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開戦前後、イラク戦争に反対し、公電を送った外務省の大使が、事実上「解雇」された。「戦争回避」への意見は、“たった一人の反乱”として封殺された。前大使は今、対米追従に終始する小泉首相、旧態依然とした外務省の体質を厳しく批判する。前駐レバノン大使の天木直人氏(56)が語る「さらば外務省」の思いとは−。 (浅井正智)
「解雇」は、三月二十日のイラク戦開戦前後に川口順子外相にあてた二本の公電がきっかけだった。公電とは、在外公館から本国政府に伝達される公文書のことだ。
一本目は開戦直前の三月十四日。「戦争回避のための外交努力を続けなければならない。たとえ戦争が避けられないにしても、国際社会の合意を取り付ける努力をし、米国の単独攻撃には反対すべきだ。さもなければ国連による集団安全保障体制は完全に死滅する」
もう一本は開戦後の二十四日だった。「不幸にして戦争が始まってしまった今、日本がなすべきことは、米国支持を繰り返すことでも、戦後復興にいち早く手を挙げて日本を宣伝することでもない。外交の権威を取り戻すために、外交によって早く戦争を終結させるべきだ」。二通とも全在外公館にも送った。
外務省からはすぐに反応があった。二本目の公電を打った数日後、北島信一官房長から電話があり、「あんな電報を打ってきて、外務省を辞めるつもりか」と詰問されたという。さらに、六月ごろ、北島官房長から再度電話があり、「レバノン大使を最後に退職してもらう」と「最後通告」を受けた。しばらくして竹内行夫事務次官の署名が入った通知が送られてきたが、そこには「今回、退職してもらうことになった。川口外相が進める若返り人事の一環であり、了承してもらいたい」と書かれていた。
■若返り人事とは「事実上の解雇」
天木氏はこう振り返る。「外務省の先輩・同僚の例をみても、不祥事でも起こさない限り、辞めさせられることはない。出世が遅い人でも一度、大使に出た後、どこかの大学の先生になったり、特殊法人に天下ったりして、また二−三年してもう一回、大使を務め外交官生活を終わるというケースが多い。外務省は私の退職を『勧奨退職』と言っているが、事実上の解雇と受け止めている。三十五年間の外交官生活がこんな紙切れ一枚で絶たれるのかと思うと腹立たしい気持ちでいっぱいだ」
天下りのあっせんでは、北島官房長から「面倒をみてやる。ただし二年だけだ」との打診があった。しかし、天木氏は「人をばかにした侮辱的な対応。これで外務省と決別しようときっぱり決心した」と話す。
京大三年在学中に外交官試験に合格し、一九六九年に同大を中退して入省した。アフリカ二課長、オーストラリア公使、カナダ公使、デトロイト総領事などを経て、二〇〇一年一月から駐レバノン大使となったが、今年八月二十九日付で退職した。
なぜ公電を打ったのか。
「小泉首相の外交姿勢があまりにも間違っていると感じたからだ」と、天木氏は説明する。
「私は諸外国の政府・外交筋から、米国が開戦一年前に、すでにイラク攻撃の意思を固めていたとの情報を得て、外務省にも報告していた。『フセイン(元イラク大統領)は悪人であり、攻撃しても世界は誰も非難しない』というのが米国の論理だ。これは戦後の集団安全保障体制を曲がりなりにも支えてきた国連の存在を踏みにじった行為。にもかかわらず、戦争が始まると小泉首相は早々と米国支持を打ち出した」
■「親日アラブ人失ってしまう」
さらに、アラブの人たちへの思いもあったという。
「アラブ人は中東で植民地政策を行ったことがない日本に親近感を持っている。それだけに、今回の対米支持は大きな失望感を与えた。彼らは『日本は米国に原爆を落とされ、占領までされ、最も戦争の痛みを分かっているはずではないのか。なのにどうして簡単に米国が支持できるのか』という思いを私にぶつけてきた。しかも首相は何度も繰り返し支持を表明した。この行為は親日的なアラブ人の心を深く傷つけた。私は、小泉さんという人は外交について何の見識も関心もない人だと思った」
「この状況を目の当たりにし、今、発言しなければ三十五年間、何のために外交官をやってきたのかという思いに駆られた。それに発言を公の文書として記録に残したい気持ちもあった。こういう発言をした外交官がいたということを歴史にとどめたいとも思った。ただ、はじめから辞めてやろうという気はなかった。辞めれば敗北者になってしまうからだ」
「解雇」は今回の公電だけでなく、実は伏線があったようだ。天木氏は、アフリカ二課長時代、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)に反対し、経済制裁を科すよう主張した。
「あれは誰がみても人種差別であり、私の意見もとり入れられたが、それまでこうした主張をした課長はおらず、野党的な言動と受け取られた」と話す。
外務省では、条約局や北米局など日米同盟を最優先に政策を決めていくグループが本流とされ、政策決定プロセスは自民党政権の意向に傾斜しすぎているのが現状だという。しかし、天木氏は「私はおかしいと思ったときには堂々と反対を唱えてきた。省内で歓迎されざる人物と思われていたと思う」と分析する。
■待遇面でも差別“準大使”の扱い
実際、天木氏の省内の出世は遅く、「待遇面でも差別を受けてきた」という。大使の俸給月額は最も安い一号俸で百二万円だが、駐レバノン大使になった後も約八十万円。さまざまな理由をつけられ「準大使」の扱いになっていたためだ。
「何かトラブルを起こしたら、クビにしてやろうと目を付けられていたのでは」との問いには、「そうだと思う」と話す。
しかし、現在、「大義なき戦争」といわれるイラク戦争。天木氏以外に、反対の声を上げた外交官はいなかったのだろうか。
「いない。外務省では反米的言動をする人は出世できない。これは同時中枢テロに始まったことではなく、はるか以前からの体質だ。特に若い外交官は大使になるために、自分を殺して組織に迎合しなければならない。憂うべき現実だ」
天木氏は八日、東京・有楽町の外国特派員協会で講演。同日、講談社から「さらば外務省」と題する著書を出版し、外務省の実態を告発する。
これから外務省と戦っていくつもりなのだろうか。
「本心では、この講演と著書をもってこの問題は終わりにし、今後は日本とレバノンの民間交流に役立ちたいと思っている。しかし、外務省が機密漏えいなどを口実に、私を訴えてくる可能性がある。実際、『公電を他人に見せたりすれば、機密漏えいに問われる』などという電話も受けた。もしそういうことになれば、私は命をかけて最後まで戦う覚悟がある。私にはもはや失うものは何もない」