2. 2020年3月25日 00:01:32 : UFL2x87YpQ : eTdYdkZsQURpT0k=[5]
頼む、お不動様、閻魔様……
みなまで言わせないでください。私が悪趣に堕ちてしまいますw
地上でお供をしている連中も一緒に連れて行ってやってください。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/822.html#c2
★阿修羅♪ > アーカイブ > 2020年3月 > 25日時分 〜
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みなまで言わせないでください。私が悪趣に堕ちてしまいますw
地上でお供をしている連中も一緒に連れて行ってやってください。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/822.html#c2
ね!!【 陸軍の「感染研究所」】===【 A級戦犯DNA 】だっしょ!!
福島県民を放射能のモルモットにしてるのも、731マルタ・東大医学部研究室だべ!!
===============
A級戦犯DNA、相も変わらずやることは戦前と同じだべぇ。
佐川もそうだしアヘンや小泉もそうだ。
まともに社会で働いたことが無い。アヘン入社はコネだから働いたうちに入らん。
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こういう連中が出来が悪い癖に、議事録に国民をB層と書いてるやつらだ。
佐川=小泉=竹中=アヘン=アホウ=森=五寸釘=2chさつき=金美齢=三浦瑠璃
しかし、生活費に余裕がない人は、生活費の足しにするだけで余計な買い物はしない
裕福な人の行動も生活費の足しにするだけで余計な買い物はしない。商品券は貯蓄を増やすことに終わる。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/815.html#c24
全世界パンデミック都市閉鎖継続期間1年以上らしい、
この期間に、人類一律・バーチャル通貨救済を、奴隷番号付与とともに受ける。
より厳格な階層の奴隷階級別支配に見事に組み込まれていく。
人間仕分けは済んでいてAI支配システムもできているみたい。
反抗的な人間に分けられていたら、捨てられるんだろうね。
大嘘報道で注意をそらしつつ、これを進めていくんだ。
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/628.html#c7
(特措法は国会を休んでも300万の日当払いがされる日本の政治家どもをふん縛る為にも効力を発揮するという事を忘れずに)
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/821.html#c13
A級戦犯仲間を裏切ってGHQの悪魔に魂を売って甘い汁を吸ったのがA級戦犯生き残り。
この連中が「棄民党」「厄人」「893」へと分かれ、悪魔のアメリカのために日本を売ってきた。
https://matome.naver.jp/odai/2143643224327030301
一緒に侵略・慰安婦レイプ・南京虐殺・偽金づくり・アヘン密売など・・・で仲間だったのを
司法取引で自分らだけ生き残ってA級戦犯達に罪を負わせて私腹を肥やした朝鮮カルトだ。
https://maezaki.net/abe-mafia
彼らは本性が人殺しと金儲けと権力しがみ付きだ!!
===============
我々日本人は投票所に足を運んで政権交代させればいい。
理性と正義を、失ったら、人間社会は破滅します。
日本の善男善女よ、みんなでがんばりましょう。
そして安倍晋三を一刻も早くぶっ●しましょう。そうすれば、日本はまた、明るいいい国に戻ります。元気者山本太郎さんが、いよいよ、日本再生に怪力をふるいますよ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/791.html#c56
常に無理強いごり押しで自分等の主張を言っておいて、相手の様子を見る。
反発が無ければ理不尽な事でも押し通し、反発が強ければ時間ギリギリまで様子を見て引っ込めるかどうかを決める。
残業働き方改革然り、英語の大学受験民営化問題然り、改憲然り……
このバカのひとつ覚え手法をオリンピック開催判断にも使ってしまっている………こいつら脳がない。
この手法は、自ら積極的な判断が必要な場合にやってしまうと逆に信用を落とすという事がわからないバカども。
オリンピックは中止か延期に決まってるのに中々それを言わなかった事で、大分世界から信用を落としたな。
選手ファーストなど白々しくよく言えるな。お前は利権ファーストだろ。まあ、利権はIOCにもあるんだろうから、安倍がバッハに気を使った可能性があるしその逆も有り得る。
お前のニックネームは今後は「利権ファースト安倍」だ。
オリンピックは一年後だろ。二年後はトリチウムを海に流すから、日本のイメージが最悪になる。
トリチウムを流しながらの開会式って有り得んだろ。
今すぐ精神病院にぶち込むか、その場で射殺すべき人間
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/803.html#c9
小池知事「首都封鎖あり得る」衝撃発言の真意…裏で何が?
— eiga323秋津島信 (@eiga323) March 24, 2020
日刊ゲンダイhttps://t.co/2Ymmc5OuEc
23日、小池都知事が記者会見し、「首都の封鎖もあり得る」と警告を発した。首都のトップが「ロックダウン=都市封鎖」を口にするのは異例のことだ。いったい、なにが起きているのか。東京都は・・・
オーバーシュート?ロックダウン?出来る人間に見せようとカタカナ語使うの大好き小池知事。
— keisei (@Keiseinyc) March 24, 2020
小池知事「首都封鎖あり得る」衝撃発言の真意…裏で何が? https://t.co/7516jqyBmm #日刊ゲンダイDIGITAL
トムハンクスはオーストラリアから米国に帰国を拒否してるとの情報。小児性事件で逮捕されるためとか。逮捕リストに名を連ねるものの殆どは既にコロナに感染中、だと。
http://www.asyura2.com/20/cult25/msg/638.html#c8
あんなにオリンピックは
— あいちゃん (@HOrhFuOmWIDDDXs) March 24, 2020
予定通り開催と
中止や延期の話題に
強い不快感を示して
いたのに
局面が変わったとみるや
首都封鎖を言い出して
権力行使出来る高揚感に
酔いしれる
トコトンくずだな
小池知事「首都封鎖あり得る」衝撃発言の真意…裏で何が? https://t.co/33xpi3GrAA #日刊ゲンダイDIGITAL
ふざけんな!
— 選挙に行こう!憲法は私たちのもの (@jejepamyupamyu) March 24, 2020
<五輪延期が確実になったので、感染者数を小さく見せる必要がなくなり、むしろ危機をあおって、強いリーダーシップを演出した方が得策と考えた可能性があります>
小池知事「首都封鎖あり得る」衝撃発言の真意…裏で何が? https://t.co/plK5ZHtPJp #日刊ゲンダイDIGITAL
感染爆発が心配された東京で、家庭内で家族に感染させる恐れを極力抑える事が、これで可能となるだろう。既にその為に万全の施設がちょっと手を加えれば済む程度に用意されていた事になるのだからラッキーである。
後は開催の時期までに安倍晋三を牢屋に送る事が国民の願いである。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/818.html#c40
腹切ってくれんかな〜
安倍がいなくなると、日本は希望が湧いてくる。
安倍、お前判っているのか?
自決して責任取れよ! いまにいたっては、安倍の行った悪事がありすぎます。
これでは日本貧困層は餓死する、、、
生きるためには、暴れざるを得ない時が来そうですね〜
来て欲しくはないのですが、、、アイ アム ノット 安倍晋三、です。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/792.html#c38
<築地市場移転利権問題>が再燃し、<旧晴海・オリンピック村建設利権問題>も再燃し、<東京湾の水質&放射線汚染問題>も再燃し、収拾できなくなることは必定である。
細かいことだが、<選手村>や<食材>や<競技場>の正確な放射線量測定を、諸外国(とりわけ<中国・韓国・北朝鮮・EU諸国>が求めてくることは間違いない。
かてて加えて、<コロナウィルス>である。
早い話が、<放射線量測定>も<コロナウィルス感染者測定>もろくすっぽできてい=隠蔽してきたのがこの国の現状なのである。
そんな<ウソツキ国家>をどこの誰が「信頼」するんだい?
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/820.html#c8
築地市場移転の時と一緒ということか。もしそうならわかりやすい。
— マンション買い時/売り時 (@ienoji) March 24, 2020
小池知事「首都封鎖あり得る」衝撃発言の真意…裏で何が? https://t.co/SGUfuFJFXf #日刊ゲンダイDIGITAL
オリンピック延期⇒自分が任期の時やれないかもしれない⇒延期で不満が出てくるからそれから目をそらすために首都封鎖わかりやすいね。緑の狸さん。小池知事「首都封鎖あり得る」衝撃発言の真意…裏で何が? https://t.co/rZox02UPCD #日刊ゲンダイDIGITAL
— リボーンアザラシ (@xHrQSdoieZzMebG) March 24, 2020
小池知事「首都封鎖あり得る」衝撃発言の真意…裏で何が? https://t.co/Utl5N0iAuJ 外出禁止になるんだろうから、リモートワーク以外終了になってしまうな。被害はすごいだろうね
— あんのうん (@maccreni) March 24, 2020
【最新トピックス更新】
— 日刊ゲンダイ北海道DIGITAL (@gendai_hokkaido) March 24, 2020
今日の注目は「小池知事「首都封鎖あり得る」衝撃発言の真意…裏で何が?」だ!
小池東京都知事は何を知り、何を隠しているのか!!!!!
メガクラスターが近づいているのか?!#小池都知事 #首都封鎖 #クラスター感染 https://t.co/KgZVXX8LK9
小池知事「首都封鎖あり得る」衝撃発言の真意…裏で何が?https://t.co/A4KKJxZrVQ
— 幸ちゃん (@Kotchian35) March 24, 2020
小池知事が「首都封鎖」という単語を使ってまでイベント自粛の延期を求めたのは、厚労省クラスター対策班から21日時点の試算として、4月8日までに都内で530人程度の患者増の可能性があると指摘されたからだ。
判決は、新聞の全面広告、全国一斉ポスティング及び日本語・中国語・英語・フランス語・ロシア語・スペイン語・アラビア語表記によるホームページによって周知させる。
『<民立>憲法裁判所』設立の提案
http://www.asyura2.com/14/test31/msg/831.html
私は寡黙にして、ウランやトリチウムの α 崩壊や β 崩壊で中性子が核外に飛び出すという
ことを聞いたことがないのですが。もし、中性子が飛び出したら核分裂になるはずです。
本当にそういうことが起こるんでしたら詳しく教えてください。
自発的な核崩壊は、原子核内の無限に高いポテンシャル障壁をすり抜けるトンネル効果だ
と教わりました。量子論を学んで2〜3か月くらいで出くわす計算でした。
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/597.html#c8
同じ穴の・・・全く信用できない。どなたがこのおばさん選んだの?
— 無頼庵 (@TomoDonichi28) March 24, 2020
【小池百合子】小池知事「首都封鎖あり得る」衝撃発言の真意…裏で何が?|日刊ゲンダイDIGITAL https://t.co/FtXJKgJFus
『「安倍やめろ!」に違和感をもった大学教授がひっそりと続けていること』
上西 充子(法政大学 キャリアデザイン学部教授)PRESIDENT Online 2020/03/23
ttps://president.jp/articles/-/33769
最近、秦郁彦氏が書いた『現代史の争点』 (文春文庫)て、
あまりデキのよくない古本を読んでたら、研究者として、政府の
情報公開法の不備を批判する記述があった。
つまり、のり弁状態で役所が公文書を死蔵することへの批判は、
大昔から政治的立ち位置を問わず批判の対象として共有されていたし、
このペンキを投げたヲっさんにしても、
そうした80年代から遅々として進まなかった情報公開法の整備と
その弊害への危機感が、広く一般社会に共有されていたことを象徴している。
ところが、安倍政権になってからは、
どうやら公文書へのアクセスは80年代の”無法”水準に戻っているようだし、
内閣人事局のおかげで、官僚は納税者や国家運営よりも、自己保身が最優先となっている。
要は、こういう状況で、週刊誌の特報ネタとか内部告発に頼って
「デモだけ」呼びかけたところで単発に終わるのが関の山>実際、消費税反対! つっただけで
警官に取り囲まれる状況で、香港みたいなデモを期待する方がどうかしている
あるのかないのか知れない義憤に期待するのも、
老人デモもケッコウだが、上西教授のような感覚がないなら、
今どきは街頭でのアジ抗議なんて、せいぜい新興宗教のたぐいとしか映らない。
ペンキなんか投げ込んでみろ、ネトウヨとか国家主義者を却って勢いづかせるだけだと思うがなw
実際の死者数を捏造とは、感染したかどうかを確認する事なく肺炎で亡くなった人を、直ちに火葬して証拠隠滅しているだろう事実があるからである。
それに対抗して感染を極力喰い止めることに尽力した和歌山モデルは、今後の感染症対策の指針ともなるべき優れた実績となるだろう。
悪党安倍晋三一味と協調しない事が肝心なのである。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/809.html#c13
バスケやサッカーでゴールを通り越してシュートしたとか、
鉄砲で撃つというニュアンスだと、
乱獲みたいなイメージ。
まるで、たった1人のスーパースプレッダーが意図的に群衆の中に出て濃厚接触を繰り返して回ってるような印象になる。
ウイルスが意識を持って、エイリアンみたいに宿主に取り憑きたがってるわけでもないだろうに(それこそ行き過ぎた、つまりオーバーシュートな発想だw)
アウトブレイク、バースト、エクスプローシブ、オーバーフローなどの方がマシだと思うけど…
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/816.html#c10
そして一度予定を立てた人、企業は二度と戻ってこない
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/821.html#c14
コロナによって消費税減税が現実味を帯びている中、
次の衆院選で規制の野党の政治家が反安倍だけの緩いくくりで
消費税減税だけを掲げても、もはや自公に勝てるわけがない。
消費税5%で野党がまとまる前に、
現政権が近いうちにそれをやってしまうことでしょう。
消費税減税を野党の旗印にできるのは、
自民がそれを拒むからであり、減税が実現してしまった後では
それ以外の、もっと大胆な旗印を掲げる必要がある
その最も象徴的な旗印は「反緊縮」と大胆な財政出動。
野党の政治家の多くが今も緊縮や
プライマリーバランスの黒字化にこだわっている以上、
もはや野党を分断するかぶっ壊さないと何も始まらない。
野党分断大いに結構、山尾氏のような造反&離党大歓迎、
与党と野党という分け方ではなく、緊縮か反緊縮か、
庶民目線か大企業金持ち優遇かで別れて結集していくべきだと思う。
緊縮脳で旧体制で保身第一の政治家は
次の選挙ですべて落ちて政界から消えてくれと心から願う。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/796.html#c66
感染力の強いい新型ウイルスの猛威は始まったばかり…、
開催の見通しは何時の事やら、中止になるかもね。
アベやアソーは、コロナに罹りやすい動物なんですね。
集団免疫戦略と言う国民の大半を新型コロナウイルスに感染させようと企む悪党安倍晋三の悪事が砕かれる様になるだろうからである。
感染ピークを遅らせなだらかにするだけで、広く国民に感染させて老人を淘汰しようとする安倍晋三ら新自由主義者の人口抑制政策を一年縛りが挫いてくれるだろう。
検査の推進と感染者の健全者からの隔離、その為には無症状者や軽症者を家庭に止めないで宿泊費を国家負担で宿泊施設に留め置くと言う、正攻法の対策が肝心になるからだ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/818.html#c42
無論、その通りだけど、一方で
「デモをやらなきゃ 民主主義にあらず」
とか、あと情に訴えた言葉の強さや作文、
あるいはデモの規模を口にする
そういう一部の老人どもは完全におかしいわ
理屈としての合理性や論拠を示すうえで
迂遠なようだが
「公文書の情報開示規定をもう一度徹底的に整理し直す」
「野党の国政調査権を強化する」
森友だの桜の会で、内閣支持率が下がらない事ではっきりしたように
そういう方向で議論の環境を改めないと、簡単に白黒がつく話すら
なかなか決着しないし、これでは、時事ネタの背景としての
行政の仕組みや法律の規定まで細かく調べない人間
(例えばワイドショー視聴者)が、野党の質問なんていつまでも聞いていられないのも道理
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/811.html#c30
人々を煽動するのはプロパガンダと世論である。
萩生田の学校再開の呼びかけは「人々の防疫意識が整った」ことに由来するという。しかしこれは政治家としての自らのリスクを減らすことでもある。責任を果たした「やった」感というパフォーマンスだけ。その反対に現場の指導にあたる教員へは多大なリスクと圧力がのしかかるだろう。
経済は世界を見れば一目瞭然、一件持ちこたえたかの様な数字となっているが、流れはまったくコロナと同じで、このまま相場は大きく上り下がりをしながら最下値を更新して行くだろう。
国内の経済活動力をまず維持するのが早急な対策とするならば、人々に分け隔てなく消費活動を促すという方法以外に考えられないが、ここもスルーされるという。そうなると消費増税後、ぎりぎりで経営を維持してきたものらはみな潰える。維持するというだけでもかなりの民間の犠牲が払われることになる。
人々は大きな事は出来ないと言うが、このまま熾烈なサバイバル状態に突入することになる。
それは一見、政府の強要ではないが、個々に於いて「生活して行かなければ死あるのみ」と自己強要する方向性に打出されている。そういう羽目に陥らざるを得ないという事実というか大衆に生まれた運命だとして、それをただ受け容れる事が正しいと信じて居るわけである。
政治の本質、国家の建前である理念、政治家の本分を忘れている人間がこの国のトップに何故居座れるかは、人々の大衆意識の健在さの証でもある。社会的な自立とは社会的な責任や道義を負う事だと考えるが、しかしこれはその道義的自己責任から延々と逃避してきたものがつくり出した悲劇という感じがする。
それが国民の選んだ道なら、「それもありだろう」と思いはする。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/824.html#c12
素人ですが、 恐怖の、中性子の動画 ←削除だって、、 核分裂や自然崩壊
記憶だけど、 とにかく中性子は強力?電荷なしで、なんでも貫通と思います。
超高速だと、 光の速さ、1/3、 秒速10万kmと思います。 宇宙空間?
高速増殖炉では、高速中性子、秒速、1万kmで融合と思います。 ←地球1/4周。
通常の原子炉で、秒速、10kmで追突して核分裂ですね。 ←同位体が多数生成される。
プルト密造では、効率よく、秒速、100kmで照射と思います。 U238→U239
まぁ、中性子は、自然崩壊なら低速で、空気中に、ウジャウジャ多数存在と思います。
質量の大きい核分裂の中性子は、速いと思います。 うさぎ♂ うまく説明でけねよー♪あほ
つまり、? 自然崩壊の、霧箱からも中性子は測定される、と思います。 ←素人ですww
河井案里“衝撃証言”「私は検事の前で自ら裸になりました」 #河井克行 #河井案里 #スクープ速報 #週刊文春 #文春オンラインhttps://t.co/4d1wfgFmxO
— 文春オンライン (@bunshun_online) March 24, 2020
毎度のお家芸、
— BIKO / No place for Hate🌍 (@graqvaosaka) March 24, 2020
悪事働いてバレたら被害者ヅラ
一言でも謝罪でもしたか?
自分の言い分を信じろの押しつけ
都合悪くなると逃亡説明義務拒否
するのに公職選挙法違反なんだよ
辞めて下さい
https://t.co/rlUQhhctyD on @YahooNewsTopics
お前の裸の話なんか誰も興味ないhttps://t.co/rRaPiTIh0y#河井案里 #裸 #辞職
— ホモと革ジャン (@wrx0323) March 24, 2020
あのですね、立法府にいる人間が法を犯していい訳じゃないんですよねぇ〜。説明責任を果たすだなんて言っておいてダンマリ。被害者面するのもいい加減になさいな!!
— TOY (@KiJoyToy) March 24, 2020
河井案里“衝撃証言”「私は検事の前で自ら裸になりました」 https://t.co/MdsyvBBuDy
河井案里“衝撃証言”「私は検事の前で自ら裸になりました」 https://t.co/RYMSQd3IdB
— 鈴木 勇 (@E7Hz7cQQ61vvrHE) March 24, 2020
自分たちのやった事を棚に上げるな。二人とも即刻辞任しろ。
単なる露出狂じゃん!議員辞職まだ?#河井案里
— Flying_Ponyo (@PonyoFlying) March 24, 2020
河井案里“衝撃証言”「私は検事の前で自ら裸になりました」(文春オンライン) https://t.co/gl1EM7UfHS
河井案里って 自ら全裸でしょう
— Hiro (@Hiro_Harvey) March 24, 2020
加えて友人誘ってホテル内で食事会??
こいつ早く議員辞めさせ 公衆の面前で見せ物になってもらいましょう 勿論 旦那の方もね#河井案里
河井案里“衝撃証言”「私は検事の前で自ら裸になりました」(文春オンライン) https://t.co/5jMYkA2fEe
河井案里“衝撃証言”「私は検事の前で自ら裸になりました」https://t.co/3q9ZACZumM
— 通りすがり (@a_passer_by) March 24, 2020
出た www 説明責任を果たすとか、捜査に全面的に協力するとか言っておいて、ホテルに籠城し、差押えにも抵抗しておいて、被害者面😆
残念ながら、大阪市民の多くは
こういう素人の越権行為が、公衆衛生上どういう弊害(→ 住民被害)をもたらすか、
細かく検討する忍耐力がないんだから、暖簾に腕押しだわな
松井市長は米山・前新潟県知事に
意味不明の言いがかりで民事提訴やらかして和解してたが、
ああいうブザマ晒してても政治家生命としては失点にならんのだから、困った話
つか、松井市長は高校中退を親のコネでもみ消して
Fラン大学にもぐりこんだクズやろ? この程度の誤読は平常運転ちゃうんか
そんなンに市長や知事やらしてて平気な時点で、大阪がまともやないっていう話やわ
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/823.html#c13
世界中のアスリートに嘘をついた❗
もう延期しても誰も参加しない❗
嘘嘘、嘘、嘘
嘘つきはアスリートは大嫌い😡⚡なんだ!
稲田氏は『どこまで脱いだん?』と聞き返し、『全裸と聞いている』と応じると、稲田氏は『すごいわぁ。案里さんの覚悟やわぁ』と妙に感心していた
— ふむふむ [NO MORE ABE]肉球新党🌈 (@Jl2w0U) March 24, 2020
河井案里“衝撃証言”「私は検事の前で自ら裸になりました」 | 文春オンライン https://t.co/Uupq5YuD74
露出狂なの?
— gen721 (@toshi_y) March 24, 2020
脱げば許してもらえると思ったとか?
悪いことしたのはあなたが先だもの。あなたが悪いことしなければ、あなたが脱いだ場面もあり得なかったはず。https://t.co/j5eXKJBcfV
被害者面するな。因果応報や。強欲夫婦め。観念しろ。#河井議員
— キーボー (@EPbY2QhxkTF6aY8) March 24, 2020
河井案里“衝撃証言”「私は検事の前で自ら裸になりました」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース https://t.co/HX0XHgUlKe
河井案里“衝撃証言”「私は検事の前で自ら裸になりました」
— 小林 晶 (@Akioldman) March 24, 2020
強要されたわけでも無いのに。ストリップしたかっただけだろう。馬鹿としか思えない。 https://t.co/lSatBsayW8
検察は何を調べていたのだろうか? 麻薬・ドラッグ、貴金属など下着に隠し易いものに違いない。いずれにしても「うぐいす嬢に多額のお金」疑惑だけではないだろう。反社勢力に繋がる犯罪も捜査しているのでは?>>河井案里“衝撃証言”「私は検事の前で自ら裸になりました」 https://t.co/rfCIW5pCNU
— 老人と山 (@very_old_man) March 24, 2020
河井案里“衝撃証言”「私は検事の前で自ら裸になりました」 https://t.co/LOhko758rJ
— タケさん (@ka9991972358358) March 24, 2020
広島地検、格好いい!素晴らしい!なぜ東京地検は出来ない?情けない!広島地検よ全国にお手本見せてくださいm(__)mこのままじゃ日本崩壊します💦
被害者面して同情集めたいのかな?
— 西ノ京円町 (@krh84nmrti10) March 24, 2020
自分の選挙運動で起きた犯罪。
自分がまず罪を認め償う以外は何を言っても無理!https://t.co/f6wxpjgMyR
そら、河井案里参院議員(46)がたとえ全裸になっても
政治家のジジイでさえ”見てみたい”って気にならないからだろうよ
関係ないが、なんでこの人こんなに老け込んでるんだろうな
50代にしかみえんわ
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/825.html#c16
”コロナなんか治って当然と、ドッカリと構えろ”()とか
かっちょエエこと言うてはったんやから、せいぜい、ええとこみせたってやw
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/822.html#c5
要するに松井と吉村はいい加減でおっちょこちょいのクセにやたら偉そうで傲慢だという事だろ。
他県と相談しろよ。相談したら事が進まないだろうというのは、あの言い方も含め、「私は賢いが他県には話が通じない」と言っているように聞こえる。
つまり青臭いんだよな。
見事に橋下の魂を受け継いでるな。おっちょこちょいのくせに攻撃的。
こいつらは確かに慣習や決まりに囚われないで、気転を効かして実行力を持たせようという目標があるんじゃないかと思うのだが、如何せん空回りしている感じがする。
橋下、松井、吉村共に現実的路線をアピールしたいのだろうが、もう少し地に足をつけたしっかりした考え方や筋を遠さないと単なるハッスル親父に過ぎなくなるな。
悪というよりは、おっちょこちょいの前のめり空回りトリオ。(今回は橋下は関係ないが、マインドが同じだな)
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/823.html#c14
今の上級連中は窮地に立たされているが、何がしたいかと考えれば
簡単でしょう
前代未聞の超クソな政権を維持したい
特定の業界が儲けたい
この二点です
李晋三政権wになってから、テポドン詐欺とかダメリカの半島有事詐欺とか色々ありましたが結局何も起りませんでした
今回の騒動もいつもと同じ、ショック・ドクトリンです
まあ、連中はいつものとおり、やることなすことバカすぎて、バレバレで、お笑いドクトリンになっちゃってます
そういうわけで、いつもの連中の興業を、いちいちマジに受け止めて、パニクったりしたら負けですよ
一段開きのポエムは、
改行の仕方もしらん馬鹿に見えるからやめた方がいいな
それと三行で書ける話は、三行だから「こそ」意味がある
お前のつまらん作文に世直しなんて期待してないから、クソして寝てろよ
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/819.html#c9
いっそ、コレを契機に遷都だな!陛下も京都にお帰りに?長い“散歩”だった。(笑)
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/824.html#c14
稲田氏は『すごいわぁ。案里さんの覚悟やわぁ』と妙に感心。〇カですか?
— ウルスラ (@ursulanamunamu) March 24, 2020
河井案里“衝撃証言”「私は検事の前で自ら裸になりました」 #河井克行 #河井案里 #スクープ速報 #週刊文春 #文春オンライン https://t.co/wzU2DeZWUO
”初めて同意できた話がコレ”だと、
結局、防衛大臣の仕事やってることにはならないてのが残念だね
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/816.html#c11
「前校長の遺影に見守られ卒業式 がん闘病しながら出勤「諦めない心」教えてくれた
#みんなの卒業式」 (京都新聞 2020/3/23)
https://news.line.me/issue/oa-kyoto/d8jhe3hyqvjp?utm_source=Twitter&utm_medium=share&utm_campaign=none&share_id=kNC85018358902
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/573.html#c9
安倍晋三君、よくわかったね。ほめてあげる。君は、間もなくそうなるんだよ。愛妻安倍明恵君は、そん時どうするのかな。私はいやよ。あんた一人で勝手に死んだら、そう言いそうだね。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/793.html#c33
原油価格崩壊、米国シェール企業の半数が破綻懸念…世界的金融危機への警戒高まる https://t.co/S08QPjdieL pic.twitter.com/P3Rb1sk5XU
— biz-journal (@biz_journal) March 24, 2020
原油価格崩壊、米国シェール企業の半数が破綻懸念…世界的金融危機への警戒高まる https://t.co/YCxM15nJKS @biz_journalさんから
— カマタ (@yas_ka12) March 24, 2020
今起きている金融破壊は 大金つぎ込めば 立ち直るようなものではないんだよな
やっぱり狙いは米だよな💦💦https://t.co/UcIcnCHVti
— つば (@whitebird283) March 24, 2020
https://t.co/vpriNLgo4v
— CIZ@マネーショート専門【本物】※ズッ友のZ (@purachinadora) March 24, 2020
実体経済と相場の乖離が進む段階かな?
放射能汚染水で泳がせる
東京放射能汚染リンピックでカツ、
大腸菌うじゃうじゃの水も飲ませる
東京ウ●コリンピックでカツ、
復興五輪とか政治利用する
東京憲章違反リンピックでカツ、
ナチスに学ぶ、五輪憲章の真逆の
東京独裁リンピックを
容認している段階で、もはや
世界的にも犯罪者!
どんだけ、騒乱を引き起こしているか、、
しっかり、身をもって感じ取らせてあげてください!
ついでに、この犯罪者達の競演、
東京アベリンピックは、東京都主催なのを
忘れないでね!
全額、賠償金も含め
根の腐った、
アベグル仲間やアベ公権力もみ消し薬物レ●プ犯や
公文書改ざん等刑事犯等が多数生息する東京の皆様で、
支払ってくださいネ!
もちろんほかの都市の人たちや全国の皆様に迷惑かけた、
すべての損害もすべて、お支払いして下さい。
国民をだましたり、アベグル仲間で儲けりした人たちが、
多数いらっしゃいますので、
忘れずに、天文学的金額なのでしっかり主催者として
義務をはたしてください!
根の腐った東京の皆様、
よろしくお願いいたします。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/797.html#c39
クラ男何言ってんだか(笑)
改行がいつもおかしいのはお前だろ。(笑)文の途中で改行してるしキミ
で、安倍批判の時は「ポエム」と。(笑)わかりやすい
クラ男くんはもう適当過ぎる。やっつけ仕事でやる気ないならやめろクズ。
こんなバカに金払う奴も間抜けだな。払う価値もない。
だから安倍はアホだと言われる。間抜け工作員を雇う安倍グループ。
日本国内は言うまでもなく、世界の標準を取れるように頑張ってください。 https://t.co/2V5eBQ0S1j
— のとみい (@kozo_kozo) March 24, 2020
GAFAに対抗
— まぐ先生@あなたの人生応援団 (@G8drkfaEXTpPMAL) March 24, 2020
かなり興味のある提携
スマートシティ構想
ブロックチェーン
…
最近ではエコシステムなんて言葉も出ているが実現できたらおもしろい✨
この仕事、今の業務&立場で参画したいなぁ😁
トヨタとNTTが提携、スマート都市基盤を共同開発:日本経済新聞 https://t.co/3V0Jtqrx3X
MaaSをモビリティの観点からより発展させるためにトヨタとNTTがタッグを組んだ。
— まちづくりNewsCafe (@NewsPicker3) March 24, 2020
重要なのは、両社の持つデータを掛け合わせてより強力な都市情報基盤を築く点である。
これを都市に実装するには、データ等の観点からすると鉄道や不動産と提携する可能性もあるのだろうか。 https://t.co/OrrBVM3axc
予想通りだった。
早く言えってんだよ。カスシンゾウ。
内容に信憑性があるとクラ男くんが、暗号「ポエム」だと教えてくれる。もしかするとクラ男くんは味方なのか?大爆笑
ええと、李晋三だったね
検察の取り調べでは、洗いざらい、包み隠さず、これまでやったすべての悪事を喋れよな
にいちゃん、立民どうしてすぐ死ぬん?www
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/796.html#c67
日本語に直したって あの戦争には何の影響もなかった、のちの人々から あざ笑われただけの事だ
いまのコロナ騒動だって同じことだ 日本語に直せばどうなると言うのだ馬鹿ウヨどもが
収束が早まるとでもいうのか 世界と情報を共有する気があるのならば 出来る限り共通の言葉で表現する
それ、当たり前の認識ではないのか
やっぱり ウヨには 馬鹿しかいない。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/816.html#c12
さいたまアリーナでのK-1自粛を要請したとする西村、それを受けて要請したものの、無視され敢行された埼玉知事。
誰が悪いのだろう?日本国内全体でここまで小池はじめトップたちは自分たちの事には何くわぬ顔して世界的にコロナ被害でも五輪敢行でここまで突き進んで来た。トップがやっている事には目を瞑って、一方だけ攻撃されるというのは全くおかしな話だ。お得意のメディアの世論包囲網でつるし上げるというのでは、あまりにも無理筋。トップとしての資質以前に錯乱してるとしか思えない。言動がまったく矛盾している。そしてその事は今もってまったく何一つ変わっていないと考える。
ここに来て、色々と表で取沙汰されてない情報が出てくる可能性がある。
新潟でものすごい強風、各所で小屋が全壊したり、看板が破壊されるなどの被害、千葉の台風を彷彿。あまり取り上げられていない。調べると、風でもない、地元で変な強い揺れを感じているそうだ。ここ最近では近辺となる石川でも、突然直下型の「ドン」という突き上げ型の揺れが起きていたりと異変のある地域は固まっている。昨年6月の新潟沖のおかしな地震に端を発するのだろうか(同じ震源地で深さの異なる二つの揺れが検出されていた)。
>また戸がガタガタ揺れた! いったい、これは何? 新潟で感じている方いないかな(>_ソファーで寝てたらプルプルプルプル家が揺れた気がして地震かと思って目が覚めたのにツイート見てもどこも地震じゃなくてなんなら1時間前に ... 金塊を掘り進んでいる地底人がいるのかもしれない#新潟 #佐渡 #謎の揺れ #地震 #揺れ #佐渡金山 #地底人
こんな事がここ数年ずっと起きているらしい。
気象庁もメディアと連繋して敏感に反応するようになっているらしく、緊急速報を告げる度、フライング気味な体制の露骨さばかりを露にする。震度自体は何故か強くないのに深夜に突然特番をはじめたりもした。何の警報訓練かと疑ってしまうことがついこないだあったが、NHKの誤報の裏を知って納得できた。ようは、確信的な前情報が事前に伝えられて準備しているということである。911も疑わしい事がバレバレであった。事前に準備をしていて、いざふたを開けてみると大した揺れとならずに舞台装置がバレるという事態となる訳である。
近頃はたびたび、僅かな震度(2程度)でも音入りのテロップを出したり、いい加減一般に怪しまれてもおかしくないのだが、これはきっと南海トラフが起こるまで続くのだろう。
しかしこの過敏な反応ぶりは、事前の打ち合わせ通りに動いているとしかとれず、温度差による違和感を与える結果となるだけだ。
九州鹿児島に先駆けて東北宮城が先に桜前線の開花を発表するというのも今年がはじめてで、今冬は東北は全く雪が降らない地域もあった。これまでの常識の何もかもが逆転しだしている。これに関してついにメディアの気象予報士も「温暖化の影響とは単純に言いづらい状況になっている」と最近の異変をいい述べている。予報士自ら温暖化と切り分けて考え始めた今日である。
もし、都心での直下型が真近にさし迫るのだとすれば、小池は淡々とこのように構えて入られないはずだ。ロックダウンの可能性を示唆する発言にはどう責任を取るというのであろうか。トップは何らかの情報を事前に得て、それを発するにもパニックが起こらないよう考慮すべき手順を踏まえるものであるはずだろう。都民はこの言葉をどう捉えて行動すべきだろうか。ここまで都民任せだと、トップなど要らない気がする。トップの口にする発言は近々に都民の今後の状況を踏まえたものでなくてはならないはずである。そしていままさに都民1000万人の命がかかった状況なのである。
これから起こりうることを想定して、トップは決断するもの。都民はそうしたトップの言動から何かを読み取らねばなら無い。その事を踏まえて小池は何をか発するべきである。
米ではコロナ感染拡大を懸念して収容されていた人間を解放した。それは人権を優先した形であり、そこへはきちんと生きる補償が手渡されることとなる。もし、都民を隔離することになるなら、そこへは前に生きるための補償を手渡さなくてはならない。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/824.html#c15
https://www.youtube.com/watch?v=K0i4FKo6V8I
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/824.html#c16
CONvid19 は、間もなく終わるであろう。
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/278.html#c34
新型コロナウイルス・テロが予想外に上手く運び
中国経済にも習近平体制にも大打撃を与えることができ
同じく米国の八百長経済もトランプ就任以前にまで落ち込み
トランプ再選が厳しい状況となったことで
シオ二ストNWOグローバリストの祝賀式典
「ZION・五輪」を一年後の夏に延期することに相成ったか
年内開催が必須条件だった筈の「延期」をIOCが突然翻した
というのは事実なのか
最初から「ZION]の祝賀式典を日本で行う気など毛頭なく
日本に開催利権の疑似餌をぶら下げがっぽりカネを収奪した上で
開催中止に追い込むシナリオを遂行していたのは
シオ二ストNWOグローバリスト
延期を認める替わりにまたまた安倍麻生売国政権が
外資に日本の資産を提供することを約束したってことなのか
日本は連中にとってはただのATMに過ぎないわけだからな
安倍ゲリゾー
田崎史郎
辛坊治郎
岩田明子
上念司
禿げ百田
三浦瑠璃
橋下徹
フィフィ
ケントギルバート
吉本興業ウヨ芸人(特に千原せいじとほんこん)
自民公明維新の議員
竹中平蔵
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/822.html#c9
>チェーン越しにドアを開けると
>『ここにいるのは分かってるんだ』と
>押し入ってきて
どんな安宿かと思えば
ホテルニューオータニ東京
デラックスルーム(通常価格は1泊9万4000円)
「チェーン施錠」されていても
「押し入ることができる」部屋なのですか
幾つか疑問点などがあります。
「高熱が4日以上続くような場合に新型コロナの検査を受ける」という話は、「高熱が4日以上続かないと一切の医療は受けられない」ではありません。
新型コロナ感染症を疑う前に、それこそ普通の風邪やインフルエンザや細菌性の肺炎なんかを疑って病院に行けば、普通に医療は受けられます。あくまで新型コロナ検査をうけることに患者が固執するなら不満は残るでしょうけど、少なくとも肺炎の治療はしてもらえるわけで。
なので、ご指摘のように
>4日待つのは、他の病気に対して重症化する危険があり、やってはいけない事だろう!
はその通りですけど、もし何がしかの症状があるなら4日も待たず、まずは普通の医療にかかりましょうよ。仮にそこでもし肺炎の症状が出ていれば、標準的な肺炎に対応する治療を受けられる筈ですよ。
で、その過程で新型コロナを疑う症状が4日以上続いているなら、初期の頃とは違って、今なら待望の新型コロナの検査を受けられるでしょう。普通のインフルや肺炎を「4日待って悪化させなさい!」と政府や専門家会議が命令しているわけじゃありません。
確かに初期の頃に、医師が必要性を認めた検査までハジいていたのは問題でしたが、そこは今は改善されていると思うのですが‥どんなもんなんでしょうね。
あと、感染者の把握が大切なことはその通りだと思いますが、だからといって「無作為抽出検査」のようなことに意味があるのかは疑問です。
その検査で偶然に感染が判明した人とその周囲の濃厚接触者にとっては幸運でしょうけど、だからといってやる意味がある手法かどうかは別だと思います。
全国に潜在的感染者(多数の無症状者を含みます)が例えば人口の0.1%、約10万人いるとして、検査でそれが100%見つけられるとします。誤判定も無し。実際の検査よりかなり有能ですが、まぁ話を簡単にするためにね。
で、一日の最大検査能力6千人を全てその無作為抽出検査に回しフル活用したとしても、6人の感染者を見つけられるだけです(合ってますか?)。
実際には、全ての検査能力を無作為抽出検査に回すわけにはいかないし、誤判定も出るわけで、その6人の「無症状・感染者疑い」の人を見つけたからといって、あまり意味は無さそうです(その6人にとっては意味はあるわけですが)。
仮にもっと感染率が高く、人口の1%が感染しているとして潜在的感染者は100万人。それでも前述の検査では一日60人の感染者疑いの人を見つけるのに精いっぱいですが、今度はそこを起点に濃厚接触者を追いかけると、あっという間に膨大な数の検査をしなければならず、翌日以降の無作為抽出検査の維持に支障が出そうです。
無作為抽出検査をしても、あまり意味が無いと思うのはそういうことです。多数の無症者を検査をしたところで「外れクジ」をたくさん引かなければならず、感染率が低ければ意味が薄く、高ければ(数が多ければ)、やがて結局は目の前の感染者の対応に追われることになりそうな気がします。かといって一度始めた無作為抽出を止めたら、不安や動揺が全国に広がりそうだし。
それなら、自覚症状ありの人や、有症者およびその周囲の濃厚接触者や、もし感染経路が判ればそこをたぐった検査に注力した方が「当たり」が出やすいんじゃないでしょうか。効率よく当たりクジが引けるのなら、諸外国がどう言おうと、全体の検査数は低くても問題ない気もします。少なくとも、それほど専門家集団がバカで無能な人間の集まりかといえば、私はそんな気はしません。
まぁ無知の素人の言う事なので蟷螂の斧です。>>79さんはかなり知識のある方だと思いますので色々とご教示いただけると有難いです。ただ老婆心ながら、あまり口汚く他の投稿者や専門家の人々を罵るような語り口は共感を得るのは難しいとも感じます。お手柔らかにお願いいたします(そんな義理は>>77さんには無いですね、失礼しました)。あと本筋には関係ないですが「しきりを下げる」は「敷居が高い」という慣用句と関係ありますか?あまり聞きなれない表現だったもので‥。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/774.html#c106
インフルエンザ薬「アビガン」が新型コロナウイルスに感染した肺炎患者の治療に有効だとする研究成果を中国・武漢大などのチームが23日までにまとめた。軽症者に限ると投与後7日以内の回復率が7割を超えた。
多くは4日間で症状が消えた。チームは「高血圧や糖尿病など持病がある人には、早期の症状改善が重要だ」として、有望な薬剤だとしている。中国は既にアビガンを政府の診療方針に採用することを表明している。
チームは2月から3月にかけ、同大病院など三つの病院で18歳以上の116人の患者に対しアビガンを投与。熱やせきなど症状が出てから12日以内に錠剤を飲んでもらった。
橋本さんの早期回復をお祈りします。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/822.html#c10
どこの国もマイナス成長は誰も想像しなかった。このウイルスの拡大は経済学的には金欠病と呼ぶこともできる。
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/508.html#c6
なるほど、そうなんですね。ちょっとインプットしとこう。
ろくな奴じゃないない。
情報、ありがとうございます。
【 所謂民主主義も自由経済市場も ほぼほぼ人類は経験したことがない 】
コロナconspiracy を史実と合わせて推すべし。ずっとおいらも感じていたが、世界は急速に全体主義独裁へ導かれている。ほぼほぼw
https://www.youtube.com/watch?v=4tkBCnKZCq0
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/302.html#c25
さらにトーランドはエルランガーについて、「ヒトラーが当時住んでいた下宿の主人エルランガーがユダヤ人で、しかも(ヒトラーに対して)快い想い出しか持っていなかったというのは皮肉である。『わたしはしばしば階段や入り口で彼と顔を合わせました……彼はたいていノ−トに何か書いていました……かれがわたしをほかの人間とはちがう目で見ている、と感じさせられたことは一度もありません』」と別のページの脚注につけ加えている。
ところが、演説ではヒトラーはユダヤ人を攻撃した。第1次世界大戦の敗北、その後の革命騒ぎ、そのような状況下でも儲ける金融資本家を批判して、4月12日の演説で以下のように語っている。
「我々は、すでに外国の植民地なのである。しかも、我々は能う限り卑屈な態度をとり、我々自身の名誉を毀損してまで、これを助成した……共同体を形成するというがごとき概念がユダヤ人にはまったく欠けているため、彼[ユダヤ人]は破壊し、また破壊せねばならないということである。この場合、個々のユダヤ人が『正しい』か否かは、もとより問題とはならない。彼[ユダヤ人]は自然が彼に付与した特質をあくまで有しているのであって、永久にこれから脱れることはできないのである」(「我が新秩序」、阿部良男著「ヒトラー全記録」よりまた引き)
6月24日、ベルリンでは外国の信頼の厚かったワルター・ラーテナウ外相が、右翼グループに暗殺される事件が起こる。ラーテナウはユダヤ人で企業家であり、大富豪だった。外相就任後、アメリカへのドイツの苦境の理解の浸透、賠償を請求する連合国諸国にはヴェルサイユ条約を履行する積極的な態度を示しながら、いかにその賠償を支払うことが不可能に近いかを理解させることに力を尽くした。
東方に向かっては、ラーテナウはソヴィエトと条約を結び、相互賠償の破棄、通商関係の再開、ソヴィエト近代化への助成、軍の相互協力がその中に盛り込まれた。
国粋主義者はそれに反発した。
ラーテナウ暗殺は外国を刺激し、ベルリン、ハンブルクの取引市場は大混乱に陥り、マルクは大暴落した。「当日1ドル350マルク、7月末670マルク、8月中2000マルク、10月末4500マルク(「全記録」。「ワイマール共和国史」には「7月にはいるとドル相場は5000マルク以上に達した」と書かれていることも紹介されている)
ドイツ政府は緊急通貨政策を実施、地方自治体、鉄道、大手醸造所などは独自通貨を発行してそれをしのごうとしたが、インフレは収まる気配がなかった。
ラーテナウが暗殺された6月24日、ヒトラーはバイエルン分離主義者の集会を妨害した罪で収監される。ヒトラーの入獄は約1ヶ月間続いた。ヒトラーは監獄でますますユダヤ人攻撃の思索を重ねた。7月27日に釈放され、その翌日にはラーテナウ暗殺をきっかけに生まれた「ドイツ共和国擁護法」(右翼、左翼を取り締まる法律)を批判、その中でより激しくユダヤ人を攻撃した。
「ユダヤ人はけっして紳士民族ではない。彼らは搾取者であり、強盗民族なのだ。彼らの破壊した文化は幾百に上がろうが、彼らは未だかつて文化を建設したことはない。彼らの有するものは、自ら創造したものではない」(「全記録」)
この年の秋、第1次世界大戦の空の英雄ヘルマン・ゲーリングがナチに入党した。
第1次世界大戦終盤から1923年頃まで、日本は大正期で、第1次世界大戦での山東省からドイツの駆逐、ロシア革命を牽制するための欧米列強に倣ったシベリア出兵などはあったが、概ね大きな波は起こっていない。
1918年、米の価格が暴騰したため富山を発端とする全国規模に膨れあがった大正米騒動が起こったり、1920年3月株価が大暴落、戦後恐慌など不安定な出来事もあったが、「大正デモクラシー」の時代であり、後年から俯瞰すると昭和への前奏曲という感が強いことは否めない。
政治的には1921年(大正11年)11月4日、原敬首相暗殺事件、市民生活・自然災害としては1923年(大正12年)9月1日、関東大震災の発生が昭和への不気味な胎動を思わせる。
軍備は増強され、大艦巨砲主義から巨大戦艦や空母の建造、また無政府主義者や共産主義者の弾圧・暗殺も行われた。憲兵大尉甘粕正彦による大杉栄、伊藤野枝を殺害した事件は関東大震災の直後、1923年9月16日だった。
また、袁世凱の死後(1916年)、軍閥が割拠しはじめた中国で、日本は中国東北部(満州)での足がかりを確固としたものにしようとしている。租借地であった関東州(遼東半島)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が1919年(大正8年)に関東軍として独立した(Wikipediaより)。
http://kna-club.com/html/modules/knapedia/index.php?content_id=17
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/630.html#c11
さらにトーランドはエルランガーについて、「ヒトラーが当時住んでいた下宿の主人エルランガーがユダヤ人で、しかも(ヒトラーに対して)快い想い出しか持っていなかったというのは皮肉である。『わたしはしばしば階段や入り口で彼と顔を合わせました……彼はたいていノ−トに何か書いていました……かれがわたしをほかの人間とはちがう目で見ている、と感じさせられたことは一度もありません』」と別のページの脚注につけ加えている。
ところが、演説ではヒトラーはユダヤ人を攻撃した。第1次世界大戦の敗北、その後の革命騒ぎ、そのような状況下でも儲ける金融資本家を批判して、4月12日の演説で以下のように語っている。
「我々は、すでに外国の植民地なのである。しかも、我々は能う限り卑屈な態度をとり、我々自身の名誉を毀損してまで、これを助成した……共同体を形成するというがごとき概念がユダヤ人にはまったく欠けているため、彼[ユダヤ人]は破壊し、また破壊せねばならないということである。この場合、個々のユダヤ人が『正しい』か否かは、もとより問題とはならない。彼[ユダヤ人]は自然が彼に付与した特質をあくまで有しているのであって、永久にこれから脱れることはできないのである」(「我が新秩序」、阿部良男著「ヒトラー全記録」よりまた引き)
6月24日、ベルリンでは外国の信頼の厚かったワルター・ラーテナウ外相が、右翼グループに暗殺される事件が起こる。ラーテナウはユダヤ人で企業家であり、大富豪だった。外相就任後、アメリカへのドイツの苦境の理解の浸透、賠償を請求する連合国諸国にはヴェルサイユ条約を履行する積極的な態度を示しながら、いかにその賠償を支払うことが不可能に近いかを理解させることに力を尽くした。
東方に向かっては、ラーテナウはソヴィエトと条約を結び、相互賠償の破棄、通商関係の再開、ソヴィエト近代化への助成、軍の相互協力がその中に盛り込まれた。
国粋主義者はそれに反発した。
ラーテナウ暗殺は外国を刺激し、ベルリン、ハンブルクの取引市場は大混乱に陥り、マルクは大暴落した。「当日1ドル350マルク、7月末670マルク、8月中2000マルク、10月末4500マルク(「全記録」。「ワイマール共和国史」には「7月にはいるとドル相場は5000マルク以上に達した」と書かれていることも紹介されている)
ドイツ政府は緊急通貨政策を実施、地方自治体、鉄道、大手醸造所などは独自通貨を発行してそれをしのごうとしたが、インフレは収まる気配がなかった。
ラーテナウが暗殺された6月24日、ヒトラーはバイエルン分離主義者の集会を妨害した罪で収監される。ヒトラーの入獄は約1ヶ月間続いた。ヒトラーは監獄でますますユダヤ人攻撃の思索を重ねた。7月27日に釈放され、その翌日にはラーテナウ暗殺をきっかけに生まれた「ドイツ共和国擁護法」(右翼、左翼を取り締まる法律)を批判、その中でより激しくユダヤ人を攻撃した。
「ユダヤ人はけっして紳士民族ではない。彼らは搾取者であり、強盗民族なのだ。彼らの破壊した文化は幾百に上がろうが、彼らは未だかつて文化を建設したことはない。彼らの有するものは、自ら創造したものではない」(「全記録」)
この年の秋、第1次世界大戦の空の英雄ヘルマン・ゲーリングがナチに入党した。
第1次世界大戦終盤から1923年頃まで、日本は大正期で、第1次世界大戦での山東省からドイツの駆逐、ロシア革命を牽制するための欧米列強に倣ったシベリア出兵などはあったが、概ね大きな波は起こっていない。
1918年、米の価格が暴騰したため富山を発端とする全国規模に膨れあがった大正米騒動が起こったり、1920年3月株価が大暴落、戦後恐慌など不安定な出来事もあったが、「大正デモクラシー」の時代であり、後年から俯瞰すると昭和への前奏曲という感が強いことは否めない。
政治的には1921年(大正11年)11月4日、原敬首相暗殺事件、市民生活・自然災害としては1923年(大正12年)9月1日、関東大震災の発生が昭和への不気味な胎動を思わせる。
軍備は増強され、大艦巨砲主義から巨大戦艦や空母の建造、また無政府主義者や共産主義者の弾圧・暗殺も行われた。憲兵大尉甘粕正彦による大杉栄、伊藤野枝を殺害した事件は関東大震災の直後、1923年9月16日だった。
また、袁世凱の死後(1916年)、軍閥が割拠しはじめた中国で、日本は中国東北部(満州)での足がかりを確固としたものにしようとしている。租借地であった関東州(遼東半島)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が1919年(大正8年)に関東軍として独立した(Wikipediaより)。
http://kna-club.com/html/modules/knapedia/index.php?content_id=17
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html#c10
内閣や官僚ががおかしな事をした場合に、強制的に調べる第三者機関が必要だ。(国政調査権では弱い)
検察が調べるのは犯罪かどうかだから仕切りが高い。犯罪の前に国家機関として三権分立が適切かを詳しく調査し判定し忠告する機関。
悪質性が強い場合は、関わった政治家は強制的に内閣から降ろされ、1議員に戻されるとか、逮捕ではなく権限を制限される。など。
でないといつまでの安倍バカ政権のようなクズがやりたい放題やってしまう。
>赤木さんを死に追い込んだ公文書改ざんのきっかけをつくっただけではなく、8億円も不当な値引きをおこなって国有地を売り払うという異常な取引の根本には安倍首相と昭恵夫人の存在がある。
総理大臣の妻が「良い土地だから」なんて応援の言葉を言っただけで、もうそれはそれだけで関与だろ!
関与決定で安倍は既に退陣していなければならない。
佐川は官僚のトップでありながら、「公文書改竄の指示」という官僚としては一番やってはいけない事をした犯罪者だが、一番悪いのはやはり安倍。
安倍は以前「忖度は自分ではコントロール出来ない」みたいな事を言ってたよね。だからバカなんだよ安倍は。
忖度をした者に褒美をやるような姿勢を少しでも示したら、佐川や黒川のような出世しか考えない奴はおかしな事をしてまでも忖度するに決まっているだろ。
つくつぐアホだと思うわ。
赤木さんはつくづく真面目な方だと思う。真面目な方が大馬鹿者達の原因によって亡くなる。なんともやりきれない悲しくも怒りの気持ちが治まらない。
こんなバカな奴等のために死ぬ必要はなかったと思うが、今となっては、その公文書改竄の報いを佐川や安倍が受けたとは言えないから、責任追求をし続けるしかないだろう。
そして、日本の政治史上最大の汚点として語り継ぐしかない。
なぜ佐川は逮捕もされない?これも日本の検察史上最大の汚点として語り継がれるだろう。
安倍政権は功績や実績もないのに、ひたすら汚点ばかりを残してきた。
>内閣が吹っ飛ぶような』ということは、手記には書かれていない。それはいま、小池さんがクリエイティブに付け加えられたんだろうと
この究極のバカ発言は、安倍の民主主義国家のトップとしての自覚が足りない事を証明している。
以前、フランスの記者が、「公文書が改竄されて自殺者が出たらフランスなら一発で政権が吹っ飛ぶ」と当時言っていた。
つまりこんな事が起きれば、世界では政権が吹っ飛ぶのが当たり前という事だ安倍バカゾウ。総理大臣としての責任感がまるでない。
公文書の重要性がわかっていない日本の政治家と官僚。日本は民主主義国家なのだろうか?
この事件は日本の政治の在り方を問うきっかけにしなければならない。
テレビ局は、この件を総括した特別番組を制作し政治や公文書の在り方を一から問う必要があると思う。
日本は昔から公文書をないがしろにしてきた。これが日本の政治の質が上がらない最も大きな問題点のひとつだろう。
さらにトーランドはエルランガーについて、「ヒトラーが当時住んでいた下宿の主人エルランガーがユダヤ人で、しかも(ヒトラーに対して)快い想い出しか持っていなかったというのは皮肉である。『わたしはしばしば階段や入り口で彼と顔を合わせました……彼はたいていノ−トに何か書いていました……かれがわたしをほかの人間とはちがう目で見ている、と感じさせられたことは一度もありません』」と別のページの脚注につけ加えている。
ところが、演説ではヒトラーはユダヤ人を攻撃した。第1次世界大戦の敗北、その後の革命騒ぎ、そのような状況下でも儲ける金融資本家を批判して、4月12日の演説で以下のように語っている。
「我々は、すでに外国の植民地なのである。しかも、我々は能う限り卑屈な態度をとり、我々自身の名誉を毀損してまで、これを助成した……共同体を形成するというがごとき概念がユダヤ人にはまったく欠けているため、彼[ユダヤ人]は破壊し、また破壊せねばならないということである。この場合、個々のユダヤ人が『正しい』か否かは、もとより問題とはならない。彼[ユダヤ人]は自然が彼に付与した特質をあくまで有しているのであって、永久にこれから脱れることはできないのである」(「我が新秩序」、阿部良男著「ヒトラー全記録」よりまた引き)
6月24日、ベルリンでは外国の信頼の厚かったワルター・ラーテナウ外相が、右翼グループに暗殺される事件が起こる。ラーテナウはユダヤ人で企業家であり、大富豪だった。外相就任後、アメリカへのドイツの苦境の理解の浸透、賠償を請求する連合国諸国にはヴェルサイユ条約を履行する積極的な態度を示しながら、いかにその賠償を支払うことが不可能に近いかを理解させることに力を尽くした。
東方に向かっては、ラーテナウはソヴィエトと条約を結び、相互賠償の破棄、通商関係の再開、ソヴィエト近代化への助成、軍の相互協力がその中に盛り込まれた。
国粋主義者はそれに反発した。
ラーテナウ暗殺は外国を刺激し、ベルリン、ハンブルクの取引市場は大混乱に陥り、マルクは大暴落した。「当日1ドル350マルク、7月末670マルク、8月中2000マルク、10月末4500マルク(「全記録」。「ワイマール共和国史」には「7月にはいるとドル相場は5000マルク以上に達した」と書かれていることも紹介されている)
ドイツ政府は緊急通貨政策を実施、地方自治体、鉄道、大手醸造所などは独自通貨を発行してそれをしのごうとしたが、インフレは収まる気配がなかった。
ラーテナウが暗殺された6月24日、ヒトラーはバイエルン分離主義者の集会を妨害した罪で収監される。ヒトラーの入獄は約1ヶ月間続いた。ヒトラーは監獄でますますユダヤ人攻撃の思索を重ねた。7月27日に釈放され、その翌日にはラーテナウ暗殺をきっかけに生まれた「ドイツ共和国擁護法」(右翼、左翼を取り締まる法律)を批判、その中でより激しくユダヤ人を攻撃した。
「ユダヤ人はけっして紳士民族ではない。彼らは搾取者であり、強盗民族なのだ。彼らの破壊した文化は幾百に上がろうが、彼らは未だかつて文化を建設したことはない。彼らの有するものは、自ら創造したものではない」(「全記録」)
この年の秋、第1次世界大戦の空の英雄ヘルマン・ゲーリングがナチに入党した。
第1次世界大戦終盤から1923年頃まで、日本は大正期で、第1次世界大戦での山東省からドイツの駆逐、ロシア革命を牽制するための欧米列強に倣ったシベリア出兵などはあったが、概ね大きな波は起こっていない。
1918年、米の価格が暴騰したため富山を発端とする全国規模に膨れあがった大正米騒動が起こったり、1920年3月株価が大暴落、戦後恐慌など不安定な出来事もあったが、「大正デモクラシー」の時代であり、後年から俯瞰すると昭和への前奏曲という感が強いことは否めない。
政治的には1921年(大正11年)11月4日、原敬首相暗殺事件、市民生活・自然災害としては1923年(大正12年)9月1日、関東大震災の発生が昭和への不気味な胎動を思わせる。
軍備は増強され、大艦巨砲主義から巨大戦艦や空母の建造、また無政府主義者や共産主義者の弾圧・暗殺も行われた。憲兵大尉甘粕正彦による大杉栄、伊藤野枝を殺害した事件は関東大震災の直後、1923年9月16日だった。
また、袁世凱の死後(1916年)、軍閥が割拠しはじめた中国で、日本は中国東北部(満州)での足がかりを確固としたものにしようとしている。租借地であった関東州(遼東半島)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が1919年(大正8年)に関東軍として独立した(Wikipediaより)。
http://kna-club.com/html/modules/knapedia/index.php?content_id=17
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/207.html#c53
さらにトーランドはエルランガーについて、「ヒトラーが当時住んでいた下宿の主人エルランガーがユダヤ人で、しかも(ヒトラーに対して)快い想い出しか持っていなかったというのは皮肉である。『わたしはしばしば階段や入り口で彼と顔を合わせました……彼はたいていノ−トに何か書いていました……かれがわたしをほかの人間とはちがう目で見ている、と感じさせられたことは一度もありません』」と別のページの脚注につけ加えている。
ところが、演説ではヒトラーはユダヤ人を攻撃した。第1次世界大戦の敗北、その後の革命騒ぎ、そのような状況下でも儲ける金融資本家を批判して、4月12日の演説で以下のように語っている。
「我々は、すでに外国の植民地なのである。しかも、我々は能う限り卑屈な態度をとり、我々自身の名誉を毀損してまで、これを助成した……共同体を形成するというがごとき概念がユダヤ人にはまったく欠けているため、彼[ユダヤ人]は破壊し、また破壊せねばならないということである。この場合、個々のユダヤ人が『正しい』か否かは、もとより問題とはならない。彼[ユダヤ人]は自然が彼に付与した特質をあくまで有しているのであって、永久にこれから脱れることはできないのである」(「我が新秩序」、阿部良男著「ヒトラー全記録」よりまた引き)
6月24日、ベルリンでは外国の信頼の厚かったワルター・ラーテナウ外相が、右翼グループに暗殺される事件が起こる。ラーテナウはユダヤ人で企業家であり、大富豪だった。外相就任後、アメリカへのドイツの苦境の理解の浸透、賠償を請求する連合国諸国にはヴェルサイユ条約を履行する積極的な態度を示しながら、いかにその賠償を支払うことが不可能に近いかを理解させることに力を尽くした。
東方に向かっては、ラーテナウはソヴィエトと条約を結び、相互賠償の破棄、通商関係の再開、ソヴィエト近代化への助成、軍の相互協力がその中に盛り込まれた。
国粋主義者はそれに反発した。
ラーテナウ暗殺は外国を刺激し、ベルリン、ハンブルクの取引市場は大混乱に陥り、マルクは大暴落した。「当日1ドル350マルク、7月末670マルク、8月中2000マルク、10月末4500マルク(「全記録」。「ワイマール共和国史」には「7月にはいるとドル相場は5000マルク以上に達した」と書かれていることも紹介されている)
ドイツ政府は緊急通貨政策を実施、地方自治体、鉄道、大手醸造所などは独自通貨を発行してそれをしのごうとしたが、インフレは収まる気配がなかった。
ラーテナウが暗殺された6月24日、ヒトラーはバイエルン分離主義者の集会を妨害した罪で収監される。ヒトラーの入獄は約1ヶ月間続いた。ヒトラーは監獄でますますユダヤ人攻撃の思索を重ねた。7月27日に釈放され、その翌日にはラーテナウ暗殺をきっかけに生まれた「ドイツ共和国擁護法」(右翼、左翼を取り締まる法律)を批判、その中でより激しくユダヤ人を攻撃した。
「ユダヤ人はけっして紳士民族ではない。彼らは搾取者であり、強盗民族なのだ。彼らの破壊した文化は幾百に上がろうが、彼らは未だかつて文化を建設したことはない。彼らの有するものは、自ら創造したものではない」(「全記録」)
この年の秋、第1次世界大戦の空の英雄ヘルマン・ゲーリングがナチに入党した。
第1次世界大戦終盤から1923年頃まで、日本は大正期で、第1次世界大戦での山東省からドイツの駆逐、ロシア革命を牽制するための欧米列強に倣ったシベリア出兵などはあったが、概ね大きな波は起こっていない。
1918年、米の価格が暴騰したため富山を発端とする全国規模に膨れあがった大正米騒動が起こったり、1920年3月株価が大暴落、戦後恐慌など不安定な出来事もあったが、「大正デモクラシー」の時代であり、後年から俯瞰すると昭和への前奏曲という感が強いことは否めない。
政治的には1921年(大正11年)11月4日、原敬首相暗殺事件、市民生活・自然災害としては1923年(大正12年)9月1日、関東大震災の発生が昭和への不気味な胎動を思わせる。
軍備は増強され、大艦巨砲主義から巨大戦艦や空母の建造、また無政府主義者や共産主義者の弾圧・暗殺も行われた。憲兵大尉甘粕正彦による大杉栄、伊藤野枝を殺害した事件は関東大震災の直後、1923年9月16日だった。
また、袁世凱の死後(1916年)、軍閥が割拠しはじめた中国で、日本は中国東北部(満州)での足がかりを確固としたものにしようとしている。租借地であった関東州(遼東半島)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が1919年(大正8年)に関東軍として独立した(Wikipediaより)。
http://kna-club.com/html/modules/knapedia/index.php?content_id=17
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/352.html#c17
安倍の越権行為でもあるし、政治家との交渉を行ったバッハIOCの終焉を見た思いがする。
IOCが政治家との協議、“交渉”で一定の収拾策を打ち出すなんて、IOCの自殺行為。墓の中で怒っている何代か前のIOC会長の顔が目に浮かぶ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/818.html#c43
【速報】志村けんさん、#新型コロナウイルス 陽性で重症 現在人工呼吸器で懸命に治療中
志村けん、緊急入院…コロナ感染の疑い、せきや発熱の症状 人工呼吸器つけ治療中(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
タレントの志村けん(70)が新型コロナウイルス感染の疑いがあるため緊急入院していることが24日、分かった。せきや発熱などの症状があり、病状は深刻で実兄らに付き添われながら治療を続けている。25日にも - Yahoo!ニュース(スポニチアネックス)
headlines.yahoo.co.jp
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/822.html#c12
【速報】グレタ・トゥーンベリさん、チャイナ・ウイルスに感染疑いで隔離
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Greta Thunberg
@GretaThunberg
The last two weeks I’ve stayed inside. When I returned from my trip around Central Europe I isolated myself...->
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#StayAtHome #COVID19
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/822.html#c13
Hans Knappertsbusch Concert Records(English)Until 1940New!
http://kna-club.com/knawiki-en/
クナッパーツブッシュの生涯
http://kna-club.com/html/modules/knapedia/
はじめに
1888年,クナッパーツブッシュの生まれた年
1889年、ヒトラー生まれる
クナッパーツブッシュとヒトラーの子供時代
クナッパーツブッシュの進路
1908年頃までの世界とヒトラー
1908−1912年頃 それぞれの青春
1913年 クナッパーツブッシュ、エルバーフェルトでデビューする
1914年 「パルジファル」初指揮と第1次世界大戦の勃発
1915年 第1次世界大戦 1
1915−1916年 第1次世界大戦 2
1917年 第1次世界大戦 3
1918年 ライプツィヒ市立歌劇場への就任と、第1次世界大戦の終結
1919年 ライプチヒからデッサウへ、ヒトラーの第1次世界大戦後
1919年 それぞれの戦後
1920年 ムックのワルター訪問 フェルキッシャー・ベオバハター
1921年 デッサウでの批評家裁判事件 ドイツのインフレ
1922年 ミュンヘンでのオーディション ワルター離任の理由
1922年 クナッパーツブッシュ、バイエルン州立歌劇音楽総監督就任
1923年 ミュンヘン一揆
1924年 ミュンヘン一揆後
1925年 初レコーディング(ただしレコーディングは1924年の可能性が高い)
1926年 リヒャルト・シュトラウスと
1927年頃
1928年 39歳から40歳、頻繁にレコーディングする
1929年 批評家裁判事件の発端、ウィーン・フィルとの初共演
1930年 批評家裁判、ナチの躍進
1931年 プフィッツナー「ヘルツ」を初演する
1932年 ナチ政権誕生前夜
1933年 ヒトラー政権掌握と、「トーマス・マン抗議声明」事件
1933年 ヒトラー政権掌握の年2
1934年 クナッパーツブッシュに圧力がかかりはじめる
1935年 クナッパーツブッシュ追放前夜
1936年 クナッパーツブッシュミュンヘン追放、ウィーンへ
1937年 クレメンス・クラウス、ウィーン時代、日中戦争
1938年 ドイツ、オーストリア併合
1939年 第2次世界大戦の勃発
1940年 第2次世界大戦 1
1941年 第2次世界大戦 2
1942年 第2次世界大戦 3
1943年 第2次世界大戦 4
1944年 第2次世界大戦 5
1945年 第2次世界大戦 6 終結
1946年 戦争が終わって。非ナチ化裁判
1947年 クナッパーツブッシュの本格復帰
1948年 「戦後」は続く
1949年 戦争処理進む
1950年 バイロイトへの出演が確定する
1951年 バイロイトに初登場
1952年 円熟の度を深める
1953年 バイロイトと決別する
1954年 バイロイトに復帰
1955年 クナッパーツブッシュとカイルベルト
1956年、5年ぶりにバイロイトで「ニーベルングの指環」を振る
1957年、録音がますます増える
1958年、バイエルン州立歌劇への出演を1年間拒否する
1959年バイエルン州立歌劇に復帰
1960年
1961年 胃潰瘍の手術を受ける
1962年 キューバ危機の中で。クナッパーツブッシュは高齢になっても、ますます活躍する
1963年、最後の輝き
1964-1965年、クナッパーツブッシュ最後の日々
http://kna-club.com/html/modules/knapedia/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/644.html
日本は感染拡大しない、スゲースゲー言っている脳足りんは
しばらく静かになるだろう。
医療関係の実態はかなり酷いと思われる、
遺体安置所の確保は大丈夫か。オリンピック関係の施設が空いている
選手村とか、よけいなお世話か、ごめん。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/824.html#c19
>>33
イメルダ、エレナ、昭恵、クリステル・・・国外追放、銃殺と来て、次は鳥葬か、それともギロチンか
順調に歴史が動いてるな
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/793.html#c34
ベートーヴェン 『交響曲第3番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/843.html
ベートーヴェン 『交響曲第5番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/841.html
ベートーヴェン 『交響曲第8番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/844.html
ベートーヴェン オペラ 『フィデリオ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/836.html
シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html
シューベルト 『軍隊行進曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/859.html
ロベルト・シューマン 交響曲第4番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html
ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html
ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/812.html
ワーグナー 楽劇「パルジファル」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/813.html
ブルックナーの作品は日本の男のためにある _ 日本でのブルックナー人気は宇野功芳のカリスマ評論が唯一の原因
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/684.html
リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/644.html#c1
いろいろと報道の流れをチェックしてみると、どうやらIOCが先に「一年程度の延期」を決めていて、それをきのう“儀礼的”に安倍に伝えたというところが本当のところのようだな。
官邸の御用人たちが前もって、「IOC会長と安倍が電話で“会談”する」と国内メディアには流していて、実際はバッハに延期を伝えられただけの“電話連絡”を、御用人たちは、今度は「安倍側が延期を“提案”し、IOC会長と100パーセント合意した」という格好でメディアに対してレクをした。
官邸側のレクをそのまま検証もせずに(裏取りもせずに…)垂れ流すのがいまの日本のメディアだから、今回の報道になっている。
つまり、安倍のやってる感演出の“虚偽レク”に、いまは日本のメディアが踊っている状況。
オリンピックの“イロハのイ”くらい知っていたら、政治の干渉を是としないIOCのトップが今回のような重要案件を安倍ごときの政治家と直で“交渉”なんてするはずはない。43のコメントでも書いたが、やったならば、IOCの自殺行為。
いずれ、ローザンヌ発の海外電で真実が明らかにされるよ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/818.html#c44
ミュンヘンやウィーンなどで活躍し、とくにリヒャルト・ワーグナーやアントン・ブルックナーの大家として知られる。1951年から1964年にかけて、ほぼ毎年出演したバイロイト音楽祭では主幹的指揮者を務めた[1]。
193センチの長身で、ドイツや日本では「クナ」(Kna) の愛称で親しまれた。
ラインラント地方の都市エルバーフェルト(現在はヴッパータール市の一部)にあるアルコール蒸留会社を経営していたグスタフの次男として生まれる。(なお、同郷出身の指揮者にはギュンター・ヴァントや、ホルスト・シュタインがいる。)
クナッパーツブッシュは子供の頃から音楽家に憧れていたが、家族、特に母と兄(後に会社を継ぐ)の反対もあり、ボン大学に進み哲学を学んだ。後にミュンヘンでも哲学を学び、卒業論文は『パルジファルにおけるクンドリー』であったと言われる。ケルン音楽大学にて音楽を修め、ブラームスの演奏で有名なフリッツ・シュタインバッハに指揮法を学ぶ[3]。
1909年から1912年までバイロイト音楽祭における、ハンス・リヒターの助手として潜り込むことに成功。それ以後、故郷のエルバーフェルトやライプツィヒ、デッサウ、ミュールハイム・アン・デア・ルール(1910年に、ここでデビューしたと伝えられる)など各地の歌劇場やオーケストラにて修行を重ね、1922年、34歳にしてブルーノ・ワルターの後任としてミュンヘンのバイエルン州立歌劇場の音楽監督に就任する。
翌1923年にはウィーンに初めて進出し、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも1929年のザルツブルク音楽祭で初顔合わせを果たしている。
しかし、1935年にバイエルン州での演奏活動を禁止され、同時にバイエルン州立歌劇場からも追放[4]される(後任は当時ナチ寄りとされたクレメンス・クラウス)。
追放後はウィーンとベルリン、ザルツブルク音楽祭などに定期的に客演した。
1936年からはウィーン国立歌劇場を根城に、1944年6月30日の『神々の黄昏』上演(爆撃で破壊される前の最後の上演)まで同劇場で精力的な演奏活動を繰り広げた。『黄昏』上演後は、終戦まで息を潜めていた。
1945年8月17日、ミュンヘンのプリンツレゲンテン劇場のバイエルン州立管弦楽団とのコンサートで活動を再開するも、1ヵ月後に連合軍から「反ユダヤ主義者」という誤った嫌疑で活動を禁止されてしまう
(彼はユダヤ人とも交際が幅広かった。禁止解除後、連合軍は謝罪している)。
2年後の1947年にバンベルク交響楽団を指揮し改めて活動を再開。ミュンヘンとウィーンを中心に[5]指揮活動を継続した。1951年にはバイロイト音楽祭に初登場、『指環』、『パルジファル』を指揮した。
その後はウィーン、ベルリン、バイロイトを中心に、イタリアやパリでも演奏活動を続けたが、1961年にブリュッセルで胃の大手術を受け、以後は体力が衰えがちとなり椅子に座って指揮するようになった。
1964年の秋に自宅で転倒して大腿骨を骨折したのが原因で一気に体力が衰え、翌1965年に自宅で亡くなった。
クナッパーツブッシュの亡骸は2番目の妻であるマリオン(1895-1984[6])とともにミュンヘンのボーゲンハウゼン墓地(聖ゲオルグ教会)に葬られている[7]。
人物
クナッパーツブッシュは大変な練習嫌いで通っていた。第二次世界大戦中の爆撃で破壊され、1955年に再建されたウィーン国立歌劇場の再開記念公演で、リヒャルト・シュトラウスの楽劇『薔薇の騎士[8]』を上演することになった時には、練習場所のアン・デア・ウィーン劇場でメンバーに向かって「あなたがたはこの作品をよく知っています。私もよく知っています。それでは何のために練習しますか」と言って帰ってしまった[9]。この本番のライヴ録音はCD化されている。ただし音楽評論家の吉田秀和は、これはオーケストラや指揮者がそれまで繰り返し手がけてきた作品であることを前提としており、クナッパーツブッシュがどんな場合でも準備をしなかった訳ではないだろうとしてる[10]。
ナチスの政権奪取後は流石に表だった批判をせず、体制に配慮してトーマス・マンを非難する論文に署名したり、ヒムラーの臨席による親衛隊向けのコンサートを主催するなど、それなりに合わせてはいたが、彼の指揮スタイルがヒトラーの趣味に合わず[11]1936年にミュンヘンを追放された[12]ことで、第三帝国終焉までナチスとの相性は悪かった。ナチスによる音楽活動に従事していたにもかかわらず、大戦後の職務復帰は比較的早かった。
演奏解釈・スタイル・レパートリー
岩城宏之がウィーンにいた頃、ウィーン・フィルの楽員に「クナの指揮スタイルが理想だ」と言ったところ、「クナは若い頃は無茶苦茶していたんだ。年をとってからああいう風になっただけだ。君も若いうちは無茶苦茶やればいい」と諭されたという[13]。このように、若かりし頃のクナッパーツブッシュの演奏スタイルは、後年とは異なるものだったようである。40代からレコーディング活動を行っているが、テンポの変化が激しく、後年にレコーディングされた一連のレコード群の解釈と比較すると、その差は大きい。健康問題もあって、レコーディング活動を徐々に疎ましく思うようになっていったといわれるが、それなりに残された[14]。
21世紀に入ってクナッパーツブッシュがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を振ったコンサート映像(ワーグナーの『ワルキューレ』第1幕全曲、『トリスタンとイゾルデ』から前奏曲と「愛の死」、ジークフリート牧歌など)が映像化[15]されるなど、クナッパーツブッシュの指揮の映像を広く目にすることができるようになった。これらの映像では、クナッパーツブッシュが非常に小さく指示を与えているのみであるにもかかわらず、突き刺さるようなFFFが鳴らされるなど[16]、長年の共同作業に基づく解釈が定着していたことがわかる。
ヴィルヘルム・バックハウスとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番などコンチェルトの伴奏も、映像として残されている[17]。
ワーグナー
楽劇の中では『パルジファル』がお気に入りであり、バイロイトでは1951年から死の前年の1964年まで、出演拒否した1953年を除いて連続して指揮をした。バイロイトでのライヴは、1962年の『パルジファル』は早くからフィリップスよりリリースされていたが、20世紀末以降はクナッパーツブッシュ協会の監修を経て GOLDEN MELODRAM[18]など各種レーベルからリリースされている。
クナッパーツブッシュのバイロイト出演記録
1951年:パルジファル、ニーベルングの指環、ニュルンベルクのマイスタージンガー(ヘルベルト・フォン・カラヤンと交代で指揮)
1952年:パルジファル、マイスターシンガー
1954年:パルジファル
1955年:パルジファル、さまよえるオランダ人(ヨーゼフ・カイルベルトと交代で指揮)
1956年:パルジファル、指環(カイルベルトと交代で指揮)
1957年:パルジファル(アンドレ・クリュイタンスと交代で指揮)、指環
1958年:パルジファル、指環
1959年:パルジファル
1960年:パルジファル、マイスタージンガー
1961年 - 1964年:パルジファル
なお、ゲオルク・ショルティがレコーディングしてワーグナー録音の一大金字塔を打ち立てた『ニーベルングの指環』全曲録音は、最初はクナッパーツブッシュに依頼されたものであり、その下準備のためのレコーディング(『ワルキューレ』第1幕。ジークリンデ:キルステン・フラグスタート、ジークムント:セット・スヴァンホルム、フンディング:アーノルト・ヴァン・ミル)も行われた。
ブルックナーのスコア選択
ブルックナーの交響曲もクナッパーツブッシュの得意としたレパートリーであるが、原典版を使用しなかったことでも知られている。
クナッパーツブッシュの若いころにはブルックナーのスコアはいわゆる「改訂版」しか出版されていなかった。この改訂版にはブルックナー以外の者による改変・カットなどがあったが、こうした改変・カットを見直すべく1935年以来ローベルト・ハースによって校訂された「原典版」が出版され、その後ハースに引き続いてレオポルト・ノヴァークによって校訂された新しい原典版も出版されていった
(「ブルックナーの版問題」も参照のこと)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%89%88%E5%95%8F%E9%A1%8C
しかしクナッパーツブッシュはブルックナーの交響曲の演奏に際し、校訂された原典版は採用せず旧来の改訂版ばかりを使用した。クナッパーツブッシュがなぜ旧態依然とした改訂版の使用に固執し、演奏当時入手が可能であった原典版を採り上げなかったのかについてはわかっていない。
クナッパーツブッシュがスタジオ録音したブルックナーの交響曲はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した3番、4番、5番、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した8番がある。
このほか7番や9番にもライヴ録音がある。
現代では改訂版による演奏に接する機会は極めて稀であり、クナッパーツブッシュによる録音が「一番入手しやすい改訂版の音源」となっている。
レパートリー
ワーグナー指揮者、ブルックナー指揮者のイメージが強すぎるため見過ごされがちだが、実際のレパートリーは幅広く、コンサートでは
バッハからモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス[19]、チャイコフスキー、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、シベリウス、バルトーク、フランツ・シュミット、ストラヴィンスキー、テオドール・ベルガーを、
オペラではリヒャルト・シュトラウスの他、ヴェルディやプッチーニ、コルンゴルト、プフィッツナー、ヴォルフ=フェラーリ[20]
なども指揮していた。
また、ウェーバーやシューベルト、ヨハン・シュトラウスなどの小品を振った演奏も高く評価されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/644.html#c3
1888年,クナッパーツブッシュの生まれた年
http://kna-club.com/html/modules/knapedia/index.php?content_id=1
小生はドイツに行ったことがない。ドイツに行ったことのない人間がドイツのことを書くのは本来無理であるのは承知しつつ、とにかく「ハンス・クナッパーツブッシュの生涯」を始める。
ハンス・クナッパーツブッシュは1888年3月12日、ドイツのルール地方、ノルトライン=ヴェストファーレン州の街エルバーフェルトで生まれた。ノルトライン=ヴェストファーレン州はドイツ中西部に位置し、政治的にはプロイセンに属した。
エルバーフェルトは、1929年に隣のバルメンと合併しバルメン=エルバーフェルトとなり、1930年にヴッパータール市になった。
ヴッパータール市はドイツの一大工業地帯、ルール地方の西の端で、ケルン、デュッセルドルフ、デュースブルク、エッセン、ドルトムントの大工業都市群に囲まれたような位置にある。すぐ近くには、刃物で有名なゾーリンゲンがある。東部ドイツに位置するベルリンとはドイツの反対側にあった。
Wikipediaによると、ヴッパータールは、1901年世界で初めて、懸垂式モノレールが走った街だそうである。モノレールを「空中鉄道」という。
また、繊細業が栄えたと同時に、製薬会社としても日本でも製品を発売している製薬会社「バイエル社」の発祥の地でもある。
「バイエル社」は後に、第1次世界大戦の間に生まれた8つの会社が共同して作った化学産業の一大トラスト「IG・ファルベン社」の一部になった。ナチが台頭すると「IG・ファルベン社」はナチ・ドイツに積極的に協力、加担した。戦後、「IG・ファルベン社」は連合国側の財閥・トラスト解体政策によって解体され、「バイエル社」は「バイエル社」として単体で活動を始めて現在に至っている。
ユダヤ人の大量虐殺で悪名高い毒ガス「チクロンB」の製造販売会社「デゲッシュ社」は、「IG・ファルベン社」が第2次世界大戦の時に作った会社である。
また、マルクス=エンゲルスのフリードリヒ・エンゲルスもこの街に生まれた。Wikipediaのエンゲルスの生涯の解説によると、バルメン=エルバーフェルトは「封建的遺習の残る地域社会」だったそうだから、ドイツの古い風習の残る地方都市だったのだろう。
その他、同じ音楽家としては指揮者ギュンター・ヴァント、ホルスト・シュタインがエルバーフェルト出身である。ホルスト・シュタインはバイロイトでクナッパーツブッシュの助手として働き、クナッパーツブッシュを師として仰いだのに対し、ヴァントは全く別の音楽志向を持っており、クナッパーツブッシュの音楽を非難したことが面白い。
「クナッパーツブッシュ 音楽と政治」(みすず書房)の著者、奥波一秀氏とは、氏がその著作の取材でドイツにおられるときに、メールのやりとりで知り合いになり、エルバーフェルトの写真も送っていただけた。その写真は、今でも小生の大切な宝物だ。
写真では、エルバーフェルトはごく普通のヨーロッパの地方都市という印象で、ビルが林立した「都市」という印象ではない。クナッパーツブッシュの生家や、クナッパーツブッシュの育ったであろう環境はある程度自然に恵まれていて、「町中」という雰囲気ではなかった。
クナッパーツブッシュの生家は「グスト・クナッパーツブッシュ」というアルコール蒸留販売会社だが、既に経営権はクナッパーツブッシュの親族から、別の人の手に渡っている。どんな製品を作っていたのか飲んでみたかったが、残念ながら飲んだことはない。「グスト・クナッパーツブッシュ」の製品を飲んだことがある人にもまだ巡り会っていない。一度、飲んでみたいと思うのだが…。
ヴッパータール市を含むルール地方は、第1次世界大戦後フランスに占領されたり、第2次世界大戦の時にはイギリス・アメリカ軍の空襲の標的になったり、第2次世界大戦の末期にはオランダ・ベルギーからドイツ国内に流れ込む連合軍の戦略拠点になったりと、歴史の波に洗われた。20世紀はルール地方にとって激動の歴史でもあった。
さらに、1945年5月下旬と6月下旬には、連合軍の砲火にさらされ、市の中心部は壊滅的な被害を受けている。たまたま、「地図で読む世界の歴史 ヒトラーと第三帝国」(リチャード・オウヴァリー著永井清彦監訳、秀岡尚子訳、河出書房新社)にヴッパータール市の被害状況の地図が載っており、その被害のすさまじさを知ることができた。
クナッパーツブッシュの父母の写真は、フランスTAHRAからリリースされた「HANS KNAPPERTSBUSCH IN MEMORIAM」の付録に載っているし、母や兄妹との写真は奥波一秀著「クナッパーツブッシュ 音楽と政治」の図版にも紹介されている。クナッパーツブッシュの父グスタフは、その父(クナッパーツブッシュの祖父)の後を継いで家業ではやり手だったそうだ。写真でも立派な髭を生やし、いかにも実業家という風がある。母親はたっぷりとした体格で、写真で見る限りにおいては、日本でいえば「肝っ玉かあさん」風である。
クナッパーツブッシュには兄と妹がいて、兄の名前は父の名前を取りワルター・グスタフ、妹はマルガレーテ・エミリーエ・ユーリエという。兄はクナッパーツブッシュ家の家業を継いだことが分かっているが、妹のマルガレーテについては資料がない。どんな生涯を送ったんだろう?
ハンス・クナッパーツブッシュの子供の頃の写真も前掲書に載っている。幼い頃、クナッパーツブッシュは髪の毛を伸ばし、当時の伝統的なドイツの子供の育て方である、女の子の姿をして育てられたことが分かる。これは、ヘルマン・ヘッセかトーマス・マンか何かの小説で読んだのだが(忘れてしまった)、ドイツでは、男の子はその方が健康的に育つと考えられていたようだ。カールしたオカッパ頭が可愛らしい幼年時代のクナッパーツブッシュから、晩年のクナッパーツブッシュの容姿を想像することはなかなか難しい。
クナッパーツブッシュ家はプロテスタントのカルヴァン派で、洗礼を受けたクナッパーツブッシュの名前を洗礼名まで入れると、「ハンス・アルフレート・クナッパーツブッシュ」という。「音楽と政治」に、クナッパーツブッシュは一時期、「アルフレート」という名前を好んだということが紹介されている。後に、当時の大指揮者ハンス・リヒターの影響化に入り、同じ「ハンス」にあやかって「ハンス・クナッパーツブッシュ」という名前を通すようになったのではないか、とも書かれている。クナッパーツブッシュは晩年まで就寝前のお祈りを欠かさなかったそうだから、ごく普通の敬虔なキリスト教徒だった、ということが言えるのかも知れない。
1988年という年は、後年に俯瞰してみると歴史の転換点のひとつで、クナッパーツブッシュの生まれる三日前、3月9日にドイツ皇帝ヴィルヘルム一世が死んだ年である。
プロイセン王であったヴィルヘルム一世は宰相にオットー・フォン・ビスマルクを起用、その手腕を持って普墺戦争や普仏戦争に勝利し、分裂国家だったドイツを統一し、ドイツ皇帝となった。「バルバブランツァ」(白髭王)と呼ばれ、民衆にひじょうに人気の高い皇帝だった。民族的英雄でもある神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ(1123−1190)の「バルバロッサ」(赤髭王)に対応した呼称である。ヴィルヘルム一世はビスマルクの傀儡とも揶揄されたが、皇帝としては凡庸ではなかった。
ヴィルヘルム一世が死に、その息子のフリ−ドリヒが皇帝を継ぐ。ところが、ヴィルヘルム一世が91歳と長命だったため、フリードリヒが第2代ドイツ皇帝になったのは56歳の時で、おまけに喉頭癌を患っていた。国民には「我らがフリッツ」と呼ばれ、その自由主義的な傾向が好まれたが、在位期間わずか99日で死去してしまう。
同じ1888年の6月15日、フリードリヒの長男ヴィルヘルム二世が29歳で第3代ドイツ皇帝として即位する。
ヴィルヘルム二世は宰相ビスマルクの政策と対立、翌年にはビスマルクを辞任に追い込み、自らの政策を押し通してゆくことになる。ドイツは長年分裂国家だったため、ロシアやイギリスなどのヨーロッパ列強の重商主義に立ち遅れていた。ヴィルヘルム二世はヨーロッパ列強に対抗して、植民地の獲得を目指した。ヨーロッパ強大国の利害と対立し、軍備増強路線は第1次世界大戦の火種を作ることになる。
例えばドイツの植民地獲得の動きのひとつして、中国の山東省での動きが挙げられる。日清戦争の時、ドイツはフランス、ロシアとともに日本と中国の終戦協定に介入、日本の利益獲得に横槍を入れた。ドイツは中国側に恩を売って交渉(ドイツ人宣教師が山東省で殺されたことがきっかけだった。その事件は義和団の乱に発展する)、1898年に山東省を租借地にして、中国の一部植民地化を謀った。青島(チンタオ)を中心とする山東省は街並みや産業がドイツ化され、小生も好きな「青島ビール」はそのなごりである。さまざまな中国の紹介書を見ると、青島にはいまだにドイツのなごりが多いらしい。
後の第1次世界大戦の時に、連合国側に付いた日本は、その山東省を巡ってドイツと交戦することになる。
日本の1888年は、明治21年である。西郷隆盛以下、旧薩摩藩士族の反乱である西南戦争からまだ11年しか経っていなかった。日本は開国後20年を過ぎていたといえ、まだまだ江戸時代の文化を引きずった草深い後進国で、「欧米に追いつけ」が合い言葉の時代だった。
1888年は、日本標準時が制定され、廃藩置県は明治4年に終わっていたが、市町村制が公布された年でもある(施行は1889年)。
この年の4月、第2代総理大臣に黒田清隆が就任、枢密院が設置され伊藤博文が初代議長になった。
http://kna-club.com/html/modules/knapedia/index.php?content_id=1
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/644.html#c4
「強いリーダーシップを演出」。(笑)
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/824.html#c21
まさに「ヒトデナシ」こそが『安倍の形容詞』
人でない=ロボットが総理大臣では『日本は破滅する』
『血も涙もないロボット』を政界、いや日本から追放しよう!!!!
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/792.html#c41
ドナルドは、あっちがわだとおいらは確信しとる。だが、冷静さに基づく理性的な対応は必要不可欠だ。陰謀論ではなく陰謀説に注視しようジャマイカ!諸君!w
コロナウイルスの真実 : デーヴィッド・アイク
https://www.youtube.com/watch?v=4tkBCnKZCq0
(メインストリートにしては、上出来なストーリーだ見応えがあると思うぞ)RKやBFは努力が不足しとんな、やるならアイクさんくらいやって欲しいもんだww
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/509.html#c27
モーツァルト 『レクイエム』とベートーヴェン 『ミサ・ソレムニス』の1955年版以外は印象に残っていないですね:
モーツァルト 歌劇「魔笛」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/816.html
モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/817.html
モーツァルト 『レクイエム』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/839.html
ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html
ベートーヴェン 『ミサ・ソレムニス』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/837.html
シューベルト 『未完成交響曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html
シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/641.html#c2
さぁー今度は、コロナの大爆発だ。
国民を犠牲にしてまで、OPが大事なのか。
個人的には 嫁が スポーツ関連の仕事をしているので その絡みで 個人的には
東京汚輪で 儲かる立場にはいる。前から言っているけど そんな無駄金使うんなら
選手の日常的な 支援や 育成に 金 使えやてこと 。。。
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◆1918年のインフルエンザ・パンデミック(1918年1月〜1920年12月、通称スペインインフルエンザ、
日本語ではスペイン風邪)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%8B%E3%81%9C
スペインかぜは、記録にある限り人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行
(パンデミック)である。
スペインかぜの感染者は約5億人以上、死者は5,000万人から1億人に及び、
当時の世界人口は18〜20億人であると推定されているため、全人類の3割近くが
スペインかぜに感染したことになる。感染者が最も多かった高齢者では基本的に
ほとんどが生き残った一方で、青年層では大量の死者が出ている。
大日本帝国(日本)では、当時の人口5,500万人に対し39万人が死亡し、
アメリカでも50万人が死亡した。これらの数値は感染症のみならず戦争や災害
などすべてのヒトの死因の中でも、最も多くのヒトを短期間で死亡に至らしめた
記録的なものである。
流行の経緯としては、第1波は1918年3月にアメリカのデトロイトやサウスカロライナ州付近
などで最初の流行があり、アメリカ軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、
5〜6月にヨーロッパで流行した。
第2波は1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり重篤な
合併症を起こし死者が急増した。
第3波は1919年春から秋にかけて、
第2波と同じく世界で流行した。さらに、最初に医師・看護師の感染者が
多く医療体制が崩壊してしまったため、感染被害が拡大した。
この経緯を教訓とし、2009年新型インフルエンザの世界的流行の際には
インフルエンザワクチンを医療従事者に優先接種することとなった。
今更ながら「原発反対」など言い出して、人気とっても 許されないぞ
日本国民はそこまで バカじゃないぞ。
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/302.html#c26
学位は法学博士(グラーツ大学)。
称号はオーストリア音楽総監督、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者。
グラーツ生まれ。弁護士である父親の意向により、グラーツ大学で法律を学び、法学博士の学位を得た。しかし同時に父親がグラーツ市立歌劇場(英語版)の法律顧問をつとめていた関係で音楽界に仲間が多く、父親の友人であったフランツ・シャルクの紹介で、ブラームスの親友であったオイゼビウス・マンディチェフスキの個人教授で音楽を学んだ。
1917年 - グラーツ市立歌劇場(英語版)でデビュー。リヒャルト・ワーグナーの友人であったカール・ムックがベームの『ローエングリン』を聴いた際に感激し、当時バイエルン国立歌劇場音楽監督だったブルーノ・ワルターにベームを紹介した。
グラーツ市立歌劇場では首席指揮者に予定されていたが、ワルターの招きにより、1921年 よりバイエルン国立歌劇場の第4指揮者に転任。
ワルターはベームに多大なる影響を与え、特にモーツァルトの素晴らしさを教えた。
そしてまたベームもモーツァルトの権威として知られることになる。
ワルターとの交遊関係は戦中戦後を通じて続くこととなるが、1922年からはワルターに代わり、クナッパーツブッシュが音楽監督になった。
しかしクナッパーツブッシュも、モーツァルトに関してはほとんどベームに任せている。
1927年 - ダルムシュタット市立歌劇場(英語版)音楽監督に就任(1931年まで)。この時の総監督は、後年メトロポリタン歌劇場の名物総支配人となるルドルフ・ビング(英語版)であり、彼らの友情は終生続くこととなる。ダルムシュタットでは現代オペラの上演に力を注いだが、特にアルバン・ベルクの『ヴォツェック』を指揮して絶賛され、ベルク本人との友情も芽生え、ベルク作品の世界的普及に尽力した。
1931年 - ハンブルク国立歌劇場音楽監督(1934年まで)。ハンブルク時代よりR.シュトラウスとの親交が始まった。
1934年- ドレスデン国立歌劇場総監督に就任。R.シュトラウスゆかりのドレスデンに転任すると、1935年にはR・シュトラウスの『無口な女(英語版)』の世界初演を行い、さらに1938年にはR.シュトラウスから献呈された『ダフネ』も世界初演した。
1943年 - ウィーン国立歌劇場総監督に就任。シュヴァルツコップなど才能ある歌手を次々と見いだして伝説的なベーム・アンサンブルを作り上げた。1944年にはシュトラウス生誕80年祭ではR・シュトラウスに祝辞を述べ、作曲者臨席のもと『ナクソス島のアリアドネ』を指揮した。1945年にはオーストリア(当時はドイツに併合されていた)からフランツ・シャルク以来となる「オーストリア音楽総監督」の称号を受けた。第二次世界大戦での戦局悪化に伴い、R・シュトラウスより芸術上の遺言(今後のオーストリア音楽界をどのように運営・維持すべきか)を託された。また同時にR.シュトラウスのスケッチブックなど、貴重な資料も渡された(これらはベームの死の直前にウィーン・フィルに寄贈されている)。ドイツ・オーストリア敗戦後に連合軍から演奏活動停止命令を受けたが、1947年に解除。
1954年 - 2度目のウィーン国立歌劇場総監督に就任。1955年11月には連合軍の爆撃により焼失していたウィーン国立歌劇場が再建され、この記念すべき再開記念公演の『フィデリオ』を指揮した。(続いて『ドン・ジョヴァンニ』『ヴォツェック』『影のない女』を指揮。ちなみにベームは当初、ドン・ジョヴァンニの指揮をワルターに依頼したが、ワルターは高齢を理由に辞退し、その代わりにブルックナーの『テ・デウム』とベートーヴェン第9交響曲を演奏した。ウィーン国立歌劇場総監督辞任後は特定のポストには就かず、フリーランスとして客演や録音活動を中心に据えた。
1962年 - バイロイト音楽祭に初登場、『トリスタンとイゾルデ』を指揮。ヴィーラント・ワーグナーとともにオペラ史に燦然と輝く新バイロイト様式を作り上げた。のちに『ニーベルングの指環』も指揮。1964年、「オーストリア(共和国)音楽総監督」(戦前のものは自然消滅)の栄誉を授けられている。1967年、ウィーン・フィル創立125周年を記念し、特にベームのために創設された「名誉指揮者」の称号を授けられた。
1973年 - オーストリア政府から若い指揮者のための「カール・ベーム賞」制定が発表される。1974年 - 「ニキシュ=ベーム指環賞」が制定された。
1981年8月14日 - ザルツブルクで死去。86歳没。ザルツブルク音楽祭の開催中であり、レヴァイン指揮ウィーン・フィルのオペラ公演は「お通夜のような雰囲気」になってしまったという。楽聖たちが眠るウィーン中央墓地提供の申し出は遺族の希望により断られ、グラーツ・シュタインフェルト墓地のベーム家の墓に埋葬された。最後の録音は同年春の映画版「エレクトラ」であった。
家族・親族
息子は俳優のカールハインツ・ベーム。孫のカタリナ・ベーム(英語版、ドイツ語版)も女優として活躍している。
欧州楽壇のマエストロ
ベームは、当時のオーストリア大統領ルドルフ・キルヒシュレーガーをして“(オーストリア)共和国が与え得る栄誉はすべて与えました”と言わしめたほど、数多の名誉職を贈られていた。この発言の念頭にあるものも含めて、それらの一例として、「ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者」「ロンドン交響楽団桂冠指揮者」「ウィーン市、グラーツ市、ザルツブルク市の各名誉市民」「ドイツ連邦功労十字勲章」「バイロイト黄金名誉指環」「バイエルン国立歌劇場名誉会員」「ダルムシュタット国立歌劇場名誉会員」「ベルリン・ドイツ・オペラ名誉会員」などがある。そのため、ベームの死は世界中に衝撃を与えた。
カラヤンはコンサートでの演奏に先立って追悼の言葉を述べ、さらにモーツァルトの『フリーメイソンのための葬送音楽』が演奏された。レヴァインがモーツァルトの『レクィエム』、アバドが『マタイ受難曲』をベームに捧げ、ベルリン・フィルはベームの指揮予定だった演奏会で代行を立てず、指揮者無しの演奏会を行った。ポリーニ、クライバー、ヨッフム、ショルティらも追悼演奏会を開いている。カルロス・クライバーとバイエルン国立管弦楽団による追悼演奏会は広く知られる(ベートーヴェンの交響曲第4番と交響曲第7番)。
ザルツブルク音楽祭は、長年にわたるベームの功績を称えフェルゼンライトシューレ(ザルツブルク祝祭小劇場)とホワイエの間の大ホールを「カール・ベーム・ザール」と名付けている。さらに出身地であるグラーツとザルツブルクを結ぶインターシティ列車をカール・ベーム号(IC517/518)と名付けた。これは現在も運行されている。
ベームの演奏
ベームの身振りはいつもごく控えめで、お世辞にも「格好良いバトン・テクニック」とは言えない。これには、R. シュトラウスの教示・影響がある[1]。マーラーとR. シュトラウスは、当時を代表する指揮者であったが、全身を使って激しい指揮をするマーラーに対して、後年のR. シュトラウスは指揮するときも常に左手をポケットに入れたままで、指揮棒を持った右手も必要最小限しか動かさなかった。
カラヤンは「ベーム85歳の誕生祝賀会」に出席した際に、 “ 禅の高僧が矢を射る時、「私が矢を飛ばす」とは言わず「矢が飛ぶ」と言う。すなわち「無為の為」である。これと同じく、ベームの指揮は「音楽が湧く」と言える。つまりベームによって、音楽が自ら奏ではじめるのである。”と、ベームの指揮を評している。
主な録音
ベームの実力が遺憾なく発揮された分野はオペラであった。モーツァルトは『コジ・ファン・トゥッテ』、『フィガロの結婚』、『ドン・ジョヴァンニ』、『魔笛』などの録音がある。ペーター・シュライアーはベームのコジ・ファン・トゥッテを特に絶賛しており、「他の指揮者の下ではこれほどの感激を味わえない」と語った。ザルツブルク音楽祭を飾るモーツァルト指揮者でもあった。1971年にウィーン・フィルと録音された、モーツァルトのレクイエムは評価が高い。
リヒャルト・シュトラウスの大家としても知られ(巨匠の『ダフネ』は、ベームに献呈されている)、主なオペラをスタジオ録音している。特に愛した作品は『ナクソス島のアリアドネ』であった(複数の録音あり)。また、『影のない女』は世界初全曲録音(1955/DECCA)である。当時はマイナーな作品であったため、DECCAは録音を渋ったが、ベームの強い要望により「ギャラなし・一発録り」で実現した。同年、ウィーン国立歌劇場の再建記念公演で『影のない女』を指揮。カイルベルトやカラヤン、後のシノーポリに較べると、最少のカットで演奏しており、貴重な記録となっている(ORFEO)。管弦楽曲では、1958年、1963年に録音されたベルリン・フィルを指揮しての『ツァラトゥストラはかく語りき』や『ドン・ファン』、『祝典前奏曲』などの管弦楽曲集が知られている。
バイロイトの巨匠であったことからもわかるように、1966年のバイロイト音楽祭における『トリスタンとイゾルデ』のライヴ録音など、ワーグナーについても高い評価を得た。ビルギット・ニルソンは「これまでに『トリスタンとイゾルデ』を33人の指揮者の下で歌ったが、誰もベームに比肩することはなかった」と書いている。
このほか、ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、ブラームスなどドイツ・オーストリア音楽においては、当時はひとつの規範ともされた。ベルリン・フィルを指揮してのモーツァルトの交響曲全集とウィーン・フィルを指揮してのベートーヴェンの交響曲全集はベームの大きな業績である。
ベームと日本
ベームの名が日本に知られるようになったのは早く、1930年代半ばには小品のレコードが発売されていた。1937年11月26日には、シューマンの遺作・ヴァイオリン協奏曲の初演を含む日独交歓放送に、ゲオルク・クーレンカンプらとともに出演した(PodiumよりCD化 No. POL1053)。この放送はナチスの威信をかけたもので、当時既にクーレンカンプ同様、ベームはドイツ圏内で主要な指揮者であったことがわかるが、日本ではあくまでもシューマンの遺作の世界初演を聴く演奏であり、ベームの知名度を高めることはなかった。程なく、第二次世界大戦勃発によって原盤の供給も途絶え、ベームの名はしばらく日本では聞かれなくなった。ベームの人気や知名度が飛躍的に高くなるのは戦後のことであった。ベームが亡くなる際にも、危篤の段階から新聞やテレビ・ニュースで報じられていたほどである。ベームの来日は1963年、1975年、1977年及び1980年の4回。1979年にも来日の予定(読売日本交響楽団の招聘)であったが、体調不良のためキャンセルされている。
初来日
1963年に開場した日生劇場のこけら落しのためにベルリン・ドイツ・オペラを率いて初来日(同行:ロリン・マゼール、ハインリヒ・ホルライザー)。ベームはベートーヴェンの『フィデリオ』[2]とモーツァルトの『フィガロの結婚』[3]、特別演奏会の「第九」を指揮した。両オペラともディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、クリスタ・ルートヴィヒ、ヴァルター・ベリー、グスタフ・ナイトリンガーらの名歌手が多数出演した。第九演奏会では、演奏後に殺到した多くのファンがベームの足に抱きつき、身動きできなくなったこともある。
70年代
日本でのベームの人気に一気に火がついた1975年の公演は、ウィーン・フィルを率いての公演であり、前評判に違わぬ演奏が大きな反響を呼んだ。あまりの反響の大きさにベームは感激し、時期こそ決めないものの再びの来日を即断したとも言われる。この時はリッカルド・ムーティも同行し、ムーティの指揮での公演も別途行われた。
わずか2年後の1977年に再来日が決定したのは、その他に来ていた話をベームがすべて断り最優先で時間を作ったからだった。両公演はNHKやTOKYO-FMによって多数録音され、一部はCDやDVDとして販売されている。
最後の来日
1980年にはウィーン国立歌劇場の引越し公演に同行したが、老いと病気による衰えがはなはだしく、ホルスト・シュタインら多数の同行指揮者を伴っての来日となった。ベームは『フィガロの結婚』3公演(東京および大阪)[4]と十八番であったリヒャルト・シュトラウスの『ナクソス島のアリアドネ』の1公演[5]、昭和女子大学人見記念講堂でのウィーン・フィルとの演奏会(1980年10月6日。人見記念講堂のこけら落とし記念演奏会だった。これらはCD・DVD化されている。
なお、2007年には「フィガロ」の公演もDVD化された)だけを指揮し帰国した。このウィーン・フィルとの演奏会は、日本でのベーム最後のオーケストラ演奏会だったのみならず、彼自身も1938年以来続いたウィーン・フィルとの最後の演奏会だった。なお、この時の「フィガロ」上演での第3幕はオリジナルではなく、ロバート・モウバリー&クリストファー・レイバーン提唱版(1965年。第7場、第8場を第4場、第5場の間に挿入する)によるものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A0
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/641.html#c3
此の「PCR検査の相談をしてほしい」が問題!。
本来なら「感染が疑われる場合にはちゅうちょせず、PCR検査を実施しなさい」と言明すべき案件。
阿修羅掲示板にも時々「検査不要論者」が出没するが、根拠は全く「非科学的」「妄想」「精神論」に尽きる。
あれだけ「コロナはインフルより弱い」「下手に騒がず落ち着け」「検査を絞れ」と豪語していた「橋ゲ」が37.2度位の発熱と咳・痰で番組ドタキャンし自宅療養してるとの事。
インフルより弱いのだったら「マスク」して風邪薬飲んで番組出演しろヨ!。
子供でも37度越えの発熱位では閉じ籠らずに公園で走り回ってるゾ!。
矢張り自分に火の粉が掛り出すと『卑怯者』は即、逃げ出す事がよ〜く解る事例ですね。
http://www.asyura2.com/16/iryo5/msg/798.html#c1
早く辞任してください。
この人たち、何のために政治を行うのか全然分かっていない。
国民の税金をなんだと思っているのでしょうか。
自分たちの商売道具ぐらいに考えているんじゃないの?
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/825.html#c21
隠された履歴:第三帝国のカール・ベーム
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/641.html
ウィーン・フィルはナチスに迎合してきた歴史をずっと隠し続けている
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/642.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c135
https://youtu.be/yckQnJp9fp8
こんな大変重要なことを
なんで民放で流さないの?
くだらないマスコミや
政治家の戯言よりも
国民にとって1番大切で
必要な情報を放送してください!
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/511.html
それにしても今回の決定過程はアメリカの意向が全てのようですね。
トランプ氏の{コロナ汚染撲滅には18月を要する」に合わせて決めたようですね。
世界水泳、陸上はオリンピック優先を決めてくれたのに、矢張り米国のスポ‐ツイベントの除外は出来ないのか、日本は来年の春を主張できないのかな・・・・
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/818.html#c45
質問・フェリックス・シュミット、訳・堀内修
(「音楽の友」1981年10月号掲載)
ベーム「あなたにおいで頂いた事を有難く思っております。この様ないまいましい椅子に座り込んでいなければならなくなってこの方、どんな気晴らしも私には有難いのです。人はともすると恵まれた老年という事を話題にしますがね、結構なお恵みとしか私には言えないな。ところで私はこうして座り込んでる訳なんですが、頭はまだちゃんとしているものの、両脚はもう言う事をきかない。両腕もそうですし、昨晩はベッドから転げ落ちてしまった。どうです?こういうのが恵まれているなんて。この齢に成ってパンツをようよう身に着けるのに前より3倍もの時間を喰うというのがお恵みというものなんですかね。」
───ベームさん、あなたの腕はもう言う事をきかないと仰いましたね。という事はもう指揮する事は出来ない訳ですね。ところであなたのカレンダーには1984年に至る迄予定が立てられているでしょう?
ベーム「まあ、カレンダーに線を引く他ないですね。」
───あなたはエネルギーが全くなくなってしまったら、自分はもう指揮はしない、そうしたら生きていたくないと、嘗て仰いましたね?
ベーム「その時はたまたまそう口を滑らせたんです。しかしさて、もううまくいかないというのなら、それがどんな状態なのか私には判りますよ。あのですね、指揮するという事は何しろ私にとって一種の若返り療法みたいなものなんです。その度に何時も齢のひとかけらがこそげ落とされるのですよ。この間の公演、今年の3月、ウィーンでの「フィガロの結婚」の事を覚えています。指揮台に立った時、大してうまくいかない演奏をするんじゃなかろうかと予感したんです。惨めな気分になりました。けれど、既に序曲の間にあらゆる疲れは消え失せてしまい、悩みももうなくなったんです。木だって引っこ抜ける様でしたね。しかしそれももう過ぎ去った事です。御覧なさい、この椅子の傍らの譜面台を。其処には以前は点検中の総譜が常に置かれていたものですが、今や何が乗せてあるとお思いですか?一寸漫読している本なんですよ。」
───ところであなたは病臥なさる前に今一度大変な努力をお払いになりましたね。TVの為にR・シュトラウス「エレクトラ」とレコードのベートーヴェン「第九」を練習なさいました。
ベーム「その為に全力を尽くしました。それが私を倒したんです。けれども私は自分が駄目になる前にもう一度2つの事をしておきたいと思ったんです。そう、「エレクトラ」と「第九」です。この2つの作品を私がその時した様には、人は未だに耳にした事はないと言っても過言ではないと思います。」
───どの様な所が特別なのでしょうか?
ベーム「私は生涯これらの作品と取り組んできました。第一級の「エレクトラ」を保証するに足るチームを持つ迄捜し求めてきました。そうでないと容易ならぬ「侍女達の場」に穴が開いてしまいますから。昔はその場面になると歌手達に対して猛り立ったものでしたよ。というのも、彼女達には歌えないって事が元々解ってたからなんです。宜しいですか?TVの歌劇を必ず観なくちゃいけませんよ。レオニー・リザネックを聴くって事だけの為でも。大変なエレクトラですから。それも彼女は初めてこの役を歌うのですよ。とはいえ、聴かなくちゃいけませんとは、そうた易く言えないでしょうが。そもそも相違を聴き分けられるのは、まあよくて2、3人の人達ですかね。私の息子、カールハインツは聴き取りましたがね。彼は私と同業の沢山の指揮者達よりも実際良い耳を持っているよ。彼女(レオニー)も父親から受け継いだんだね。」
───ベームさん、あなたの耳は本当にまあ多くの音楽家達を絶望に追いやりました。間違った響き、呆けたテンポといったものはあなたをカンカンにさせましたね?
ベーム「ええ、怖れられたのは知ってますよ。ドレスデン・シュターツカペレとでしたが、「神々の黄昏」の事を思い出します。彼らの行う演奏が私には正しい様に聴こえないんです。そこで、まあ私の流儀なんですが、がなり立てたんです。「諸君、一体何を演奏してるんだ?」ところがね、彼らは自分達は何時もそう演奏してるんだと言うんです。で、私はこう応えてやりました。「ではあなた方は今初めて正しい演奏をなさる訳です」とね。100以上の間違いをその後次から次へと総譜から見付け出しましたよ。」
───辛辣な観察によって、ですね?
ベーム「まあ、愛情溢れるシニカルさと言いましょう。」
───ある逸話が伝えられておりますが、それによりますと、あなたは声を相当長くのばしていた女性歌手(正体はレオニー・リザネック)に対し、こう叱り付けたとか。「君はどうしてそんなに長く声をのばすのかね?それで週末休暇用の別荘でも建てようと思ってるのかね?」。
ベーム「失礼、夏季休暇用の別荘と言ったんだよ。」
───あなたは生真面目ですか?
ベーム「私はゲーテと同じ日に生まれた。ゲーテは生真面目だった。私もそうですよ。でも私は特に短気なのですよ。自分の思い込んだ事は、ものにしとかなければいけないのです。それも即座にね。つまり、ある一定のテンポが欲しいと自分が思い、歌手或いはオケがそれを解ってくれないとなると、もう一波瀾起こしてしまうという訳です。或いは、或る時期に或る編成による一つの歌劇をやろうと思い、それがうまくいかないとなると、私はね、家を飛び出してわめき散らすのですよ。さてさて、私は自分の家でオーケストラの事に汲々しているのは厭なんだが。それにしても、妻が長い年月の総てを我慢してきてくれた事は、正に驚くべき事です。」
───ではあなたには妥協というものはないんですか?譲歩はなさらないんですか?
ベーム「そんな事は思いもしないね。音楽にあっては如何なる妥協も知らないね。私の人生、かなりの事をしでかしてきました。私は罪人ですよ。ええ、そう言っていいでしょう。嘘もつきましたし、自分の名誉にならない様な事も沢山してきました。しかしこと音楽にあっては何時もまともに、何時だって誠実でしたよ。」
───何をしでかしたと仰るのですか?
ベーム「老人にその答えは御勘弁願います。私の短気に関わる事でしたら、カラヤンの事を話題にしなければなりませんね。あの人は大変寛容な人ですよ。彼が稽古の時、正しい響き、自分の求める響きが出る迄待っている事や、心を鎮めて楽団員を説得していたのには感心しました。全く驚嘆すべき事でしたよ。ええまあ、あの人は何というか別種の意地悪をするんですよ。」
───あなたに対しても意地悪をですか?
ベーム「いやいや、我々は親友ですし、気楽な付き合いをしていますよ。」
───ライヴァル同士の妬みはないのでしょうか?
ベーム「彼の代弁は出来ないよ。ああ、そうだ、思い出したよ。彼は私に素敵なプレゼントをくれる事に成っているんですよ。私の90歳の誕生日に黄金のカッコー時計を約束してくれたんですよ。でね、金相場がまた上がったのを知ると、子供の様に嬉しがるんですよ、私は。ああ、90を迎えられます様に。」
───あなたは既にカラヤンからの時計をお持ちでしょう?
ベーム「80の時に貰ったんです。その時計はまだまだ動いていますよ。」
───あなたの時計コレクションは有名です。同じ様にそれらの時計は皆揃ってチクタク鳴っているという事も。一個でも進んでいると、あなたはゾッとして即刻調整されるとか。
ベーム「極度の精確さには賛成です。何れにせよ私は楽団員の些細な杜撰、如何なるインチキ、どんな曖昧といえども大目に見る事はありません。精確さへのこの様な性向は正に生まれついてのものでして、これは多くの人には妄想と見なされるかも知れませんが、音楽家にとっては最高の財産なのです。」
───その精確さへの性向というものは、あなたが法律を学ばれた事と関わりがあるのではないですか?法律家は几帳面でなくてはならないでしょう?
ベーム「相互に何らかの関係があるとは思いません。私はね、自分の好みによって法律を勉強したというのではないんでして、ただ父親を喜ばせ様としただけなんですよ。父は大変音楽的素養があり、また音楽狂だったんですけど、私にはお堅い職を身に付ける様に言ってたんです。父はグラーツ劇場の法律顧問でありまして、それで芸術における並の才能というものの惨めさを熟知していたのです。父は私が同じ様な運命を辿らない様にと願ったのです。そうした訳で、父は私にはっきり言いました。
「お前は法律家の試験に通って初めて音楽を勉強する金を手に出来るのだぞ」と。」
───では、あなたが学位審査に受かる以前にグラーツ劇場で既に歌劇を指揮したというのはどうしてだったんですか?実際何時だったのでしょうか?
ベーム「1919年4月に学位を取りました。でも法律学を総ざらいしていた間にも音楽をやっていたんです。グラーツ劇場でコペルティトーアをしていましたし、夜にはよく道具方を取り仕切ったりしていました。」
───すると正規の音楽勉強はなさらなかったのですか?
ベーム「ウィーンで2、3学期勉強しました。でも正式な指揮の講義は受けておりません。指揮法は総て見覚えたものです。私のは独学なんですよ。それについては面白い話があるんです。病気になった指揮者の代わりに「アイーダ」を引き受けざるを得ない事があったんです。ところがその当時私は4/4拍子では左の方で2拍振るものだという事を知らなかったんです。でね、自分の知っている3/4拍子で絶えず右の方に振ったんですよ。これには楽団員も大混乱をきたしましたね。それで楽団の代表が支配人に抗議しまして、正しく4/4拍子の振れる指揮者を要求したんです。私は彼らに短時間でまともに4/4拍子を振れる様にすると請け合いました。」
───ベームさん、あなたの欧州での音楽の歴史を思い浮かべてみて、最も深い印象を覚えられるのはどの様な事でしょうか?
ベーム「先ず第一にアルバン・ベルクの「ヴォツェック」です。私としてはこの歌劇は私どもの世紀の最後に書かれた最後の、最も優れた歌劇であると思っています。総譜を初めて手にした時の事は、今でもありありと覚えていますね。ずっしりとした総譜でした。その当時私はダルムシュタットの音楽総監督でした。」
───1931年の事ですね?
ベーム「そう、31年でした。当時私はあの孤高の音楽家と共に声部に手を入れる作業をしたのです。私はこの作品は全く類を見ない音楽であると繰り返し力説してきました。本当に骨の折れる作業を強いる作品でして、稽古に丸一年要しました。今日では全く思いもよらないでしょうが。それで私はね、「ヴォツェック」にかけてはパイオニアみたいなものだったんですよ。まあ、初演の指揮はとりませんでしたが。ですが私はこの歌劇をナポリ、そしてブエノスアイレスへと持っていった最初の人間なんですよ。ナポリではオーケストラが「パッサカリア」を、つまり「ヴォツェック」中で抽象的音楽の独創的な部分をもう全然うまく通せないという事がありました。私の名高い悪態も憤怒も何の助けにもならなかったのですよ。彼らは兎に角全然出来なかったんです。私は我慢出来なくて指揮棒を放り捨て部屋に戻ってしまいました。
かなり経ってオケの全幹部が追いかけてきました。彼らは私の前に跪いたんです。本当の事なんです、誓っても好いですよ。彼らはしゃくり上げながら「どうかお戻り下さい」と嘆願したんです。私は彼らを5分程しゃくり泣くままにさせた後、戻りました。そしてピットに歩み入りますと、全楽団員が立ち上がって拍手を浴びせかけたんです。誰かが盆を運んできました。今お話している事は正真正銘の事実なんですよ。盆の上にはヴェルモットの瓶と菓子鉢が置いてありました。私が一口飲みますと、オーケストラが熱情込めて「オー・ソレ・ミオ」を弾き始めたのでした。本当に巧く弾いてのけましたよ。そうした上で我々は「ヴォツェック」の正規の上演を実現させたんです。」
───あなたが力をお尽くしになったもう一人の作曲家はR・シュトラウスですね?
ベーム「あの人の為にはもうグラーツ時代に学校をさぼった事がありますよ。「薔薇の騎士」のリハーサルに居合わせ様と思いましてね。後にドレスデン歌劇場の監督だった時、シュトラウスと私的に親しく接しました。それが長い密接な友好の始まりでした。彼はオペラ「ダフネ」を私に献呈してくれました。無論私が初演しました。それからは彼は幾つかの習作ノートを贈ってくれました。貴重なものです。この間それを金庫から取り出しました。私のオーケストラに遺贈する為にね。」
───ウィーン・フィルの事ですか?
ベーム「勿論ですとも。」
───勿論ですって?あなたは世界の著名なオーケストラの総てとしょっちゅう演奏なさってたんでしょう?
ベーム「確かにそうですよ。しかし1933年に初めてウィーン・フィルを指揮した時−「トリスタン」でした−恋愛結婚の様なものをしたのです。そうして我々は長い間ハーモニックな結婚生活を送ってきたのです。我々は人がお世辞を言って下さる様に、表も裏も知り尽くしているのです。だからこそ先例のないものと憚る事なく評しても好いブルックナー、ベートーヴェン、モーツァルトの表現に、我々は成功する事が出来たのです。指揮者にとって楽団員各人を知る事以上に素晴らしい事はありますまい。この間、こんな風にブルブル震える老人が「エレクトラ」を録音した時の事ですが、私は指揮台に行き、こう言ったんです。「この老人をよく見て下さいよ。これがあなた方の前に立つ恐らく最期でしょう。有終の美を飾る手助けをして下さいよ」。彼らは、ああ、正にその様に演奏したんです。」
───あなたはブルックナー、ベートーヴェンの他に、生涯を通してモーツァルトに特に親しみを感じていらっしゃいました。
ベーム「ええ、でも常にとは限りませんでしたよ。モーツァルトの開眼はブルーノ・ワルターに負っているのです。」
───彼はミュンヘン(バイエルン)国立歌劇場の監督だった時、あなたをグラーツからミュンヘンにお呼びになった……
ベーム「ええ、客演として「蝶々夫人」を振りました。うまく振る事が出来ました。といいますのも、彼は後で私を呼んでこう言ったからです。「まだ何かと勉強したいとお思いならミュンヘンの私の許へいらっしゃい。けれどあなた自身一人前の指揮者であるとお考えならば、そのままあなたのグラーツに残りなさい」。無論(ミュンヘンに)行きましたよ。」
───ベームさん、一寸あなたは聞き取れない程小声でお話しになりますね。ところで何しろモーツァルトはあなたにとって清涼剤みたいなものでしょう?
ベーム「そういって宜しいでしょう。とはいえ私は先ずはこちこちのワーグナー教徒でしてね、モーツァルトは侮蔑的に見下していたんですよ。けれどもワルターの模範的なモーツァルト演奏を聴きまして、突然モーツァルトに燃え上がる様な欲求を覚えたのです。ワルターは私の願いを叶えてくれ、「後宮からの逃走」を振らせてくれました。……序に言いますとマリア・イヴォーギュンやリヒャルト・タウバーが出ました。そういう事だったんですよ。」
───けれども、モーツァルトの他に、あなたは一人の娘さんを思ってらした。
ベーム「17歳のそれは素晴らしい歌手でして、彼女が私の許で歌う時には特に熱情込めて伴奏したものでしたよ。今日でしたらこう言うでしょう、首っ丈だった、とね。」
───そして1927年彼女はあなたの奥様になられた。
ベーム「元はと言えば私達はモーツァルトについて話していたのではなかったかね?今やこの老人の慰めであるモーツァルトを。」
───モーツァルトを非常に表情豊かに指揮した、あなたの後援者であるワルターと違い、あなたはパトスのないモーツァルトを演奏なさいますね?
ベーム「ええ、そう言って宜しいでしょう。それが良い意味で近代的なモーツァルト解釈なのです。」
───あなたのモーツァルト像にすらラディカルな修正が、今やニコラウス・アーノンクールのオリジナル楽譜に基く上演によって行われました……
ベーム「オリジナル楽譜によるものも確かに一つの主張ではありましょう。私がテンポを変えるとすれば、それはオリジナル楽譜とは無関係です。私にはモーツァルトを手ひどく扱う彼の遣り方は気に入らない。彼の解釈がモーツァルトとは少しだけ関わっているに過ぎないという事を私は証明出来るのですがね。まあ、彼には別の立場があるからね。私は彼には賛成しませんし、彼の方も私に対してそうである様にと思いますよ。」
───若い指揮者とあなたの世代の指揮者ではどんな違いがありますか?
ベーム「同僚については何も語りません。若し私が言いたい事を言ったら、それは自分自身を苦しめるでしょう。」
───けれども、あなた位の年齢になれば、そうする資格があるのではないでしょうか?
ベーム「はあ、あなたはベームがもはや善悪の彼岸の老齢にあるとお考えですな。宜しい、色々言いましょう。若い指揮者達は大部分間違って教育されています。楽器について、声楽について、しばしばまるで解っていません。例えばホルン奏者に何を求める事が出来、何を求めてはいけないか、知らないんです。或いは歌手がどう呼吸するのか、などをね。私はグラーツの劇場で練習指揮者をしている時に、歌手に何を望め、何を望めないかを学びました。
指揮者は自分の直観だけではやっていけないんです。オーケストラを前にした時に、目を閉じ、そして聖霊のお告げが下されるのをじっと待つだけじゃ充分じゃないんです。お告げなんてそうたやすく下りてきません。指揮者は何よりも先ず勤勉でなければならず、勉強に勉強を重ね、そして誠実でなければなりません。いかさまは許されないのです。同業者には非常に多くのイカサマ師がいるのですが、私はそれを5分もあれば見抜けますよ。」
───誰の計略をあなたは見破ったのですか?
ベーム「それを言い立てる訳には参りませんよ。」
───話を他へ向けたいとお思いですね。しかし本当に小さい声ですね、もう少し大きくはなりませんか?
ベーム「私は歌手じゃありませんよ。」
───でもあなたが不誠実だとお思いになっている沢山の指揮者達は腐れ切った誤魔化しをやっているのでしょう?
ベーム「若し私が今その名前を言ったりしたら、ベームはすっかり老いぼれた、もう判断する事が出来ない、と言われるでしょう。けれども、私は老いぼれにはなりたくないので黙っています。」
───あなたが肯定的に例外と思われている方の指揮者、カルロス・クライバーの事にしましょう。あなたは彼を何時も称賛しておいでですね。
ベーム「天才的な男です。父親の様にね。」
───エーリッヒ・クライバーですね。
ベーム「やっぱり(父同様)気難しい男でね、周りの者は奔放な行動に梃子摺ってましたよ。私は彼自身にしばしば紡ぎ手だと言いました。人を魅了する紡ぎ手だとね。」
───レナード・バーンスタインともあなたは良い関係を持ってますね。
ベーム「ええ、私は彼を大変素晴らしい指揮者だと評価しております。何ものにも囚われない、スケールの大きな音楽家ですね。」
───しかし、指揮はあなたと丁度正反対ですよね?あなたは労力を最少限に抑えた身振りで指揮している様に見受けられますが……。
ベーム「つまり、私は汗をかきません。バーンスタインは水がしたたる位に汗をかく。」
───彼はオケとスコアの前で飛び跳ねているといっていいでしょう。
ベーム「でもそれは彼の内面から来るものなのですよ。ワシントンでのコンサートの後、彼が私に尋ねました。「あなたが全く汗をかかずに指揮をするのは一体どうやってなのか教えて下さい。私は何時でも物凄く汗をかくんですよ」とね。で、私は言いました。「ウィスキーも程々にしなさい。そうすればそんなに汗をかかなくなりますよ」(バーンスタインは酒豪&ヘヴィ・スモーカーで有名)。
───あなたは酒を飲んで何かする事はなかったんでしょう?
ベーム「ええ、私は食事も酒も、何をするにも差し支えない位に控えめですから。父と違ってね。父は100キロも体重があり、甚だ社交的な人でした。」
───反対にあなたは独りでいるのが好きだと噂されてますね?適応するのが難しいと、例えばウィーン国立歌劇場の監督の頃そうだったという事ですね?
ベーム「お尋ねになりたいのはそれだけじゃないでしょう。私はその地位を全然望まなかったんです。何故ならウィーンの人々が陰謀にかけては世界的な名人なのを知っていたからです。有名な音楽家、例えばマーラーとかカラヤンがこの街の歌劇場監督の地位を追われています。私はその地位をウィーンの劇場連盟からのさしせまった要請で引き受けたに過ぎません。」
───あなたはその後旅に出て、他所の場所で指揮し、客演契約をしたので、ウィーンの人は突然「ベームはもう此処にいない」と確認したんだそうですね。
ベーム「私が「フィデリオ」を振る為に再びそのオーケストラ・ボックスに戻って来た時ですが、桟敷席の連中が何分間も悪意に満ちて怒鳴ったのです。今でも耳に響く様ですよ。私が有難い事にウィーン国立歌劇場監督を続けずに済んで、国際的な活動が出来る様になるという、あれは元気一杯の告知だった訳です。」
───あなたは1954年から1955年迄1年間耐えました。
ベーム「若しかしたら長過ぎたかも知れません。丁度国際的な繋がりが始まった頃だったんですが、その時期をウィーンの人達の為に捧げて、しかも少しも喜びがなかったんですから。1947年、再び指揮する事が許される様に成った際、決して一人だけで任命されまいと誓ったんですが。」
───1934年から1942年の終わり迄ドレスデンで音楽監督をしていますね?
ベーム「ええ、アメリカ人もロシア人も私の非ナチ化の処置の時良く言ってはくれましたが、こう尋ねましてね、「ベームさん、あなたが本当にナチの反対者だったのなら、どうして亡命もせず、どうして英国や米国で指揮なさらなかったんですか?」。」
───で、どうしてなんですか?
ベーム「当時私はドレスデンの音楽総監督として、外国との如何なる繋がりも持っていませんでした。どうやって逃げ出したらいいんでしょう?どうやってお金を稼いだらいいんでしょう?しかも、私には家族がありました。」
───国内に留まった事であなたは戦後2年間に渉って演奏禁止に成ったのですか?
ベーム「ええ、とはいっても私はNSDAP(ナチス)に属していたんじゃありません。でも厭な2年間でした。私が一番焦燥感を味わった頃で、毎日毎日私の件が調査されるのを待っていました。音楽を教える事も許されていませんでした。ナチのハ長調音階を教えるとでも思ったんでしょう。いや、厭な頃でした。私は妻とグラーツの小さな家に腰を落ち着けて待ちに待ちました。もう待てない位に。」
───あなたがその後実現なさった国際的な活動を始めようとしていたのでしょうね?演奏出来る様になって数年を経ずして、一番稼ぐ指揮者に成りました。
ベーム「それは知りません。けれども結果はその様に成りましたね。私の後をお金が追ってきたんじゃありません。報酬として手に入れたんです。」
───そしてあなたは何時も倹約家でした。
ベーム「私にはそうする為の広い意味での大きな家族があるんです。」
───あなたは日本で特に称賛(報酬という意味もある)されましたね?
ベーム「ええ、日本は特別ですね。1980年の秋に行ったんですが、その時にTV中継される演奏会を1回振って、それで6万マルク(当時の通貨。当時の日本円にして約550万円)入りました。この秋にもう一度日本へ行ってもいいと思っています。けれどもこんな椅子に座って、病気の相手をしてやっているもんでね。」
───どんな御病気なのですか?
ベーム「老衰という間違った名をつけようなんて企てられてますね。あなたがよく知りたいと思うなら言いましょう。これは2年前にロンドンで始まりました。ホテルで倒れた訳です。その時それは素晴らしい小さな場所を見付けたんですよ。倒れていたのは浴室の便器とビデの間なんです。其処で私の硬い頭蓋と一緒に転んだのです。直ぐにウィーンに運ばれました。医者はひどい脳の出血があると診断しました。人がいうように、自分は低能になってしまうと思いました。しかし、低能にはならなかった。そうなっていたらあなたにこうして総てを説明出来なかったでしょうからね。それから療養しました。けれどもそれは非常に有効という訳にはいきませんでした。出血による障害が繰り返される訳です。この前はTV用「エレクトラ」の冒頭について話し合っている際中でした。有難い事に私は回復しました。気が紛れる位によくなろうと思います。」
───どうしてですか?
ベーム「不機嫌だからですよ。私は周囲の人たちの生活を不愉快にしています。それで少しだけ読んでます。」
───読むって、あなたのその目でですか?
ベーム「まだ幾らかは見えるんですよ。とはいえ灰色の星が良い方の目にも大きな悲しみを与えつつありますが。そして勿論私の誕生日に演奏するという計画も変更を余儀なくされています。もう一度回復するものなら、ウィーン・フィルと一緒にモーツァルトの46の交響曲をレコーディングしたいと望んでいるんですが。」
───凄い計画ですね。
ベーム「ええ、老人が皆そんな事をする訳じゃありませんね。」
これは巨匠が亡くなる少し前に行われたインタビューであり、文字通り最後のものとなった。
もうベームはこの時期には相当体力が落ちていたが、かなりの質問に答えている。多くは当時既に世間によく知られた内容で、この大指揮者の音楽人生を振り返る意味合いが強いが、ベーム自身が語っているというところに意義があろう。
後は最後の録音となったベートーヴェンの第九やR・シュトラウスの『エレクトラ』に関するコメントや、カラヤンやバーンスタインとの親交やカルロス・クライバーへの称賛、アーノンクールへのささやかな批判等同業に触れている個所が貴重だ。
http://mahdes.cafe.coocan.jp/wkb2.htm
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/641.html#c4
リハーサルの鬼
リハーサルの凄まじさといえば、マーラーとトスカニーニが伝説的存在だ。彼らの時代には、指揮者が軍隊の司令官の如く振る舞い、オケはそれに絶対服従しなければならなかった。今時の指揮者がそうした練習を行おうとしたら、直ぐにオケから追放されるか、二度と声がかかる事はないだろう。
ベームは決してマーラーやトスカニーニの様にオケを絶対的に支配するというタイプではなかったが、重箱の隅を突付く様な厳格なリハーサルは世界的に有名で、しかもその口やかましいリハーサルを許されるという特権を与えられていた稀有の存在である。オケも歌手も、練習は厭だが、ベームとの共演で得られる幾多の効果には逆らえなかったのだろう。一つはベームという世界的指揮者と組む事による知名度アップ。もう一つは、確かにベームは練習では厳しいが、決して融通性がない訳ではなく、特に実演ではオケや歌手の自主性を尊重したからである。
要するにベームの練習はスポーツと似ている。普段厳しく基礎を鍛えない限り、本番での応用がきかない。基礎が出来ないのに、本番がこなせる訳がない。ましてや、指揮者は自分で音を出す訳ではない。従って、指揮者はオケを隅々迄知り、オケは指揮者を隅々迄知る事によって、信頼関係が生じ、自発性に富む音楽が生まれるのである。いわばベームのリハーサルは各々の技を磨く為にあるというよりは、自分一人で演奏しているのではないという全体意識を植え付けつつ、そうした中で各自の最高のパフォーマンスを引き出せる様な環境を整える為にあるのである。実際ベームも回想録でその様に述べている。
その代わり、リハーサルでは如何なる妥協も許さない。例えば、腕立て100回と決めたら、それは必ずこなさなければ成らない。50回で諦めさせたら、本番で力を発揮出来なくなる可能性があるからだ。丁度、中国の孫子や韓信が兵を厳しく調練したのと似ている。彼らが精鋭を鍛えたのは、いざという時どの様な状況下にもこちらの指示に対応し得る反応を身につけさせる為のものであった。言葉を換えるなら、厳しく鍛え上げず、”烏合の衆”のままでは実戦での成果が期待出来ない。”軍団”として成果を収める為には、日頃から厳しく鍛錬されていなければならない、という事だ。
しかし、実戦では何が起こるか判らない。従って、どの様な状況にも対応し得る様指揮官は身構えていなければならない。時には当初立てた作戦を急遽変更しなければならない事もあろう。多くの指揮者は自分のヴィジョンを知って貰う為、オケに意図を説明する。しかし、ベームは強弱やテンポの狂い等正に基礎練習しか行わなかった。それというのも、ベームが本番で何を意図するか判らない、本番で自在に指揮したいからこそなのだという事が分かるのである。
見た目の厳格なリハーサル風景がベームへの誤解を生じさせた事は確かである。私も自分がオケのメンバーや歌手だったら、ベームのリハーサルには耐えられないと思う。しかし、こうした厳しい練習を乗り越えたからこそ、本番で驚異的なパフォーマンスを引き出す事が出来たという事は、決して忘れてはなるまい。
喝采の嵐
当時メディアで盛んに議論の対象に成っていたのがベームへの拍手の多さ。出て来るだけで「ブラヴォー!」の大喝采が湧き起る妙な現象は殆どベームの専売特許だった。しかも、時には10分以上も喝采が収まらず、演奏が始められない事が多々あったという。オランジュ音楽祭の「トリスタン」やバイエルン国立歌劇場の「後宮」でも、出て来るだけで怒涛の様な喝采を受けるベームを目撃する事が出来る。終演後の拍手も凄まじく、日本ではステージに殺到する若者が続出し、世界中のメディアに報じられた。この現象はどうして発生したのかと考えてみると、矢張りベームが”伝統の象徴”と捉えられていた事が大きいだろう。多くの19世紀の巨人が世を去った中、ベームがまだ生きている。その”生ベーム”に逢えた喜びが、登場するだけで未曾有の拍手を巻き起こしたのではあるまいか。もう一つはベームの人間性である。巨匠の多くは何となく近寄り難い偉大な雰囲気を具えていたが、ベームは指揮をしている時意外は普通の爺さんで、気軽に喝采を贈れる雰囲気があったのではないだろうか。カーテンコールにぎこちなく応えるベームの姿はもはや指揮者には見えないのである。
ギャラ王
ベームといえばギャラが高い事でも有名だ。チェリビダッケはそうしたベームの姿勢をあからさまに批判している。しかし、私は芸術家というものは人間がどうであろうと、素晴らしい感動を与えてくれれば、何の問題もないと考えている。実際、モーツァルトやベートーヴェン、ワーグナーやブルックナーらも人間性はさ程高く評価されていないし、金への執着心はあった。聖人君子ではないし、ボランティアや素人芸術家ではないのだから、自らの業績に対し、何らかの報酬を求める事は寧ろ当然ではないだろうか。特にベームにはカラヤンというこれまた稼ぎまくるライヴァルがいたから、対抗意識もあったであろう。そういえば、ベームの師匠であるR・シュトラウスもアルマ・マーラーの自伝で”守銭奴”とこきおろされている。若しかするとベームの金銭への執着は師匠譲りなのかも知れない。或いは戦前から戦後にかけて、極貧生活を経験した為、二度とあんな思いはしたくないという気持ちがあったのかも知れない。しかし、繰り返すがそうした要素はベームの評伝等には必要かも知れないが、演奏とは無関係である。我々にしてみれば、素晴らしい演奏であれば、日常生活がどうであろうと一向に構わない。芸術家というものは、寧ろ公私の落差が激しい人種なのだ。
名誉職コレクター
ベームといえば、歌劇場総監督や常任指揮者等の音楽的実権を掌握する地位からは二度目のウィーン国立歌劇場総監督辞任後は遠ざかっている。その代わり、やたらと記念色の濃い実権のない名誉職やメダルを数多く授かっている。その筆頭はオーストリア音楽総監督である。これは別にオーストリアの音楽行政を統括する様な権力は一切ない。しかし、この肩書きは海外においては功を奏し、人間国宝的価値、或いはオーストリアの親善大使みたいな役割をはたした。ベームが外来の指揮者としては初めて皇居を訪問する事が出来たのも、この飾り物の肩書きがものを言ったのである。
他ではウィーン・フィルの終身名誉指揮者に選ばれた事も忘れては成るまい。しかも、これは史上初めての快挙である。他にも名誉市民や記念メダル等折に触れてベームに多くの名誉が授けられている。今からは考えられない程、当時のベームの存在感が大きかった事を示していると言えるだろう。
時計コレクター
ベームといえば時計コレクションも有名で、来日した折もセイコーの工場を見学している。沢山ある時計の内、一つでも時間がずれると直ぐに調整し直したとか。そうしたベームの趣味を知っていたから、カラヤンもベームの誕生日に時計をプレゼントしたのだろう。
カール・ベーム賞
1973年にオーストリアの若い指揮者の為に制定された賞。コンクールで最も優秀だった者に授与された。因みに第一回の優勝者はラルフ・ヴァイケルト。
カール=ベーム・ザール
ザルツブルク祝祭小劇場内にあるホール。
カール=ベーム財団
世界の難民救済を目的にベームが設置した財団。ベームの死後は長男のカールハインツが運営している。
カール=ベーム号
巨匠の名を冠したグラーツ〜ザルツブルクを結ぶオーストリアの特急。拙サイトの常連、こうもり様よりの情報提供。
オリンピック
1964年、冬季オリンピックはオーストリアのインスブルックで開催された。ベームは世界中が注目するこの一大イヴェントの開会式で、恩師R・シュトラウスの「オリンピック賛歌」を指揮している。若しかすると、この時のフィルムや録音が残っているかも知れない。
誕生日
欧州音楽界において、ベームの誕生日は一大イヴェントと呼べるものであった。嘗てベームが師のR・シュトラウス生誕80年祝祭で祝辞を述べた様に、ベームも多くの人から誕生を祝ってもらったのである。特に80歳を祝った1974年と、85歳を祝った1979年はカラヤンが参加した事もあり、欧州音楽界をあげての一大イヴェントと化したのである。しかも、1979年にはバーンスタインやレヴァインも参加し、バーンスタインの自作をレヴァインが演奏してベームに献呈。カラヤンはベルリン・フィルを、ベームはウィーン・フィルを指揮し、大いに盛り上がった。更にカラヤンはベームに豪華な時計の目録を贈呈(実物は90歳の誕生日に贈ると約束)。このパーティーは正に古き佳き時代の最後を飾る華やかな内容だったのである。
冗談好き
一見生真面目で四角四面と思われがちなベームだが、結構融通性があり、冗談好きでもあった。特にさり気なくドイツ語の駄洒落をかましていたそうだ。
ベームと病気
一度目のウィーン国立歌劇場総監督時代に、凍結した地面でしたたかに腰を打って寝込んだ事があったそうだが、指揮者生命を左右する様な重病も二度経験している。最初は米国客演時、失明の危機に晒された。この時は同行したリーザ・デラ・カーザが紹介してくれた医師のおかげで助かったと、ベーム自身が述べている。二度目は1979年にロンドンのホテルで脳内出血で倒れた事だ。生命は取りとめたものの、後遺症は以後死ぬ迄残ったという。中には最晩年のベームが極端にテンポが遅くなったのは、このせいではないかという人もいる。
酒とベーム
ベームは酒や煙草が苦手だという事を述べている。しかし、一度だけ大酒を飲んだ事がある。戦時中にベルリン・フィルに客演したベームだったが、翌晩にはウィーンで指揮をする事に成っていた。戦時中故、急遽の移動に使われたのは軍用機。しかし、機内はあまりに寒く、他の乗客からこのままでは凍死するからとコニャックを勧められたベーム、ウィーンに着いた時にはホロ酔い加減を遥かに超えていたという。ウィーンでの演奏がどう成ったのかは語られていない。
今は昔
1981年の『ステレオ芸術』10月号に掲載されている指揮者の人気投票では、
@アバドAベームBカラヤンC小澤DC・クライバーEフルトヴェングラーFバーンスタインGショルティHワルターIマゼール
で2位に支持されていたベームだが、1996年『レコード芸術』3月号で評論家やファンを交えて行われた「20世紀最大の指揮者は誰か」という投票では、
@フルトヴェングラーAカラヤンBトスカニーニCバーンスタインDワルターEベームFブーレーズGC・クライバーHクナッパーツブッシュIムラヴィンスキー
で、ベームは6位に後退。一応上位6人は嘗て”3大指揮者”と称されたトスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーと”20世紀後半3大指揮者”と言われたベーム、カラヤン、バーンスタインだから、或る意味順当といえる結果だとも言える。しかし、2009年の『レコード芸術』12月号で行われた「世界の名指揮者ベスト・ランキング」投票では、
@フルトヴェングラーAカラヤンBバーンスタインCトスカニーニDC・クライバーEワルターFクレンペラーGムラヴィンスキーHセルIクナッパーツブッシュ
JチェリビダッケKベームKミュンシュMアーノンクールNジュリーニNショルティNブーレーズQモントゥーRアバドSライナー
で、ベームは12位と大きく順位を下げてしまった。読者投票では、
@フルトヴェングラーAカラヤンBワルターCバーンスタインDトスカニーニEC・クライバーFクレンペラーGムラヴィンスキーHベームIチェリビダッケ
で、辛うじて十傑に名を列ねているが、評論家票では、
@フルトヴェングラーAカラヤンBバーンスタインCC・クライバーDトスカニーニEワルターFクレンペラーGムラヴィンスキーHセルIアーノンクール
で、十傑から洩れている。実績を考えれば、常に十傑に列せられるべきベームが、信じ難い過小評価を受けている。評論家がこれでは、ベームがメディアに登場する回数は減り、新規のファン開拓の裾野が拡がらず、少しずつ支持者が減って行くのは当然だ。フルトヴェングラー亡き後の欧州楽壇をカラヤンと二分し、1970年代にはバーンスタインを加えて”20世紀後半三大指揮者”を形成していた人なのに、何でこんな格下扱いに成るのだろう。
古くからの世代で彼の録音や実演に数多く接した評論家が減り、時代認識に著しく欠け、ベームの事をよく知らない世代の評論家が増えたという事なのだろうか。何れにせよ、今はまだ古くからのファンがいるからいいが、評論家がこの調子では将来更に地盤沈下が進んでしまうに違いない。まあ、現在も高く評価されている歴史的名盤が少なからず存在するのがせめてもの救いだ。それにしても、この手の企画は時代の変遷を感じざるを得ない。しかし、私はこの結果に納得していないし、ベームの名誉回復の為、生涯戦い続ける積りだ。
総評
ベームは指揮者としてはともかく、人間としては決して偉大でなかったかも知れない。しかし、逆にそうした庶民的な部分が独特の魅力を感じさせ、彼が空前絶後のカリスマに成れたのかも知れない。尤も、マーラーが「私には墓石は要らない。作品が残れば充分だ」という意味の事を語っている様に、芸術家にとって大事な事は、名前や生涯が語られる事ではない。作品(演奏家は演奏)が残る事こそ大事なのであって、人間ベームをよく知りもしない癖にあしざまにけなし、演奏の価値迄低くしようとする人がいる事はおかしい。
これもマーラーが「何故ワーグナーの様な最低な人間の音楽を愛好するのか」という質問に対して「牛肉を食べたからといって、牛に成る訳ではない」と語っている事を忘れてはなるまい。
また、ベームの人間性を貶している人間に果たしてベームを貶せるだけの人間性が具わっているだろうか。ベームは公の場で他人を名指しで批判するという様な事は滅多にしていない。するにしても、オブラートに包んでいる。相手を知るという事は、文献や他人の風評からだけで判断してはならない。直に会って話してみる必要がある。それもなるべく多くの機会に。ましてや、個人的な知己でもない故人をよく分かりもしない癖に貶す連中の方が余程人間的に最低だ。少なくとも彼らに比べれば、ベームの方が遥かに立派な人間であり、人格者であると思う。
それに、ベーム程追悼コンサートが盛んに行われた巨匠はいないのではあるまいか。即ちベームには同業の演奏家達にそうした気持ちを起こさせるものがあったという事だ。そういう意味においては、人間的魅力も充分に具えていたのではなかろうか。
http://mahdes.cafe.coocan.jp/ekb.htm
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/641.html#c5
補足画像を 上げときますネ
なんか 格好が良いと 不評を頂いていますが 腹が黒いところなんか
ちゃんと 表現されていると 思います。
↓ こいつ、 犯人です。💢 草野憲二 2020/03/25
https://photos.google.com/photo/AF1QipMnfg_a6qUNcmZvn4RhotmhJvgtcDRwg12QoR8i
https://www.youtube.com/watch?v=q4K3N3xC7KE
結論: 背骨の曲がった、 白血病 Sr90 ←注意? さかな厳禁です!!
漁師もバカだね。 海洋速報が証拠ですね。 うさぎ♂
なんだろう いけないとは 思うけど 笑みがこぼれてしまう。
by いけない@地下爺
こいつらのやることの真逆こそ、国益の道だ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/821.html#c16
佐川らを不起訴にした
— 事実を (@kirykarin) March 17, 2020
大阪地検特捜部長 山本真千子は
函館地検検事正に栄転した後
2019/11/8付で
大阪地検ナンバー2の次席検事に
戻ってきていますhttps://t.co/OeDfirSmkehttps://t.co/HsJRFq9aSB pic.twitter.com/79e21QxOVu
今の大阪にチエや菊ばあさん、ヨシ江はんみたいな女性を政治に立たせたり、アホ男共をやり込めるような事は望めない。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/823.html#c16
森友問題で財務省関係者を全員不起訴処分にした山本真千子元大阪地検特捜部長!
— ダルマパパ (@GHynvs0ynDhOSMF) March 18, 2020
亡くなられた近畿財務局職員赤木氏の文春で公表された手記内で大阪地検特捜部も公文書の改竄の一部始終を全て認識していたと暴露!
山本元特捜部長は現在函館地検検事正を経て今3月から大阪地検No.2次席検事に! pic.twitter.com/eFV9MgGx7d
2020年3月4日 18:00
YOSHIKIの公演中止呼びかけが「説得力あり!」の評価を受けたポイント
新型コロナウイルスの猛威は沈静化の兆しも見えず、生活に大きな影響を与えている。学校は休校になり、大規模イベントは中止。スポーツの試合やライブも延期や中止に追い込まれている。
チケットの払い戻しや会場のキャンセル料を考えると主催者にとっては大きな痛手だが、X JAPANのYOSHIKIはツイッターで公演の中止や延期をすべきと主張。さらに日本でコンサートを開催、参加している人を強く批判した。
「YOSHIKIはミュージシャンとしてではなく、主催者として公演延期がどれだけ大変なのかを知った上で、それでもキャンセルすべきと主張しています。一連のツイートと同時期に椎名林檎がボーカルを務めるバンド『東京事変』がライブを強行したため、彼女に対する批判ではないかと指摘する声もありました」(週刊誌記者)
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/511.html#c2
山本真千子大阪地検特捜部長は赤木さんを死に追いやった佐川ら財務官僚を不起訴にし函館地検に栄転。この人事に晋三が検事総長にと狙う黒川弘務東京高検検事長がからんでいる。黒川は2015年から法務事務次官。山本は同時期に法務省人権擁護局長で黒川は上司。二人は安倍官邸の番犬、検察腐敗の象徴。 pic.twitter.com/byRLYlAoYC
— 西沢昭裕 (@nishi02008212) March 19, 2020
佐川さんほどではありませんが私達も森友公文書改竄に協力した結果めでたく栄転しました。
— ダルマパパ (@GHynvs0ynDhOSMF) March 18, 2020
美並義人 近畿財務局長→東京国税局局長
中村稔 財務省理財局総務課長→イギリス公使
山本真千子 大阪地検特捜部長→大阪地検次席検事
谷査恵子 昭恵付き人→イタリア大使館一等書記官 pic.twitter.com/1sfBSZ5R0s
戦犯野郎の関係者はゲスしかおらん。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/815.html#c25
なっているが、当時法務省事務次官だったこの黒川氏が官邸の意を受けて捜査ストップに動き、山本真千子・大阪地検特捜部長(当時)と裏取引をおこなったという情報も流れていた。
— 音姫は天空へ舞い上がる (@PHrVS3GDaqFiFbe) March 23, 2020
「当時は、官邸と検察上層部の間で、財務省には触わらず、、、、、」https://t.co/jvzV0YM63S
参院予算委
— 但馬問屋 (@wanpakuten) March 23, 2020
福島議員
「大阪地検は意欲的だったという報道もある。何で起訴できなかったのか。当時、法務省事務次官は黒川さん。官邸が動いたということはあるのか?」
安倍首相
「妄想逞しくしておられるが、そんな事実は全くない」
強行に違法してまで定年延長させておいて、何言ってる!💢 pic.twitter.com/1wp6KdiCVy
DSピットのことね。
本来なら核燃料置き場ではないが、4号機では置かれていた可能性が高い。
それが溶け出して、あの象の足になったのだろう。
「DSピットの発熱体、象の足、大物搬入口の損傷、、、4号機は依然として謎だらけ
核兵器製造疑惑はますます濃厚」
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/389.html
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/448.html#c25
枯れそうな植物の根元に水をまくのがいい。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/815.html#c26
サイコパスとソシオパス(社会病質者)の違いと共通点、危険性を検証(米研究
2015-04-18
https://www.excite.co.jp/news/article/Karapaia_52189898/
アメリカ精神医学会による「精神疾患の診断・統計マニュアル第5版(DSM-5)」では、
次の特性のうち、3つ以上あてはまると反社会性パーソナリティ障害と定義される。
1. 日常的に法を犯す、または法を軽視している
2. つねに嘘をつき、他者を騙そうとする
3. 衝動的で計画性がない
4. けんか腰で攻撃的
5. 他者の安全性についてほとんど考慮しない
6. 無責任で、金銭的にルーズ
7. 良心の呵責や罪悪感がない
全部合致する安倍をどうする?
このまま、放置してはならない。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/793.html#c35
↑ 自分の犯罪のくせに、 ぺっ♪ 除染サギ💢 6兆4000億円
結論: 国策新聞『 赤旗 』志位和夫 ←水俣、足止め作戦、実行部隊です。💢
まぁ、 裁判300年です。 浪江町、廃村です。 うさぎ♂
福島議員
「大阪地検は意欲的だったという報道もある。何で起訴できなかったのか。当時、法務省事務次官は黒川さん。官邸が動いたということはあるのか?」
安倍首相
「妄想逞しくしておられるが、そんな事実は全くない」
そういう道筋ではない方法を死ぬ気になって探せ。
その一つが検察官適格審査。わしは知らなかったが、武器があるなら使え。
もう一つは議員全員辞職。覚悟の問題だ。
賛同する。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/826.html#c7
24日のNY株。
ダウは2112.98ドル高の2万0704.91ドル、ナスダックも557.19ポイント高の7417.86ポイントと大幅反発。
ダウの上げ幅は過去最大で2万ドル回復。
議会通過で揉めていた(と言っても民主党は更に大型の対案)超大型経済対策が可決の方向との報道で一気の買い戻しとなりました。
いくらコロナウイルス感染拡大が続く国内経済への不安が大きいと言っても、大規模経済対策を無視して、ダウ2月の史上最高値から1ヶ月で1万1000ドルの下げは、余りにも下げ過ぎではないかと言う投資家の買い戻しです。
投資家の不安を表すVIX指数は、100年に一度と言われ、世界恐慌論まで飛び出したリーマンショック時の最高80.86に対して、3/16の82.69は悲観の極み(セリングクライマックス)だったと思われます。
日本株。
昨日は、日銀や年金筋(GPIF)の買いで下値が取れないと見たカラ売りファンドの買い戻しで日経平均は、あっと言う間の1万8000円回復です。
明らかに先週末の1万6000円台で底を打った動きですが、リーマンショックの時は、下落前の水準に戻るまで4年かかったとか、1番底の5か月後に厳しい2番底が来たとか言って、投資家はまだ疑心暗鬼です。しかし、東京五輪延期の方向が固まった事は、逆に相場のアク抜け感を誘っています。
シカゴ日経平均先物は7:20現在1万9010円になっています。これに3月の配当予想180円を足すと1万9190円で、これが今日の日経平均の参考値になります。一気の1万9000円台も可能で、1万9500円と言われるGPIFの評価損はかなり減る事になります。
おそらく下げる過程のリバランス(組み入れ比率が下がっていた為、調整の買い)で簿価は更に下がったと思われますので、このまま行ったらほとんど評価損なしで3月末を迎えられるかもしれません。リバランスとドレッシングの一石二鳥作戦は見事に当たりとなります。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c299
マドンナだぁ(青島だぁ)
https://twitter.com/Madonna/status/1241035131554615298
Madonna
@Madonna
Living in Special Times............thank GOD for imagination and fried fish!
Eri(QmapJapan) #HeavilyCensored
@okabaeri9111
"Let’sEatSomeFriedFish♪"と後の自分の運命を"Sing"する様子を撮影させられる、マドンナ受刑者
*Fried(電気椅子処刑)
*Fish(フィッシュ…凶悪連続児童強姦殺人犯の名。NYのシングシング刑務所[SingSingCorrectional Facility] で電気椅子で処刑された)解読
ニャロメ lovely cat様はお空組
@rockyz69
Replying to
@okabaeri9111
and
@StormIsUponUs
アルバート・フィッシュですね。変態中の変態で息子やその友達の前で陰嚢に釘を打ち付けてました。幼児好きで食人します。
ニャロメ lovely cat様はお空組
@rockyz69
誘拐した幼女の肉を鍋で煮込んで食べたとわざわざ幼女の家族に手紙書いてます。おぞましいですね。カバるん達も快楽殺人犯と変わりないです
Face screaming in fear
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/822.html#c21
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