投稿者 記事転載’ 日時 2000 年 10 月 04 日 09:16:18:
回答先: 創造的破壊に反対する御方の意見 投稿者 記事転載’ 日時 2000 年 10 月 04 日 01:46:49:
船橋洋一様、榊原様、野口様のご意見は創造的破壊のIT革命布教の総本山に直結なされている強みか誠に読みがいがございます。
大学はカリキュラムでなくてキャンパスの美観が大事なのであるという偉論と並ぶ「被害者意識の美学」とも言える大衆エアコン論、そして熱帯国家の人民を効率良く働かせるエアコン産業革命論は秀逸の域を越えて超理論に近づかん勢いではないでしょうか。
東大>大蔵官僚というエリートコースを歩まれれた野口様の超絶思考法はIT革命の成立を待たずに創造的破壊の洗礼を御受けになった被害者意識を共有する賢人の特権なのでありましょう。
「超」整理日記
暑さへの最高の対処法
暑い! どうしようもなく暑い。無茶苦茶である。この暑さは異常であり、不条理である!
もちろん、こんなことをいくら書いたところで、暑さがおさまるわけではない。しかし、被害者意識の共有はできる。暑さに関しては、これが意外と重要ではなかろうか?
「暑いですね」という挨拶を交わすこと自体が、その証拠である。新聞に「今日は暑かった」という記事がでていると、何となく満足する。死にそうに暑いと思った翌日の新聞に、暑さについての記事が何もないと、裏切られた気持ちになる。「今日が暑かった」というのは、新しい情報ではなく、先刻承知のことなのだが、記事にないと、「被害者意識の共有」ができないので、不満に思う。不思議なものだ。報道とはそのようなものかもしれない。
「暑さへの最高の対処法は、被害者意識の共有である」。このエッセイが、少しでもその役割を果たせればと思う。
略
エアコンを禁止すれば?
ところで、エアコンで暑さに対処するという方法が万全のものでないことは、明らかである。汗をかかない日が何日も続くのは、自然の摂理からして、不自然だ。足腰が冷えるのに気をつかい、冷房病に苦しめられるというのは、どう考えても不健康である。
それに、冷房による熱は、外気に排出される。オフィスビルなどが密集している都心部では、これによる温度上昇がかなりのものだろう。狭い路地などを歩いていて、エアコン屋外機の熱風を吹き付けられると、怒り心頭に発する。冷房の使用によって、夏の都会が悪循環に陥っているのは明らかだ。
エネルギー消費の問題も、きわめて深刻だ。将来、中国などの諸国が全般的なエアコン文明に入れば、地球全体としてのエネルギー使用量は莫大なものとなるだろう。
だから、「エアコンなどはやめにして、夏はのんびりすごすのがよい」という考えがある。私も半分は賛成したい気持ちになる。
朝、風呂に入れば、午前中くらいは涼しく過ごせる。日常の生活環境に木を増やして木陰を多くする。屋内では扇風機だけを用いる。背広はやめにして、半袖シャツを公式のものとして認める。「暑さは主として相対的な感覚だ」という判断が正しいとすれば、1日のどこかで汗を流せば、他の時間帯は我慢できるはずだ。
しかし、冒頭で述べた「暑さの共感が重要」という命題からすると、この方向付けには問題がある。なぜなら、所得の差に起因する差が拡大するからだ。
もしエアコンが禁止されれば、金持ちは、暑い都会から避暑地に逃げ出すだろう。もっと優雅な人々は、アラスカやロッキー、あるいは南半球で夏を過ごすだろう。平安時代の昔にも、貴族は山から持ってきた氷で暑さをしのいだ。これと同じように、所得と権力があれば、エアコンがなくても、さまざまな方法で暑さに対処することはできるのである。エアコンはいまや大衆的な技術だが、これを禁止すれば、夏の過ごし方に関する所得格差の影響は、非常に大きくなるに違いない。この点を考えただけで、エアコン技術の持つ重要な意味が分かる。
タイでは、経済成長によってオフィスにエアコンが入るようになり、人々の労働意欲が高まったそうだ。これは、文明史的観点からみて、大きな変化であるに違いない(これまで、南アジア諸国の夏の猛暑は、人々の労働意欲を失わせるに十分だった。われわれが旅行者として数日滞在しても、暑さで頭がぼっとして、何もする気になれなくなる)。今後、同様の変化が、インド、中国南部、そしてアフリカなどで生じるだろう。それは、その地域に住む人々の物の考え方と生活態度を根本から変えてゆくだろう。
夏には地獄の暑さとなるニューヨークの地下鉄にも冷房が入り、地下鉄でしか移動が出来ない人々(乗用車で移動が出来ない人々)の夏は、過ごしやすくなった。1960年代、アメリカの都市における黒人暴動は、夏の猛暑の日に起こることが多かった。最近そうしたニュースを聞かないのは、黒人の社会的地位の向上によるところが大きいのだろうが、都市生活での冷房の普及の影響もあるのではないかと思えてならない。
われわれは、もはや臨界地点をすぎてしまった。ここまで来てしまったら、後戻りはできない。快適で効率的で、健康を害さない冷房を可能とする技術進歩を望む他はない。エネルギー消費は頭の痛い問題だが、新しいエネルギー源の開発などによって解決するしか方法はない。
夏の風物詩は、過去のものとなった。それは、記憶の中にしか存在しない。しかも、そうした記憶をもつ世代も、われわれが最後であろう。
それにしても、暑い!
「超」整理日記
少し変だぞ、日本のIT
「IT革命」という言葉が、新聞や雑誌に載らない日はない。しかし、載る回数が増えにつれて、首をかしげざるをえない場面が増えている。「IT革命」と喧伝されていることが、本当にIT革命といえるものなのだろうか? 最近とくに首をかしげることが多いいくつかの点を、以下に述べよう。
携帯はIT?
「日本のIT革命は、携帯電話だ」というlが多い。確かに、携帯電話の異常繁殖ぶりは、「猖獗をきわめる」としか、表現しようがない。
これが「IT革命」なのだろうか? これは、井戸端会議が電車の中でもできるようになっただけのことではないのか? 確かにiモードはインターネットに接続できるから、ITと無関係ではない。しかし、どこか違うような気がする。「携帯とITはどこが違うのか?」と、前々から疑問に思っていたが、先日やっと答えが分かった。
後略
野口様のようなITピューリタンの方にとっては日本の政治家や会社が何にでもITを付けてIT革命の創造的破壊力を損なうのが我慢できないのは致し方ないのでございましょう。
携帯がITでないとの高論のお答えに時間がかかってしまいましたのは被害者意識に馴染みの薄い日本の平和ボケした脳天気な暑さゆえなのでございましょう。