投稿者 SP' 日時 2001 年 4 月 09 日 08:42:31:
回答先: A Mystery of UFO Secrecy & Invasion 投稿者 SP' 日時 2001 年 2 月 08 日 11:10:52:
■あのロバートソン査問会を再評価する(下) インビジブル・カレッジ・ジャパン 渡辺威夫 |
現在、米政府に対して、UFO情報の公開を声高に要求している人々は、あまりにも楽観的すぎるのではないか。四半世紀前の経験に学び、米政府が秘密政策をとっている真の動機を把握しないかぎり、再び歴史に裏切られるだろう。 |
重圧をともなう「説得」
米政府の隠蔽欺瞞政策に対するこのような反撃が功を奏しはじめるにつれて、当然ながら、ルッペルトの『未確認飛行物体に関する報告書』に対する評価は高まっていった。
このためCIAと政府筋は、ルッペルトに対し、重圧をともなう「説得」工作を集中的に展開した。そして1959年、ルッペルトはついに自著の改訂をよぎなくされた。この増補版に新たに追加された3章では、それまでのUFOに対する肯定的な態度が影をひそめ、米空軍の公式方針にのっとったものに一変してしまったのである。
この「説得」工作は、すさまじいものだったと推測される。というのは、NICAP(全米空中現象調査委員会)の理事として活躍していたロスコー・ヒレンケッター退役海軍中将でさえ、この圧力に屈服してNICAPの“戦列”から脱落しているからである。
ロスコー・ヒレンケッターは、輝かしい経歴をもつ海軍軍人で、第二次大戦中には太平洋方面情報部長や太平洋艦隊作戦計画部長の要職をつとめた。戦後、海軍中将に昇進し、新設されたばかりのCIAの初代長官という重要なポストについている。
このあと、彼は海軍に復帰し、海軍監察総長をつとめてから、1957年に退役した。これほどの重要人物が、NICAPの理事に就任し、UFO情報公開運動の先頭に立って活躍したのである。
1960年2月、ヒレンケッターは米空軍の命令書の内容を公表、各新聞はそれを第一面に掲載した。この命令書は全世界の米空軍基地司令官にあてたもので、UFOを取り扱う場合の特別措置と、UFOの目撃報告を調査する際の具体的指示を明らかにしていた。
ヒレンケッターはまた、情報公開の必要性を議会に説き、1961年8月22日付で次のような声明文を米下院宇宙委員会に送っている。
「私は、NICAP理事会の大多数と共に、未確認飛行物体に関する秘密主義によって生じる危険を減少させるため議会が即刻行動を起こすよう勧告いたします。……2種類の危険がどんどん増大しています。
1 UFO編隊をソ連の奇襲攻撃と誤認することで、偶発戦争が生じる危険性
2 ソ連政府が、危機に際して、UFOはソ連の秘密兵器であり、米国には防ぎようがないのだというデマを流す危険性」
当時、NICAPは米空軍のUFO隠蔽政策に反対する運動を精力的に展開していた。その当面の具体的目標は議会で公聴会を開催させることだった。先ほどのヒレンケッターの声明文も、この運動の一環である。
この時は、米下院宇宙委員会の議長と予備折衝を行なう一歩手前までいきながら、議長の急死で頓挫してしまった。しかし、UFO隠蔽政策を破棄する必要性を認める議員は次第に増えていった。
そうした議員の1人が、1962年2月の初旬、NICAPの代表ドナルド・キーホーにひとつの提案をもちかけた。議員グループが記者会見を開いてUFO問題に関する世論を盛り上げ、公聴会の開催を実現させようというのである。
この記者会見の場に、レーダー捕捉・肉眼視認結合事例の証人たちと、NICAPの幹部を同席させ、衝撃的な発表を行なう計画だった。そして、計画の成否は、ヒレンケッター退役海軍中将の意向にかかっていた。彼を説得して、攻撃の先頭に立たせることができれば、大変な反響が巻き起こるはずだった。
だが、この計画を事前に察知したCIAは敏速に行動した。キーホーは、海軍輸送機のパイロットに記者会見で証言してもらうため、ある人物に仲介を依頼した。CIAはその仲介者を徹底的に痛めつけて尋問し、計画の全容とヒレンケッターの名を聞き出したのである。
この直後、ヒレンケッターはNICAP代表のドナルド・キーホーに1通の手紙を残して、“戦列”から脱落してしまった。
「親愛なるドン
私の考えでは、NICAPの調査活動は行き着けるところまでたどりついたと思う。私は、UFOが合衆国の機械装置でも、ソ連のものでもないことを知っている。いまや、私たちにできることは、UFOの側が何らかの行動を起こすのを待つ、ということだけだ。
このような状況のもとでは、空軍はこれ以上何もなし得ない。空軍には荷が勝ちすぎる任務だったのだ。だから空軍の調査活動についての批判を、これ以上続けるべきではないと思う。 私は、NICAPの理事を辞任するつもりだ」(傍点は引用者)
この文面から、ヒレンケッターが政府筋からの「説得」を受け入れるにいたった事情を読みとることができる。
まず、米政府としては、UFOが地球外文明に起源をもつことを秘密裡に確認ずみだった。ただ、政府がとり得る実際的対応策は、UFOの側の今後の出方を待つ以外にない、という考えだった。そのためには、一般大衆に対する秘密政策は不可欠である。
したがって、政府の秘密政策に対する公然たる批判と、情報公開要求運動は、きわめて有害ということになる。この基本的な点について強力な「説得」を受け、ヒレンケッターは納得ずくでUFO問題から手を引いたと考えられるのである。
リアルで凄絶な展望分析
ルッペルトにしても、ヒレンケッターにしても、気骨と理性をあわせもった人物である。単なる脅迫だけで彼らに自らの信念をまげさせることは、まず無理とみていいだろう。
CIAは、彼らの著作や言動が果たす「客観的役割」の有害性を、彼らがそれまでろくに考えたことのない新しい視角から「説得」したと考えるのが自然である。
彼らを「説得」するに足る理由ないし事実とは、おそらく、異星人が敵対的企図をもっている可能性の問題と、これに関連して、すべての情報を公表した場合に発生するであろう深刻な社会的混乱の問題であろう。
こうした視角からの考察についていえば、米国支配層は、UFOが社会問題化した初期から、それをかなり明確に意識していた。この現実的認識こそ、米政府がUFO情報の全面公開要求を一貫して退け、秘密政策をかたくなに守りつづけてきた最大の理由だったと推定される。
米空軍が設置した最初の公式UFO調査機関「プロジェクト・サイン」は1948年8月、UFOは惑星間宇宙船だと断定した最高機密の特別報告書『情況の評価』を作成し、空軍司令部に提出した。
ルッペルトの著書では、この報告書は幕僚長のホイト・バンデンバーグ大将によって、証拠に欠けるとの理由で却下されたとしか書かれていない。しかし、ドナルド・キーホーの著書『未知なるUFO(Aliens from Space)』(1973)によると、バンデンバーグ大将が報告書を却下した具体的理由を、ルッペルトはキーホーに次のように語ったという。
「将軍は、そんなことをしたら、人々はなだれを打って逃げ出すだろうといったそうだ。異星人が敵意をもっていないかどうか、私たち自身にさえわかっていないというのに、それをどうやって一般の人々に信じ込ませられるというのか。それに、私たちは、たとえば捕獲した宇宙船といった、物的な証拠を手に入れていない。だから、いくら専門家の証言を並べられても、恐れおののいた多数の人々は、証拠がないという点にとびついて、結論が間違っていると主張することだろう。将軍の見解はこのようなものだった。
そして将軍は、UFO宇宙船説を人々の目から隠すため、この機密扱いの分析報告書を焼却処分にするよう命令した。だが、1部だけなんとか保存されていたので、デューイ・フォーネット少佐と私は、1952年に現物にお目にかかることができたのだ」
このバンデンバーグ空軍幕僚長の展望分析はきわめてリアルである。ある意味では客観的で科学的とさえいえるものであり、バンデンバーグの個人的見識の範囲を越えているように思われる。したがって、当時の米国政府首脳が、社会科学の専門家たちに意見を求め、慎重に検討した結果だったとみるべきであろう。
事実、各種の情況証拠から、当時プリンストン大学の心理学教授だったハードレイ・キャントリルや、イェール大学で政治学を講じていたハロルド・ラスウェル教授などが、この時期以来地球外文明との直接接触問題に対する米政府の秘密顧問として、重大な役割を演じてきたと推定されるのである。
キャントリルは著名な社会心理学者で、ラジオドラマ「宇宙戦争」が引き起こしたパニックを詳細に分析したことで知られている。バンデンバーグやCIAの大衆不信的発想の背景には、彼の考え方が色濃く投影されているように感じられる。
またラスウェルは、1955年から1956年にかけて、アメリカ政治学会の会長をつとめたほどの学者である。
彼は1966年にアメリカ航空宇宙学会で行なった講演のなかで、「地球外文明は、地球文明を潜在的もしくは事実上の敵とみなし、これを破壊または征服しようとするかもしれない」と述べている。そして、技術的にはるかに進歩した知的生物と現段階で直接接触すれば、「地球人類は、先進工業文明と接触した未開文明と同じ運命におちいり、地球の宗教、科学、芸術などは受難の道を歩むことになろう」と推論している。
このような凄絶な展望をキャントリルの研究領域と結びつけるとき、バンデンバーグならずとも、きわめて絶望的な認識をもたざるを得ないだろう。
ルッペルトやヒレンケッターは、おそらく、このような社会科学専門家の極度に深刻な分析をそれまで耳にしていなかったのではないかと思われる。そのため、高い水準の公式筋から「説得」を受け、突っ込んだ学問的分析の内容を聞かされたとき、彼らは驚愕して沈黙するにいたったと考えられる。
そして、1953年の専門家諮問委員会の中心メンバーを屈服させたばかりでなく、ペンタゴンの方針を転換させたのも、こうした視角からの学問的分析によって導かれた展望のもつ衝撃的重大性だったと思われる。
情報秘匿政策の真の動機
いずれにせよ、少なくとも当時の米政府首脳は、このような絶望的な展望を公表し、この未曽有の受難に立ち向かうよう全国民に準備させるだけの勇気と自信を持ち合わせていなかった。
公表しないのであれば、できるかぎり秘匿するしかない。このため、米政府はUFO問題に関し、驚くほど強引で執拗な隠蔽欺瞞政策を国民に対してとりつづけてきた。このような真の動機があったからこそ、事態の進展による政策のたび重なる破綻にもめげず、また世論の激しい批判の繰り返しも無視して、秘密政策を今日まで長期にわたって継続してきたのである。
事実、あれから四半世紀が経過した現在、ソ連による先制核奇襲攻撃の可能性は原理的に消滅してしまっている。かりに先制の第一撃をかけられても、その敵に対して第二撃で大損害を与えるという確実破壊戦略を、米ソが双方とも採用しているからである。このような状況下では、国防上の理由でUFOパニックを恐れる必要はなくなっている。にもかかわらず、いまだにこの政策がかたくなにとられていることからも、米政府の意図するところは明らかであろう。
このような理由から、1953年1月に専門家諮問委員会、いわゆるロバートソン査問会が作成し提出した本物の「結論」と「勧告」は、米国支配層中枢部にとってとうてい受け入れられるものではなかった。
すでに
述べたように、同委員会の「結論」と「勧告」は、ハード・データの系統的で組織的な収集体制と、UFO情報の完全公開制度の確立を要求するものだった。これが実行されれば、まず間違いなく、恐るべき結果をもたらしたことだろう。すなわち、地球外文明との直接接触がすでに始まっているという衝撃的な事実についての、大量の確証的データを、国民大衆の目の前に公然と積み上げることになったはずなのである。
今日、UFO情報の全面公開を要求して運動している人々のほとんどすべては、ルッペルトやヒレンケッター、ロバートソン査問会の構成メンバーたちと本質的に同じ考え方をしている。彼らに共通した特徴は、地球人類が地球外文明との直接接触を全面的に経験した場合に予測される深刻な文化的衝撃と社会的混乱についての、冷静で現実的な洞察と配慮が、事実上、完全に欠如していることである。
これらの人々は、異星の知的生物と地球人類との間に存在しているかもしれない決定的な異和性ないし敵対関係について、なんら考慮を払っていない。異星の知的生物と地球人類とでは、科学技術水準における圧倒的格差が予想されるだけでなく、生命の起源から進化の過程を含む宇宙生物学的な発生経過の相違にもとづく、深い心理的・文化的異質性が予期される。したがって、彼らとわれわれの間に異和性や敵対関係はあり得ないと断定することは、きわめて非現実的である。
少なくとも、これらの点が未知数であるかぎり、冷静な立場から見れば、当然警戒心を抱いてしかるべきである。にもかかわらず、UFO情報の全面的公開を要求して運動している人々にはこの警戒心が異常なまで完全に欠落している。
彼らは、異星の知的生物が現実に敵意をもっていた場合にそなえて、各国政府がとるべき具体的対策を徹底的に考えぬくということをしていない。現実的な立場から、合理的な提案や建設的要求の一部として、UFO情報の漸進的な公開を政府に圧力をかけて要求するというのではないのである。
つまり、各国政府が秘密政策を一挙に捨てて、全情報を公開しさえすれば万事解決するのだという単純素朴な認識に立脚して、彼らは子供じみた好奇心と軽率きわまる変化願望を満たそうと、無責任に騒ぎたてているだけなのである。
警戒心に欠けた危険な思想
彼らの考え方からすれば、異星人たちは、きわめて高度の科学技術水準を達成しているが故に、地球人類に対して友情にあふれ、おもいやり深く賢い接近計画にもとづいて行動している、信頼すべき存在ということになる。あるいは少なくとも、われわれ地球人類にとって重大な脅威とはなり得ない存在だということには、何ら疑問の余地がない。
したがって、直接接触がすでに始まっているという真相を一般大衆に全面的に知らせても、深刻なパニックや混乱が発生する本質的根拠はないのであり、たとえある程度の“文化的衝撃”が発生しても、重大な結果がもたらされるはずはないというのが、彼らの考えである。
あるいはそうなのかもしれない。しかし、確実にそうであることを立証する証拠や理論的保証は何ひとつ存在していない。したがって、もっぱらそうでない場合にそなえて行動するのが、さしあたり理性的な態度なのである。
というのも、もしそうでなかったらきわめて重大な結果になることは明らかである。だから、かりにそうでない確率が非常に小さくても、前もって充分な準備をしておくのが当然だろう。いわんや、社会科学による理論的考察だけでなく、目撃報告に見られるUFOの実際の具体的振舞いも、むしろそうでない可能性の方がはるかに大きいことを示しているのだ。
しかるに、このような警戒心欠如の危険な思想は、“狂信者”や“崇拝者”にとどまらず、理性的で科学的な立場からUFO研究を進めているはずの各国の有名な科学者たちの大部分をとらえている。
たとえば、アレン・ハイネックやジャック・バレーなどの西欧の科学者たちばかりでなく、フェリックス・ジーゲル、アレクセイ・ゾロトフなど、東側で熱心にUFO問題を追求している科学者たちもこの例外ではない。
彼らの研究方法が“科学的”である範囲は、UFO問題の自然科学的ないし技術工学的側面に関してだけであり、社会学的、人文科学的側面に関しての認識水準は、本質的に素人の域を越えていないのである。
各国政府のUFO秘密政策は、異星人の脅威よりも、それに対する一般大衆の反応の方をより重大視して怖れるという意味で、大局的観点から見ればたしかにおくびょうで倒錯した方針である。それは間違いないが、短期的な実務的観点から見れば、正常な警戒心に欠けた無思慮で無責任な情報全面公開要求運動よりも、こうした秘密政策の方がはるかに現実的な根拠に立つものだということを指摘しておく必要がある。
そればかりでなく、この種の情報全面公開要求運動は、あり得べき地球外からの脅威に対抗して、各国の大衆と政府が相互信頼にもとづいて結束することを妨げる役割を果たしつつあるといわなければならない。これは、ひいては大衆と政府の結束を前提とした、現実的な情報公開の実現をも妨げることになる。
なぜならば、この運動は、全地球あげての結束をつくり出すのに不可欠な警戒心を武装解除する効果をもつだけでなく、直接接触によって地球人類は現在直面している諸問題から救済されるという、一種のデマゴギー宣伝によって大衆を混乱させ、これとは正反対の内容をもつ情報の公開を困難にしてしまうからである。
このように、UFO情報公開運動は、初めはルッペルトやヒレンケッターにとって悲劇となって終わったが、それが今日ふたたび同じ内容で繰り返されているかぎりでは、もはや単なる喜劇であるにとどまらない。それはまさに、ある種の反逆的な利敵行為となる可能性すら充分に秘めていることを、人は銘記すべきである。