投稿者 2001年問題観察者 日時 2000 年 11 月 23 日 00:50:21:
このところのMSNで配信されているメールマガジンが
とても面白い傾向を示しています。
今日、WEBに載った記事の冒頭は以下のようなものである。
「ある国のある時代状況を凝縮して表しているのは、芸術や小説、そして犯罪のあり方である。 」
http://journal.msn.co.jp/worldreport.asp?id=001122kazaki&vf=1
また、本文中でもサカキバラ事件や透明という
キーワードを強調したりしている。
まるで、こじ付け陰謀論と連携した犯罪による社会操作を目指す
オウム製造業者の代弁をしているかのようだ。
そして、関連記事には、被害者意識一杯の青年が
海外に逃げてそこでさらに歪んでいく様を自ら書き連ねた
長岡某のへ吐が出そうな文章も揚げてある。
http://journal.msn.co.jp/worldreport.asp?id=001108nagaoka&vf=1
これらの文章で取り上げられているのは、
アイデンティティーの問題である。
自分は誰なのか?
わからないままに、「日本人だ」、「人間だ」、「男だ」、「女だ」、と
ラベルを貼りつけて、それで誤魔化したつもりになっていた人が、
その虚構性に脅える姿が描かれていると言っても良いだろう。
さらには前日に配信された田口ランディーの記事も
これに絡んでくる。
田口おばさんの話も、気の弱そうな男女が興味を持ちそうな
3冊の本を軸に、自己をどうしたら確定出来るのか?といった
事を話しているが、「拠り所を失ってあたふたしてる人の物語」という
点で見れば他の記事と同じ問題を扱っている。
想定されてる自己の確定法が「宮台流」とは、なんんだか
情けないような気がするが、感傷的でナイーブで、その上
安直な解決法に飛びつきやすい読者層を想定しているのであれば
なんとなく売り込める線なのであろう。
さて、これが2001年問題とどう絡んでいるかと言うと、
アイデンティティークライシスというか、自己確定の失敗は
実は人間にとっては最も恐ろしい事態の一つであり、
「脅しのネタ」としては、なかなか優れている点なのだ。
幼い人間は、それほど自己が確定していないが、
周囲との摩擦により「社会と対峙するもの」としての
自己を持つようになる。
この段階の人間は、「自分と他人」、「内部と外部」といった
考え方で世界を捉え、その中での自分の位置を確定しようとする。
一神教の国々は、集合意識的にこの段階にある。
この確定法では、外部、あるいは社会に依存している為に
安定した社会像が維持できなければ安定した自己像も確定できない。
そこで、現代のように社会情勢が目まぐるしく変化し、価値観が
どんどん変わっていく社会ではこのタイプの人達は安定した
自己を保持するのが難しくなって、不安定な心理状態になりがちなのだ。
そして、自己を確定できずに不安になっているこのタイプの
人間が取る解決法は、「依存」である。
もともと社会に依存していた人達であるから、社会が駄目なら
他のものに乗り換えて問題を回避しようとする。
そのような中で一番安易な方法が、誰かの真似をする事である。
誰でも良いから、良さそうなアイドル、リーダーの真似をしてしまうのだ。
しかも幼い自我を持つ人達だから、真似するにしても表面的な
ことだけに留まりやすい。
現在、このような人達が田口おばさんや宮台、よしりんといった
「ちょっと目立つ人」の周りに群がっている。
この構図は、ほんの少し手を加えると、容易に大衆操作が
できる状態になる。
たとえば、アメリカやその裏が計画しているのは、日本も
アメリカと同じように単純に金持ちを夢見たり、スポーツのスター選手を
夢見るような「エリート追従社会」に改造する事である。
不安定な自己を抱えてうろうろしてる感傷的な人々に
いかにも素晴らしい「ような」イメージを与えて、それに依存させる、
そのような方法が可能だと彼等は考えているのだ。
そして、最近のMSNは配信記事の性格を見る限り、明らかに
そのような戦略の一環を担っていると思われる。
特にここ数日の配信記事は、「日本人」という国籍に依存する人を
不安にさせたり、社会構造や常識的価値観に依存する人達を
不安にさせる効果がある。
それぞれの文章が、対象とする群衆にどのような影響を与えるのか
詳細に把握した上で配信しているのか、あるいは担当者の勘に
頼っているのか知らないが、流されている文章は一定の
方角を向いている。
「飴と鞭」の喩で言うと、現在は弱い人々の自我に鞭打っている
状態で、不安が高まった時点で飴を与えるとみんな喜んで
しゃぶりつく、とでも予想しているのかもしれない。
ふらつきやすい上に、すぐに色んなものを有り難がってしまう
田口のおばさんのような人は、気弱な迷える人達の先導役としては
とても使い易い。
犯罪による社会操作が日本ではあまり効力がないので、
小説やメールマガジンによる操作にもっと力を入れだしたと
考える事もできるだろうが、言葉による暗示も、犯罪と並ぶ
重要な群衆操作法として元から計画されていたのだと私は思う。
彼等が、犯罪と同様に、この方法でも予想した結果を得られないのは、
単純なアメリカ人やお堅いヨーロッパ人と違い、
一神教の信者が少ない日本では、社会や神などの
外部に依存しない自己の確定法が昔から流通しており、
そのような人達にとっては社会がどうなっても
あまり関係ないのを忘れているからだろう。
根無し草の駄文に寄せられた、読者の意見を読めばよく分かる。
http://journal.msn.co.jp/worldreport.asp?id=001108nagaoka_opinion&vf=1
特に最初の意見はさっぱり爽やかで明解に長岡某さんの
個人的な問題を指摘している。
ともかく、日本に色々な不安を巻き起こそうという
計画は非常に喜ばしい側面もある。
それは、これまで軟弱ナイーブだった人達も、
揉まれてある程度腰の強さが出てくるからである。
(うどんやそばを踏んだり叩いたりするのと同じですね。)
それに、外部に依存しない自己確定法の伝統がある
日本では、不安になった人が真似をするのは不安でない人、つまり依存性の低い人達の事なのだ。
従って、不安が高まれば高まるほど、依存性の低い人間が
増える可能性がある。
耐性菌 Ψ が増えるのとちょっと似てなくもない。 (笑)