カルト宗教や電波情報によって思考停止しないための方法

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投稿者 AIN 日時 2001 年 2 月 26 日 06:17:32:

回答先: Re: 生命と宇宙の基本講座 上級編 投稿者 AIN 日時 2001 年 2 月 26 日 05:48:17:

昨今流行りの新興宗教やチャネリングといったものは、
いわゆる高次元世界への転生を目指すための進化だの、
やれ精神の成長だのをスローガンにしている。
常にそれは地球や人類の改良だの改善にばかり力を入れている。

しかし、もしも改良や改善にあなたが目的を置くならば、
ここで「極論」というものを持ち出してみるがいい。
「極論を持ち出して考えろ」ということは
哲学的な思索の基本のひとつだ。

哲学では常に「極論」が持ち出される。
誰もが「これが目標だ」といっているその目標が達成されたら
「その次はどうするのか?」

「進化が達成されたら、さらにその次の進化はどうなるのか?」
「その次はどうなるのか?」

それまでには、膨大な天文学的な時間がかかるだろうから今はそれは考える必要はない」
という論理は「真の思索」にはない。

常に、「究極」を問う場合には、そのプロセスにどれだけ膨大な時間がかかるかは問題
ではないのだ。プロセスにどれほど時間がかかろうがその時は来るのである。

だからこそ、ひとつの進化が達成されたその時に、
「次をどうするのか」を考えるわけである。

もしもそこで、次のさらなる進化が待っているとしたら、
『それは何のためなのか?』。よく考えてみなさい。

「そのうちいつか世界はなんとかなるだろう」などと言ってはそのプロセスを楽しむ事
で、誰もが、存在そのものの意味を問うというこの「根本問題」から目を避けようとし
ているにすぎない。

しかし、根本問題というものは、究極の問いなのであるから、
それは、
「宇宙がどこに向かうのか、どこから発生して、
宇宙の最終目的はなんであるのか?、そのために意識や肉体としての存在の自分は一体
何をやったらよいのか??」と問うべきものである。


では、そこで次のように考えてみるがいい。

仮に今の精神世界でまかり通っているような目的が全部達成されたとしてもいいだろう。

波動の高い世界とやらが達成されて、だからなんだと言うのだろうか?。

みんな楽しくやっていたとしたら「その次のヴィジョン」はどうなるのだろうか?。

また宇宙の最高責任者(あなたの大好きな神様やら仏様やら宇宙意識とやら)を、あな
たの想像力の中にでっちあげて、そいつと論議しなさい。

「理想的な宇宙が実現されたあとはどうするのか?」と。

「そのあとはどうなるのか?、そしてそんなことをしていて一体何になるというのか?

結局は存在の目的はなんであるのか?」と、
「そいつ」に徹底的に問い続けなさい。

・・・・・・・・・
この宇宙では地球よりももっと素晴らしい次元世界や霊的世界や惑星があるのだと、
あなたはどこかで吹き込まれたわけであるから、そういった本でも読んで、
もっとどんどん探索して進化して楽しんで、修行して、
そういう世界に没頭して、そうした次元がおもしろいと思えるかどうか、
どんどんとやればいいのだ。

もっとも、それらの霊的次元と呼ばれる世界が素晴らしいのだと思い込んでいる人間達が、
こんなにもたくさんいるからこそワークショップやら書店の精神世界コーナーが
流行るわけである。

また、いろいろな組織が仏教という看板をかかげていても、そこには常に、
未来へのヴィジョンや価値観がある。

また未来に価値をおかない場合には、今度は「今ここの気付
き」だの、覚醒だの、内観だの、自己改善などというものをもって来たがるものだ。


そうして楽な存在、高次元存在、高い波動の存在やら宇宙人のような存在や悟った存在
になるのが正しい事だ、などと思い込んで、今まであなたたちは精神世界に首を突っ込
んできた事だろう。


ならば、究極的な理想が実現された世界を極論として想定してみなさい。
さて、「そのあとには何があるのか?」・・・と。


「こうしろ、ああしろ」と精神世界や導師たちにあちこちであなたたちが言われ続けたことを、
もしもあなたや人々が「その通り全部やってしまったら」つまり人間を卒業し、
さらには究極的な宇宙的課題を「卒業」したら、
「その後はどうなるのか」を考えろということだ。


絶対の理想とは「どんなもの」であり、それが「実現化したらそのあとは、どうするの
か?」「なんのために実現するのか?」と考えなさい。

「本当にそうしなければならないと断言する根拠はなんであるか?」を考えなさい。

それを実現するためには、どうしたらいいかではなく、
理想が実現されたら、それが「だからなんなのだ?」と考えろということである。

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****真実を求め過ぎた探究者たちへの助言****


1/まず、地球上の伝統的宗教のものであれ、異星人や異次元や高次元からものであれ、
いかなる教えも安易に信じるな。
そして、まず何よりも思索すべきことは、
宇宙はどうして存在しているのか?というあなたの生命の原因、またはその生の目的についてだ。

もしもこの問題について、あなたには考えられないのであれば、あなたは、自分が何を
「個人的に好きだとか、嫌いだ」と言ってもかまわないが、決して、何かを「正しいと
か、間違っている」とか翌日から他人に言えない事になる。

なぜならば、
いかに小さな世界の中で正しいとされる事も、
究極的にも正しくなければ、もともと物事の正誤・是非を他者に言う資格は
ないからだ。


2/あなたの思索による結論であれ、
宗教からの借り物の結論であれ、自分と存在宇宙の発生の原因と究極の目的に関して、
もしも「ひとつの答え」が出たと思ったら、
『では、それは何のためか、その原因は何か?』と思索をさらに続けて、
決して安易な結論によってその「問いを止めてはならない。」


3/すると、神や宇宙意識が宇宙を作ったとか、
あるいは何かの創造意志が存在を作り出したとか魂が進化をするためだとか、
どこでも耳にするようなそんなつまらない結論に陥りそうになったらば、
そこで『なぜ存在を作ったのか、何のために作ったか、なぜ
進化するのか』を自問するべきである。

あるいは、単に「唯物的な自然法則だけが宇宙を作った」という考え方でもいい。
では、その『最初の宇宙の法則はなぜ存在し、そして何のためのものなのか?』
と考えるとよかろう。


4/どんな結論が出て来ても、あなたの全知性と思考力を集中して、存在の理由について妄想し、
夢想し、推測し、分析し 、問い続けるがいい。

      『それはなぜか?』と。


5/そしてもしもあなたが本当に心底思索に疲れたら、
ちょっと一休みして、全く視点を変えてみなさい。

あなたが、生きるためにやっている事、生きながらやっていること、個人的に好きで
やっていること、人生の目的としてやっていること、
そして本能的にやっていること、そしてあなたや社会がやっているすべての事を
『もしもやめたらどうなるのだろうか?』と。

すると、その答えは『自分の生命力が弱まり、ついには死ぬ方向へゆく』、
または『万物が滅びる方向へゆく』という事実が見える事だろう。


6/そして、もしもそうだとするならば宇宙の万物は、どう理想や言い訳(つまり宗教)
をでっちあげたところで、つまるところは、『無』にならない為にそのすべてが作られて
運営されていることになる。

すなわち、宇宙の『存在目的は存在を維持すること』そのものだけである。


7/ここで、ひとつ、宇宙のすべてのものが「動いている」という事を見てみるがいい。

では、動きとは何だろう? 
するとそれは、歪みつまり「アンバランス」によって生まれているものだと解るだろう。

そして、歪み、苦痛、アンバランスは宇宙に意識を持って存在するすべての万物に、
不足感、不満感、そして『飢え』を作り出す。

そして、その飢えをどうにか満たそうとして、
あなたも万物も動き回るのである。

すなわち飢えの『苦』こそが活動の源泉であり、
飢えるという苦痛は宇宙の活動の維持には「必要不可欠」なものである。
そして、ときおり、バランスが元に戻るが、それはあまりにも「つかの間」である。
まるで音をならし続ける弦のように、
存在物は上へゆけば下へゆこうとし、
下へゆけば上にゆこうとして揺れ続ける。

生命とは『まず飢えるように作られた上で、
飢えて苦しみ、もだえて動き、宇宙の各次元に活力を提供する』
という事にすぎない。


8/さて、ここであなたの生き方は二つに別れる。

その繰り返しを楽しみと感じる事ができるのであれば、
あなたは宇宙のすべてを進化のプロセスという妄想として
肯定して、永遠に生まれ変わりながら生きてゆくがいい。

しかし、もしもその繰り返しをもうやめたいと、
本気で死滅を望み、自由の道を決断したのならば
『無の瞑想』をやるといい。

9/ただし、無の瞑想は、絶対に悟るために行ってはならない。
「無の瞑想」は、神秘体験や安定した心や、幸福を得るためにやってはならない。
無の瞑想は、いかなる意味でもあなたの社会適応能力を教育したり、
あなたの活動を活発にするために行うものではない。

自分を空虚にして宇宙から消えるという目的以外のものは、
それが「何であれ」、何かの「期待や目的」や「好奇心」をもって「無の瞑想」を行ってはな
らない。

それは、あなたの知性や判断力や、感覚や感性を限りなく削り、
『もうこれで私には何もない』というまでの空虚さと、
「非在性」を実現するだけの為にのみ行われるべきである。

「無の瞑想」とは、
日常的な思考や感覚のノイズ、
そして意識、超常的意識、至福感覚、神秘体験などの
一切すべてを停止し、無に葬り去ることである。

真の思考停止に対しては、洗脳は成立しない。

だから、そうなったら、あなたには、
あなたにあれこれと指示したり、命令をしたり、
あなたにいいかげんな教義を吹き込んだり、
あなたを家畜化するような支配者やグルや宇宙人は、
この地上にも、天上にも、いかなる次元世界にも、
一切存在しなくなる。

あなたは、完璧に自由になる。

いや、もともとあなたは、
宇宙に生まれたその最初から、
完璧に自由だったのだから。

だから無の瞑想によって、あなたは、
ただその事実を「思い出す」にすぎない。


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