投稿者 SP' 日時 2001 年 1 月 13 日 08:59:16:
回答先: ゴールデン・トップ・シークレット 投稿者 SP' 日時 2001 年 1 月 05 日 19:40:33:
『奇妙な論理』(マーチン・ガードナー著、市場泰男訳、社会思想社教養文庫)の「平たい大地、中空の地球」より抜粋。
一九一三年にイリノイ州オーロラに住むマーシャル・B・ガードナー Gardner という人が、『地球内部への旅』と題する小さな本を自費出版した。彼はある大きなコルセットの会社の機械保守の責任者だった。この本には、シムズのそれとたいへんよく似た空洞地球が記載されている。ただし著者は、だれかが彼の考え方はもっと前の説を基礎にしているとほのめかすと、いつもひどく腹を立てた。一九二〇年に彼はその本を四五六ページに拡大した。扉にのった彼の写真をみると、四角い顔、青い目、黒いあごひげをたらした、太った男だったことがわかる。
ガードナーはシムズの多数の同心球という「幻想的な考え」を排撃した。彼はこう主張する。存在することが知られているのは外の殻だけである。その厚さは八〇〇マイルである。空洞の中には直径六〇〇マイルの太陽があって、内部にとぎれない昼光を注いでいる。両極にはそれぞれ直径一四〇〇マイルの口がある。他の惑星も同様な構造になっている。火星の極冠とよばれるものも、じつは氷ではなく穴であり、時々それを通して内部の太陽の微光を見ることができる。地球上では、北の穴からもれ出る光がオーロラを作り出す。
シベリアで発見される氷づけのマンモスは地球内部から出てきたものである。そこにはまだ何頭か住んでいるかもしれない。エスキモーもまた内部からきたのであり、そのことは、彼らの間に、永久につづく夏の国の伝説があることから示唆される。一つの章は、地球内部の空想的な旅行−−一方の極の穴からはいって他方の極の穴から出る−−にあてられている。極彩色の美しいさし絵は、船が口のへりに近づいたとき水平線のちょうど上にのぼった内部の太陽を示している。七つの章が過去に北極へ向かったさまざまな探検旅行を紹介する。もちろんガードナーは、どの探検家もまだ一人として地球内部に達していないことを証明する。
著者は自分の意見が「公平に耳を傾けられる」とは期待していないことを認める。なぜなら「自分たちの理論を変更することを欲しない−−その変更を余儀なくする発見が有名大学と無関係になされたときはとくに−−科学者たちの保守主義」が存在するからである。彼はしんらつに書く、「科学者たちは職業的フリーメーソン組織をもっている。もしもあなたがその一員でないなら、彼らはあなたのことばに耳を傾けたがらない。」とはいえ彼は結局のところ、大衆が彼の考えを受けいれ、科学者たちにもそうするよう強いるだろうと信じている。
彼は、堅固な事実を土台にして思索しないシムズのような、格好だけ科学者ぶっている徒輩とは混同してほしくないと、はっきり言う。「もちろん科学のすべての事実を否定し、地球の構造について純粋に我流の説明をつくり出すことは、だれにとってもごくやさしいことである。だがそうするのは奇人である。」すべての偏執狂的科学者と同じように、ガードナーも自分自身を、世に認められない天才で、現在は嘲られているが最終的には栄誉をかちとる運命にあるとしか見ることができない。当然彼は自分をガリレオになぞらえる。彼の以前の本が世界の注目を引かなかったのは、第一次世界大戦の勃発が妨げたのだと彼は感じている。
皮肉なことに、リチャード・バード少将が飛行機で北極の上を飛んだのは、ガードナーが彼の作品の分厚い改訂版を出版してから六年たらず後のことだった。もちろんそこには穴などなかった。ガードナーは講演も著述もやめた。とはいえ彼が一九三七年に死んだとき、彼はまだ自分の理論に相当な価値があると確信していた。