https://bunshun.jp/articles/-/13043
文春オンライン
2019/07/27
福山 隆
30年前にもあった韓国の「常套的手法」を当事者が明かす #1
7月16日、韓国紙「東亜日報」は次のように報じた。「韓国軍情報司令部の元幹部H氏と北朝鮮関連団体代表L氏の入手した北朝鮮に関する軍事機密74件が、ソウルの日本大使館に勤務する2人の防衛駐在官へ流出したことが、7月15日に明らかになった」
東亜日報が入手した判決文によると、2013〜17年の間に日本の武官に渡った3級機密情報には、「咸南・平南地域ミサイル武器貯蔵室の位置及び貯蔵量」(※咸南は北朝鮮の咸鏡南道、平南は平安南道)、「北朝鮮の海外ミサイル技術者採用」、「北朝鮮のSLBM潜水艦開発」、「対北制裁品目密搬入の動向」といったタイトルのものが含まれており、日本の武官はこうした情報提供の対価として2320万ウォン(約210万円)を支払ったという。
韓国の抗議で日本の防衛駐在官が帰国
東亜日報によると、韓国の検察は昨年韓国軍情報司令部の元幹部らを起訴し、国家情報院などと協議した上で、ウィーン条約に基づき日本の防衛駐在官1人には「ペルソナ・ノン・グラータ」(好ましからざる人物)に準ずる措置が必要と判断。韓国外交部を通じてその事実を日本側に伝えたところ、日本側はこれを受け入れ、該当武官を早期に帰国させた。また、加担の程度が低いもう1人の防衛駐在官も韓国側の抗議により6月に帰国したという。
今年1月、情報を流したH氏とL氏は1審でそれぞれ懲役4年、懲役2年・執行猶予3年の判決を宣告され、裁判部は国家安保を理由に判決文を非公開としたという。
一方、ソウルの日本大使館は共同通信の取材に対し、「そのような事実はない」と説明している。
日本との合意を破り、韓国がリークしたのではないか?
東亜日報の報道によれば、本件において「裁判部は国家安保を理由に判決文を非公開とした」はずで、本来このように表面化することは無かっただろう。おそらく日韓両政府は水面下で交渉し、日本側はスパイ事件の事実関係を一定程度認めた。そして1人の防衛駐在官を「ペルソナ・ノン・グラータ」として帰国させ、もう1人を3年の任期終了を待って密かに帰国させたのだ。すなわち、日韓両国は諸般の理由で「本件を表に出さない」という合意をしていたものと推察される。
ところが、このタイミングで記事が世に出た。これは、韓国側が日本との合意を破り、情報をリークしたからではなかろうか。
文在寅政権は、日本政府による半導体関連素材の輸出規制措置で韓国経済がダメージを受け、財界や国民から批判されることを回避したいはずだ。あえて今、日本の防衛駐在官によるスパイ事件をクローズアップさせることで、批判の目を逸らしたいという思惑が透けて見える。
30年前にも同様の「スパイ事件」があった
実は、私はこれに似た構図のスパイ事件を防衛駐在官だった約30年前に経験している。以下、私が遭遇したスパイ事件の真相を明らかにし、今回の事件と合わせて韓国がスパイ事件を政治利用する「常套的手法」について述べたい。
なお、あえて申せば、私の後に続いた韓国駐在の防衛駐在官たちが、わが国の安全に資する情報を積極果敢に収集していたことに、私は心から満足している。今回問題とされた2人の駐在武官は帰国後、冷たい仕打ちに遭っている可能性がある。諸外国と異なり、日本の行政組織は情報の意味や価値を深く理解していないところがあるが、ソウルで奮闘した2人の武官の処遇は誤らないことを祈りたい。
本題に移ろう。私の遭遇した「スパイ事件」の顛末だ。
1993年6月8日、私は3年間の韓国における防衛駐在官の任務を終え、帰国した。成田空港に飛行機が着陸した瞬間、「無事に帰れた!!」と心が高揚し、なぜか全身からどっと汗が噴出したのを覚えている。「1000日余りをきわどくも全力で駆け抜けたが、韓国当局から指弾されることもなく、私はついに無事に帰国できたのだ」という思いが潜在的にあったのだろう。
ところが、そのまま無事には終わらなかった。
「日本の防衛駐在官、韓国でスパイ事件」
帰国直後、フジテレビのAソウル支局長と韓国国防部の情報将校B海軍少佐が、スパイ容疑で韓国当局に逮捕されたのだ。1993年2月に発足した金泳三文民政権の新しい空気の中で、韓国のメディアは一斉に「日本大使館武官・福山大領(一佐)によるスパイ事件」と、まるで逮捕された2人を私が黒幕としてコントロールしていたかのようなニュアンスで書きたてた。
A支局長逮捕を報じた7月14日付の韓国大手紙「朝鮮日報」は一面トップで「日本のA記者拘束、機密27件日本武官に渡す」と題し、次のように報じていた。
「A支局長は、軍事機密を入手すると、陸軍武官福山隆・一陸佐などに電話で知らせた後、これを伝達するなど、取材活動を逸脱し、軍事上の諜報活動をした嫌疑を受けている」
事件が報じられた朝、私はいつものようにトイレに新聞を持ち込んで読んでいた。社会面まで読み進むうちに、「日本の防衛駐在官、韓国でスパイ事件」という見出しの記事を見つけた。一瞬のうちに、さまざまな思いが頭のなかを駆け巡った。逮捕された2人に対しては大変申し訳ないが、「最も恐れていた事態ではなかった」という安堵感のほうが強かった。
なぜならば、私はこの事件に主導的には関与していなかったからだ。私は結果的には情報を頂いていたが、それは自ら2人に積極的に働きかけてやったものではなかった。2人に対しては心から同情したが、私が“お世話”になったほかの方々に累がおよばなかったことでいささかホッとした、というのが偽らざる心境だった。
韓国海軍将校の模範のような男
わが国の新聞・メディアの世界においては、戦後のよき伝統として、「ペンの独立」が確立されている。従って、A支局長はすべて自らの信念で活動されていたことを私はここで明らかにしておきたい。A支局長が私と会うのは、当然のことだが、朝鮮半島情勢などについて意見交換をするのが主目的であった。
A支局長の逮捕後、私は、支局長のお父様から切々とその心痛を訴えるお手紙や電話をいただいた。私は、2人に申し訳ないと思い、八方手を尽くしてなんとか少しでも救いの手を差し伸べられないだろうかと、あれこれ思案した。ある有力な方に相談もした。しかし、私のような者の立場ではいかんともしがたいことを悟り、無念にも沈黙するほかなかった。
韓国軍のB海軍少佐とは一度だけ会ったことがある。私が他用で韓国のあるホテルに行った際、偶然ロビーでA支局長を見つけて挨拶したのだが、そのときB海軍少佐が一緒にいたのだ。彼は結婚式を終えた直後だった。その場でB海軍少佐を紹介されたが、迂闊にも彼がいかなる人物なのか、私は咄嗟のことで気が付かなかった。
そのB海軍少佐と再会したのは、事件後10年以上も経った2000年代半ば頃であった。当時私は、東京から遠く離れた佐賀県の目達原にある陸上自衛隊九州補給処に勤務していた。再会は、電話を通じてのものだった。B元海軍少佐は受話器越しに、日本に来ていることと、今の生活の様子を伝えてきた。
その後、東京に出張した時にB元海軍少佐と会った。市ヶ谷のホテルのロビーで彼と話して、初めて人となりが良く分かった。礼節などの徳義から見て、まるで韓国海軍将校の模範のような男だった。また、向学心に燃え、日本の大学の修士課程への進学を希望していた。日・韓・米の緊密な関係の重要性についても、確固たる信念を持っていた。
日本のスパイと疑われ、夜通しの尋問を……
B元海軍少佐は韓国海軍士官学校から海軍大学を出た、生粋の海軍将校で、仁川港を母港とする韓国海軍第2艦隊所属の高速艇隊長として北朝鮮の不審船(武装スパイ船)を発見・追跡し撃沈したこともある「文武両道」歴戦の勇士であった。また、国防部海外情報部で日本担当官のほかに北朝鮮担当官も経験し、北朝鮮海軍についての知識も豊富だった。
B元海軍少佐はその後いくつかの本を上梓したが、ある本の中で、このスパイ事件のことを詳しく書いていた。私が今まで知らなかった事実や彼の苦悩などが連綿と書かれていた。これを読んだ私は、名状しがたい、やるせない思いに捉われた。
以下、B元海軍少佐の著書より引用する。
◆◆◆
順調かの様に見えたわたしの軍人生活が暗転したのは、忘れもしない1993年6月24日だった。
(中略)
「B少領! 直ちに私の部屋に出頭してくれ!」
何らかの特命が下りるのではないか――。胸騒ぎがして、高鳴る鼓動を抑えながら上官の部屋に足早に向かった。
すると、現役将軍(少将)である上官は、今まで見たこともない険しい表情で、いきなり私の階級章を奪い取って大声で怒鳴った。
「少領は日本のスパイか?」
「部長! 何をいっているのですか。わけがわかりません。一体、どういうことですか?」
「B少領が日本のスパイじゃないとしたら、これから当局に積極的に協力してくれたまえ」
事態が飲み込めず、呆然と立ち尽くす私に、少将は続けた。
「当局に行けば、理由が分かるはずだ」
それから間もなく、私は捜査員に連行され、連日、夜通しの尋問に耐えなければならなかった。
◆◆◆
私はこのくだりを読んで、B元海軍少佐の無念を思うと、胸が締め付けられるようだった。では、なぜ韓国はこのようなスパイ事件を“作り上げた”のか。私は自分なりに分析を行った。
福山隆氏も参加した「文藝春秋」4月号の座談会、「『日韓断交』完全シミュレーション」では、元韓国大使の寺田輝介氏、韓国富士ゼロックス元会長の高杉暢也氏、同志社大学教授の浅羽祐樹氏、産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏が登場し、現実的な「日韓のあり方」を詳細に検討している。
30年前にもあった韓国の「常套的手法」を当事者が明かす #2
https://bunshun.jp/articles/-/13044
30年前にもあった韓国の「常套的手法」を当事者が明かす #3
https://bunshun.jp/articles/-/13045
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