高齢者は当たり前だが現役時代を一回経験しており、現役を経験し終えていない現役を優先するのは当然である。
障害者と健常者はどうか、健常者の労働力は当てになるが障害者の労働力は一部の天才を除いて期待するのは無理だし酷で未成年のような保護的対応が必要である、従って保護が必要な者より不要な者を優先するのは差別でも何でもなく区別として当然である。
金持ちと貧乏人の影響力はどうか、言うまでもなく金持ちの影響力の方が大きく、それが政治を動かしているのが現実である、但し、金持ちは少なく貧乏人が圧倒的多数で、貧乏人が結束すれば金持ちより影響力を持つ事は十分可能である。
何を言いたいのかと言うと、加藤紘一が官房長官の時によく引き合いに出していた記憶があるが、機会の平等は可能な限り保障されるべきだが結果の平等まで保障したら新たな逆差別を生むだけで、そんな不公平不公正な社会はなく、そんな事は誰も幸福にしないのである。
命の選別という事に過剰に反応し、勝手に命の差別と変換して受け止めた事や高齢者から連想して障害者も選別と拡大解釈したところにエスカレートの原因があると見たが、命の減価償却も厳然とあるし、労働力の価値も上下が厳然とあるし、経済力の大きさによる使命の違いも厳然とあるし、差別はいけないが区別は全体が成り立つ為には不可欠で、どの命も平等などと雑な議論をしては駄目である。
従って、たかだか四十代の若造が五十代後半の人生観を裁くなどと生意気な事はしてはいけなかったし、宗教団体なら教義が絶対でも何でも構わないが、多様な民意を掬い上げる必要がある政党が、税金も入っている政党が、非公開で処分を下し、それも離党届けも許さず除名とか、一体何様かと思われても仕方ない事をしてしまった訳で、これからどういう方針でいるのか分からないが、どのような結果になっても、いいことも悪い事も太郎の撒いた種であるから、二百万票と十億円に対して十分な情報公開をし、その反応が期待するものであろうとなかろうと厳粛に受け止める事で、先日の会見でこの件は終りとしては軽蔑すべき自公のやり方と同じで、そもそもそんな幕引きは太郎らしくない筈で、結果を先に言ってしまうが、この大失敗を大きく飛躍する為の糧とする事である。
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