投稿者 無羅 日時 2000 年 10 月 03 日 16:44:26:
自分のメールアドレスも持ってない者です。すみません。貧しくって電話はPHSだけなんです。学校のパソコンからの投稿で失礼させていただきます。
五輪が終わり、テロもなく、金もさほど動かず、幸いスーパースターも現れず、ドーピングに厳格だった五輪、まあまあこれまでとくらぶれば平和を後押しする意義を持ったイベント、と新聞雑誌あるいは人々の間で評価されておるようですが。
しかし、やはり私は赤道ギニアからやって来たあの方が100m泳いだ映像を見るたび『2000年』の世界行事とは到底思えないのです。何度見ても何度見ても、アレはフライングなんかではありません。レースよりも失格を
選んだ行為だったと見えます。小学生でもあれよりうまく飛び込みます。
未だに白い人々の中には、黒い人々と同じ水に入ることに嫌悪感を持つようなおよそ新世紀の人権意識とは遠くかけ離れた精神構造を持った人がいるのだと私は再確認いたしました。テレビでも新聞でもこぞってこの一人きりのレースを美談として取り扱い、当の赤道からはるばるやって来たあの選手ですら観客のあの大きな声援があってこそ100mを泳ぎ切ることができたと感動しながらインタビューに答えておりました。
オリンピックという美談を抽出し闇をしまいこむ長期イベントの中で、他にも多くの闇をメディアが封じ込めていることでしょう。もっとも、恐ろしいのはメディア自体が、そこに繰り広げられる現象や状況から問題の本質や時間を止めて問われなければならない断片を拾い上げる能力をいつの間にか喪失しているかも知れないということだと思います。つまり、阿修羅さんのページのなかでよく言われる意図的な報道内容の取捨選択、歪曲と言うことよりももっと深刻な状況が少なくとも我が国のメディアにはあると思います。赤道の人の映像、皆さんはどう御覧になったでしょうか?
初投稿、駄文御容赦ください。