投稿者 SP' 日時 2000 年 12 月 16 日 21:24:03:
回答先: 特集 ユリ・ゲラー(『UFOS & SPACE』83年6月号) 投稿者 SP' 日時 2000 年 12 月 16 日 21:19:38:
先日、放映された日本テレビ木曜スペシャル番組「ユリ・ゲラーの奇蹟」を作るために東奔西走した矢追純一氏は、ユリの古くからの友人としても知られる。その矢追氏が、ユリとのプライベートな接触から得られた情報を公開する。
菜食主義に徹して能力を開発
3月24日、15時55分、ユリ・ゲラーはPA801便で成田空港に到着した。ユリにとっては、8年ぶりの来日だ。
前回、ユリが日本を訪れたのは、昭和49年と50年の2回で、それぞれ、驚異的な超能力の数々を披露してくれた。
だが、せっかく、超能力に対する一般の関心が高まりかかったところへ“スプーン曲げ少年、関口淳君のインチキを見破った”として反超能力キャンペーンをはった週刊朝日の影響で、急速に関心が衰える結果になってしまったことはご存知のとおりだ。
僕は、かねてから日本での超能力研究が欧米に比べて30年以上も遅れているといわれている現状が残念でたまらなかった。
そこで今年の2月初め、ユリの住むコネチカット州へ飛び、もう一度来日して日本での超能力研究のきっかけを作ってくれるよう頼んだのだ。
ユリは、その時、すでに大きな契約を結んでしまっていた。それは豪華客船“クイーン・エリザベス号”の船上で講演と超能力実験を行ないながら、太平洋を航海するという大型特別企画だった。
だが「兄弟とも思っているヤオイのためだから……」と、あえてその契約をキャンセルして、来日することに同意してくれたのだ。ユリは、「私が契約をキャンセルしたのは、これが生まれてはじめてなんだ」と言った。僕が
そんなユリの好意に心から感謝したのはいうまでもない。それはともかく、僕が久しぶりにユリに会って驚いたのは、彼の環境があまりにも変わってしまっていたことだった。
まず第一に彼の住む家だ。
4年前、僕が訪れたときは、ニューヨークの一番街にあるマンションの12階と13階を借り切ってオフィスと住居にしていた。
それが今度は、コネチカット州のスタッフォード市近郊の、なんと64エーカー(約7万6千坪)もの広大な敷地に、部屋数が20近くもある豪壮な邸宅を建てて住んでいたのだ。
庭……といっていいのかどうか……とにかく、その敷地内には、小高い丘あり林あり、湖や池までがあるという広さで、家のほうも応接室だけでも3つもある立派なものなのだ。
その邸宅内には「ヤオイが来たらいつまででも住んでいていいよ」とユリが言ってくれた客室がある。
客室といっても、豪華な寝室と広いリビングルーム、それにバス・トイレが各二つずつと、台所、それに洗濯機室までがついている。
しかも、この客室は、ユリにとって大切な来客のためだけにあるものでふだんは誰一人、入ることのない空き室なのだ。
いったいどうしてユリがこのような大金持ちになったのか。
僕がいくらきいても、ユリは謎めいた微笑を浮かべるだけで話してくれようとはしなかった。
ただ「私は、最近まで世界中のあちこちを旅行してまわり、講演や実験に明け暮れてきた。でも、もうこのへんで、もっと人間らしいゆとりのある生活をしようと考えたんだ。これからは家族といっしょに過ごす時間をなるべく長く持ちたいと思っている……」というだけなのだ。
ひょっとすると、ユリは超能力者だから彼が望めば、超常的な力が働いてそのとおりの生活がちゃんと送れるようにひとりでになっていくのかもしれない。
ただひとついえることは、これまでのユリの講演やテレビ出演などの収入だけでは、そのようなお金持ちにはなれっこないということだ。
ではなぜなのか?これは僕の当て推量だが、ユリはその財産をダウジング(地下埋蔵物探査)によって得たのではないかと思う。
というのは、彼にはその能力が相当に強いことを僕は知っているからだ。
ユリはあるとき「私は、ある国の鉱山王に呼ばれて鉱物資源のありかを捜しあてたことがある。その地域の上空を飛行機で飛びながら、自分の知覚に感じた地点を何カ所か指摘したんだ。その地点を試掘した結果、1カ所からごく良質な金鉱が発見された。もちろんその謝礼としてパーセンテージでくれたけどね」と僕に洩らしたことがある。
もしそれが本当なら、きっと謝礼は莫大な金額になるにちがいない。
ユリの金持ちへの変身の謎を解くカギは、案外このへんにあるのかもしれない。
それはともかく、我が国のように鉱物資源や石油が少ないところでは、ユリのこのような能力は大いに活用する余地があるのではないだろうか。
ひょっとすると試してみたいという鉱山会社や石油試掘会社が今後、続々と名乗り出てくるかもしれない。
話が横道にそれてしまったが、ユリが変わったもうひとつは、彼が完全な菜食主義者(ヴェジタリアン)になっていたことだ。
彼は現在、肉、魚、卵等、動物性蛋白はいっさい摂らない。
野菜と豆腐、米などの穀類、それに果物だけの食事に徹している。
彼は「なぜなら、それが非常に私の健康に良いことを発見したからだ。そのために、私の超能力は、むしろ以前より強くなっているといっていいだろう。その上、私はいかなる動物も殺して食べるということが嫌いだからだ」と言っている。
菜食主義が超能力にとって良い、というのは、仏教の僧侶やヨガの行者などが菜食主義に徹していることと照らし合わせてみると大変、興味深い。
そこには何らかの関連があるのにちがいない。
ユリがなぜ、菜食主義者になったのか、ときいてみると意外な答が返ってきた。
なんと「それはヤオイのおかげだ」というのだ。
4年前、僕がニューヨークにユリを訪ねた際、彼を日本食レストランに招待したことがある。
そのとき、出された味噌汁の実がトウフだったのだ。
そのトウフがあまりにおいしかったので、トウフについて深く研究するうち、菜食主義が人間の健康に最良だということを発見したのだという。
僕にしてみれば、とんだケガの功名だったわけだ。
その上、ユリは毎日16キロもの距離をジョギングすることを日課としている。
雨の日は室内ランニングやトレーニング用の自転車などで身体の鍛練に余念がない。
それもこれも、幸せな生活を送るには健康が第一だという信念からだというが、36歳にして大金持ち、というにはあまりにストイックな生活をしていると感心してしまう。ふつうの人間なら、もっと安逸でぜいたくな暮らしを望むだろうに……。
この辺が、超能力者ユリのユリたるゆえんかもしれない。
もう一つの変化は、ユリ
が結婚して2人の子供をもうけたことだ。
ユリは、長年交際を続けてきたハンナを妻とし、ダニエルという3歳の男の子とナタリーという生後2カ月の女の子をもうけた。
2人とも、ハンサムなユリに似てとてもかわいらしいのだが、楽しいのは長男のダニエル君が、どうやら超能力を受け継いでいるらしいことだ。
僕が訪れたときも、大きなカレー用のスプーンを台所から持ち出し、自分のひたいのところへ両手で捧げるようにあてがって遊んでいたが、ふと気づくといつの間にか柄の部分がくにゃっと45度近く曲がってしまっていた。
いずれ、もう少し大きくなったらユリのようにいろいろなことができるかもしれないと思うと楽しみだ。
狂乱状態だったTV局のウラ側
さて、ユリが来日してからのことに話を戻そう。
3月31日に放送された「木曜スペシャル」では、テレビでご覧になった方はもうご存知のとおり、ユリは、あの頑丈無比なゴルフクラブを見事に切断してしまい、司会の三木鮎郎さんの着ていたブレザーのボタンを溶かしてしまうというハプニングまで起きた。
あの番組は生放送だったのだが、そのときのサブコン(副調整室……つまりすべてのカメラからの画像を選択して放送するコントロールセンター)の様子はまさに特筆もので、日本テレビはじまって以来の狂乱状態だったといえよう。
その様子をお見せできなかったのは残念だが、ともかくテレビを見ている側からは想像もつかないような状態が番組のウラでは進行していたのだ。
「全国各地で起こるハプニングについて、できるだけたくさんレポートしたい」という方針から、西は大阪よみうりテレビ、北は札幌のSTV、そのほか、東京では後楽園スタジアムと六本木のロアビル前、そしてジェリー藤尾さんのお宅とヘリコプターからの画像、さらにユリのいる東京タワーと日本テレビJスタジオ……といった具合に合計8カ所もの中継地点があり、それぞれからの画像がいっぺんにサブコンに殺到してくるしかけになっていた。
その8カ所のうちヘリコプターの1台を除けば、すべての現場にカメラが3台以上おかれ、後楽園などは5台も動員していたのだからいったいどの画像を選んでいいのか判断に迷ってしまうのだ。
しかも、どこでどんなハプニングが起こるかわからないのだから、常に全部の画像を見はっていなければならず何かが起きたら間髪を入れず、それぞれの現場のディレクターに指示して画像を切り替えなくてはならない。
ところが、各現場とのやりとりは、すべて電話なのだから、これまた大変だ。
サブコンに特設された7台の電話には、2人のディレクターがかかりきりになっていて「次、そっちへ行くよスタンバイして!」とか、「何が起きたって? エ、スプーンが曲がった!? おい、札幌がハプニング、札幌へ切り替えるか? どうするんだ!」などと怒鳴っているし、Jスタジオと東京タワーとのやりとりを指揮進行しているディレクターは「おーい、東京タワー行くぞ! それっ2カメ、次は3カメだぞっ!」などと怒鳴っている。
タイムキーパーの女性は「CMまであと2分30秒。現在5分おしている(予定より伸びている)けど、どうします? このまま進行するか、どこかをカットするか……どうするか、早くきめてーッ!」と、黄色い声を張りあげる。
その戦場のような喧騒の中に僕は仁王立ちになって、「よしっ、科学者のコメントをカット。そのかわり、札幌にいっぱつ行こう! 札幌へ電話で知らせて! なに? ジェリーの所でハプニング? よし、ジェリー宅へ先に行こう。おい、ジェリー宅行くぞ、いいか! それっ!」などとあらんかぎりの大声で怒鳴る。
といった具合で、サブコン内にいる10数人の人間が、それぞれ興奮してメチャクチャにわめき散らし、怒鳴り合っているうちに、いつの間にか番組が終わってしまっていた。
これがあの夜、テレビの裏側で起こった実態だったのだ。
当日、全国から「うちでもスプーンが曲がった」とか「カラーテレビが白黒になってしまった」「とつぜんウチだけ停電した」などといった電話が2万通以上殺到し、電話局のヒューズがとんで大目玉を食ったし、また、後楽園に集まった人たちの数は6千8百人にのぼり、番組の最後にユリがテレパシーで送った図形に対する回答のハガキは2万8千通も寄せられた。そのうち正解者は40人以上にもおよんでいて、今さらながらユリのテレパシーの強さに驚かされたが、その詳しい分析結果や、このほか、テレビではお見せ出来なかったユリの滞日中のいろいろな出来ごとについては、また次の機会でお伝えしたいと思う。