資料
●【日月神示】
○イシヤの仕組にかかりて、まだ目覚めぬ臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神
や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシ
ヤも改心さすのぞ。神の国ぞと口先きばかりで申してゐるが、心の内は幽界(がいこ
く)人沢山あるぞ。(『ひふみ神示』下つ巻、第十六帖、五八、昭和十九年七月十二
日〜八月三日)
○悪の総大将は奥にかくれて御座るのぞ。一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せ
かけて、世界をワヤにする仕組、もう九分通り出来てゐるのぢや。(黒鉄の巻、第十
四帖、六三二、昭和二十五年一月二十二日)
○世をもたれん天地の大泥棒をこの世の大将と思つてゐて、それでまだ目覚めんのか、
よく曇りなされたなあ。(カゼの巻、第八帖、三五九)
○向ふの云ふこと、まともに聞いてゐたら、尻の毛まで抜かれてしまふのが、神には
よく判りて気つけてゐたのに、今の有様その通りでないか。まだまだ抜かれるものあ
るぞ。(カゼの巻、第六帖、三七一)
○平等愛とは、差別愛のことぞ。公平といふ声に騙されるなよ。数で決めるなと申し
てあらうがな。群集心理とは一時的の邪霊の憑きものぞ。(黄金の巻、第五十六帖、
五六七)
○日本は日本、唐は唐、オロシヤはオロシヤ、メリカキリスはメリカキリスぢや。分
けへだてするのは神の心でないと申す人民沢山あるが、世界は一平ぢやと申して、同
じことぢや、同じ神の子ぢやと申してゐるが、頭は頭、手は手、足は足と申してあら
うが。同じことであつて同じでないぞ。悪平等は悪平等ぞ。世界丸つぶれのたくらみ
ぞ。この道理よう心得なされよ。総てのものを感受せよ。その後に感謝せよ。感謝す
れば弥栄えるぞ。(黄金の巻、第八十八帖、五九九)
●【火水伝文】
▼……今からタテカエ間際まで、真釣りを外す勢力が、このヒノモトを奪わんと、あ
の手この手で仕組みある、心を惑わす策略に、まんまとだまされるのがオチであるぞ。
人民様、気付きて下されよ。『今の世が酷き有りザマなのは、国と国とが分かれ立ち、
自国の利ばかりを主張するが因なれば、国境を取り払い世界を一つに成すが、正義の
道ぞ』と申す声、数多出あるを知りて居ろうが。村が町に、町が都市に、都市が国に、
国が世界に、形が変わるだけではござらぬか。身欲が酷き有りザマの因なるを伏せ隠
し、利便を至福と言い変えて、あたかも世界統一成す事が、人民様の幸福へ、繋がる
如く煽りても、偽る至福のその裏は、更なる酷き有りザマの、大き構えの控え沿う。
『魔釣り』が栄うが滅ぶ世に、成りて結ぶが解らぬか。(p.39〜40)
▼これより日月に至る神仕組み、伝え参るが、そが前に、真釣りと魔釣りをタテワケ
て、今世の魔釣りを統べ魔釣る、悪き響きの自らに、伝え語らせあるが由、じくりと
聞きて見なされよ。真釣りも魔釣りも二つ共、元つ仕組みのマ釣りにありて、表裏一
体のものにてござるが、ハタラキは全くの逆様でござるから、よくよく注意申して置
くぞ。一つは【タテナオシの真釣り】にてあるぞ。今一つは『タテカエの魔釣り』に
てござるのぞ。今今の世のマ釣り申すは九分九厘、魔釣りとなりて居るを先ずに知り
て下されよ。スメラの真釣りと、ユダヤの魔釣りのことにてあるぞ。今今に伝え知ら
す事程に、ハキリ、タテワケて下されよ。
魔釣りの負うたタテカエ申すは、汝等の界にありては破壊とは見破られん様に、進
歩と見紛う様に仕組まれありたのぞ。元つ真釣りた仕組みを取り違え、自らの神を迎
えんがため、醜くケガれしこの地の上を、魔釣る仕組みの力にて、タテカエ払い清め
んと、思いなしたが初めであるぞ。彼の者共の心、聞いてみやれよ。そは、『この地
にある者共は、『我善し』力で欲望を、追いて尽きせぬ者なれば、恥も節度も無きが
由、よもや人とは申せまじ。仇醜き獣(じゅう)なれは、この地を汚すは許せまじ。
神に選ばれ約せある、ユダヤの民の負うところ、統べる御神の尊きに、無礼がありて
はならぬ由、獣の卑しき性情を、煽り使いて喜ばせ、自ら滅ぶ大魔釣り。金銀名誉に
性欲を、加えまぶしたエサなれば、獣なる身にては抗せまじ。
心と体を弱めれば、知恵は元々弱き由、扱い易き家畜なり。卑しき家畜の獣なれば、
知力申すも底浅く、知恵にてだますはいと易き、薄弱虚弱に致すには、身欲を煽れば
自らに、競って群れて来る程に、エサの加滅で操りて、『あやま知』どんどん植えつ
けて、科学の名にて衣与え、科学の名にて食与え、科学の名にて住与え、過つ教えの
出す毒で、自ら滅ぶが獣なるぞ。自ら滅ぶ学説を、見通す力の目も持たず、有り難が
りてマ釣り上げ、身欲携え進み行く、進むが囲いのその奥へ、出口あらざるその中へ、
おだてすかせばいと易く、我先誇りて進むなり。
神の支えるハタラキを、金の支えるハタラキに、だまし身欲と結ばせて、見える身
欲を作らしめ、工業興して物作り、返すカタナで地を壊し、金無き身にては何事も、
適わぬ世界と成さしめて、欲を煽りた夢魔釣り、叶うは難きも解からずに、手のへで
踊るあさましさ、生くる基になるはずも、何の力も無き金に、まんまと命を預けたが、
我が手に命を預けたと、気付かぬ愚かな獣なるぞ。
卑しき家畜の獣なれば、神を敬う心なく、ありても選ばれ無くあれば、いずれ我ら
の邪魔になる。持ちたる敬神壊すため、自由、平等、博愛を、幾年使うてバラマキて、
敬う基を迷信と、成して潰すが教育の、我らが仕掛けし裏舞台、功をそうして世界中、
上下無き世と成り果てて何から何まで平等と、狙い通りの混乱を、狂いたタワゴト信
じ込み、我らが図りし策略に、まんまとはまりし獣なるぞ。
家畜の生くる基なる、衣食住成る基なる、神の創りしその糸を、勝手にむさぼり費
すは、神の御国を汚し行く、許すは適わぬ事なれば、魔釣りた糸とすげ変えて生くる
も適わぬ世と成して、偽の三ロク(六六六)に従わす、魔釣りた企み九分九厘、成就
致した今今が、世界を手中に致す時、残る最期の裏芝居、今今今に幕引きて独り立ち
たるヒノモトを、餌食に致して世を潰す、我が神統べる時成るぞ。
ユダヤの身魂の我が民は、神に選ばれ約せある、汚すも尊き民なれば、世界の要所、
要所にて、使える獣を操りて、身欲と力を叶えさせ、血縁、血族成さしめて、魔釣る
仕組みに働かす、ニセのユダヤを創りたり。我が力を持ちあれは、地位も名誉も即ザ
マに、与うも奪うも自在なり。自ら望みて入り来たる、身欲固まる獣達も、余す所も
無き程に、縦横無尽に配したり。いずれ元々獣なれば、生かすも殺すも獣達の、忠誠
次第で決めるなり。心惑わず業(わざ)持ちて、ケガレ逆巻く悪しき世に、させるが
獣の仕事なり。獣を使うて獣潰すケガレを払う仕組なり』。
彼の者共の心底解かりたか。見通す力の目いうは、何でも見通す目の事ぞ。第三の
目の事じゃ。しかあれ、そは知恵の目なり。真釣り無く開かれるは魔眼と成るなり。
蛇の登り切りた姿なり。蛇の精一杯の姿にござるよ。しかあれこれにて寸止まりでご
ざる。真釣り無き知恵は枝なり葉なり。カミカエラねば自ら持ち行けぬサダメである
よ。
魔釣りの経綸申すものは、自らの神を迎えて千年王国を創ろうと、神に仇成す汝等
に、身欲のエサをちらつかせ、汝等の心を曇り曇らせ、獣の心と鳴り成らせ、生くる
総ての神の糸を彼の者共が支配して、逆らう事の出来ぬ様に致しておいて一挙に汝等
の首根っこを押さえる仕組みが、魔釣りの経綸の表の意味でござるのぞ。こがイシヤ
の仕組みでござるよ。大き仕組みをいと易く、知らせ伝え申したなれど、魔釣る仕組
みは汝等の、日々生くる事どもに裏に表に綾なして、魔釣りた糸を引かせある、知ら
ぬは汝ばかりでござるのぞ。何でもかんでも楽なミチには気を付けなされよ。心が獣
に成りて来るぞよ。苦を避けむ甘き心が危ういぞ。しかあれ、この世に悪生ぜねば、
発動致さぬ仕組みでありたを忘れて下さるなよ。(p.114〜119)
▼いつまでもイシヤの仕組みに引っ掛かりて居りて、この世にありもせぬ自由・平等・
博愛なる戯言に振り回された挙げ句、不自由・不平等・不博愛なる世を創り上げてし
もうた事に、まだ気付かんか。アタマの創りた『あやま知』の世にありては適わぬ事
でありたのじゃ。自由・平等・博愛なる、マコトの響き言うは【真釣り】た全一如の
和したる響きなかりせば、有りは致せぬ本なのぞ。親有りて子が有るのであろうが。
神有りて人が有ると同じ事ぞ。汝等皆々、宇宙コトワリの似姿なると申し伝えあろう
が。親なる中心が有りて、幹なる中心が有りて、幹なる中心が有りて初めて枝葉に全
一如のハタラキが出くるのであろうが。こに自由・平等・博愛なることどもは、猛々
しく言挙げさるるも無く、至善に生き活かされあるのでござろうが。日本の人民様、
良い加滅にシャキッと目を覚まして下されよ。自覚無き申しても余りのザマでござる
ぞ。真中が真釣りを忘れて居りてはどうする事も出来はせんぞ。五体におきても同じ
事ぞ。ハラは五体の基なり、親なり。胴が無くれば五体バラバラであろうが。五体す
べてを真釣る由、元つ気ハラに集め居るのぞ。五体すべてをかまう由、尊き御ハタラ
キ持ちて居るのぞ。なれどそはハラが真釣り統べりてあれは、の本にてござるのぞ。
ハラが真釣らねばいつでも逆法に鳴りてしもうは、アタマの仕組みで型示しあるは、
伝え知らせあろうがな。(p.271〜272)