何か危機に遭遇しているのを目撃した僚機はなかった。そこで彼等は広く散開し低空で飛びながら海面に何か手掛りでもないものかと捜索を開始した。しかし何もない。彼等の願いと関係なく時間は容赦なく過ぎていく。そして間もなく燃料が残り少なくなり、ライトニングは後ろ髪を引かれる思いで帰途についた。
一機また一機と彼等は着陸し、地上滑走で掩体壕の方へ向かい所定の駐機位置に停止した。エンジンが切られパイロットは機から降りてきた。彼等は記録を照合し情報将校に報告した。帰って来ないパイロットは“戦闘中に消息を絶った”と記録された。まだ“戦死”ではない。編隊が無事に帰投したずっと後になって単機自力で帰り着いたパイロットも一人や二人ではない。
しかし時間は過ぎていく。そしてどう楽観的に考え、どう燃料を節約しながら飛んでもガソリンはタンクに一滴も残る筈のない時間がきた。仮に一方のエンジンを切り、もう一方のエンジンの回転を墜落しないぎりぎりまで絞っても、これ以上は無理だった。
それでも、彼等はさらに二時間待つことにした。幸運のお呪いの指を組み合わせ、自分たちの護符へお祈りしながら……。見込みのない事は判っていた。そして、その二時間が過ぎた。彼等は再び空へ眼を走らせた。あのP-38は北アフリカに展開しているどこか他の基地へ辿り着いているのではないか、いまにも無事だという連絡が入るのではないかと彼等は願った。
見込みのありそうな基地への問い合わせも返事はノーである。
P-38一機とパイロット一名は戦闘によって失われた。戦友たちは、彼がもう二度と帰らないのだと自分に言い聞かせた。兵舎の寝床にはひとつ空きが出来、その夜の食卓には空席がひとつ出来るだけだ。
よくある事だった。
それが戦争というものなのだ。
ところが、その時であった。空襲警報のサイレンが鳴り渡った。すぐ対空砲座に射手がとりつき、掩体の中の戦闘機はエンジンが起動し、パイロットはコックピットに飛び込んで緊急発進の命令に待機した。レーダーがこの飛行場めがけて敵味方不明の一機が接近して来るのを捕捉したのだ。低空を高速で接近して来るその機体は戦闘機だと思われた。
そ
して彼等はその侵入機の正体を知った。P-38が一機、高速でゆっくりと高度を下げながら飛行場に向かって来るのだ。爆音が伝わってきた。紛れもない二基のアリソン直列エンジンの音、P-38のそれである。防空指揮所はP-38が通常使っている周波数で呼び掛けたが応答はない。地上はいつでも応戦出来る態勢を保ったままである。P-38のパイロットは敵味方識別システムを起動していない。という事は撃墜されても不服は言えない。大きく弧を描いて発光信号が打ち上った。パイロットに対して意図を明確にせよという請求である。主翼を振るとか、車輪を降ろすとか、着陸灯を点滅させるとか……。しかしそんな気配はない。
その頃には数百人の隊員がテントや兵舎から飛び出してきて空を見上げていた。どうにも奇妙なアプローチである。水平に近い鈍い進入角で進入して来るのだ。射撃指揮官は射手に対して射撃開始の姿勢のまま待機を命じた。そのP-38は減速する気配を見せない。着陸する意思はないらしい。どう考えてもこれは只ごとではなかった。そしてそのP-38はそのまま滑走路へ一気に高速で進入して来た。
その時であった。P-38の機体が突然よろめいたように見えた。まるで、垂直に揺れる眼に見えぬ空気の壁に衝突でもしたように見えた。当然、機体は煉瓦塀にでも衝突したような事態となった。P-38は猛烈な勢いで減速させられる破目となり、恐怖の思いで見守る地上の人々が思わず洩らす声とともに、機体は空中で分解を始め、スマートなライトニング戦闘機はあっというまにばらばらの残骸と化したのである。
爆発の閃光もなければ炎も見えなかった。爆発は起きなかった。ただ、間違いもなく高速で飛んでいたその機体が一瞬後にはひどく捩じくれた金属の塊となって地上めがけて四散し始めたのである。エンジンの音は消え、金属片が風を切る音と見守る地上の人々の悲鳴にとって代わった。
その時、何人かが指さした。「あれを見ろ!」そして皆が一斉に叫んだ。機体から空中に放り出された人間が落ちていく。本能的に皆が叫んだ。「パラシュートだ! 引け! クソッ! リップコードを引くんだ!」男達は落ちて行くその男へその声が届くとでも思っているかのように叫んだ。
そしてパラシュートが開いた。最初は補助傘が、それに引き摺られて主傘が引き出された。そして白絹の傘が激しく揺れながら大きく広がった。しかしパイロットはぐったりとぶら下がったまま。
潮がひくように歓声や喚き声が薄れていった。やった! という手がそのまま宙で止まった。そして地上に四散したP-38の残骸のすぐ近くにパラシュートは着地した。救急車両はすでに現場へ急行しつつあった。要員を満載したトラックとジープがそれに続いた。他は地上を走った。皆が地上に落下したパイロットの捩じれた肉体を呆然と見詰めるだけだった。身動きひとつしなかった。
間もなくトラックは滑走路に散乱した残骸片付けを開始した。軍医達は屍体の傍に身を屈めた。そして駆けつけた隊員達は遠巻きにして見守りながら、自分の眼が信じられぬ思いで小声で言葉を交わした。後から駆けつけた連中は、先行した彼等が発狂したのではないかと思った。彼等は、到底信じられぬ思いと訳の判らぬ恐怖に顔を引きつらせ、ただ首を振りながら屍体を見詰めていたのである。
隊員達は夜を徹してこの奇怪な出来事を語り合った。何人もの男達は意識を失うまで洒を飲み続けたが、それを非難する者はいなかった。軍医たちは自分達の作成した検屍報告書をぼんやり見詰めるだけだった。彼等が遭遇したこの事態を、神の名においてどう証明しサインすればいいのか? これは、この事故の報告書作成を命じられた関係者にとっても同じだった。それは不可能だった。到底あり得ないことなのである。
夜明けの曙光はさらに深刻だった。昨夜、彼等が目撃したものは白日のもとでもちゃんと実在していたのである。
今も書いたように、それは不可能な出来事だった。数百人の男達がその眼で目撃していながらも、それは起き得ない出来事なのだ。
そのP-38の燃料タンク、どう甘く楽観的に考えても数時間前に空になっていると断定されたそのタンクは確かに空になっていた。しかしそれにもかかわらず、そのP-38は二基のエンジンが回転している状態で滑走路へ進入して来た。
そして、パラシュートで脱出したパイロット、戦友が待ち続けていた基地へ帰投した彼の額には銃弾が貫通していたのである。額から脳を貫通して頭蓋骨の後部から抜けていたのである。
彼は数時間前に死亡していた……。
あり得ない事である。
しかし事実はそうなのだ。
賢明にも彼等はファイルを閉じた。そして「秘密」の判を押して全員が忘れてしまう事こそ最良だと判断したのである。