似非学者 渡部昇一の流した悪質なデマの例
●重要なことは、蒋介石も毛沢東も誰も「南京大虐殺」を言った人はいないという事実。
「南京大虐殺」が最初出てきたのは東京裁判。それが忘れられた頃に騒ぎ始めたのは朝日の本多勝一で、それに乗ったのが当時の社会党の田辺誠と言われている。
《渡部昇一 「こんな日本に誰がした」》
実際は
1938年7月(南京陥落後)日中戦争1周年に蒋介石は「日本国民に告げる書」で日本軍の放火・略奪・虐殺を非難している。
「南京」という名指しはないが、この時点で中国大陸における大規模で集団的な略奪・虐殺は南京以外に考えられない。
蒋介石はこのことを念頭に書いている。次のように書かれている
「・・わが婦女同胞に対する暴行がある。
10歳前後の少女から5,60歳の老女までひとたび毒手にあえば、一族すべて逃れがたい。ある場合は数人で次々に辱め、被害者は逃げる間もなく呻吟して命を落とし、ある場合は母と娘、妹と兄嫁など数十人の女性を裸にして一同に並べ強姦してから惨殺した。・・・
このような軍隊は日本の恥であるだけでなく、人類に汚点をとどめるものである・・・」
毛沢東は1938年1月週刊誌「群衆」で「南京大虐殺は人類に対する犯罪」と述べている。その内容は次の通りである。
「・・・9・18に敵軍がわが東北・華北ではたらいた残虐な行為は、すでに世のともに知るところとなっている。しかし、南京・上海沿線、とりわけ南京市の大虐殺は、人類有史以来空前未嘗有の血なまぐさい残虐な獣行記録をつくることとなった。
これは中国の全民族に対する宣戦にとどまらず、全人類に対する宣戦でもある。敵の凶悪な残忍さは、人道と正義を血で洗い、全世界・全人類の憤怒と憎悪をよびおこした。・・・」
http://www.jca.apc.org/nmnankin/ohtani1.html
似非学者 渡部昇一の流した悪質なデマの例 2
●東京裁判における最重要証人たるマギー牧師(安全区の委員で、南京占領後も市内を自由に歩けた立場)の証言は、南京における膨大な殺人・強盗・強姦・暴行・累々たる屍…について見てきたようなものだった。2日間にわたり法廷で詳細な証言をした。
●しかし、マギーはブルックス弁護人から「あなたは具体的に虐殺された一般市民を何人見たのか」の問いに、「見たのは1人である」と答えた。その1人とは、日本兵が警備しているところを1人のシナ人が通りかかって誰何され、途端に逃げ出して撃たれた、というものだった。歩哨が誰何して逃亡した人を射殺するのは殺人ではない。これは全く合法な戦闘行為。
●強姦らしいものを1件見たとも証言した。それは現場を見たのではなく、マギーが通りかかると1人の日本兵が走り出していき、そのあとを見ると女がいたから、あれは強姦されたに違いないというものだった。日本兵がアイスボックスを民家から持ち出すのを1件見たとも証言している。
…マギーが自分の目で見たものは、たったこれだけなのである。このどこをどうこねくり回せば、大虐殺という言葉が出てくるのだろうか。
●戦時プロパガンダというのは、事実か嘘かは問題ではない。国際世論を味方につけ、自国民の戦意を高揚させ、敵の意欲を喪失させればいいのである。
《渡部昇一 「渡部昇一の時流を読む知恵」》
http://kenjya.org/nankinkyogen.html
実際は
マギー牧師はけが人や強姦の被害者の救済をしていた。
殺害現場に立ち会わなかったのは当然。
いわゆるマギーフィルムが殺害現場そのものの映像がないのは当然のことである。
もし殺害現場を撮影していたら、日本軍はマギー牧師をそのままにしておかなかっただろう。むしろたくさんの被害者の映像記録を残している。このことの方が重要な証拠となっている。
東京裁判でも11人の証人が証言し、南京安全区文書・南京裁判所検案書・慈善団体の埋葬記録・ラーベの書簡・アメリカ大使館の文書・在中国ドイツ外交当局の報告書などが東京裁判で採用された。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/ohtani1.html
似非学者 渡部昇一の流した悪質なデマの例 3
●私にとって印象深いのは、本多勝一氏と山本七平氏の「百人斬り論争」です。72年に『諸君!』誌上で半年ほど続き、あとはそれぞれの著書で持論を展開する形となりました。南京入りに際しての野田少尉と向井少尉の「百人斬り」を、本多氏は事実だと、山本氏は戦意高揚のためのフィクションだと主張しました。
●私が感心したのは、山本七平氏が『私の中の日本軍』(文芸春秋 1975年)で披露した卓論です。野田少尉は大隊副官でしたが、向井少尉の職務は新聞ではボカされていました。山本氏はそれが歩兵砲の小隊長であったことをつきとめます。だとすれば、2人は指揮系統も職務もまったく違います。
●日本軍は厳格な縦社会であり、軍人とは、直属の上官の命令以外、絶対に聞いてはならない存在です。実戦の最中に向井少尉が砲側を離れ、小隊長の職務を投げ出して、横の関係でしかない野田少尉と私的な百人斬り競争をすることなどありえない---山本氏はそう結論づけたのです。戦場経験のある山本氏ならではの、説得力のある議論に私は感心し、論争は山本氏の完勝だと思いました。
《渡部昇一 「朝日新聞と私の40年戦争」》
http://kenjya.org/sonota4.html
実際は
百人斬り -- 『南京大虐殺のまぼろし』の嘘
1971年、朝日新聞に連載された本多勝一記者の長編ルポルタージュ『中国の旅』は、大変な反響を巻き起こしました。
このルポによって初めて、中国戦線で旧日本軍が行ってきた数々の凄まじい蛮行が、被害者である中国人自身の証言という生々しい形で徹底的に暴露されたからです。出征した兵士たちは、ごく少数の例外を除いて自分たちが行った残虐行為については一切口をつぐんでおり、教科書や一般の歴史書も抽象的に戦争の経過や背景を説明するだけだったため、戦後世代の日本人の多くは、かつて自国が行った侵略戦争の実態がどのようなものだったのか、具体的には何も知らないも同然でした。『中国の旅』は、いわば無知ゆえに安穏としていられた戦後世代を過酷な歴史的事実に目覚めさせる冷水のような役割を果たしたのです。
それだけに、このルポに対する右派勢力からの攻撃にもすさまじいものがありました。本多氏や朝日を黙らせようとする直接的脅迫はもちろん、氏の人格を中傷する捏造記事や、『中国の旅』に書かれている膨大な事例の一つでも否定しよう(そしてそれを宣伝することでルポ全体の信用性を貶めよう)とするあらゆる試みが行われました。
そうした試みの代表的な(そして最も「成功」を収めた)サンプルと言えるのが、鈴木明『南京大虐殺のまぼろし』です。
この本はその前半およそ半分を、南京大虐殺全体から見ればほんの一エピソードに過ぎない「百人斬り競争」事件の否定に費やしています。鈴木氏はこの事件の信憑性に疑問を投げかけることで、本多氏のルポ全体、ひいては南京大虐殺全体が根拠のない「まぼろし」であるかのような印象を与えようとしたのです。
鈴木氏の「批判」が当たっていないこと、それどころか逆に『南京大虐殺のまぼろし』の方が証言の歪曲や捏造だらけであることは既に明らかになっているのですが、一時は多くの人がこの本に騙されました。
下記の議論が示しているように、最近になってさえこの件をネタに『中国の旅』を攻撃しようとする論者がしばしば現れます。残念なことですが、一度広まったデマは容易に根絶しがたいものなのです。
『南京大虐殺のまぼろし』後半部分については、そのデタラメさ加減を指摘する記事が「インターネット大学グローバル・カレッジ」に掲載されています。また、小林よしのりとの共著『朝日新聞の正義』でこの百人斬りを否定しようとする井沢元彦の無知ぶりとトリックを指摘する記事が、同じ「インターネット大学グローバル・カレッジ」に掲載されています。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/608.html